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12 この世に神はいるか

 北村が作業に戻った暫く後だ。急に周りがざわざわとし始めた。何かあったんですか、と海斗が通りすがりの兵に尋ねる。その兵士は驚いたようだった。

「お前ら、楓なのに何も聞いてないのか。あいつだよ、ほら、例の中華共栄圏のスパイ。必要な情報が手に入ったらしいから、処刑が決定したそうだ。今処刑場へ連れて行かれるとこだ」

 それを聞き、北村は一目散に駆けていった。海斗の声が聞こえた気がした。

「ちょ、すみません!」

 人だかりを掻き分け、北村は前へ進んでいった。ようやく前へ抜け出した時、ちょうど川上さつきが目の前を歩いていた。手錠を掛けられ、疲れきった表情をしている。顔色が悪い。

「川上!おい!」

 北村が呼びかける。川上はちらりと目を動かして北村を見た。しかしすぐに視線を逸した。

「おい、待てよ……なんで……」

 北村の声もだんだんと小さくなる。ふと周囲に目をやると、皆ひそひそと囁きあっていた。

『いいザマだな』

『あんな女の子がスパイだったのか』

『気を付けねえとな……』

 北村が愕然とする。

「なんで……」

 その呟きは誰にも聞き取ってもらえない。

 先ほど話を聞いた兵士は処刑場へ連れて行くと言っていたが、川上をつれた憲兵は広場の隅で止まった。川上は街灯の支柱に縛り付けられた。北村は走ってその近くへ行った。再び彼女が見える位置にやってくると、川上から数メートル離れた場所に数人の兵士が立っていた。皆、銃を構えている。近くには桜庭がいた。彼女は愛刀を杖のようにして立っている。

 始め、の声と共に一発の銃声が響いた。だが誰にも当たらず、司令部の壁に当たった。すると、川上が縛り付けられていたはずの支柱から離れた。両手の手錠が解けている。野次馬が後ずさりした。数人の兵は足が震えて動かない。川上は彼らを殴り、一人の銃を奪った。周りから悲鳴があがる。川上は銃口を桜庭へ向けた。しかし桜庭は動かない。

「な、何してる!撃てぇ!」

 号令をかけた兵が情けない声で叫んだ。しかし、誰も銃を撃とうとしない。その時、川上が叫んだ。

「鬼は、死ななくちゃいけないんだ!」

 そう言って引き金を引く。数発の銃声がした。桜庭が一瞬ぐらりと動き、片足を動かして姿勢を保った。野次馬の何人かが銃を抜いた。

 辺りが静寂に包まれる。

 桜庭の足元に血だまりができていた。彼女は俯き、愛刀を杖のようにして立っているままだ。だが、藍色の軍服は黒く染まり、赤い雫がしたたっていた。

「満足したか?」

 そう呟き、桜庭はへたりこんだ川上のもとへ歩み寄った。そして、見下ろす。

「貴様の言う通りだ。鬼は死なねばならない」

 川上の目が見開かれる。彼女は口を開け、荒い呼吸をしていた。

「……だが、手ぬるい」

 それだけ言うと、桜庭は愛刀を一瞬で抜いた。白い刃が光を跳ね返す。そして同時に赤い飛沫がとんだ。川上の体が崩れる。赤い飛沫の痕を見て、桜庭は刀の血を振り払った。そして鞘に納める。彼女は腰が抜けきっている兵士数人に一瞥をくれると、踵を返した。

