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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。

さなぎの夢

作者: 諒
掲載日:2026/03/12

 アイラは14歳の少女である。中等教育プログラム一般コースの成績は中の下で、平均的な身長体重で、まぁるいほっぺに遠慮がちな目と鼻と口がついていて、そんなどこにでもいそうな普通の14歳の女の子だった。黒い艶やかな髪はアイラの密かな自慢だけれど、同じような髪質の子供は、学校という小さなコミュニティの中でも何人もいるから、人目を引くほどのものではない。


 ――女が最も美しいのは14歳のときだ。そう歌って世間から激しいバッシングを受けたバンドマンがいたのは大昔の話だっけか。

 アイラの生きるこの時代、14歳といえば成体になる直前の最後の「子供時代」であって、体も精神もほとんど成人と変わらないように仕上がっている。


 仕上がっているべき、というべきか。


「がっかりしないで、薬をきちんと飲み続けることよ」


 かかりつけの医者に慈愛のこもった言葉をかけられて、アイラはいつものように従順に頷く。

 最新式の女性型アンドロイドである医師は、本当に感情があると錯覚しそうなほど滑らかに、アイラに共感するように眉を下げてみせた。

 究極に電子化されたアンドロイドには書類もタブレットも必要ではないが、患者たるアイラに見せるためにだけ、机のモニターには様々なデータが映し出されている。医師の指がいくつかの数値を示してみせた。


「ほら、頑張った成果は出ているの。あともう少しよ。もう少し改善できれば、きちんと成体になれるわ。ね?」

「はい、セイコ先生」


 セイコと名付けられたこの女性型アンドロイドは、40代半ばの外見設定に加え、豊満な体つきをしているため、相槌を打つたびに顎の線が2重になる。

 かつて人間が人間の体から生まれ出ていた時代には、このような外見が「母性を感じられるタイプ」と認識されていたらしい。実際、セイコ医師とのカウンセリングを受けたあとの患者は、ストレスホルモン値が大幅に下がるという臨床データもあるそうだ。

 人間はどこまで進化したとて、遺伝子的に刻み込まれた「母」なるものを忘れられないでいるらしかった。


「アイラちゃん、半月後にね」

「はい。ありがとうございました」


 受付のアンドロイドから受け取った薬を鞄にしまいこみ、アイラは「またね」と手を振る受付に同じ動作を返した。

 どこかから17時を告げる鐘の音が流れてきた。

 太陽を模した光源がゆったりと赤みを帯び始め、街中を柔らかなオレンジ色に包み込んでいく。


「は、ほ、とぉっ」


 人も車もアンドロイドも通らない片側2車線の道路には、それでも律儀に横断歩道が描かれていた。

 アイラは誰もいないことをいいことに、間抜けな声を上げながら、横断歩道の白いラインだけを踏みつけてスキップするように横断した。

 背中のリュックサックがアイラの動きから1拍遅れて跳ねて、ざっ、ざっと音を立てている。その都度、アイラの細い首が引っ張られるようにやや後ろへ傾いた。


 アイラの暮らすここ教育衛星「γ-5」の重力は、母星「地球」の7分の6程度だという。

 「地球」行きの栄光を掴んだ偉大なる諸先輩方からの通信によれば、そのわずかな重力差に最初はかなり苦しむことになるらしい。酸素が濃くまるで肺が強制的に内側から膨らむような感覚にもなるというし、順応するまでは大変そうだ。


 とはいえ、アイラは落ちこぼれの部類だ。

 とてもではないが「地球」になんか行けやしないだろう。


 中等教育プログラム一般コースの成績でいえば、アイラの下にもまだ何人かいるのだけれど、彼らはアイラと違ってきっと来年になればなんの問題もなく「成体」になれる。

 「成体」にさえなってしまえば、あとはその時点での身体的・精神的なスコアにより、中央機構が彼らの配属先を決める。中央機構のシステムはブラックボックスで、どのように選抜が行われているのかは誰も知らない。落ちこぼれに近い成績を出していた者が「地球」行きのチケットを掴んだこともある。

 「成体」になれば――なれさえすれば、誰にだってその幸運は微笑みかけているのだ。


「はっ」


 掛け声を決めると同時に、とん、と軽やかな音を立てて向こう側にたどりついた。

 ふと気配を感じてそれを仰ぎ見れば、上空30mを滑らかに飛行バスが通り過ぎていく。

 大人になれそうもないアイラの存在など、誰も使わなくなって久しい地上の横断歩道同様に気にする者はいない。

 アイラは7分の6の重力の中でさえ、誰よりも跳べないのだから。


************


「ただいまー」


 人間の脳の99.9%が医学的に解明された今の時代においても、幼体の成長においては音声型コミュニケーションが果たす役割が大きい、らしい。

 アイラは玄関先で靴を脱ぎ捨て、滑るように流れてきたスリッパにタイミングよく両足を突っ込んだ。

ぱたぱたと音を立てながらリビングに向かえば、今日は母と兄が在宅していたようだ。


「おかえり、アイラ」

「おう」


 長い足を伸ばして3人がけのソファのほとんどを占有していた兄の脛あたりに、アイラはえいっとリュックサックを落とした。

 折れたと脛を抑えて大袈裟にじたばたする兄に、アイラはけらけらと声を上げて笑った。


「ママ、喉乾いた!」

「オレンジジュース補充しといたわよ。先に手を洗いなさい」

「はぁい」


 手洗いうがいは、原始の時代から今も変わらず受け継がれている衛生の基本である。

 完璧にすべてが管理されたこの土地では、泥を直接舐めたところで病気になるはずもないのだけれど、いずれ成体になれば誰もがこの星を出ていく。

 どの星に配属されるかはわからないけれど、基本的な衛生観念が身についてさえいれば、どんな場所に行ってもまず問題はない――翻していえば、その習慣が身に付いていなかった者たちは、うっかりした行動で命を散らしてきた。


 手をしっかり洗ってついでに顔も洗い、うがいも済ませる。

 鏡に映る自分の顔は、目鼻立ちが控えめで、ほっぺばかりが血色よく膨らんでいる。

 リビングに戻って母の出してくれたオレンジジュースを飲みながら、母の顔を横目で観察すると、自分が歳を取ればこうなるだろうと容易に想像がついた。兄もまあ、目の形だけは何となく似ているかもしれない。兄は父親似なのだ。


