第6話 通院卒業の日
──アースこころクリニックにて──
朝の診療室。
窓から差し込む光が、やけにまぶしかった。
白石夕凪は、いつも通りカルテを開く。
だが、今日だけは少しだけ笑顔が柔らかかった。
「これで、最後の診察になりますね。」
俺は頷いた。
魔力は完全に戻った。
けれど、心はもうあの頃の“魔王”ではない。
戦う理由も、滅ぼす理由も、どこにもない。
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白石が問いかける。
「この世界での生活、どうですか?」
「悪くない。
人は弱くて、愚かで、でも……あたたかい。」
「それは、あなたが“人”として感じ取れたからですよ。」
カルテにペンが走る音が、やけに静かに響いた。
「アークルさん、あなたの病名をつけるとしたら――」
白石は少し考えてから、微笑んだ。
「“孤独”です。
でも、もうほとんど完治ですね。」
俺は笑った。
笑うという行為が、こんなに自然にできたのはいつ以来だろう。
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扉の外では、ミリアが待っていた。
「聞いたわ。今日で卒業なんだって?」
「ああ。戦いの終わりよりも、ずっと実感がある。」
「そう。じゃあ、さよならは言わない。
また通院したくなるかもしれないし。」
「ふっ、縁起でもない。」
笑い合う。
昔は、剣と魔法でしか語り合えなかったのに。
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診療カードを白石に返す。
白石はそれを受け取り、少しだけ迷ってから、机の上に戻した。
「再診:いつでも」
「……?」
「通院は終わりです。でも、もしまた心が疲れたら、戻ってきてください。」
「ふむ……その時は、また保険証が必要か?」
白石は吹き出した。
「いえ、勇気だけで結構です。」
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クリニックを出る。
空は高く、青かった。
ビルの影の間を、風が抜ける。
かつて、この空を黒く染めたことがあった。
今は、そんな気持ちさえ思い出せない。
「……滅ぼすより、生かす方が難しいな。」
誰にともなく呟く。
だが、それを言える自分が、少し誇らしかった。
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数年後。
アースこころクリニック。
白石夕凪は、静かに診療室の椅子に座っていた。
扉がノックされる。
「どうぞ。」
入ってきた青年は、どこか影のある目をしていた。
「最近、世界を救う気力が出ません。」
白石は柔らかく微笑んだ。
「……では、滅ぼす以外の生き方を、一緒に考えてみましょうか。」
時計の針が静かに進む。
そして、新しい物語が始まった。
【完】




