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森を越えて行こう

作者: chaosmaterial



『諦めるな。そうすりゃ大抵の物事は概ね上手くいく』

 父親の遺言は今でも鮮明に思い出せる。

 彼が、死ぬ直前の父親から直接聞いた言葉だった。妙に安心できて、心にスッと入り込んだこの言葉は彼にとって大事な言葉だった。

 だから、彼は諦めず、努力することにした。例え、どんなに苦しく困難のことであろうと、諦めずにやってみようと彼は亡き父親に誓った。

 それが10年前のことだ。10年が過ぎて、現在。彼は見知らぬ森の中にいた。


 昼間の森というのは存外明るいものだ。例え広葉樹林の中でも、太陽の光で明るくなる。だが、夜になるとそれは一変し、昼間では見えていた場所は殆ど見えず、足元でさえ碌に見えなくなる。太陽の光は大きいので昼間は森の中をも明るくするが、月や星の光では、精々暗闇の中で聳える木をぼんやりと映すのが精一杯だからだ。故に、昔の人は視界が最も悪くなる夜には森の中には入らなかった。何故なら、暗闇の森の中は狼などの肉食獣が支配する魔の領域になるからだ。そんな中を歩く人物が居るのならば、その人物は夜目が効き、肉食獣の不意打ちにも負けない腕を持った者か、あるいはただの馬鹿しか居ない。

 もし、その人物が後者なのだとしたら、その人物は即効で肉食獣の腹の中に収まるだろう。骨すらも残らず、跡形も無く。だが、もし前者なのだとしたら、その人物は何からの目的を持って森の中を進んでいるのだろう。気配を周囲の森の気配に紛らわせ、周囲に自分以外の気配がないかどうかを探り、下手な物音を立てぬようこっそりと進んでいくだろう。そう、今暗闇の森の中に居る彼のように、


 彼はなぜ自分が此処にいるのかが理解できなかった。ただ、急に、自分の意思とは全く関係無しに、此処に飛ばされた(・・・・・)ということは漠然とだが理解できた。此処は何処なのだろうか。そもそも何故自分は此処にいるのか。沸き上がる疑問は後を絶たないが、今はそれを考えるべきではないことぐらいは、混乱の極みに至っている彼でも理解できた。軽く周囲を見渡して現状を把握した限り、今いるこの場所は森、それも人の手が入った痕跡のない自然のままの広葉樹林。あらゆる生物が命を謳歌し、日々食っては食われる日常が送られている弱肉強食の世界。さらに悪いことは重なるもので、此処の正確な時刻はわからないが、確実に夜。それも深夜当たりだろう。そう、夜行性の獰猛な肉食獣が行動する時間帯だ。

(やべぇ、このままじゃ即効で死ぬ)

 即座にそれを理解した彼は、まず周囲に自分以外の気配があるかどうかを探る。幸いなことに、自分と周囲に聳える広葉樹以外の気配は見当たらなかった。が、かと言って此処が安全であるとは限らない。それが分かった時点で、彼は直ぐ様自らの気配を散らし、周囲の気配に紛れ込ませる。彼は現代でとはいえ、気配に敏感な動物の目をも誤魔化せれるのだ。此処に住んでいる動物の目も誤魔化せるかどうかは判らないが、やらないよりはマシだろうと思い、実行したのだ。これにより、彼の姿はまるで自然に溶け込んだかのような他者の目からは見えなくなるハズだ。

 取り敢えず安全を確保した彼は、此処に飛ばされる前の記憶の確認を行なった。

 彼が覚えている限りでは、日付で20××年7月27日の午前零時。丁度彼が通学している大学の夏休み初日。実家の温泉宿でパシリとして扱き使われまくり、疲労困憊で碌に着替えもせずに狩り小屋の仮眠室で、死んだように眠ったのが最後の記憶であった。眠る少し前に、壁掛け式のデジタル時計で日付と時刻を確認していたし、現在彼が腕に巻いてある衝撃性に優れたデジタル腕時計も少し時間が経っているようで現在時刻は丑三つ時、眠っていた時間を考慮すれば妥当な時間なのでまず間違いないだろう。

寝ている間に何があったのか。非常に気になる所だが、今はそれを考えるべきではないと判断し、次に所持品の確認を行なった。

 服装は狩猟に行く時の定番の格好で、近所のアーミーショップで購入したグリーンの迷彩ジャケットに同柄のズボン。顎紐で首から吊り下がったリーフ迷彩のジャングルハットに、腰に巻いたピストルベルトとそこに吊り下げた大小様々なポーチに、両手に嵌めた防刃繊維で編まれた手袋、少し汚れている登山靴を履いた格好だ。これは先の通り、彼が狩猟に出かける時の格好で、ジャケットの下には猟友会支給の蛍光色のベストを着ており、ジャケットやベスト、ピストルベルトやそこに吊られているポーチには様々な小物が収納されており、その中には応急用品やナイフなどの狩猟用具一式が収まっており、そして、彼の肩にスリングで吊るされた年代物のライフル――ウィンチェスターM70が1丁あるだけであった。

(いざとなればコイツが頼りか)