「兄ちゃん、宿題手伝って」

「えーめんどい」

「そこをなんとか」

「アイス半分で手を打とう」

「可愛い妹のお風呂上がりの楽しみを奪おうなんて鬼!」


 ソファに寝そべって動こうとしない兄の頭を、背もたれ越しにわしわし乱してやる。

 ようやく兄は重たい腰を上げて「15分後になー」と欠伸をしながら風呂に行ってしまった。


 兄が作った15分という時間は、億劫がって逃げた言い訳、ではない。

 アイラは母に向き直り、リュックサックから今日の検査結果と処方薬を取り出してテーブルの上に並べた。この手の話をする際、異性の兄弟の存在はないほうがいい。そういう気配りのできる兄である。


「えっと、エストロゲンの数値がやっぱり改善してなくて。あ、でも右の腎臓の状態はよくなったみたいなんだけど」


 アイラのたどたどしい説明を、母は真剣な面差しで聞いている。

 すでにセイコ医師からオンラインでデータ共有されているはずなのだが、ここではアイラ自らが理解した内容を言語化しなければならない。


 かつて思考のオンライン伝達が可能となった「地球」において、相手への配慮なく、生の記憶や感情をダイレクトにぶつけて要求を通そうとする者が多発し、絶え間なくトラブルが発生したという。今はもうその技術は一部の特殊な専門職員をのぞいて使用を禁じられているが、とかく、その苦い経験への対応策ということで、教育衛星育ちの子供たちには、日常生活においても常に音声による言語コミュニケーションを義務付けられていた。

 だからアイラは四苦八苦しながら、現在の自分の体の状態と、処方された薬に期待される効果を、自らの言葉で母へ伝える必要があるのだ。


「わかったわ」


 母から細かい質問を幾度も重ねられ、中の下の頭で必死に答え続けて、ようやく及第点がもらえたようだ。

 時計を見れば、兄が去ってから17分が経過していた。


「……おかしいわね?」


 アイラが首をかしげたのと、母が懸念の声を上げて立ち上がったのは、ほとんど同じタイミングだった。兄が「15分」と言ったのならば、必ず、きっちり秒までずれずに15分で戻ってくるはずなのに。


「ちょっと見てくるわ」


 思わず立ち上がりかけたアイラを押しとどめて、母が風呂場を見に行く。

 アイラの胸に言いようのない不安が押し寄せた。


「――きゃあぁぁぁああ!!」


 死体――故障した機械を見た母には、つんざくような悲鳴を上げる機能がついていたらしい。

 風呂に浮かぶ兄の()()()を発見した母は、腰を抜かして脱衣所で震えており、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


************


 アンドロイドの故障は、人間が不老不死になれなかったのと同様に、避けられない現象である。機械が壊れたら、普通は修理して使えるようにする。

 しかし「γ-5」をはじめとする各教育衛星において、子供の「家族」として登録されていた個体は、限りなく人に近い尊厳と儀式を与えられることになっていた。言い換えれば、人間なら致死であろう程度の故障を生じた個体は、それ以上修理されることはない。部品が取れた程度であれば交換できるが、そうでない場合、人間同様に死者として扱われることになる。


「このたびはご愁傷さまで……」


 兄の「葬式」には多くの人が来てくれた。

 アイラのクラスメイトだけでなく、もちろん兄の知り合いも顔を見せてくれたし、近所の居住区域からも顔見知りの者たちが、痛ましげな表情でやってきてくれた。

 棺に納められた兄の体を覆うほど、白い花――もちろん本物ではなく模造花だ――が敷き詰められていて、ふわふわの花弁に包まれた兄は、まるで安らかに眠っているようだった。発見直後は頬に毛細血管状の黒い焦げ跡が刻まれてはずだけれど、納棺師が表皮を真新しく取り替えてくれたようだ。

 限られた資源で生活する「γ-5」において、これは人間並みの好待遇だ。それもこれも前述のとおり、彼がアイラの「家族」として登録された個体だから許される贅沢である。


「故障原因は頭蓋骨内……ですって……」

「ああ……確かあの素体は、以前〇〇さんのお宅でも使ってたんだっけ。ずいぶんこき使われてたって言うじゃない……」

「定期検査では問題なかったそうなのに……」


 ひそやかに交わされる人々の言葉が、どこか現実離れした音のようにアイラの耳に滑り込んでくる。

 こわいわね、と肩を抱いて震えていた中年女性は、アイラのクラスメイトの母親()のアンドロイドだ。花を祭壇に供えながらぽろぽろと涙をこぼしている青年は、確か兄と仲良しという設定の、書店員役のアンドロイドだったか。


 この星には、アイラと同じ人間種族は、15歳未満の子供しかいない。

 大人はすべて、子供ひとりひとりの生育にあわせ最適にカスタマイズされた家族用アンドロイドと、子供の生育環境のために用意された各種施設の運営用アンドロイドである。


「でもよ、葬式出してもらえるなんて、幸せだよ」


 そう呟いた老人に見覚えはないけれど、彼もまた何らかの役割を割り当てられたアンドロイドなのだろう。


「それでは出棺のお時間です」


 兄の棺は大昔に地球で使われていた霊柩車なるへんちきなものに積み込まれていった。

 「家族」として使用歴のあるアンドロイドが()()()場合、「葬式」のあとに工場ですべてのパーツを分解され、修理され、新たな顔と見た目に組み直されて、いずれどこかに配属される。

 そのときにはもう記憶や学習データも置き換えられているから、アイラとすれ違ったとしても、お互いに気づくことはないだろう。


 家族以外の役割を与えられたアンドロイドは、故障しても自動修理プロトコルが走るので、周りにも気づかれぬうちに修理されて元の場所に戻される。その場合は、もちろん記憶も学習データもそのままだ。


 どちらが幸せなことなのか、アイラにはわからない。

 ただ、自分が「終わる」ときにたくさんの人が泣いてくれるのは、きっと悪いことではないのではないかと――泣き崩れる母の肩をさすりながら、アイラはぼんやりとそんなことを考えていた。


