7/19『海岸観光施設及び「うろな家」管理確認報告書』
うろな町役場企画課。
普段彼らは各部署からの雑務を片手間に、資料室の片隅でうろな町をより良くするための企画会議を行っている。しかし雑務のすべてがデスクワークというわけではなくて……。
「海やぁぁぁ!!」
「あのさあ佐々木君、一人でそんなことして寂しないの?」
目の前に広がるビーチと海を見渡す歩道から叫ぶ佐々木を見て、香我見は少し距離をとった。
「香我見クン、ノリ悪いなあ。せっかく海まで来たんやし楽しもうや」
「俺らは仕事で来たんであって遊びに来たわけちゃうからな。だからその双眼鏡早くしまって」
企画課の処理する雑務のほとんどはパソコンと携帯で事足りるが、中には役場の外に出なければならないものもある。だから彼らは『外回りの日』を設定し、そういった仕事はある程度まとめてこなすことにしていた。
彼らがビーチまでやってきたのは、周辺の各施設には観光振興課から毎年の注意事項や今年から新たに加わった規則を書いた書類を渡すことになっているからである。
「あれが目的の海の家か?」
「お、キレーな娘やなぁ」
外にいても相変わらずの二人は喋っているうちに海の家の玄関まで来てしまう。そこにちょうど玄関の扉が開いて、高校生くらいの女の子が出てきた。ふんわりした服装もあいまって控えめな印象を受ける、胸元までの黒髪を流した優しそうな女の子だ。
「そこのお嬢さん、ちょっとええかな?」
佐々木は持ち前の愛想の良さで気軽に話しかけるが、女の子は平日の昼間のビーチにスーツ姿の男二人という不似合いなシチュエーションに少なからず警戒心を抱いたようで、体を強ばらせたのが感じられた。
「わたし、ですか?」
「そうそう。ボクら町役場のもんやねんけど、キミ名前はなんていうん?」
「青空空、です」
「空ちゃんかぁ。見た目通りかわいい名前やなぁ」
「おい……」
確実に仕事のことなど忘れている佐々木に代わり、香我見は割って入るつもりだったがその役目は再び開いた扉から果たされた。
「空ー? ちょっと手伝ってほしいんだけ、ど……」
そこから姿を現したのは腰元まである長い黒髪をバレッタで留めた女性。
「えーっと……ど・ち・ら・さ・ま?」
大事な妹が軟派そうな眼鏡とクールぶった茶髪にちょっかいをかけられていると見た瞬間、眼鏡の奥の気の強そうなその瞳がきゅっとつり上がった、ように見えた。
「うろな町役場、企画課の佐々木達也です。お姉さ」
「あら、お役場の方がうちの妹に何のご用ですか?」
「こちらの海の家に書類を届けに来たんです。妹さんには話を聞いてたとこで。お姉」
「それはお疲れ様です。それにしては関係のない話をしていたようですけれど」
「世間話して町民のみなさんの話聞くんも仕事のうちですから。ところでおね」
「へえ、ナンパするのも仕事のうちなんですか?」
「ていうかお姉さん頭撫でさしてくれへんかな?」
「あなたにお姉さんと呼ばれる筋合いはないですこの変態!」
「ありがとうございます!」
「……君ら実は仲ええやろ」
一見女性が佐々木を謝らせようとして攻撃しているように見えてきちんとオチをつけるあたり、意識はともかく相性はいいようだ。
「ちょっと陸姉、空呼んでくるのにいつまでかかってんだよー?」
今度は香我見が割って入ろうとする間もなく、三度開いた扉からまたしても若い女性がやってきた。陸と呼ばれた気の強そうな女性とは正反対な半袖シャツにショートパンツという身軽な格好。そして厄介事と見るや黒髪のショートカットを跳ねさせて嬉しそうに参戦してきた。
「なになにナンパ? じゃあ遠慮はいらねえな!」
陸とは違って有無を言わさず実力行使、彼女は佐々木を拘束しようと腕をつかみにかかる。
「うわあっ!?」
「あ、逃げるな!」
しかしなんとか佐々木は彼女を体ごと流れるように受け流した。
「やるじゃんおにーさん! おりゃあ!」
「ひいっ」
「せいっ」
「あわわっ」
「ていやあっ」
「ぐへえっ」
続くストレートも大胆な回し蹴りも意表を突いた掌底も、佐々木はたまに食らいながら、いつの間にか戦場はビーチに移っていく。
「……海姉の攻撃、かわした。……この人、手強い」
「あ、渚。ちょうどいいところに」
四度現れたのはやはり女の子だった。三人の姉よりも栗色に近い黒っぽい髪をした中学生くらいの彼女は、香我見の腕ほどもあるスナイパーライフルを模した水鉄砲を抱えている。
「それどうすんの?」
「撃つ」
言葉少なに香我見に答えた渚は五メートルほど距離がある佐々木に照準を合わせた。
「いやいや届かんって」
「届く」
引き金を引いた瞬間、凄い勢いの水流が発射された。
「おっと」
「むぅ…………」
しかし佐々木はそれを避けてみせる。
「あいたっ、いたいいたいっいたいってば渚ーっ」
