いやいや、ありえません
――とまあ、そんな形であの日の会議は終了したのですが、あの後からカミュウ殿下を王太子に押す声が一層大きくなりました。
宰相はもちろんの事、重鎮たちの意見はまとまっているようです。
ですが夫を廃嫡するには、まだこれといった決め手がないようです。
あの日を境に夫がカロリーナ様とクラウディア様以外の愛人たちと別れて、意外と真面目に仕事をするようになってしまったからです。
他の女性に手を出してくれさえすれば、不履行でそれを理由に廃嫡できるのにと宰相が愚痴っていた事を思い出します。
まともに仕事をする王子を貶すっていうのはどうかと思いますが、まあ気持ちは分かりますよね。
夫の女癖の悪さは一種の病気ですから。
治りようがない病気が、いつ再発するかと不安に駆られ胃を悪くするくらいなら、優秀な王子に早く変わってくれと思うのが通常の心理です。
最悪、私との離婚を口実にしようかと宰相が呟いていましたが、それはなんか私が嫌です。
今まで一切かかわりのなかった夫の廃嫡理由にされるのは、何だが釈然としません。
夫の八つ当たり相手になりたくもありませんし、クラウディア様とカロリーナ様にウザ絡みされるのもご免です。
そういえばウザ絡みで思い出しましたが、あれからカミュウ殿下と何故か会う機会が増えた事に不信感を募らせています。
正直、カミュウ殿下は私にとても優しいし、信念をもってらっしゃいますから良い為政者になられるだろうと思います。
話も合うのでお会いするのが嫌だという訳ではないのですが、ただ、ジアス様の言葉が引っかかるのです。
カミュウ殿下が私に懸想するかもしれないという、あれです。
二つも年増な私になど懸想する事はないでしょうが、万が一という事もあります。
夫と別れた途端、次はカミュウ殿下と……なんて事になっては侯爵家を取り戻す事ができなくなってしまいます。
それは絶対に嫌です。
あの家を、あの人たちにくれてやるなんて事、私は絶対にいたしません。
ですのでカミュウ殿下には申し訳ありませんが、ここ最近の私は夫だけではなく、カミュウ殿下とも会わないように気を付けています。
何事もなく無事に母国に帰り侯爵家を取り戻した暁には友人として再び会う事も可能でしょうが、それまでは自意識過剰と言われようと警戒させていただきます。
触らぬ神に祟りなしと、どこかの国の言葉にもありましたから。
とにかくあと半年、我慢すればこの国ともお別れなのでこの国の王が誰になろうと私が気にする必要はありません。
私は冷たい女なのです。ツーン。
そうして私は、いつものように周りを警戒しながら執務室へと向かいます。
そういえば、本日はジアス様が来られる日です。
忙しかったのか、ここ四か月ほどご無沙汰でしたので、ちょっとウキウキしてしまいます。
「フフ、クレイン様のご機嫌がよろしくて何よりです」
モナがふと、後ろから声をかけてきます。
「あら、分かる?」
「ええ、足取りが軽いようですからね」
「そうね、やっとお父様の言い逃れできない証拠が揃ったからかしら」
昨日、オーガから届いた手紙に『万事滞りなく』と書かれていたのです。
それは兼ねてよりオーガたちに任せていた、お父様の悪事の証拠が揃ったという事。
いつお戻りになっても大丈夫ですと、伝えてくれているのです。
頼もしい使用人に、私の気分は高揚します。
「確かにあの手紙には私も興奮しましたが、それだけではないですよね?」
「ん?」
モナが含みのある物言いをします。
首を傾げる私に、フフフと笑います。
「キャスカ様に城から監視が付いたそうではありませんか」
モナの言葉に私の口角が上がります。
実はジアス様に付き纏っていた異母妹に困り果てて、侍女頭であるアボラに彼女の周辺を探ってもらっていた結果、なんとあの子の机から怪しげな薬が幾つも発見されたのです。
それは何かの葉を煎じた物で、小さな紙に包まれていました。