************


 兄の「死」はそれなりにクラスメイトたちにも動揺をもたらしたようで、普段はできそこないのアイラにキツく当たる嫌な女子まで、ほんのちょっぴり優しい気がした。

 しかしアイラはそんな彼女の心理状態が理解できず、


「そんなふうに優しくしてくれるのになんでいつもは意地悪なの?」


 と空気を冷やす質問をしてしまい、ちょっぴり優しい時間を自らの手で終了させてしまった。


 初七日と呼ばれる儀式が終わった頃には、初めて身近で起きたアンドロイドの「死」の衝撃も薄れてきたらしい。クラスメイトからの呆れたような視線も元通りだし、昼休みにひとりぼっちになるのも元通りのことだ。


 誰もが思っているのだ。

 アイラはきっと成体にはなれない、仲良くしていてもメリットなどないと。


 成体になることは名誉なことだ。

 成体になり、適性に合った星へ配属され、遺伝的相性のよい相手と組み合わせられ、互いの精子と卵子で子を成す。アンドロイドのもたらす疑似的な家族ではなく、真の「家族」を作り、星を栄えさせる――それが人類に課せられた義務であり、栄誉である。

 それさえできぬアイラは、そもそも社会的な地位を得ることができない。


 友達ができないわけだ。


 ずっとさなぎにこもった虫は誰にも称賛されない。

 蝶は美しく羽ばたいてこそなのだから。


 ただその頃アイラは幸か不幸か、先日の診察時に処方されたホルモン剤の副作用で、起きている時間のほとんどをぼんやりしているか、吐き気と戦うかのどちらかだった。

 そしてその日は吐き気に負けて、保健室のベッドの上で横になっていた。アイボリーの天井にはよくよく見れば不規則な模様があり、のっぺりとした保健室の雰囲気を、ほんのわずかに柔らかくしていた。


「……アイラちゃーん……起きてる?」


 小さな声とともにベッドを囲むカーテンが揺れ、ポニーテール頭の少女が顔をひょこりと突っ込んできた。


「あ、起きてた」

「メイちゃん。授業は?」

「サボってきちゃった。私も気分悪くてさ」


 なんていって笑うメイの顔色はよく、明らかな詐病である。


「お隣失礼~」


 上履きを脱ぎ捨てたメイが、傍若無人にベッドに上がり込んでごろりと横になった。アイラは狭いベッドの中、メイと抱き合うような恰好になってしまう。


「狭いよ~」

「我慢我慢」


 顔を見合わせて、くすくすと意味もなくお互いに笑いあった。メイはアイラにとって貴重な友人の1人だ――だからこんな家族のような距離感でも、嫌悪がわかぬのだろう。アイラは自分と違い、女性らしく膨らんだメイの胸に顔をこすりつけて甘え、メイもそれを許容してくれる。


 「γ-5」をはじめとした教育衛星において、幼体たちは将来どこに配属されても周囲と軋轢を生まぬよう、穏やかな人格になるよう教育される。そのような環境下でさえ友達ができないアイラは、極端な言い方をすれば「ハズレ」個体だ。ホルモン値だけでなく、人格形成面でも、アイラは要観察児の烙印を押されている。

 教師たちの評価によれば、本来は穏やかであるはずのクラスメイトたちが意地悪なのも、アイラに原因があるらしい。アイラの「攻撃性誘発人格」なるものが、彼らを凶暴にさせるというのだ。残念ながらアイラにはさっぱりわからない。


 メイは対照的に、誰とでも仲良くできる優良児のお手本のような存在だ。いつもアイラに意地悪を言うクラスメイトたちとも仲良く過ごしているし、教師だってメイのことを信頼して、クラス長の役割を与えた。

 メイはずっと特別で――優れた幼体だった。それはアイラだけでなく、全員が共有している事実だ。

 クラスメイトの男子たちもメイと「番」になれたらと、口にすれば規制されかねない下卑た願望を持っている。いくら良質な教育を与えて育てた子でも、優秀なメスを見れば本能には逆らえないのだ。

 すらりと伸びた手足にくびれた腰。さらさらの髪は背中の真ん中まで伸ばされ、高い位置で束ねられている。軽やかにポニーテールが揺れるたび、自然と周囲の視線を惹き付ける――そういう少女だ。


 14歳が女の一番美しい時期だというならば、今のメイはまさにそれを体現したような存在だ。少なくともアイラはそう思っている。

 自分とは骨格からして違う生き物のようで、嫉妬なぞ湧き上がる前に消滅してしまう。


 メイの、アイラよりも少しだけ大きな手のひらが頭を撫でた。それだけで吐き気がやわらいだ気がして、アイラはほっと息を吐いた。

 2人きりでいるとき、メイはよくこんなスキンシップをしてくる。

 親役のアンドロイドや医者以外が幼体の体に触れる習慣は、教育衛星「γ-5」には存在しない。かつての「地球」ではごく自然に行われた行為だというが、現代ではほとんど消滅している。夫婦となったペアならばともかく、そうでなければむしろ嫌悪をもって忌避される類の――そういう行為を、メイはアイラに対してだけ、やる。そうしてアイラも、メイにだけそれを許している。


 アイラは優秀なメイが自分なんかにそんな特別な行為をするのが――他の誰にもしないのに、アイラにだけはしてくれるのが、ほんの少し誇らしくて、ほんの少し怖い。メイに撫でられていると、まるで土足で精神の内側に踏み込まれて征服されるような、恐ろしいのに逃げられないような、そんな甘い痺れがアイラを支配する。

 怖いのに、でも、安心してしまう。そういう自分だから、成体にはなれないのかもしれない。


「吐き気、まだするの?」

「うん。あ、でもちょっとだけ」

「早退しなくて平気?」

「5時間目には出たいから」


 5時間目は音楽の時間だ。特段とりえのないアイラにとって、唯一得意といえるのが歌だった。

 特に今日の授業では、卒業式の合唱でソロパートを歌う担当を決める試験がある。


「たまには私だってちゃんとできるって、みんなに思ってもらいたいもん」

「アイラちゃんは、ちゃんとできる子だよ」


 控えめな音量で、メイが困ったように微笑みながらそう言った。メイならばそう言うだろうな、とアイラは視線をそらした――そう言ってほしくて水を向けた己の浅さまで、メイには見透かされていそうな気がした。


