11 夕雲
十月。四季がなくなったといっても、さすがにそろそろ寒くなる頃だ。秋は一瞬で過ぎ去るようになり、この季節は体調を崩す人も多い。数年前は謎の伝染病も流行ったが、やはりこの時期だったという。
ある日、日本中にニュースが流れた。アメリカ連合が中立である日本に対して同盟を持ちかけてきたのだ。世界が騒然とした。だが、現首相である大嶋正彦はこれを保留した。回答期限は十一月一日だ。それまでに回答が得られなければ侵攻される可能性がある。
最悪の事態を想定し、軍にも緊張が走った。
「ということで、今日はより一層注意して警備にあたってくれ。なお、楓の南側の海上警備を柏がすることになっている。もし何かあれば、楓だけでなく柏と協力して戦うように」
千歳が楓部隊に言う。メンバーは一斉に敬礼した。
偵察機にも、いつもより多くの弾薬を積んである。装備も出来るだけ新しく、性能の良いものに変えられることになった。
「じゃ、今日も頼んだよー、北村君」
明石海斗が笑う。
今日も空は快晴だ。ただし、雲は何かの物質を含みすぎて汚い色をしている。たまに風の強い日には、鮮やかな紫の雲がちぎれて流れてきたりした。
国境付近に近づくほどに何か影が見える。
「ねー、北村君」
突然、海斗が話しかけてきた。
「なんでしょう」
「やっぱさ、最近不穏だよね」
そうですね、と言う前に海斗は飛んできた弾丸を避けた。最近は海斗の乱暴な操縦にもかなり慣れた。
目の前にいるのは中華共栄圏の戦闘機だ。無人四八式黒龍型戦闘機、それに有人七五式応龍型、無人六二式白龍型だった。正確な数までは分からない。だが、かなりいるのは確かだ。
「……明石少尉。ちょっと、まずいんじゃないでしょうか」
「あ、やっぱりー?」
海斗が笑う。だが、笑い事ではない。この地点には他にも海斗の兄、陸斗と藤崎が乗る戦闘機がいるが、敵いそうにない。
「千歳中佐。応援願えませんか」
すると、千歳の困ったような声が無線機からした。
「ごめん。今、こっちも手伝って欲しいくらいだ。桜に頼んでくれ」
「了解」
無線機をいじり、海斗が桜庭と話す。どうやら応援に来てくれるらしい。だが、十分は保てと言われた。
「まじですかぁ。これを十分って。下手に交戦したくないけど、あいつら領空侵犯中なんだよねー」
困ったように海斗が言う。しかし、様子を窺っていた相手が動いた。黒龍型の戦闘機が動く。相手が動けばこちらも動くしかない。
「あああ、無理無理無理!これは無理!」
海斗が笑いながら言う。北村は無駄弾を撃たないように必死で狙った。機体が傾いた。翼にロボットがしがみついている。海斗が、振り回すよ、と断って機体を回転させた。ロボットは指一本で引っかかっていたが、落ちていった。だが、落ちる様を笑顔で見ているわけにもいかない。
時折陸斗からも無線連絡が入っていた。そろそろ限界だ、という。北村も弾がほとんどない、と海斗に伝えた。先ほどから海斗はずっと相手の攻撃を避けている。戦闘機夕雲はいくつか被弾していた。しかし、上手い。プロの野球選手はボールが止まって見えるとか言うが、海斗にも同じように見えているのではないか、と北村は疑問に思った。とても片目しか見えていないとは思えない。まるで鳥のように自在に飛び、相手の死角に容易く入り込む。
十分。いつになったら十分経つのだろう。そう思った時だ。無線で柏部隊から到着の連絡が入った。と同時に、すぐ前に迫っていた黒龍型戦闘機が爆発した。桜庭だった。藍色の軍服、長い黒髪、白く輝く刀。戦闘機のガラスが割れる。鉄の破片が飛び散る。桜庭はふわりと宙を舞い、有人七五式応龍型を一機破壊した。飛び出てきたロボットを、素手で真っ二つに砕いたのが見えた。
残った弾を撃つのも忘れ、北村は見入ってしまった。その間にも桜庭は空を舞い、柏部隊は援護していた。
だが、やはり数が多いのか。桜庭の周りに戦闘機が集まってきた。袋の鼠にする気だろうか。柏部隊が外から攻撃する。
