10 桜庭の過去
八月。気候変動のせいで、猛暑が続く。スパイ事件があってぎくしゃくしていた楓部隊もすっかり調子を戻し、毎日警備についていた。うだるような暑さの中、楓部隊は司令部に戻ってきた。
「暑い……暑すぎだろ……」
水を飲み、藤崎が唸る。同感だ、と水無月がぐったりしながら言う。日陰に入ってもじめじめと嫌な暑さだ。冷房もつくものの、人数が多い食堂などはあまり効いていない。
夜、遅い時間に食堂へ行って北村ははっとした。見たことがある人がいる。ショートヘアの気の強そうな女子。
「し……新谷?」
相手もはっとして振り返った。間違いなく新谷真由だった。どうしてここに。太平洋司令部に行ったはずでは。しかし、そんな疑問よりも懐かしさが先行した。
「久しぶりだなあ、元気だったか」
「北村に藤崎!なあんだ、ぴんぴんしてるのね!」
「どうしたんだよ、こんなところで」
藤崎と三人、声のトーンが高くなる。
「太平洋司令部でね、米艦隊撃破に関わってたんだけど、いい成績を残せたから部隊長が希望はあるかって聞いてくれてね。北西司令部を志願したの。随分変な顔されたけど、了承してもらったんだ」
「へえ、じゃあいまどこに?」
「柊部隊」
その時、北村と藤崎を呼ぶ声がした。きょろきょろしていると、がらんとした食堂の隅に千歳がいた。
「今から食事?」
そうですと答えると、こっちで一緒に食べようよと言われた。見れば、千歳の他に住岡大佐ともう一人男性がいる。戸惑っていると、住岡も彼らを呼んだ。
トレーを持って三人は彼らのテーブルへ行った。テーブルには酒があった。千歳はあまり飲んでいないようだったが、住岡ともう一人はかなり飲んでいるようだ。
「お友達?」
住岡が訊く。そうですと北村は答えた。
「太平洋司令部から八月二日付で配属となりました、新谷真由です」
新谷さんね、と住岡は繰り返した。
「太平洋ゆうたら、あれじゃろ。鬼がおるんじゃなかったかいね」
そうです、と新谷が答えた。
「私はその鬼の下にいました。北西司令部にも鬼は二人いると伺いましたが」
千歳がくすっと笑う。きょとんとして新谷が千歳を見る。
「俺がその鬼だよ」
えっと声をあげて新谷が驚く。
「し、失礼しました。私のイメージしていた鬼と随分印象が違って」
「構わないよ」
千歳が笑う。
「太平洋っていったら、宮坂かな?あいつはまあそれなりに陰気だからな。大変だったでしょ、付き合うの」
「はい、その宮坂曹長です」
新谷が苦笑いする。彼女がそうしているところを見ると、その宮坂曹長はいろんな意味で大変な人なのだろう。
「北西司令部の鬼はね、よく『ゆうゆうコンビ』って言われてたね」
「ゆ、ゆうゆう、ですか?」
藤崎が笑いを堪えながら尋ねる。そうだよ、と千歳は恥ずかしそうにした。そういやあそんなこともあったねえ、と住岡が隣の男性と笑う。
「俺の下の名前が優馬で、桜が侑記っていうんだ。名前にどっちも『ゆう』が入ってるから『ゆうゆうコンビ』。俺達、孤児院からずっと一緒だったし」
「桜庭中佐の名前、初めて知った……」
ぽつりと北村が呟く。まじか、と藤崎が言った。
「なんで和真は知ってたの?」
「え?直接中佐に訊いただけだけど?」
北村が目を丸くする。
「よく生きてんな、お前……」
千歳達司令官三人が笑う。
「でも、彼女も丸くなったよなあ、住岡」
住岡の隣で飲んでいた男性が言う。そうじゃねえ、と住岡は答えた。
「あれで、ですか」
思わず北村が問う。千歳が吹き出した。
「うん。あれで、なんよ」
住岡がまた一口飲んだ。さっきからグラスが二回ほど空になっている。彼は懐かしそうな目で千歳を見て、ゆっくりと喋った。
「何年……十二年前かね。桜庭康雄元首相が家族と暗殺されてしもうて、そん時生き残ったんが桜庭君じゃね。遺産相続で親族と揉めて、全部丸々取られてしもうたみたいでねえ。どうしようもなかったんじゃけど、当時の首相が桜庭元首相にお世話になっとったみたいでから、青葉の子として国で保護いう形になったんよ」
千歳も懐かしそうな顔をした。
「俺はもともと桜がいた孤児院にいてね。まあ孤児の数も相当だから、新しく来たら適当に部屋にぶっ込まれるんだ。初めて桜に会った時は、もう、何て言っていいのかな。桜は人形みたいだった。一言も喋らないし、寝ることも食べることもしないし、誰も近寄らせないし。でもまあそのうち俺とは一緒に行動するようになってね。小学校も一年間、一緒に行ったんだ。住岡大佐とはその頃くらいに知り合いましたよね」
食堂はもう彼らだけになった。北村の食事はすっかり冷めてしまった。
「けど、たしか長谷川謙司元首相の時じゃったよねえ。あの人は桜庭家が嫌いでねえ。当時まだ鬼の改良が続けられとって、誰が生贄になるかいう話になったんよ。それで長谷川さんが『日本武装中立宣言』を出した桜庭元首相の孫を出せば面子が保てるとか言うて、桜庭君を鬼にしようとしたんよ。なんの面子か知らんけど、ほんまにあの人は……」
そう言って住岡はまた一口飲む。空になったグラスにすかさず千歳が注ぎ足した。
「でも、その時に千歳君が名乗り出てくれてね。彼がまず鬼になったんよ。千歳君が失敗したら桜庭君が鬼になるいう約束でね」
