『うろな夏祭報告書/午後十二時』
町民の流れも一段落した、午後十時半。企画課の担当する食べ物屋台は来たる昼どきに備えて、一足早い小休止をとっていた。
「なあ香我見クン、さっきからずぅぅっと気になっとってんけど……って怖っ!」
「なに?」
暑さに辟易としている香我見はゆっくり佐々木の方に顔を向けた。今日の二人は背中に大きく『うろな』と型取った赤い布を縫い付けた、紺色に白い格子柄の甚平を着ていて、香我見ははちまきまでしている。今の彼はそれに加えて、
「顔に思いっきし冷えピタ貼りつけんのやめてくれる!? お客さんびっくりしてまうわ!」
「暑くてかなわんねん」
両の頬に一枚ずつ縦に冷えピタを張りつけているのは、少なくとも接客に向く顔面ではない。
「休憩終わったらちゃんと剥がしてや、もう」
「で? なんか言いたいことあったんちゃうん」
「そうや。そしたら言わしてもらうけど、なんで……」
佐々木の手の中のペットボトルがぐしゃりと潰れる音がした。
「なんでお好み焼きが広島風やねん!!」
折りよく吹いた風がちりーん、と風鈴を鳴らしてゆく。
「その方がうまいから」
そして佐々木の熱弁など気にも留めずに、香我見はしゃく、と涼しげな音をさせてまた少し手元のかき氷の山を削った。
「本場の味は!?」
「俺、あんまし好きちゃうし、うろな町の人らも広島風の方が好きやって。たぶん」
言いながら、器用に片手でキャップを開けて喉を潤す香我見。今朝から飲んでいるペットボトルは既に六本目を数えており、彼が持ってきた二つのクーラーボックスのうち、これで片方は空になった。
「関西の誇りはないんかいな!」
「もうしんどい……帰りたい……」
佐々木の熱に当てられて、とうとう香我見がぐでっと椅子によりかかったとき、日差しの向こうから影が現れた。
「ハルお兄ちゃん、佐々木さん、お疲れ様です」
前方から聞こえてきた声に香我見は目にも留まらぬ動きで冷えピタを剥がし、素早く立ち上がった。
「よお神楽子、どうした?」
彼が白い歯を煌めかせ、先ほどの倦怠感など微塵も感じさせない爽やかな笑みを浮かべた相手は霞橋神楽子。ツインテールが不思議なほど似合う、彼の最愛の従妹である。
「お兄ちゃん、せっかくのお祭りなのに朝から働きっぱなしなんでしょ? きっと疲れてると思って飲み物持ってきたんだ。佐々木さんにも」
近くの自動販売機ででも買ってきたのだろう、少し水滴の浮いたペットボトルを二人に差し出す。
「ありがとうな。けど兄ちゃんはまだまだ元気やぞ」
「嘘つけ、冷えピタン・シュタインめ」
小声でツッコみながら佐々木も受け取ろうと手を伸ばしたが、香我見が二本とも取ってクーラーボックスに入れてしまう。
「今すぐは飲まんし、冷やしといた方がええやろ」
「まあ、そうやね」
二人が神楽子に日陰のパイプイスを勧めて人心地着くと、佐々木は再び燃え上がった。
「で、香我見クンには関西の誇りはないんかっちゅう話になってん」
うーん、と可愛らしく小首を傾げると神楽子は遠慮がちに口を開いた。
「私も本場のものを食べてみたいかも……」
「な、なんやて…………?」
香我見は愕然としてうちわを取り落とした。
「い、いやでも、私がそう思うだけで、うろな町のみんながそう思うとは限らなくて」
「みなまで言うな」
慌ててフォローしようとする神楽子を手で制し、香我見はゆっくりと立ち上がり腕時計を見た。
「十一時半過ぎか。正念場やな」
香我見に合わせて立ち上がっていた佐々木もにやりと笑う。
「秋原サンが本場の味を期待してくれてはるって情報は仕入れ済みや。悪いけど本気でいかせてもらうで」
「どっちがうまいお好み焼きを作れるか……はっきりさせようやないか」
「あれセンパイたち、どうしたんですか。無駄に暑苦しいオーラ出して」
一つしかない鉄板に肩を寄せ合って立つ二人を見て、秘書課から助っ人に来ていた風野紫苑は呆れたような不思議なような声をかけた。
「風野、午後からは焼きそばとたこ焼き頼んだで」
「はえ!? ちょっ、それはどういう……」
二人は風野の問いには答えず、一斉にときの声を上げてそれに応える。