「北村君、舌噛まないでね」
「えっ」
海斗の言葉にまともに返事をする間もなく、海斗は桜庭の方に加速させた。一度低い位置に入り込み、一気に上昇する。そして、機体を横倒しにした。直後に大きな衝撃があった。海斗はそのまま上へ飛ばし、一旦相手と距離をとった。ふと北村が外に目をやると、左の翼に桜庭が引っかかっていた。ぎょっとして海斗を呼ぶと、分かってる、と返ってきた。キャノピーを開け、海斗が声をかける。
「大丈夫ですか、中佐」
すると桜庭は刀を杖の代わりにして体を起こし、ため息をついた。
「幸せ逃げちゃいますよー、あはは」
まったく、と桜庭が呟く。彼女の頬には赤く火傷した痕があった。しかし、それが一瞬で治った。
「なぜわざわざ被弾しに来た。私はあの程度の爆発に巻き込まれたって死なんぞ」
「でも、痛いじゃないですか」
桜庭は海斗を見て、目を逸した。
「まあ、確かにな」
そして、刀を持ち直す。白い刃が輝いた。
「貴様らはこのまま帰還しろ。すぐ片付く。エンジンをやられただろう」
「分かりますか。じゃあ、お言葉に甘えて帰還させていただきます。千歳中佐もいらっしゃったし、大丈夫ですね」
ああ、と頷き、桜庭は翼を蹴り、再び黒龍型戦闘機へ向かっていった。海斗はキャノピーを閉め、帰還の用意をした。
外には千歳がいた。やはり桜庭と同じ、マスクも何も着けず、白刃の刀を持って戦闘機を破壊していた。やはりあの人も鬼だったんだ。そう思わざるを得なかった。怒気を含んだ表情。いつもの中佐とは違う。頬には血がついていた。容赦せず、相手の戦闘機を襲っていく。
「陸、エンジン損傷しちゃったからさ、ゆっくり帰るね。北村君も、いいよね」
無線で喋りつつ海斗は尋ねた。はい、と北村が答える。海斗は機体のバランスをとりつつ、北西司令部を目指した。
海斗は器用に操作して、出来るだけエンジンを使わずに帰った。その分大きく迂回したりし、いつもより違う景色が見えた。そして陸斗が司令部に戻った十分後、ようやく海斗と北村は司令部に到着した。整備士がすかさず駆け寄ってくる。そして、エンジン部分を見て悲鳴をあげた。キャノピーを開け、降りてきた海斗を掴む。
「またあんたかーっ!もっと丁寧に扱ってくれよお、俺の可愛い夕雲ーっ!」
「ごめんって。桜庭中佐を守るためには仕方なかったのー」
整備士は更に、翼の被弾を見て金切り声を発した。大の男からあんな声が出るのか、と北村は感心した。
「直せないとか言わないよねえ」
さすがに酷いな、と自分でも損傷箇所を見て言いつつ、海斗が尋ねる。
「ふん、俺にかかればこのくらい……すぐに直してあげるよ、夕雲っ」
「……機体にキスとかしないでね。孕んだら重量増えるから」
「てめっ、このやろ!」
あはは、と海斗が笑う。
「それにしても、よくこの損傷で帰って来れたな。やっぱあんた、すげえよ」
整備士がさっそく工具を持ちながら言う。
その時、歓声が聞こえた。見れば、時雨型と五月雨型の戦闘機が帰還していた。柏部隊のものだ。しかし、五月雨型が故障しているようだ。着陸脚が出ず、腹から豪快に擦って停まった。時雨から桜庭と千歳が降りてくる。だが、二人はきょろきょろと落ち着きがなかった。
「ああ、今日は徹夜だな」
整備士が言う。他の部隊でも修理が必要な機体がたくさんあるらしい。
その直後だ。別の方から悲鳴が聞こえた。何事かと振り向けば、そこには中華共栄圏の戦闘機に積まれていた戦闘用ロボットがいた。下手に銃で攻撃すると、味方を傷つけてしまうかもしれない。皆、足を震わせながら遠巻きに見ていた。
「桜庭中佐!千歳中佐!」
司令部の三階から、笹井中将が怒鳴った。桜庭と千歳の表情が変わる。
「そいつを倒せ!国民に危害が加わる前に、死んでも倒せ!全力で戦え!」
一瞬、桜庭と千歳の瞳が燃えるように光った――北村にはそう見えた。