「メイちゃんは、きっと『地球』に行けるよ」


 ぎゅう、とメイに抱きついてみた。柔らかい、まるで自分とは違う生き物のように温かくて、触っているだけで幸せになれる体だ。将来彼女と「番」になる男は、幸せ者だ。


「……なんでそう思うの?」

「だって、メイちゃんはなんでもできるし、優しいし、ちゃんと大人になれる人だから」


 アイラの頭を撫でていたメイの手が、ゆったりと背中に降りてきた。さすっているのとはちょっと違う、なんだかむずむずした感覚を与えるその触り方に、アイラはくすぐったくなって小さく身をよじった。


「私は、多分アイラちゃんが思ってるような優等生じゃないよ」


 メイの右手がアイラの腰をなぞり、そのまま尻のあたりで止まった。


「……メイちゃん?」


 メイの顔がいつの間にかすぐそばにあることに気づき、アイラはきょとんと目を丸くした。

 鼻が触れてしまいそうな距離で、メイは、もしかしたら泣くのを我慢していたのかもしれない。

 だがそれもきっとアイラの錯覚だったのだろう、メイはばっと体を離して、勢いよく上体を起こした。すっかり乱れてしまったポニーテールを乱暴な手つきで結び直し、こちらに背中を向けたまま、ふうと大きく息を吐いた。


「ああ、アイラちゃんは可愛いなあ。馬鹿で、可愛いなあ」

「……そう?」


 なんと答えていいかわからずおざなりになってしまった相槌をどう捉えたのか、メイはほんのわずかに肩を震わせた。

 メイの背中の肩甲骨は、アイラのそれよりもずいぶんとはっきりと線が浮き出ている。他のクラスメイトたちも同様だ。幼体たちは成体に近づくにつれ、肩甲骨が発達する。アイラの背中は、未だに強情な脂肪に覆われてぺたんこだった。

 自分とメイの違いを鮮明に見せつけられた気がして、アイラはくるりと寝返りを打った。


************


 今日はアイラの誕生日、つまり、卒業式まであと10日に迫っていた。

 「γ-5」の幼体たちは同一ラインで管理されて生み出されているため、同学年の全員が同じ誕生日である。いちいち祝っていたらきりがないので、今では誕生祝の習慣は家庭内にのみ残っている。その日は休日扱いとされ、外出を控えて家族と過ごすように通達される。ある意味で「γ-5」の祝日のような日である。

 特段やりたいこともなかったアイラは、父を仕事に送り出したあと、朝から母と他愛のない話に興じ、一緒にモニタで映像作品を鑑賞して過ごした。普段は栄養やカロリーを管理された食事しか出てこないが、今日だけは別で、食事時のテーブルの上には、アイラの好物であるチキンのフライやオムライス、ケーキなどが並んだ。


「アイラ、お誕生日おめでとう」


 母がくれた15歳の誕生日祝いは、万年筆とインクだった。

 電子デバイスが当然のように用いられているこの時代において、手で字を書けるというのは、ひとつの特殊技能である。アイラは珍しいことに、その技能を習得したひとりだ。特に成績に影響がなく、できるからといって賞賛されるわけでもないので、本当にただの趣味でしかない。

 それでもその技能を言祝いでくれたのは嬉しかった。


 アイラは満面の笑みで贈り物を受け取り、いそいそと兄の仏壇に報告に向かった。

 遺影の中の兄は笑顔でアイラの話を聞いてくれていた、と思う。兄本体は今頃中身も外見もすっかり様変わりして、誰かの家族になっているかもしれない。もしくは倉庫の中でパーツを分けられ、ストックされているのかもしれない。

 それでもアイラにとって兄は14年をともにした家族であり、人生のあれこれを共有したい相手であることには、今も変わりなかった。


 前日の定期通院の結果は相変わらず芳しくなく、母は静かに気落ちしているように見える。

 今日だって笑顔でお祝いをしながらも、10日後アイラが無事に卒業式を終えて成体になれるのか、やきもきしているはずだ。


 しかし、アイラ本人はといえば、実際のところ大して気にしていなかった。

 過去の例を紐解いてみれば、治療の甲斐なく成体になれなかった個体は一定の割合で発生するらしい。おおよそ1万分の1の確率だが、まったく存在しないわけでもないことが、アイラの気を楽にさせていた。


「ね、ママ」

「なあに?」


 ダイニングの片づけをしていた母が、皿を手にしたままこちらを見た。


「大人になれなかったら、なれる日が来るまで、ずっと今のままの暮らしなんだって」


 何気ない調子で放った言葉に、母は動きを止めた。


「私、多分、成体にはまだなれないと思う」

「……アイラ」

「だからね、まだ家族でいてほしいの」


 教育衛星育ちの幼体は、卒業式後に施される処置により、一斉に成体へと変化する。無事に成体になれた者には、中央機構のシステムにより決定された配属地が告げられ、そのまま家に帰ることなく発射ポートへと送られる。

 家族の役割を果たしたアンドロイドは、その後外見と記憶を書き換えて、新たな幼体の家族と作り変えられる。

 だから、卒業式の朝が永久の別れになる――普通ならば。


「パパも許してくれるかな」


 夕食の時間になっても帰ってこない父は「γー5」の中枢機能を維持管理する役割を兼ねた、特殊なアンドロイドだ。本来は別の父親役がいたそうだが、アイラの体が成熟しないことが明らかになった際に、彼と父親役を交代したという。

 前の父親の記憶はほとんど残っていないが、今の父親だって忙しすぎてあまり交流した覚えがなく、愛着といった面ではさほどでもない。

 だけれどアイラにとって家族とは、母と兄と、父がそろったものである。


「……もちろんよ」


 皿をテーブルに戻した母がアイラのもとまできて、ぎゅっと抱きしめてくれた。完璧に人間を模したアンドロイドの肌は柔らかく、血の通った人間同様の体温がある。

 アイラは母の胸にしがみついた。すべてを許してくれる、そんな気がした――いくら文明が発展し、人間が機械の管理下で生ずるようになっても、やはり人間には「母」が必要なのだと、アイラは思う。