代わりにその射線上にいた海に命中した。
「ふぅ、ひどい目にあったわ」
「自業自得や」
海がビーチで悶えている間に佐々木は玄関前まで戻ってきていた。
「お姉ちゃんたち、何やってるのぉ?」
と、そのとき彼らの足元から泣きそうな声が聞こえた。
「ん? 君はこないだの。汐ちゃんやったっけ?」
「あ、おにーちゃんたち!」
香我見が名前を呼ぶと、彼女の方も顔を上げて彼らのことを認識した。
「おお、妖精さんやないか。また会えて嬉しいわー」
以前会った際に妖精と信じて疑わなかった佐々木はそのまま呼び名としてしまったらしい。汐の胴を掴んで高い高いの状態でぐるぐる回り出す。その光景は佐々木には珍しく微笑ましい様子……とは映らなかったらしく。
「汐を離しなさいこの変態!」
「あたしたちならまだしも汐に手ぇ出したら犯罪だぞ!」
「ええと、百十番百十番……」
「……これが変質者」
「あ、もしもし課長ですか? 佐々木君がとうとう前科者になりました」
「みんな酷ない!? 香我見クンまで!」
周りの人間には変態が幼女を連れ去ろうとする図にしか見えなかったらしい。
「ていうかあんたたちねえ……」
もう何度目か、いつの間にか開いていた扉の向こうからふつふつと沸く溶岩のような声が聞こえ。
「開店準備サボって何遊んでんのっ!!」
母の怒りが大噴火した。
「いやあ、お母さんも可愛かったなあ」
「説教を三十分も受けた感想がそれか」
結局勢揃いしてしまった五姉妹とともになぜか企画課の二人までお説教となって、二人が仕事の話に入ることができたのはその後となったのだった。
「ゆうて、説教くらいいつも秋原さんに受けてるし」
「誇らしげに言うな」
そして次に二人が向かっているのは先ほどの海の家ARIKAからほど近い、今はお年寄りの憩いの場となっている元水族館だ。夏本番ともなればお年寄りだけでなく、子どもたちやライフセーバーも大勢来るので去年も書類を渡している。
「まいどー、企画課ですー」
「あらあら、今年もお疲れ様ねえ」
そう言って日生彩夏はふわふわした栗毛を揺らして二人を出迎えた。
「あーやさん、いつも綺麗でんなー。そろそろボクと一夜の過ちをおかしてくれてもええんちゃいます?」
「もう、相変わらず口がうまいわねえ」
「ボクはいつでも本気でっせ」
「ホンマに残念なことにな。彩夏さん、これ書類です」
佐々木の馬鹿話を適当に流しながら香我見が的確に仕事を遂行する。
これは彼らのもともとの性格が偶然に組み合わさった結果なのだが、見事な役割分担になっているともいえる。佐々木一人では日が暮れるまで役場に帰ってこないし、香我見だけでは愛想がない。
「あ、そういえばうちも今度また企画やるんで、ポスター貼らせてもろてええですか?」
近くの壁に貼られているポスターを見て佐々木が言う。
「いいわよお。じゃあお役場にもうちのポスター貼っといてね?」
「あーやさんのためならたとえ規定違反でもやって見せますとも!」
「君の未来はそうやって終わっていくんやな」
水族館を出た二人は電車に乗り、うろな町北へと向かった。駅からバスを使ってさらに行った先にはそれなりに年季が入ったアパートがある。それほど古いというわけではないのもあるだろうが、崩れそうなとか薄汚れたという風な形容詞は似合わず、いい年の取り方をしている普通の建物といった印象だ。
「ここが『うろな家』か。ええっと、また書類配達やったっけ?」
「いや、住民課からの仕事でな。そこの管理人が長期間留守にしとるみたいやから様子見てきてくれっちゅう話や」
「そしたら榊地さんが直接来たらええのに」
「ちょっと話した感じやと榊さんはだいたいの事情を知ってはるみたいや。大方、俺らが見て問題なかったらそのままにしとこう、ゆう話やろ」
とんとんと二階まで上がると、香我見は管理人の部屋と聞いていた二〇一号室をノックした。
「あれ、新しい管理人はこことちゃうんか?」
「んー? たまちゃんならいないぞー」
二人の話し声が聞こえたのか、二つ隣の二〇三号室から黒髪をポニーテールにまとめた女の子が顔を出して、こちらに歩いてくる。
「たまちゃん?」
「大崎珠恵っちゅうらしいから、ここの管理人のことやろ」
佐々木に解説を加えてから、香我見は彼女の方に向き直った。
「俺らは町役場のもんやねんけど、ここの管理人の代理って誰か知ってるか?」
「ああ、それあたし」
「はあ?」
「たまちゃんがいない間の管理はあたしが任されてるんだ」
「ははあ、これが俺たちに仕事が回された理由か」
ぱっと見た感じでは彼女はまだ成人するかしないかといったくらいの年齢だ。そんな幼い彼女が仮にもアパートの管理人代理を務めていると言えば普通の大人なら話も聞かずに許さないだろう。
「俺は企画課の香我見っちゅうもんやねんけど、君の名前は?」
「藤原キヨだ」