ロボットが笹井をちらりと見る。相変わらず表情のない顔をしている。しかし今までのものとは違い、半透明な面だった。そして何かを確認すると、壁に飛び移った。悲鳴があがる。だが次の瞬間、桜庭と千歳も動いた。千歳が壁を駆け、ロボットの前に回り込む。わずかな装飾の凹凸に足を引っ掛けていた。ロボットが止まり、上を目指した。だが上には桜庭がいた。刀を持ち、反動をつけてロボットを叩き落とした。再び人々は悲鳴をあげ、退却の波ができる。金属片が散らばったが、ロボットはまだ立てるようだ。
「千歳。こいつは偽物ではなさそうだな」
「ああ。ドイツ製だね」
粗悪なロボットは少しの衝撃で壊れやすい。しかしドイツ軍が開発したものは、中枢部分を破壊しなければ止まらない。腕や足がもげようと、奴らは襲ってくる。
千歳も刀を持ち、ふわりと街灯の上に降り立った。桜庭が、まるで羽根が舞い落ちるように優雅に降りた。しかし靴底が地面についた瞬間、一気に蹴り出す。刀で切りつける動作をすると、金属同士がぶつかり合う音がした。地面に金属の腕が落ちる。桜庭はそれを踏みにじり、本体に向き直った。そして走って突っ込んでいく。ロボットが後退した。街灯の上から千歳が飛び降りる。千歳の刀がロボットを真っ二つに裂いた。茶色い煙があがり、ロボットが音を立てて崩れ落ちた。
静寂が訪れた。その後、歓声とも悲鳴ともとれない声があがる。桜庭は小さく舌打ちした。
北村は呆気にとられて二人を見ていた。足がすくんでその場から動けなかった。
千歳達がロボットを片付け終わり、またいつも通りの生活が始まったのは夕方だった。夕雲の様子を見に行った時、北村は海斗に呼ばれた。楓部隊は集まるように、とのことだった。言われた場所に行き、北村は愕然とした。
千歳が沈んだ声で言う。
「本日時刻は一四三七に……三一式夕雲二一号の乗員、本庄隆人軍曹相当、神谷彰三等兵が戦死した」
北村の頭の中に、神谷の声がこだました。北西司令部に配属になり、一番最初に話しかけてくたのは神谷だった。本庄にも、配属以来随分と世話になってしまった。
なんで。それが、真っ先に思ったことだった。理不尽だ。何にもしていないだろう、この人達は。しかし、北村は思い直した。こうやって、今までも何人も死んだんだ。それが敵だろうと味方だろうと、ここは理不尽なのが当然の世界なんだ。そしてきっと自分もいつか、その理不尽の前に抗えずに消えてしまうのだ。ひとは、こんなにも無力で儚い。けれど、生きなければならない。一体、何のために。誰のために。どうせ死んでしまうなら、なぜ生きている。
答えは出なかった。
北西司令部では、遺体は冷凍で保存することとなっている。定期的に総司令部へ運ばれているようだが、実態を知る者は少ない。青葉の子も多いことから、おそらく本部の共同墓地へ葬られるのだろうという噂が立っていた。
遺体管理係が来て、ゆっくりと柩を閉めた。体の一部がなくなってしまった神谷の姿は見えなくなった。蓋が閉められた直後、一緒に入れられた花の強い香りが鼻についた。
楓部隊は、二人を敬礼で見送った。
「あの、明石さん」
夕雲の点検をしながら、北村が海斗に尋ねた。なんだ、と沈んだ声で海斗が返事をする。
「千歳中佐達が帰還した時……すでに本庄軍曹と神谷は死んでたんですよね」
「そうだね」
てきぱきと海斗は仕事を進めていく。北村はため息をついた。海斗が作業の手を止めた。
「俺はもう慣れた」
北村がきょとんとする。
「それは……死に対して、ですか。俺はそれは嫌です」
海斗はまた作業に戻った。北村もそうしようとした。だが、背後に気配を感じて振り返った。亡くなった本庄と同期の青木が立っていた。
「海斗少尉。自分にはまだよく分かりません。慣れるということが……」
海斗はちらりと青木を見て、また作業に戻った。
「慣れなくていい。慣れたらだめだ。死んだら悲しいのは当たり前だ。ただ、俺はもう一度死んでしまったからそう思えない」
悲しそうな顔をして、青木は敬礼した後去っていった。北村も再び作業に戻った。