 ふと、保健室で抱き合ったメイのことを思い出した。

 メイの体温、柔らかい肌、母のそれとはどこか違っていて、妙に落ち着かない気持ちにさせられた。

 あれは母親とは違う――何が違うのだろう。


「不安なのね、アイラ」


 母の手に頭を撫でられ、アイラは夢想から引き戻された。


「大丈夫よ。あなたが大人になっても、なれなくても、ママはいつまでもアイラのママでいるわ」

「……本当に? 私が大人になって別の星に行っても、ママはママのままでいてくれる?」


 アンドロイドは、人間へ嘘をつくことができない。そういうふうに作られている。

 だから母は、困ったように微笑むだけだった。



 ――ぴーんぽーん、と間延びしたインターホンの音に、母がびくりと顔を上げた。

 父ならば自宅のキーは持っているし、そもそも今日は幼体の誕生日という衛星全体のイベントの日だ。訪ねてくる相手に心当たりはない。

 しかしモニターに映し出された顔を見て、アイラは「あっ」と声を上げた。


「メイちゃん! どうしたの?」


 勢いよく玄関扉を開けると、メイがどこか恐る恐るといった様子で立っていた。


「あ、その、遊びに来ちゃった? みたいな感じ」

「遊びにって……」


 時刻はもう20時を回っている。夜間の外出は特別な理由がない限り許容されないものだし、ただでさえ今日は自宅にいることを推奨される日なのに、いったいどうしたというのだろう。

 ふと、アイラはメイの左頬がわずかに赤いことに気づいた。


「……あら、あなた……相川さん? 怪我、してるの?」


 遅れて玄関にきた母もメイを見て怪訝そうな顔をしている。


「その、ごめんなさい。ご迷惑だとは思ったんですけど」


 メイが勢い良く頭を下げた。ぶんと風を切ったポニーテールの先端が、アイラの低い鼻をかすめる。


「親と喧嘩したんです。頭が冷えるまで、入れてください」


************


 アンドロイドは人間を傷つけられるようには設計されていない。ロボット三原則という大昔に地球の小説家が作った仮想のルールのひとつだが、今の技術の根底にも「大原則」としてしっかりと反映されている。

 しかしある一定の条件下でのみ許容される例外がいくつかあり、親が子に与える「躾」は、わずかばかりの例外条件のひとつだ。


「……大人になりたくないって、言っちゃったんだよね」


 明かりをつけないでほしいというメイの願いを受け、彼女を招き入れたアイラの部屋は薄暗い。あまりに暗く足元さえおぼつかないので、アイラはやむなくカーテンを開けた。大きな窓から、月の光がわずかばかりに部屋へ差し込んできていた。

 ベッドの上で膝を抱えたメイには、普段の快活さが欠片もうかがえなかった。

 月の光だけでは、メイの表情も見えない。


「そしたら、お父さんが怒ってさ……おまえは反体制思想なのかって、お母さんも泣いちゃって……」

「まあ、そりゃ……ねえ……」


 メイの隣に腰を下ろすと、ベッドがわずかに軋んだ音を立てた。いつもメイがしてくれるように背に手を回し、大きな肩甲骨のあたりをそっと叩いてやると、メイはぐすりと鼻を鳴らしてアイラの肩に頭をもたれかけさせた。

 ふわり、とシャンプーの甘いにおいが鼻をくすぐり、アイラは落ち着かない気持ちになる。


「……どうして大人にならなきゃいけないんだろうって、どうせお父さんにもお母さんにもわからないくせにって、ひどいこと言っちゃった」


 アンドロイドの人格には、モデルになった人物が存在する。ただし特定の人物の人格ではなく、多くの――それこそ有史以来積み重ねてきた膨大なデータを混ぜ込んで、構成する。

 しかしどんな性格に設計されたとしても、すべてのアンドロイドには必ず守らねばならない事項がインプットされている。前述の「人間を傷つけてはならない」もそのひとつだ。

 他には、たとえば、中央機構の意に沿わない言動を許してはならない――メイの両親が怒ったのは、メイの言動がその禁止事項に触れたからだ。


 親が子に施す感情的な言動を伴う「躾」は、通常であれば、大原則により制限されている。しかし中央政府への恭順は、それよりも上位に設定されているため、反体制的な思想を幼体が持った疑いのあるときは、物理的な損傷を与えない範囲内で「躾」をすることが許容される。

 可哀想に、とアイラはメイの肩を抱く手に力を籠める。

 おおよそ物理的な暴力というものから切り離されて育つ教育衛星の幼体は、幼体同士での軽微な小競り合い以外を経験しないまま成長する。

 メイはきっと人生初の暴力に晒されて――それも最も身近な庇護者であるはずの親に殴られて、恐ろしい思いをしたのだろう。アイラは胸がぎゅうっと締め付けられた。


「……ねえ、アイラちゃんは大人になりたい?」


 それをよりによって自分に聞くのか、とアイラは苦く微笑んだ。アイラは先天的な異常で、薬に頼ってもなお成体になれない可能性があるというのに。

 本当はアイラだって皆と同じように、穏やかな空気の中でともに過ごし、何の問題もなく未来を語る資格があったはずだ。だけれど遺伝子の気まぐれは、アイラにその普通を与えなかった。

 メイはすぐに自分の失言に気づいたのだろう、「ごめん」と小さくかすれた声でつぶやいて、アイラの肩に乗せていた頭を離した。


「いいよ、大丈夫……なりたいとか、なりたくないとか、考えたこともなかったから」


 恐縮したように距離を置こうとするメイを、アイラは少し強引に引き寄せた。そうしないとメイがどこかに消えてしまいそうな気がしたのだ。

 月の光に朧げに浮かぶメイの横顔は、まるで物語に登場する妖精のようで、儚くて――綺麗だった。


「その、大人になるって、みんなが当然与えられる権利だと思ってたの。だからなれないのは、ちょっと理不尽だなって思ってて、メイちゃんが言うような気持ちがあるって考えたこともなかった」