 ライフルのストックを撫でながら、彼は心底そう思った。

 たしかに武器はライフル以外にもある。仕留めた獲物の血抜きやら解体やらに使う剣鉈が1本、予備としての渓流刀が2本とサバイバルナイフが2本の合計4本の刃物が。ただ、これ等の刃物はあくまでも血抜きや解体、枝払いなどに使用するもので、これ単品で野生動物を仕留めれるものではない。いや、気配を紛れさせれれば仕留めれることは仕留めれるが、それは兎や鹿などの比較的皮膚が柔らかい動物に限られる。手持ちのナイフではとてもではないが猪や熊などの皮膚が硬く、骨も丈夫な動物を仕留めることなど出来はしないだろう。

 ただ、彼としては極力ライフルは使わないようにしようとも思っていた。その理由は単純明快、ようは弾丸の補給が見込めないからだ。

 幾ら遠距離から攻撃できようとも、銃弾が無ければただの鉄の棒。棍棒程度にしか使いようが無いからだ。故に、彼はライフルの銃弾を極力使わないようにしようと思ったのだ。

(切り札は最後まで取っておく。切らないことに越したことはないが、手札はあればあるだけいいからな)

 そう考えた彼は、一先ずライフルやナイフなどに不備がないかどうか軽く点検し、肩に掛けていたライフルを背中に背負い、ジャングルハットを被り直す。

(さて、んじゃ行きますか)

 気配を紛らわせているため心中でそう意気込むと、彼は中腰になり、極力気配を際立たせないようにコッソリと、この何処ともしれない広葉樹林から抜け出すために歩み始めた。


 それが凡そ3時間前の出来事。

 現在、彼は広葉樹林を抜け、遥か地平線まで続く草原の片隅、正確に言うならば広葉樹林と芝生の丁度境目に居た。

「はぁ、はぁ、やっ、やっと抜けたぁ」

 息も絶え絶えに声を搾り出すようにそう言うと、彼は荒れた息を整える間もなく地面にヘタレ込んだ。

 まぁ彼がヘタレ込んでしまうのも仕方がないだろう。なにせ彼は気がついたら見知らぬ樹林の中に居り、混乱する頭を冷やす間もなく気配を紛らわせて凡そ3時間の隠密移動。幾ら実家で扱き使われまくり、険しい山林を苦ともせずに移動できるだけの体力と精神力があろうとも、此処は見知らぬ土地で、しかもどんな動物がいるかどうかも解らないし、なによりなぜ自分がここにいるのかもわからない。そんな精神状況で、此処までキチンと移動できたのは奇跡と言っても過言ではないだろう。

「にしても、此処は、一体、何処なんだ」

 顔面から溢れ出る汗を手持ちのタオルで吹きながら、彼は心底そう思った。

 彼が住んでいたのは実家があるのは日本の山奥。田舎も田舎、ド田舎だ。一応、町と名乗ってはいるものの、人工的にはもはや村と呼んでもよいぐらい過疎っている寂れた町だ。当然、そんな場所だから広葉樹林ぐらいはあるものの、今彼の目の前に広がっているような地平線まで続く草原などというものは、欠片たりともなかった。代わりに地平線まで続く田畑はあったが、今は関係の無い話である。

「となると、此処は俺が居た場所じゃないってことか」

 大分息が整い、汗も拭い去った彼は、冷静になった頭でこの状況を考え、そう結論を出した。

 先の通り、彼の住んでいた実家周辺にはこのような草原はない。ということで実家周辺、日本ということは有り得ない。もしかしたら北海道あたりの草原に居るのかもしれないが、その割には全く肌寒くないのでその線はないだろう。ということは海外の草原にいるのかというと、それもないだろう。彼とて、伊達に猟師をやっている訳ではない。そんな大移動されるのならば、その時点で目が覚めて気がつくはずだ。かといってそれ以外の原因が思いつくはずもなく、悩んで悩んで悩みまくって出た結論は――

「……ふぅ、さっぱり解らんな」

――解らないという結論だった。

「解らんのはしゃぁない。諦めんかったらどうにかなるだろ」

 そう言うと彼は立ち上がり、パンパンと服についた泥や草を払い、汗で湿ったタオルを絞った後、ジャケットの内ポケットに仕舞い込む。

 すると、微妙に薄明るかった地平線がスッと明るくなり、一条の閃光が草原を照らし始めた。

「む、夜が明けたか」

 彼が腕時計を見ると、時計の針は5時を回っていた。相変わらず此処がどこだか解ってはいないが、日の出が日本とほぼ同時刻なのを考えるに、割かし日本と近いのかもしれない。まぁ今それを考えても仕方のないことだ。そう考えた彼はジャケットの胸ポケットから、何処にでも売ってそうな安物臭のする黒いサングラスを取り出した。

「此処が何処だが知らないが、俺の身には怪我一つなく、身を守る術もある。野草の知識や、猟師としての腕もある。うん、概ね大丈夫さ」

 自分に言い聞かせるようにそう言うと、彼は取り出したグラサンを耳に掛け、背中で背負っていたライフルを元の位置――肩に掛けた状態――に戻した。

「さて、まずは此処が何処だか知る必要があるからな。

うん、人を探そう。そうすりゃ何とかなるだろう」

 そう言うと、彼は気配を紛らわすことなく、普通に草原を歩き始めた。


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