「らっしゃいらっしゃい! 本場の味が味わえるのはうちだけやでぇ! お好み焼きはボクに任しときー!」
「さあさあ、兄ちゃん姉ちゃん寄ってってや! 俺が腹一杯食わしたんでー!」
折しも先ほどまでカラオケ大会で盛り上がっていたステージも休憩に入り、広場全体が落ち着き始めていたところだったので、二人の声はよく響いた。
「なになに? 何か始まるわけ?」
「風が……騒いでいる」
「お好み焼きだか根性焼きだか知らねえが、腹減ったからなんでもいいや」
「デュフフ、我らが盟友佐々木氏がついに本気を出すようでござる」
「面白そう! 行こうよお姉ちゃん!」
「あれ食べたことないな……気になるかも。にひっ」
「またあの二人は勝手なことを……」
返ってきた反応は十人十色。しかしそれは逆に、それだけの人の注目を集めることができたということでもある。昼時ということも手伝って、瞬く間に食券機の前に列ができた。
「おうおう、ひぃふぅみぃ……ざっと二十人ってとこか。上々やな」
「お好み焼きくーださいなっと」
「まいど。本場と広島風、どっちにしはります?」
「えっ、そんなの選べるんだぁ。せっかくだから本場のくださいなっ」
「おおきに! 今焼くさかい、ちょっと待ったってなー!」
「俺には広島風一つ頼む!」
「まいどおおきに。腹空かして待っといてください」
「お姉ちゃん、たこ焼きまだー?」
「ちょ、ちょっと待っててねえ! そこのカップルさん、焼きそば二つお待たせしましたあ!」
次から次へと捌いていく手際はやはり去年の経験が大きい。もっとも、去年はこんな風に呼び込みをしたりしなかったので忙しさは段違いではあるが。
「佐々木さん、香我見さん!」
「あ、秋原サン! どないしはったんです?」
屋台の裏側から声をかけてきたのは、今日は食券売場責任者として食べ物関係の屋台の監督を任されている秋原だ。
「見ての通り大盛況ですわ!」
「それは大変嬉しいのですが……」
珍しく歯切れの悪い秋原の様子に佐々木は首を傾げた。
「材料が、そろそろ底をつきそうです」
「あ、しもた」
秋原の言葉で佐々木の頭によぎったのはまだ記憶に新しい、企画課が運営する鉄板焼き屋台の企画書。予算から材料の見積もりまで、他でもない彼が作ったものだ。当然、その見積もりは去年の売上を参考にして作ってある。しかし今日の売上は去年の比ではない。材料が足りなくなるのは自明の理だ。足りなければ買い足すしかないが、佐々木も香我見も風野も手一杯だ。しかしそこにはもう一人、強力な助っ人がいた。
「あの、私が行きます」
「神楽子?」
佐々木が鉄板焼きに戻っていったのと入れ違いに香我見が会話に加わった。
「みなさん忙しいみたいですし……材料の買い出しは私が行ってきます」
「はあ、しゃあないな」
ぐしゃぐしゃっと乱暴に髪を撫でると、香我見は財布を投げ渡した。
「頼んだで、神楽子」
「うん!」
神楽子の協力により材料の心配がなくなった二人の戦いはさらに白熱していった。
「てやあああああっ、奥義、笹砂紗返し!」
「おおっ、あれは佐々木一族に伝わる最終兵器! 風に揺れる笹の葉のように柔軟に、こぼれ落ちる砂のように繊細に、そして風に揺れる紗のように柔軟な動きでただ返すのではなくいかに魅せて返すかにこだわった伝説の技ではないかっ!!」
と意味の分からない技を佐々木が決めれば、
「そらあああああっ、秘技、袷加々美!」
「ああっ、あれは御鏡流の一子相伝と言われる伝家の宝刀! コテ同士を巧みに操り角度を計算することで鉄板上に光のミュージカルを開演し、一秒ごとに美しさが倍、倍になっていくといわれる、もはやひっくり返すことにはまったく頓着していない幻の技じゃあーりませんかっ!!」
などという存在価値が全くわからない技を香我見が披露し、その盛況は午後一時頃まで続いた。
こんにちは。弥塚泉です。
企画課、大活躍の巻でした。
ちょうどステージが休憩中だったので思い切りやらせていただきました。
シュウさんの『うろな町』発展記録 から、秋原さんをお借りしました。