「……うん。でも、言うべきじゃなかった。ごめんね」

「いいって」


 アイラは少し考えてから、ベッドのそばにある、大きな窓へとメイを招き寄せた。


「ね、メイちゃんはきっと『地球』に行くんだと思うの」

「……前も言ってたね、それ」

「だってメイちゃんは学校でいちばん可愛くて、いちばん頭がよくて、いちばん優しいもん。特別な人でしょ。ねえねえ、どれが『地球』だろう?」


 夜の空にはこうこうと月が輝き、普段ならば砂をまいたように瞬くあまたの星々は、月光に圧倒されてあまり見えない。それでもきっとどれかが「地球」に違いないと、アイラは幼い頃からなんとなく思っていた。

 だって人間は「母」を捨てられないように、どれだけ遠くに去っても「地球」を捨てられないはずなのだから。「地球」が見えないところでなんか、生きていけやしないのだから。


(…………?)


 当然のようにそう考えたのは、本当にアイラ自身なのか。

 ふと浮かんだ疑問は、次の瞬間、視界が反転した弾みに霧散した。


「……本当に、アイラちゃんは、可愛くて……馬鹿だねえ……」


 メイに押し倒されたのだと、自分に覆いかぶさる黒い影に、何拍も遅れてから気がついた。長いポニーテールが肩越しに流れ落ち、シャンプーの香りがひときわ強く鼻をくすぐった。

 逆光になってメイの顔は見えない。だけれどきっと今彼女は泣いている。

 メイの顔が近づいてきて、柔らかいものがアイラの頬に当たった。まるで小鳥がついばむように、ちゅ、ちゅ、と音を立てて、額や頬を吸われる。


「……ねえ、それでもやっぱり、大人になんかなりたくないよ……」


 一生懸命泣くのをこらえた声が、アイラの耳に滑り込んだ。

 メイの手がアイラの首を撫で、鎖骨をなぞり、腰を確かめた。

 アイラは声も出せず、目だけをせわしなく左右に動かすことしかできない。


「ああ、もう……好きだよ、アイラ……ずっと好きなの……本当に特別な女の子…………」


 ひゃ、とかすれた声を上げたアイラの首筋に、メイは顔をうずめた。


「お願い、ずっと一緒に……ずっと…………」


 異変は突然訪れた。


 めり、と枯れた葉が裂けるような音とともに、メイの体が弓なりに反った。


「ああああああああああああああああ!!!!!」


 絶叫とともにメイの体が跳ね回り、めりめりめり、と肩甲骨が異様なほど盛り上がっていく。


「――どうしたの! アイラ! アイラ!!」


 ドアの向こうで母が叫んでいる。

 鍵は閉めた――かもしれない。メイが静かに泣けるようにと思って。


 緊急時の開錠権限を母は持っているはずだけれど、ドアはなかなか開かない。

 その間にもメイの体はどんどんと変化していく。


 まず内圧に耐えかねた服が、次に背中の皮膚と肉が裂けた。手足の中身がなくなるようにどんどん細くなり、ずるり、と背中の裂け目から何かが這い出てくる。要らない服を脱ぎ捨てるかの如く皮膚を捨て、真っ白な――恐ろしいほどに真っ白な羽が、まさに蝶のような、でも()()はメイの顔をしていて、すらりと伸びた手足は幼体には見えなくて――


「あああああああああああああ!!!」


 絶叫とともにメイだったものは荒れ狂い、本棚に、タンスに体を打ち付けた。

 ぶちぶちと何かがちぎれる音がして、左の羽が無残に落ちる。


「…………ああ、綺麗だね」


 窓から差し込む月の光に照らされながら、人ならざるものへと変化していく親友に、アイラは横たわったままうっとりと呟いた。


************


 久しぶりに帰ってきた父親は、見るからにげっそりしていた。

 アイラの部屋で起きた「成体化事件」の後処理に追われ、さらに通常の業務も免除されず、2日間ずっと酷使されたんだと、無精ひげの目立つ顔でアイラをじっとり睨んだ。


 アンドロイドは通常体毛が伸びない。髪もひげも、幼体の希望でデザインを変えることはあっても、そもそも人間のようには新陳代謝しないので、なにもしなければそのままだ。

 ただし極めて人間に近く作られている一部の上位モデルにおいては、体毛が伸びるのはもちろん、おおよそすべての生理現象を再現する機能を持っている。

 父はおならもするしひげも汚らしく伸びるしげっぷもする。トイレにもいくし、見た目も老けてきた。よほど高級なアンドロイドなのだろう。アイラに金があれば、デリカシーという機能を追加してやりたい。


「……その、ごめんなさい?」

「謝る必要はない。おまえは被害者なのだから。ただ」


 言って、父は兄の仏壇に視線を一瞬だけ向けたようだった。


「母さんは、少しだけ入院だ。母さんが帰ってきても、あのときの話はするなよ」

「……ママにだけ?」

「誰にも。絶対に。ダメ」


 メイが「成体化」した現場を見た母は、システムが自動的に発した緊急通報を受信した当局に拘束された。記憶処理を施されたうえで、問題がなければ帰宅できる――1日くらいの辛抱だ、と父は疲れを隠さずにため息をつき、ソファに身を投げ出した。

 ソファの上で長い足がぷらぷらと揺れるのを見ていると、兄を思い出す。兄もまたよくそんなふうにくつろいでいた。


「パパ、私の記憶はいいの?」

「……いいんじゃねーの。何も言われてないし」


 誰から、とは聞かなかった。父はこの星でかなり偉い、くらいしか知らないけれど、父に物申せるとしたらそれより上なのは間違いない。

 アイラは父の足のそばの隙間に、強引に尻を下ろした。父は兄と違ってアイラのために足をどける優しさを持たないらしく、むしろ両足でアイラの腰を軽く蹴ってくる。


「……ね、パパ」

「ん」

「あれが、成体?」

「ん」

「みんな、卒業式のあとにああなるの? なんでメイちゃんだけ先に大人になったの?」


 真っ白に輝く伸びやかな肢体。

 鱗粉を撒き散らす大きな、大きな、薄く透き通った白い羽。

 まるで物語のように幻想的で、しかし顔はメイを少し大人にしたくらいの変化をしただけで、うっとりするくらいグロテスクだった。


 アイラの疑問に、父はふわあと大きくあくびをした。


「羽の大きさや形は人それぞれだよ。でも、ま、基本はあんな感じ。卒業式のあと、人為的に特定のホルモン値を人為的に急上昇させてやると、ああやって『脱皮』すんのよ。怖かっただろ」