「中佐!」

 皆がその声に振り向いた。桜庭も立ち止まる。群衆の中から抜け出てきたのは北村だった。

「何してんですか!何で……」

 桜庭がため息をついた。

「また貴様か。ただの処刑だ。軍法を忘れたか?」

「でも、なんであんなことを……!」

 周りがまたざわつき始める。

「あんなこと?手錠を抜けたのはあいつの勝手だ。あのままだと、そこの腰を抜かしている奴らに危害が加わる恐れがあった。だから私が介入しただけだ」

「納得できません!」

 やめろ、と声がする。水無月の声に聞こえた。静かな中、桜庭は呟いた。

「だったら……どうすれば良かったというのだ」

 その時、千歳が走ってきた。桜庭を見て顔色が変わる。

「桜!どうしたんだ……すぐ手当しないと、いくらなんでも……」

 だが彼の手を怒ったように撥ね退け、桜庭は怒鳴った。

「放っといてくれ!」

 その言葉を残し、彼女は歩いて行った。千歳は無理に追うのをやめた。視線を落とし、北村ははっとした。桜庭のいたところが真っ赤になっている。彼女が歩いて行ったところも、足跡のように血が落ちていた。

 北村の肩に誰かが乱暴に手を置いた。水無月だった。

「何やってんだ、この馬鹿!」

「……ごめん」

 他に返す言葉も見つからず、北村はただうなだれた。その後ろで憲兵が片付けをしている。

 そのまま二人が立ち尽くしていると、横をすれ違う群衆の中から、声がした。

「桜庭中佐って、痛覚ないのかな」

 そんなわけあるか、と後ろから声がした。千歳だった。話をしていた兵達が敬礼して立ち止まる。千歳は少々怒ったように言った。

「確かに俺達は滅多なことでは死なないけど、痛みは人と同じだ。……二度と、そんなことを口にするな」

 申し訳ありません、と兵が怯えた声で言う。千歳はそれ以上何も言わなかった。兵は急いで逃げていった。千歳は北村をちらりと見て、何も言わずに去っていった。


「桜。入るよ」

 扉の前でそう言い、千歳は桜庭の部屋に入った。薄暗い部屋の中、桜庭は机に突っ伏していた。上着を脱ぎ、着替えてシャツ一枚になっている。

「貧血?」

 尋ねると、力なく彼女は頷いた。たしかにここに来る途中でも血がたくさんついていた。普通の人間ならば死んでいるほどの量だ。

「五発だ。また軍服がダメになった」

 ハンガーにかけてある軍服の上着を指し、彼女はため息をついた。穴の空いた軍服は黒く染まっていた。その下には、同じく血まみれで穴の空いたシャツが乱雑に丸めてある。机には、弾丸がまとめて置いてあった。

「桜、自分でとったの?」

 桜庭が頷く。

「だめだよ、ちゃんと管理室でとってもらわないと。痛いでしょ」

「誰も心配なんかしない」

 突っ伏したまま、彼女は答えた。

「俺は心配だよ」

 千歳は彼女の頭を撫でた。肩がわずかに動いた。

「机で寝ちゃだめだよ」

 可笑しそうに千歳が言い、桜庭を抱え上げ、長椅子に寝かせた。彼女はぐったりとしたままだ。流した血の分だけ軽く感じた。

「ごめんね。いつも桜にばっかり背負わせて。承諾書に最終サインをしたのも、何もかも俺のせいなのにね」

 いつものことだろう、と桜庭が呟く。そんな彼女の顔を見て、千歳が微笑む。

「……また、死に損なった?」

 千歳が尋ねた。怪訝そうな顔をして、桜庭が千歳を見返す。

「何のことだ」

「とぼけちゃって……川上の手錠を外したの、桜でしょ。自分を撃たせるために」

 桜庭は黙っていたが、そうだ、と返事をした。

「恨みのこもった弾丸なら、死ねるかと思ったがな。……結果は見てのとおりだ」

 桜庭の体を抱き起こし、千歳はシャツのボタンに手をかけた。素肌に触れ、胸元に口を寄せる。傷口はふさがっていた。しかし、痕になっている。

「また傷が増えたね……嫌だよ、これ以上桜の体に傷がつくのは」

 そう言って千歳が桜庭を強引に引き寄せた。そして、優しくキスをした。すると、桜庭はぐっと彼を押し返した。

「盛りのついた犬か、お前は」

 不機嫌そうに言う。千歳が笑った。


 その夜遅く、北村は桜庭がいつもいる部屋へ行った。藤崎と水無月には止められた。しかし話を聞いた明石海斗が、行ってみればいいんじゃない、と言った。そして彼は一人で来た。