危ない薬ではと懸念したアボラが、ジアス様に渡して調べてもらったのです。
するとそれには精神を恍惚とさせる成分が入っていました。
中毒性があり、服用し続けると精神が崩壊してしまう恐れがある危険な物です。
あの子はそれを、下位貴族の自分の取り巻きに渡していたようなのです。
だから彼らはあの子の言いなりでジアス様の周辺を探り、見つかっても異母妹の名は決して出さなかったのです。
想像以上に大きな悪事を働いていた異母妹に、その話を聞いた当初は言葉が出ませんでした。
あの子の所為でマルシアス侯爵家は終わりだと、覚悟を決めたほどです。
ですが、あの子はただ単に薬を大量に買っただけで、出所は他にあるようです。
それならば、あの子だけを勘当すれば、どうにか侯爵家は保たれます。
それにお父様や継母があの子を手放さなかったとしても、私が戻ってもろともに追い出せば問題はありません。
ジアス様がアボラの協力で得られたと証言してくださいましたから、使用人たちも罪に問われるような事にはならないでしょう。
現在、城ではその出所を調べるために異母妹を泳がせているようなので、お父様たちの動きも様子見されているようです。
それでも監視が付いた以上、今までのように好き勝手はできません。
あの子の行動はジアス様の耳にも届きますので、避けるのも楽になったようです。
それにジアス様の予定が漏れるような事もなくなりました。
薬の出所さえ分かればあの子も終わりです。
私が帰る前になるか後になるか、楽しみです。
ふふふふふ、と扇で口元を隠して笑っていますと、モナが「キャスカ様が馬鹿な事をしたお陰で、ジアス様が解放されて良かったですね」と微笑みました。
「ジアス様とお会いになるのは、四か月ぶりですか。待ち遠しいですね」
モナの言葉に私は素直に頷きます。
「ええ、久しぶりだからとても嬉しいわ。お変わりないかしら?」
「ますます美丈夫になられているでしょうね」
「そうね、楽しみだわ」
ジアス様は十七歳。
剣の稽古を欠かさない所為か、最近では筋肉も付いてきて立派な青年になられています。
それでも元が細身だからマッチョになれないのを、本人は残念に思っているようです。
そんなジアス様を思い出しクスクスと笑って進みますと、遠目に私の執務室の前に誰かが居るのを発見します。
一瞬ジアス様かと喜んだのですが、すぐに髪色が違うのに気付きました。
それに一人ではなく、護衛の騎士を二人連れています。
警戒する私の前にリックとモナが立ち塞がりました。
そうしてその人物がクルリと振り返ります。
私は息を呑みました。
それは、ここには決して現れないであろう人物だったからです。
そう、久しぶりに会った夫が、不貞腐れた表情でこちらを向いていたのです。
リックを見た夫は「遅い!」と叫びます。
「何をちんたらやっている? さっさと仕事しろ!」
それはリックに言っているのではなく、後ろに隠されている妻の私に向かって言っているのでしょう。
早く開けろと私の執務室の扉の取っ手をガチャガチャと鳴らします。
「王太子殿下にはご機嫌麗しく。クレイン様に何かご用でしょうか?」
モナがすました表情で、夫に何の用かと訊ねます。
本来なら侍女が王太子に許可もなく声をかけるなどあってはならないのですが、今は緊急事態で私を守るためですから問題にはなりません。
夫はジロリとモナを睨みますが、すぐに用件を口にしました。
「クレインに回す書類を持ってきた。あいつの印が必要なんだ。早くしろ」
そう言って、手に持っている紙をヒラヒラと揺らします。
私は眉間に皺を寄せました。
夫が持ってこなければいけない書類など、聞いておりません。
滅多にない事ですが、夫婦のサインや印がいる場合でも宰相が間に入ってやり取りしていたので、こんな事はこの国に来てから初めての事なのです。
私の頭の中で警鐘が鳴りました。