「ぷっ」
ぎろり、と吹き出した佐々木の方ににらみが飛ばされる。
「笑ったな……」
「い、いやただ珍しい名前やな思ただけで」
「私の名前を馬鹿にしたなぁぁぁ!!」
「ひい、また地雷踏んだ!?」
「今日はこれで七つ目やな」
二人がこそこそ逃げる算段を立てていると、キヨの後ろの扉が開いてぱっちりした目が印象的な女の子が現れた。
「んもー。キヨちゃん、私徹夜明けなんだから静かにしてよー」
「おお、ふわり。いやこれには海よりも深いわけがだな」
「ちょっとキヨ、何やってるの?」
「わわ、しぃちゃん。知らない人がいるから、髪隠して、髪」
さらには黒と白の双子まで現れて、すっかり企画課の二人は忘れ去られたようである。
「なあ香我見クン、ここの管理、どないしよか?」
にやにやしている佐々木から顔を逸らして香我見はため息をついた。
「佐々木君、このまんまでなんか問題あるように見えるか?」
「さて、日も暮れてきたしそろそろ最後の仕事やな。次どこ?」
「森」
「またそんなアウトドアなとこ!? こないだも山行ったやん!」
「文句あるんやったら環境管理課に言いや」
「あ、香我見クン、ボクちょっと今日は体調が」
「逃げたら割るぞ」
「だから主語省くのやめて!」
そうこう言う間に北の森に入っていく二人。普段香我見が入るのは西の山ではあるが、このような場所において方向感覚があるのとないのではやはり段取りの良さが違ってくる。
「で、今回は何やるって?」
「なんやったっけな、なんか土を取ってこいゆう話やったような」
「そんなん麓で取れば良かったやん!」「俺もそう思うけど、奥の方の土が良いんやて。たぶん質がちゃうんやろ」
「はあ、なんかやる気なくなったわ……あ」
「どうした?」
「タケノコや。珍しいな」
「タケノコ? あ、そういえば佐々木君」
「こんなとこまで来て手ぶらっちゅうのも納得いかんし、持って帰ろ」
そうして佐々木がタケノコを採った瞬間、ドドドドドドドと地響きのような音が聞こえてきた。それもだんだん近づいてくる。
「え、なに? この音、ってうおわああああぁぁぁ!?」
「間に合わんかったか」
さほど残念そうでもなく、突進してきた猪から猛ダッシュで逃げていく佐々木を眺める香我見。
「ここの猪はタケノコが大好物で人が勝手に採ったら見境なくなるよって……じゃ、先帰っとくから頑張りや佐々木君」
「し、死ぬかと思った」
「今さらやけど、ようスーツ着たままで逃げ切れたな」
香我見が町役場まで帰り着くと息を切らした佐々木がちゃんと待ちかまえていた。途中でタケノコをぶつけてみたら追われなくなったので助かったらしい。
「外回りの日はいつも疲れるわ」
「いつも仕事と関係ないことに体力使うてるけどな」
時刻はもう四時半を回っている。二人は疲れた体を引きずって資料室に向かおうとすると、後ろから呼び止められた。
「佐々木さん、香我見さん」
「あっ秋原サン。どないしはったんです? 今日の仕事は全部終わりましたけど、秋原サンのためやったらいくらでも残業やりまっせ!」
「君一人でな」
しかし秋原は二人の話も聞こえていないようにぷるぷると腕を震わせているかと思うと、低い声になって手に持っていた何かを差し出した。
「これ……なんですか?」
「げっ」
「いやその、それは……」
秋原が持っていたのは企画書だった。タイトルは『うろな町、大婚活大会! チキチキフィーリングカップル』。明らかに悪ふざけの産物であるため、資料室の奥深くに隠していたはずのものだった。
「残業……いくらでもできるんですよね?」
「…………はい」
といっても本当に残業をさせたわけではない。
ただ、それから一週間の間、二人が役場の外に出ているのを見た者はいないという。
こんにちは。弥塚泉です。
今回は執筆が間に合わず、現実時間と合わせることができませんでした。
もともと日付にはあまりこだわってないんですけどね。
それより更新の間が開いたので、コメディとしてのハードルが上がってないかどうかの方が心配です(笑)
今回は、
小藍さんの『キラキラを探して〜うろな町散歩〜』から、青空太陽さん、陸さん、海さん、空さん、渚さん、汐ちゃん。
とにあさんの『URONA・あ・らかると』から日生彩夏さん。
煙花よもぎさんの『うろな家へようこそ』から藤原キヨちゃん、ふわりちゃん、しぃちゃん、くぅちゃん。
零崎虚識さんの『うろな町〜僕らもここで暮らしてる〜』から、イノシシさん。
シュウさんの『うろな町』発展記録から、秋原さん。
以上の方々をお借りしました。
企画課の外回りは平日の昼間に行動しますから、学生の方々と絡ませるのは難しいですね。
何か新たな手を考えねば…。
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