「中佐、失礼します」

「帰れ」

 ノックをしただけなのに、中から桜庭の苛ついた声がした。

「え、あの、昼のことを謝りに来たんです!申し訳ありませんでした!……それで、どうしてもお聞きしたいことがあって……入室を許可していただけませんか」

 少し沈黙があって、入れ、と返事があった。すでに心拍数が上がっているのをはっきりと感じ取りながら、北村は入った。桜庭が何か書類に目を通していた。

「あの、中佐。昼は本当に申し訳ありませんでした」

 北村が頭を下げると、書類を放り投げる音がした。

「もういい。聞きたいこととは、何だ」

「はい。川上は家族を人質に取られていたから中華共栄圏に情報を流していたんですよね。その家族は今は……どうしているんですか」

「死んでるよ」

 答えたのは千歳だった。振り返れば、戸口に夕食のトレーを持って立っていた。彼はそのまま部屋へ入ってきた。

「桜、人のいるところに行きたくないでしょ?これ、特別に作ってもらったんだ」

 そう言い、千歳は桜庭の机にトレーを置いた。

「おい、なんだこの偏った食事は」

 トレーをちらりと見て、桜庭が不満を漏らす。皿にはレバーやひじきが並んでいた。

「だって桜が偏った失くし方するから」

「それは私に全体的に吹っ飛べということか」

 二人の会話を聞いていたが、北村がおそるおそる口を開いた。

「あの、死んでるって……ほんとうですか」

 そうだよ、と千歳が答えた。

「中華に潜入しているスパイが探って教えてくれたんだ。だからこそ、川上はもう中華側につく必要もなくなった。それで、向こうの情報も教えてくれた」

「だったら……だったら、処刑なんてしなくても」

「黙れ」

 桜庭が遮った。レバーの数を数えながら、彼女は言った。

「あいつはもう思想が中華に寄っていた。中華は鬼を作る技術を持っていない。だから、鬼は根本的に悪であるという教育をするんだ。だからあのまま野放しにしておくわけにもいかなかった。それに、周囲の兵と何か衝突があっても困る。島流しにするにしても、あいつは知りすぎた。処刑するしかなかった。それに、あの世の家族に会いにいくというのがあいつの望みだった。……まあ、鬼がいてはいけないという点においては賛成するがな」

 一通りしゃべると、桜庭は黙った。

「そう……でしたか」

 北村が俯いた。

「度々中佐の手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした」

 沈んだ声でそう言うと、北村は戸口へ向かった。それを桜庭が呼び止めた。

「北村。この世に、神はいると思うか?」

 突然の問いに、北村はきょとんとした。しかし、桜庭をまっすぐ見つめた。

「はい。自分は、いると思います。だからこそ、こんな世界でも人々は生きていられるのだと思います」

 桜庭はじっと北村を見た。千歳も興味深そうにしている。

「そうか。私は、いないと思う。こんな世界に、神がいていいはずがない。……変なことを訊いたな。行っていい」

 敬礼し、北村は退出した。

 扉が閉まるのを聞き、桜庭は小さくため息をついた。

「千歳。やっぱりお前は嘘つきだ」

「何が」

 笑いながら千歳が尋ねる。

「川上の家族は生きていただろう、少なくとも逮捕した時には。今も恐らく強制労働に就かされているのではないか」

 そうかもね、と彼は笑った。

「いいじゃない、これで全てが収まるんだから」

 その言葉の真偽を確かめるように、桜庭は千歳を見つめた。千歳は微笑んだままだ。彼女は諦めたように、食事を始めた。

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