千歳が微笑む。だが、とても悲しげな笑い方だ。
「なのに、どうしても桜庭君を鬼にしたかったんじゃろうね、あの男は。コンピュータとの接続が成功して、あとは用意されとるデータを組み込むだけなのに、わざとバグが起こるようにしてね。結果として千歳君は失敗したことにされて。本当なら彼が完全型になれるはずじゃったんよ」
住岡が早口になる。一点を見つめて喋る。怒っているのだろう。
「それで、桜庭君まで鬼にされてしもうたんよ……」
住岡の呟きが闇夜に消えた。
「あの時はご迷惑をおかけしました」
千歳が笑う。何を言いよるん、と住岡が言う。
「でも……あの時は、俺も桜もこの世が全て憎かったことに違いはないんです。あの後結局太平洋司令部に配属されたんだけど、俺達は反抗的な態度でね。おかげで毎日何か私刑があったな。でも、傷や怪我もあっという間に治るから余計気味悪がられてね。一瞬で治るから骨を折られることもあった」
住岡も隣の男性も、悲しそうに聞いていた。
「確か桜庭中佐は、長岡とかいう外道の司令官のところにおったんじゃなかったですかね」
男性が言う。
「あ、長岡大尉!今でも有名ですよ、あの人」
新谷が嫌そうに言う。彼女の様子からすると、本当に嫌われているようだ。
「まぁだ生きとるんね、あいつは。さすがしぶといねえ。なんで篠原がそんなこと知っとるん?」
住岡が男性を見た。篠原と呼ばれた彼はきょとんとした。
「あんたが教えてくれたがね」
「そうじゃったかいね……」
住岡が頭をぽりぽりと掻いた。篠原が笑う。
「その長岡って奴のとこにいた時も桜は随分反抗したみたいでね……そいつの私刑が、まあ、アレで……」
北村と藤崎がきょとんとする。新谷は分かったのだろう、心底嫌そうな顔をしている。
「まあ、その、桜は本当に嫌がってたんだけど、毎日無理矢理抱いて……。俺も他の部隊にいたし、上官に逆らうことはできなかった。その長岡って奴は当時は上層部も黙認するような奴でね」
「今もですよ」
千歳の言葉に続いて、新谷が吐き捨てるように言った。
「抱かれるだけならまだしも――いや、まだしもって言っちゃいけないけど――あの長岡は反抗し続ける桜に人体実験をしたんだ」
悔しそうに千歳が言う。
「鬼は少々のことじゃ死なないからね。何をされたのかは桜は喋らないから知らない。けど、その後俺も使われたんだよ。……思い出してもぞっとする。メシを何日も抜かれるのはまだいい方で、体中切られたり撃たれたり……いや、もうやめとこう。とにかく地獄だった。宮坂もそこで実験されたみたいで、それであんなに暗くなったんだ。でも、ある日住岡大佐が来てくださったんだ。施設に閉じ込められた俺達を外に出してくれて、長岡をぶん殴ってくださって。俺達は北西司令部で、やっとまともに生きれるようになったんだ。本当に、感謝してます」
住岡が優しい目で千歳を見た。
「本当に、感謝しています」
後ろから突然、桜庭の声がした。皆が一斉に振り向く。
「千歳。探したぞ。例の承諾書、書いたのか」
「あ、書いたよ」
「だったら出してくれ」
呆れたように桜庭が言う。はいはい、と千歳は席を立った。
「あ、桜」
なんだ、とぶっきらぼうに桜庭が聞き返す。
「背、伸びた?」
桜庭の目が少し大きくなる。
「ほ、本当か?」
千歳はにこっと笑った。
「う、そ」
次の瞬間、桜庭は千歳を蹴った。
「痛い、桜!背骨折れる!」
「うるさい!すぐ治るだろうが!」
食堂の入口まで千歳を蹴り出し、桜庭は住岡を見た。
「でも大佐が助けてくださらなかったら、本当にどうなっていたことか」
桜庭の言葉に、住岡が笑った。
「最初は大丈夫か思うたけど、君も随分表情豊かになったしねえ」
え、どこら辺が……?
思わず口をついて出そうになり、北村は咳払いをした。桜庭に睨まれる。やばい。絶対今の、バレた。だが桜庭は何も言わず、住岡達に敬礼して去っていった。
「今のが、もしかして……?」
新谷がこっそりと尋ねる。そうだよ、と北村が頷いた。
住岡達と別れた帰り際、北村はふと嫌な予感がして新谷を振り返った。
「なあ、お前はその長岡大尉に……何かされたりとかは……なかったのか」
うん、と新谷は答えた。
「長岡大尉は今は武器管理の方にいるから、接点ほとんどないし。なーに、心配してくれたの?」
にやにやと笑いながら新谷が尋ねる。
「そ、そんなんじゃねえよ。ただ、ちょっと訊いてみただけだろっ」
慌てて北村がそっぽを向く。すると、藤崎に体当たりされた。
宿舎に戻った後も藤崎は北村をつついていた。楓部隊のメンバーが面白そうに話を聞きたがる。だが、桜庭のことを言いたくなかったのだろう、藤崎はごまかしていた。
「北村ぁ、恋のお悩みなら青木がいいぞぉ」
先輩である本庄隆人がにやにやしながら言う。青木はむせた。
「なんで俺なんだよ!」
「お前もてるからー」
「否定はしないけどな」
「くそっ」
本庄と青木は枕をぶつけ合い始めた。そのうち、部屋全体が枕投げに巻き込まれた。普段は真面目を気取っている水無月も大笑いしている。
この空間が幸せだ。北村はそう思った。