「……ううん。綺麗だった」

「そ」


 寝る、と父は大きく伸びをしてから、足でアイラを何度かげしげしと軽く蹴ってから、寝室へ向かった。風呂に入る気力は残っていないらしい。

 時計を見る。深夜2時。

 眠気は来ない。

 鎮静剤を打たれて運び出されたメイがその後どうなったのかも、聞けなかった。


 メイがアイラにしようとした行為の意味は、教育プログラムの中で学んでいた内容から推測できた。

 しかしそれは大昔に廃絶された物理的な繁殖行為であり、今では娯楽以上の意味を持たない。それにあれは本来、成体になった異性間で行われるものであり、幼体同士、それも同性同士で行われることがあるとはどこにも書いていなかった。

 父の言葉とそれまでの知識を重ね合わせるに、メイはあの夜、アイラに対して性的に興奮したことをきっかけにホルモンのバランスが崩れ、偶発的に「成体化」してしまった、ということなのだろう。


(……意味わかんない)


 が、ほんの少しだけ誇らしく、ほんの少しだけ怖かった。

 特別な存在で、誰もがうらやんでいた優秀なメイが、自分などに欲情するなんて。


(特別な女の子、だって)


 あの夜のメイのように膝を抱えて、ぎゅっと顔を押し付けてみる。

 どうしてメイが大人になりたくなかったのか、本当のところは聞けなかった。大人になれば役割を与えられて、自らの遺伝子で繁殖の誉れを授かるというのに。


(……繁殖、したくなかったのかな。もしかして、私のために――?)


 アイラは永遠に幼体で、大人になりたくないメイの理想とする姿であったのかもしれない。

 或いは、アイラとずっとここで過ごせるよう、異星へ行きたくなかったから、大人になりたくなかったのかもしれない。


 メイの口から話を聞く機会があるとも思えない。

 アイラはひとりぼんやりと、思考の渦に飲み込まれることしかできなかった。


************


 卒業式には、当然出席できないと思っていた。

 しかし当日の朝、布団の中で寝こけていたアイラは、()()()()()()()()()()()()笑う母に叩き起こされ、両親とともに学校へ向かった。

 普段通学で使う飛行バスではなく、父の運転する飛行車だ。

 車なんてものはかつての「地球」では誰でも持っていたそうだが、「γ-5」では公務に従事する一部の人間しか使えない。それが証拠に前後に取り付けられたナンバープレートには「公」の記号がある。

 子供の卒業式へ向かうためなんかに使っちゃダメだろ、とは思ったけれど、快適だったのでアイラは何も言わなかった。


 父は珍しく不精髭を綺麗に剃って髪を後ろに流していたし、母もおめかしをしていた。アイラはいつも通り学校の制服である。

 両親と学校の駐車場で分かれて教室に向かうと、クラスメイトたちはやや驚いたようにアイラに視線を向けたあと、知らん顔をして各々の会話に戻っていった。

 教室の後ろのほうにはひとつだけ空席があり、机の上には雄蕊の切られた百合の花がぽつんと置かれていた。誰が置いたのかはわからないし、どういう意味なのかも知りたくなかった。


 ただ、彼女がいないだけ。

 ただそれだけで、騒がしい教室に放り込まれたアイラは常になく孤独だった。


 担任の話を聞いたあと、講堂に向かってひとりひとり卒業証書を受け取る。

 アイラの分もちゃんとあった。

 席に戻りながら保護者責をちらりと確認すると、最前列で父親がカメラを構えていた。何やってんだ。


 「あ」から始まる彼女の名前は、ついに呼ばれなかった。


 合唱では、アイラではない別のクラスメイトがソロを担当した。

 アイラよりもずっとずっとうまくて、アイラの取り得はなんなんだろうなとほんの少し考えながら、それでも合唱を終えたあとはそれなりにやり切った充実感があった。


「それでは、卒業生の旅立ちを皆様どうぞ拍手でお祝いください」


 盛大な拍手に包まれながら、卒業生たちは列を作り、ひとりずつ講堂の裏手へ続く扉の向こうへ消えていく。

 アイラも何も言われなかったから、素直に列に並んだ。


「あなたはこっちね」


 建物を出たとたん、腕を掴まれて列から離された。

 見上げると数日前に会ったばかりのセイコ医師が、少しだけ悲しそうに眉を下げて微笑んでいた。

 行きましょうと手を引かれて大人しくついて歩く――講堂の裏手にあるのは、それまで立ち入りを禁じられていた白い箱のような、窓ひとつついていない2階建ての建物だ。

 卒業生たちがゆっくりと箱に飲み込まれていくのを横目に、アイラはその建物の外につけられた階段をのぼり、2階までたどり着き、まるで大切なお客様のように恭しく中へ通された。


 真っ白な壁と床、それから部屋中にモニターが何枚も取り付けられている。

 一つの壁は全部がガラス張りになっていて、下の階を直接観察できるようになっている。


「ようこそ、旧世代の子」


 モニターの前に立っていた白衣の男性が振り返り、仰々しく両手を広げてみせた。


「なにしてんの、パパ」

「見ればわかる。おまえもこい」


 父に背中を押されて下の階をガラス越しに見下ろす。

 先ほどまで一緒に卒業式に出ていた子供たちが、ひとりずつ大きな棺桶のようなものへ入っていくのが見えた。

 時間にしてほんの5分程度か、棺桶状の箱のふたが開いたときには、子供は子供でなくなり、背が伸びて手足もすらりと長くなり、そして様々な色や形の羽を背中に生やして、大人びた顔に満足げな表情を浮かべていた。


