第三話 君たちに贈るエンドロール
卒業式の日、空は皮肉なほど青く晴れ渡っていた。
厳かな式典が終わり、体育館は「卒業生を送る会」の和やかな喧騒に包まれていた。在校生からの言葉、先生たちの出し物。誰もが別れを惜しみ、あるいは新しい門出に胸を躍らせている。
姫奈は、クラスの友人たちに囲まれて、楽しそうに笑っていた。その隣には、当然のように皇凱斗が寄り添っている。彼らの関係は、もうクラスの誰もが知る「公然の秘密」となっていた。僕との関係がどうなったのか、誰も聞いてこない。その腫れ物に触るような気遣いが、僕の心をより一層冷たくさせた。
僕は、ステージの袖でPCを操作しながら、彼らの姿をぼんやりと眺めていた。これから起こることを思うと、心臓が早鐘を打つ。でも、それは緊張からではなかった。復讐を成し遂げる直前の、冷たい高揚感だった。
「――続きましては、卒業生の皆さんによる、三年間を振り返る思い出ムービーの上映です!制作は、三年二組、夏目陽向くんです!」
司会の声に、会場から拍手が起こる。僕は軽く頭を下げ、ステージ中央のマイクスタンドの横に立った。スポットライトが眩しい。客席にいる姫奈と、一瞬だけ目が合った。彼女は、少し気まずそうに、そして心配そうに僕を見ている。今さら、何を心配するというのか。
僕は無表情のまま頷くと、ステージ袖に合図を送った。
体育館の照明が落ち、巨大なスクリーンに光が灯る。
上映が始まった。
軽快なポップミュージックと共に、スクリーンに映し出されたのは、僕たちの入学式の映像だった。まだ制服がぶかぶかな、幼い表情のクラスメイトたち。あちこちから、懐かしむ声や笑い声が上がる。
映像は、体育祭、合唱コンクール、そして文化祭へと続いていく。友人たちと馬鹿みたいにはしゃいでいる僕。友人たちに囲まれて、はにかむように笑う姫奈。そして、二人で並んで歩く、夕暮れの帰り道。
それは、僕がこの三年間、心を込めて撮りためてきた、偽りのない「宝物」の日々だった。
編集しながら、何度も胸が張り裂けそうになった。この笑顔も、この時間も、もう二度と戻らない。この映像は、僕の青春そのものの残骸だった。
姫奈が映るたびに、彼女は隣にいる皇の存在も忘れたかのように、スクリーンを食い入るように見つめていた。懐かしさと、そして僕に対する罪悪感とが入り混じった複雑な表情で、瞳を潤ませているのが遠目にも分かった。
皇は、そんな姫奈の肩を抱き寄せ、何かを囁いている。まるで、過去の思い出に浸る彼女を、現在の自分の場所へと引き戻そうとするかのように。
会場が、感動とノスタルジーで満たされていく。先生たちも、目頭を押さえている。
完璧な雰囲気だ。僕が望んだ、最高の舞台。
やがて、映像は終盤に差しかかる。卒業を祝うメッセージと共に、楽しかった思い出の写真が、エンドロールのようにゆっくりと流れ始めた。BGMは、感動的なバラードに切り替わっている。誰もが、このまま感動的なフィナーレを迎えるのだと信じて疑っていなかった。
その、瞬間だった。
幸せな思い出が流れるメイン画面の、右下の隅に。
ぽつ、と小さなワイプ画面が現れた。
会場の誰もが、それが演出の一部だと思っただろう。
しかし、その小さな四角い画面に映し出された映像に、まず姫奈と皇が息を呑んだ。
ワイプ画面の中。放課後の教室。
『あんな地味な奴より、俺の方が君を幸せにできる』
真剣な顔で、姫奈にそう囁く皇の姿が、音声付きで映し出されていた。
会場が、わずかにざわめき始める。
「え、何あれ?」
「皇くん?」
メイン画面では、変わらず感動的な思い出が流れている。文化祭でクラス全員で撮った、満面の笑みの集合写真。
しかし、右下のワイプ画面は、冷酷に真実を映し出し続ける。
画面が切り替わる。
『ごめん、陽向。今日、お母さんの買い物に付き合わなきゃいけなくて……』
僕に申し訳なさそうに嘘をつく姫奈の電話越しの声。その音声にかぶさるように、同じ時刻、皇と楽しそうにカフェで話す姫奈の映像が流れる。
ざわめきが、大きくなる。
誰もが、何が起きているのかを理解し始めた。
メイン画面の幸せな思い出と、ワイプ画面で暴露される裏切り。その残酷な対比が、体育館の空気を急速に凍てつかせていく。
『陽向には、私からちゃんと言うから。だから、もう少しだけ待ってて』
皇の胸の中で、そう呟く姫奈の音声。
そして、極めつけは――隣町の公園のベンチで、唇を重ねる二人の、鮮明な映像。
「うそ……」
「ひどい……」
あちこちから、ひそひそ声が聞こえてくる。それはやがて、明確な非難と軽蔑の囁きへと変わっていった。
メイン画面の映像が終わり、感動的なバラードが止まる。
体育館は、水を打ったように静まり返っていた。すべての視線が、主役だったはずの二人――顔面蒼白で立ち尽くす姫奈と、苦虫を噛み潰したような顔で僕を睨みつける皇に、突き刺さっていた。
体育館の照明が戻る。
僕は、震える手でマイクスタンドを握りしめた。アドレナリンで、頭がくらくらする。
マイクを通して、僕の声が静まり返った体育館に響き渡った。
それは、自分でも驚くほど落ち着いた、しかし氷のように冷たい声だった。
「これが、僕が愛した君と、僕から君を奪った君への、僕からの最後のプレゼントだ」
僕は、凍りついたままの二人をまっすぐに見つめる。
姫奈の瞳から、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちていた。それは、悲しみの涙か、後悔の涙か。もう、どうでもよかった。
僕は、最後の言葉を紡ぐ。
それは、憎しみと、未練と、悲しみがぐちゃぐちゃに入り混じった、僕の魂からの、最後の叫びだった。
「……二人で幸せになれよ。僕がいない世界で」
マイクを置き、僕はステージを降りた。
誰かが僕の名前を呼んだ気がしたが、振り返らなかった。
騒然とする体育館を背に、僕はただまっすぐ、出口に向かって歩き続けた。
復讐は、終わった。
僕の青春も、今日、ここで終わった。
外の空気は、まだ少し冷たかったけれど、不思議と頭はすっきりとしていた。




