後日譚 再診:いつでも
──アークルのその後──
あれから、いくつの季節が過ぎただろう。
アースこころクリニックを去ってから、俺はただ“生きる”ということを続けている。
戦いもなく、使命もなく、静かな時間が流れていく。
かつての魔王が、今は人として、ひとつの小さな日常を持っている。
それは、世界を滅ぼすよりもずっと難しく、けれど確かな幸福だった。
──数年後、どこかの町で──
朝の光がまぶしい。
カーテンを開けると、窓の外に青い空。
もう、あの黒い雲はどこにもない。
俺はゆっくりとコーヒーを淹れた。
湯気が立ちのぼる。
昔は煙と炎しか知らなかったのに、
今はこの香りに、安らぎを感じるようになった。
今の職場は、小さな本屋だ。
店長は頑固だが、本を愛している。
俺は、主に配達と補充を担当している。
紙の匂い。
ページをめくる音。
それだけで、心が落ち着く。
人間たちは時々、俺に尋ねる。
「なんか雰囲気ありますね。昔、何してたんですか?」
「少し前まで、世界を燃やしていました。」
冗談だと思われて、笑いが起きる。
俺も笑う。
それでいい。
今は、それで十分だ。
昼休み。
ポケットの奥から、古びたカードを取り出す。
アースこころクリニック
再診:いつでも
角が擦れて、色が薄くなっている。
けれど、この小さな紙切れが、
今の俺の世界を支えている。
白石医師とは、しばらく会っていない。
ミリアは旅に出たらしい。
きっと、また誰かを助けているのだろう。
俺はといえば、ここで本を並べ、
たまに客の少年に絵本を薦める。
「勇者と魔王の物語です」
少年は笑って言う。
「これ、最後に仲良くなるやつでしょ?」
俺は頷く。
「そうだ。お互い、少しだけ賢くなったんだ。」
夕方。
店を閉め、帰り道を歩く。
西の空が赤い。
炎の色に似ているが、もう恐ろしくない。
俺は空を見上げて、静かに呟く。
「……滅ぼすでも、救うでもない。
ただ、生きる。それでいい。」
風が頬を撫でた。
その温かさに、少しだけ涙が滲んだ。
世界は、思っていたよりも優しい。




