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09 狭間

「あー、今日もなんか疲れたなあ」

 肩に手をやり、北村が腕を回す。相変わらず偵察中にも中華共栄圏の戦闘機と交戦する。そして相変わらず明石海斗の操縦は乱暴だ。毎日痣ができる。

「さっさとメシ食って、今日はもう寝たいよ」

「なら、さっさと並ぼうぜ」

 藤崎が食堂の列の後方へと彼を引っ張っていく。その時、北村は誰かにぶつかった。同じ楓部隊の川上さつきだった。彼女が何か落とす。だが気づかずにトレーを持ったまま向こうへ行ってしまった。

「おい、川上!」

 北村は声をかけてしゃがみ、それを拾った。パスケースのような薄いものだ。だが、それには写真が入っていた。家族の写真のようだ。だが、それよりも気になることがある。落ちた衝撃でずれた写真の向こうに電卓のようにボタンが並んでいた。なんだこれ、と思う間もなく、それをひったくられた。川上だった。

「あ……ありがと」

 彼女は怯えたような顔をしていた。呆気にとられた北村は何も言えなかった。彼女はそのまま早足で歩いていこうとして振り返り、立ち止まった。どうしたのかと北村が立ち上がり、自分の顔が強ばるのが分かった。

 桜庭が立っていた。後ろに引き連れているのは憲兵だ。川上が後ずさった。

「なぜ逃げる……?」

 重く桜庭が呟いた。何も分からず、北村は彼女の前に立った。

「中佐、何でありましょうか!」

 だが桜庭は怒ったように眉を寄せ、北村を睨んだ。

「どけ。罪人を庇い立てするなら、貴様も逮捕する」

「え?」

 北村がきょとんとする。すると桜庭の合図で憲兵が川上を取り囲んだ。川上はそれでも隙を窺っていたようだが、口髭の男に取り押さえられ、後ろ手に手錠をかけられて連行された。立ったまま、北村はぽかんとしていた。ただ、何か大変なことが起こっているのだけは分かった。

「褒めてやるぞ、北村健人。貴様のおかげで密偵を逮捕できた」

 そう言い残して桜庭が去ろうとする。

「ちょ……待ってください!どういうことですか!俺が、俺があの写真を拾ったから川上が捕まったっていうんですか!?」

 苛ついた様子で彼女は振り返った。

「あいつは中華共栄圏のスパイだ。ここ最近司令部が直接攻撃されていたのもあいつが情報を流していたからだ。家族が人質に取られているらしい。だが見ただろう、あの送受信機で連絡をとっていたのだ。貴様が見つけてくれたおかげで確固たる証拠が手に入った」

「納得いきません!自分がもし見つけなかったら、彼女は逮捕されなかったんでしょう!」

 北村は食い下がった。面倒くさそうな顔をして桜庭が近くの椅子に座った。

「馬鹿か。何のために貴様ら新兵にゴミ拾いなどさせたと思っている。軍本体から隔離しておいて嘘の武器庫移動の情報を流したのだ。もちろん部隊ごとに流す話は変えた。今回あの三日の間に中華から来るミサイルの着弾地点が円山に変わった。円山に移動という話を流したのは楓・白樺部隊だ。その上、あいつの拾ったゴミには文字の書かれた中華の武器破片等が含まれていなかった。十分だろう」

 藤崎も青い顔をして聞いていた。食堂全体が静まる。桜庭は立ち上がった。

「納得できません!そんなの偶然かもしれないじゃないですか!」

 それでも北村は声をあげた。桜庭は落ち着いた声で言った。

「貴様、負い目でも感じているのか?だったらその必要はない。あいつは犯罪者だ。お前はそれを暴いた」

「でも、家族を人質に……!」

 突然、北村は吹っ飛んだ。テーブルに背中を打ち付け、床に倒れた。一瞬何が起こったのか分からなかったが、桜庭に殴られたのだと分かった。吐き気がこみ上げてくる。

「貴様がどう思おうが自由だがな。あいつは犯罪者だ。軍法にもある。いかなる理由があろうともこれは許されることではない。そのせいで、何人の仲間が死んだと思っている!川上にも家族がいたと言うのならな、巻き込まれて死んでいった奴らにも家族はいたんだ!」