 ああ、ああやって成体化させるのか。


「メイちゃんのときと全然違う」

「本当はポッドの中で成体化させるんだ。痛みも苦しみもなく、な」


 なるほど、とアイラはあの夜を思い出して頷く。

 自らの意思と無関係に強引に大人になってしまったメイは、激しく叫んで暴れていた。血の通った己の皮膚を強引に破って脱皮するのだ。相当の苦痛を伴ったに違いない。


「あそこに入ったら私も大人になれないかな」

「無理だな。おまえは旧人類だから」

「きゅうじんるい」

「そう、俺と同じ。驚いたか? 俺、アンドロイドじゃないんだぜ」

「別に。おならなんてするアンドロイド、やっぱり変だもの」


 本当は驚いていたのだが、なんとなく腹の立つ言い方だ。

 不愛想に言ってやると父は機嫌よさそうに笑った。


 父がいうには、父やアイラは「原種の人間」に近い先祖返りの個体なのだという。


「『地球』が汚染されて住めなくなった時代があるのは知ってるな?」

「うん、授業で習った。だから宇宙の色んな星に移住した。今『地球』はもとの美しさを取り戻したけど、また環境汚染しちゃいけないから、限られた人しか行けない」

「そう。だが、ほとんどの星で、俺たち人類の体は適合しなかった――適合するために、遺伝子を操作した。一番相性がいいのは昆虫でな。どんな悪環境でも住みついていける」


 ほら、と父が指さした先にいたのは、顔の形が逆三角形のように鋭利に尖った成体だ。背中には楕円型で半透明の羽がついている。


「蠅の遺伝要素が濃く出たんだろうな。あれは強いぞ」

「?」

「どんな星でも生きていけるのさ……成体化するまでどの要素が強く出るのかわからんのが博打みたいで面白いだろ?」


 面白くはない、とアイラは視線を他の成体へ移した。

 成体化で生じた特質により、彼らは行き先が決まるらしい。その場でグループに分けられている。ある程度の人数が集まったら、飛行バスに乗せていく。そのまま発射ポートへ連れて行くのだろう。


「んで、俺やおまえはどの要素も出なかったタイプだ。人間の要素が強すぎるんだ。だから、生まれた星か『地球』でしか生きていけない」

「……『地球』では生きていけるの?」

「おまえが希望すれば『地球』に行けるってこった。ま、あんまりいいところでもないが」


 だから、と父は声を落とした。


「この星に残って俺と一緒に幼体の管理をする。これが超おすすめの、ひとつめの提案。中央機構において、旧人類は過去の栄光の象徴だ。生きてるだけでVIP扱いさ。車だって飯だって、思いのままだ。魅力的だろう?」

「……2つ目は?」


 問いかけると、父はようやくふっと肩の力を抜いたように見えた。


「おまえの好きなようにすればいい。俺は道を示さない」


 じゃあ、としばらく考えてからアイラは口を開いた。


************


 地球から人類が遠ざかって、また戻ってくるまでに2000年が必要だった。

 2000年の間、ある人は遠い星々へ旅立ち、ある人は地球の環境を取り戻すために奮闘した。

 2000年がたち、さらに1000年がたって、ようやく限られた人々が地球に降り立ち始めた。

 宇宙の様々な場所に移入した人類だが、今でも地球は彼らにとっての「母」であり、いつか戻るべき故郷であるという。


 数千年という歴史の中で――いや、それ以前も含めて――彼らの流した涙や血のことを、アイラは知らない。

 知らなければならないのだろうと思うし、頼めばきっと父は教えてくれただろうけれど、アイラは何も聞かなかった。

 そんな過去のことは、誰かが知っていればいい。アイラでなければならない理由などない。


 アイラは、ただ落ちこぼれに生まれついた――遺伝子の改造に耐えられなかっただけの個体だ。本来ならば淘汰されていたかもしれない個体が、政治的な思惑で「旧人類」と祭り上げられているだけ。

 それがどうした、と思う。

 アイラは神でもなく、新時代に適応できた人類でもなく、ただのアイラだ。

 代表にはなれない程度に少しだけ歌がうまくて、地球の7分の6しかない教育衛星「γ-5」の重力の中でもうまく飛べないだけの、15歳になったばかりの女の子だ。


「……あと4年か」


 宇宙船の窓の外は七色に輝く光が荒れ狂っていて綺麗なのに、一緒に見られなくて残念だ。

 棺桶のようなポッドの中で眠る少女に、アイラは穏やかな笑みを向ける。


 システムの無機質な音声が、ワープモードへの移行が完了し、全機能の安定を確認できたことを告げた。


 4年経つ頃、この宇宙船はひとつの惑星へと到着する。

 人類が長い年月をかけて流れ着いた星のひとつで、地球とは似ても似つかないし、空気もほとんどない。施設から一歩出れば、薄い酸素と極端な暑さと寒さに晒されて1秒も生きていけないだろう。


 アイラはそこに行くことを決めた。

 母なる地球から一番遠い星を選んだ。

 そのことを告げたとき、父はほんの少しだけ寂しそうにしていた。

 血縁のない男なのに、旧人類というくくりだけで仲間意識を抱いていたのか、それともともにすごした年月が彼を感傷的にさせたのか。

 アイラだってちょっと寂しかったけれど、悔しかったので最後まで教えてやらなかった。


「メイが一緒だから、寂しくないけどね」


 ポッドの中で眠る少女――メイの背中には、羽がない。

 メイの成体化は不完全で、いびつな成長は成体と幼体の半ばで止まってしまった。だから、残った羽もアイラが勝手に「取っちゃって」と父に頼んでもぎとってしまった。


 目を覚ましたとき、成体の象徴である羽を失っていることに気づいて、メイは怒るかもしれない。

 勝手に荒れ果てた星へ連れてきたことに、絶望するかもしれない。

 中途半端に成体になりきれなかったメイを受け入れる星が、そこ以外になかったのだと説明したとしても、じゃあ何故アイラが一緒にいるのだと、戸惑うかもしれない。


「4年後なら、私も少しは大人になれてるかなあ」


 窓に映る自分のまんまるな頬を撫で、アイラは友との再会を夢想してうっそりと微笑んだ。

ある種の拉致監禁エンド

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