「ですが!」

「黙れ!おい、憲兵!」

 桜庭が怒鳴った。外まで響く。すぐに憲兵が二人駆けつけた。

「この馬鹿を連れて行け!鞭打ち三回で勘弁してやる!」

 北村はすぐさま取り押さえられた。馬鹿だ、あの桜庭中佐に歯向かうなんて、とざわめきが聞こえる。

「あ、あの、待ってください、桜庭中佐!こいつは確かに馬鹿なんですが……ええと、決して反抗心があったわけではなくて……」

 藤崎が割って入る。桜庭は舌打ちした。

 やばい。そう思って北村は顔をあげた。

「やめろ、和真。お前までこうなる気か」

 直後に北村は尻を蹴られ、立たされた。連れて行かれる間際、桜庭がいつものように呟いた。

「久しぶりにここまでの大馬鹿と話ができた。貴様らのような馬鹿は嫌いではないが、もう少し現実を見ろ」

 そして桜庭もそこを去った。暫くすると食堂は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。



 深夜、宿舎で北村は藤崎に背中の傷を手当してもらっていた。鞭で打たれたところが赤黒く膨らんでいる。

「馬鹿だな、お前も。桜庭中佐に歯向かうなんて」

 薬をつけ、藤崎が言う。

「何とでも言えよ。俺は別に間違ってたなんて思わない」

 宿舎には他にも楓部隊のメンバーがいた。

「でも……まさか、あいつがスパイだったなんて」

 水無月が青い顔をして言った。彼らは訓練生時代から彼女を知っている。きっとショックは北村達よりも大きいだろう。

「だけど、桜庭中佐の言うとおりだ。危なく俺達も死ぬところだった」

 水無月の言葉に、北村は苛立ちを覚えた。だが、もう反論する気力も起きない。それに、こうまで皆が口を揃えて良かったと言うのを見ると、もしかしたら本当に間違っているのは自分ではないかとさえ思えてきた。

 その時、千歳がやって来た。わざわざ宿舎まで来るとは珍しい。

「川上の一件は全てが片付いてから伝える。今は言うことはない」

 単調な言い方だった。この宿舎は男女混合だ。北村は川上のベッドがあった方をちらりと見た。今は荷物も何もなく、シーツと掛け布団がきちんと畳まれているだけだ。

「北村」

 不意に千歳に名前を呼ばれ、北村ははっとした。

「君、桜に逆らったんだって?」

「さ、逆らってなんかいません」

 言葉が違うような気がして、北村は力強く言った。だが、焦って次の言葉が出てこない。

「君には君の正義がある。川上には川上の想いがあった。それは当然のことだ。ただ、それがいつも皆の大義だとは限らない。桜だってそれを分かった上での行動だ。桜を責めないでくれ」

 現にほとんどの兵は、これで枕を高くして寝れると感じている。あのまま川上が逮捕されなかったら、中華から今夜も攻撃があったかもしれない。そして、また誰かが傷つくのだ。

「……それは、分かります」

 北村は悔しそうに呟いた。千歳が微笑む。そして、おやすみと言うと彼は去っていた。

 やり場の無い気持ちに支配され、北村はベッドにうつぶせに倒れ込んだ。何拗ねてんだよ、と藤崎がつつく。拗ねてなんかねえよ、とぶっきらぼうに返すと、藤崎は本を片手に北村のベッドの足元に座った。

「俺、何が正しいのか分かんねえ。川上が捕まったのは俺のせいだ。あいつは家族を守るために命をかけていたんだ。でも、あいつが捕まらないとまた誰か死ぬ。……何なんだよ、これ」

 すると、北村の後頭部に何かが直撃した。いい音がして、それはベッドの上に落ちた。がばっと北村が体を起こし、頭を押さえてきょろきょろする。そして、赤い銀紙で包装されている飴を見つけた。顔を上げると、悲しげに微笑む山本と目が合った。三十代の疲れた顔。怖そうに見えるが、心根は優しい人だ。

「一番いい方法はな、もう何も考えねえこった。忘れろ。そうしねえと、頭爆発するぜ。人はな、自分一人の重さしか背負って生きていけねえんだよ。お前の気持ちは分かるが、潰れちまうぞ。それじゃ、何の意味もねえだろう。もうやめておけ」

 言い返したい。北村はそう思った。だが、山本の言葉が心のもつれをほどくように心地よかった。だから、何も言えなかった。

 もし、自分の家族を外国に人質に取られてしまったら俺はどうするだろう。母さんや、妹の美香を助けるために俺は裏切れるのか?藤崎も、明石兄弟も、楓を裏切り、千歳中佐も桜庭中佐も裏切って。隣にいる人達を殺し、家族を助ける勇気が俺にあるか?反対に、家族を殺してこの何万もいる名前も知らない人達を助けることはできるのか?

 飴を握り締め、北村は震えた。俺は本当にどうしようもない。選べない。決めることすらできない。なんてことだ。

 すると、また声がした。

「お前らももうそんな空気はやめろ。分かってんだろ、川上だって何の覚悟もなしにスパイをしていたわけじゃねえだろうよ。それでも守りたいもんがあったからこそ、スパイになったんだろう。だから、もうやめてやれ」

 山本の諭すような声だけが宿舎の一室に溶けた。

 それ以降、中華共栄圏からの北西司令部への直接攻撃はなくなった。

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