傲慢なる支配者の魔剣
「兄貴。本当にやるつもりか?」
「何度も言わせるな。“薄氷”の名を持つ俺に、できぬことなどない」
「でも相手は魔剣持ちだぜ? 素がただの雑魚でも、とんでもねえ化け物になってるかもしれねえ」
「構わん。その程度を乗り越えられぬ者が、魔剣など手にできるはずもない」
“薄氷”のカイトは、幼き頃から夢に見続けたものがある。
「俺は魔剣を手に入れる。そのために、ここまで来たんだ」
それだけを望み、ひたすらに修練を重ねて。
気が付けば、力で並び立つ者などいなくなっていた。
「……ったく、分かったよ。そこまで言うんなら、俺も覚悟を決めるよ」
「すまない。アサヒ。こんな危険な旅に同行させてしまって」
「今更良いって。だって兄貴、俺が居なきゃロクにメシも作れねえだろ?」
そう言ってさわやかな笑顔を向ける彼女の名は、“落葉”のアサヒ。
カイトが6歳の時、隣の家で生まれた。小さい頃から遊びの相手をしていたせいか、物心がつく頃にはすっかり彼に懐き、修練の時も、山でクマと戦った時も、必ずついてきた。行き返りや休憩の合間などは常に何かを話す彼女だが、カイトが集中しなければならない時は黙って傍で見てくれていた。カイトにとって、ひたすらな鍛錬を積み重ねるだけの日々で荒みかける心を癒してくれる、大事な存在だった。
「でもほんとビックリしたぜ。急に魔剣探しの旅に出る、なんて言い出した時は」
「魔剣探しではない。すでに場所は分かっていた」
「はいはい。でも実際、まだ見つけれてねえだろ?」
「もう目と鼻の先だ。その洞窟の中に、魔剣持ちがいる」
「……長かったな……」
「たった14周だろう」
「最初に『5周で見つかる』なんて言ったのは誰だったかなあ!?」
「フ。そうだな。そう考えると、長い旅だった」
故郷に力で比肩し得る者がいないと分かったカイトは、魔剣の情報を集めた。幼き日より磨いた力と夢は、それを為すに相応しい域まで至ったと考えた。
すると、僅か2周で望んだ情報が手に入った。通りすがりの旅人の青年が、だいたいの位置を教えてくれた。場所は故郷のサンザシの村から徒歩で4周の場所にある、スンキエラの山だった。
それを知ったカイトはすぐさま出発の準備を済ませ、両親に一言告げて、村を発とうとした。そこでアサヒにばったりと出会い、事情を説明した途端、「ちょっと待ってて」と言い家から旅に必要な道具一式を持って、「ついていく」と言い出したのだ。
最初こそ、危険な旅なのでついてくるなと言ったカイトだが、自分にはできない飯の用意をしてもらう内に「本気で追い返さなくて良かった」と思うようになっていた。
「……ところでさ、兄貴」
「なんだ?」
「兄貴ってもう、22じゃん?」
「それがどうした」
「いや、鍛えて戦って強くなってばっかしだけど、その……そろそろ嫁を取ったり……とか」
「ああ。そういえば親にもそんな話をされたな」
「け、結婚したいなあとか、思ったりすんのか?」
「いや。魔剣のことばかりで、すっかり頭になかったな。どれ、帰ってから考えてみるか」
「そっか……」
カイトより6つ下のアサヒは、もう16だ。
あんなに小さかった赤ん坊が、今では立派な女性になろうという歳だ。他人の色恋沙汰に興味が出てくる年頃なのだろう。
「じゃあ、もし魔剣手に入れるのに俺が役に立ったら、俺を嫁にしてくれ!」
アサヒが顔を真っ赤にしながら急にそんなことを言うので、ポカンとしてしまった。
「フ。必要ない。お前は既に役に立ってくれている」
そう言いながら小さい頃のようにアサヒの頭を優しく撫でると、振り払われた。
「いや! 戦いで役に立ったら、がいいんだ!」
「なぜだ?」
「え、え~っと……な、なんででしょう……」
自分でも分からない、といった表情のアサヒに、つい笑いを零してしまう。
「な、何笑ってんだ!」
「す、スマン。いやなに、本当にお前には助けられているな、と思ったんだ」
「そう、なのか?」
「ああ。美味い飯を作ってくれた。食べられる草とそうでない草を教えてくれた。すれ違いの旅人との喧嘩を仲裁してくれた」
そう言いながら、これまでの旅を思い返す。
「そして何より、俺とたくさん話をしてくれた。何よりもそれが、俺の心を穏やかにしてくれた」
「じゃあ……」
「だが、戦いはダメだ。魔剣を手に入れることは、俺の夢だ。俺の戦いだ。俺一人で、為さねばならん」
それを聞いてアサヒはシュンとしている。
「そう落ち込むな。嫁にならしてやる」
「え!? ホントか!?」
「ああ。だから、この戦いは俺だけでやらせてくれ。頼む」
「じゃあ、約束な!」
「分かった。約束だ」
洞窟の入り口に立つ。
「よし、行くぞ」
「ああ、行こう!」
そうして二人は、洞窟へと潜っていった。
その先に潜む脅威に向かって。
「思ったより狭いんだな、この洞窟」
「そうだな。入り口はかなり大きかったんだが」
「ホントにこんなとこに魔剣持ちがいんのか? 剣振り回せねえだろ」
そんなことを話しながら、ややジメジメした洞窟を歩くこと5分。道は少しづつ細くなってきて、今では大人3人分ほどの幅しか残っていない。
ガタイの良いカイトとやや細めのアサヒでバランスはとれているが、それでも人半分くらいのスペースしか残っていない。
戦いになると、剣を操る者には不利かもしれない。
「だが、俺の天恵なら可能だ」
天恵。読んで字の如く、「天からの恵み」。
魂を持つ存在には一部、それを持つ者がいる。そういった者は皆、それぞれ異能を持ち、通常の人間には不可能な事象を為すことができる。
〈具氷現固〉。それがカイトの天恵。
空気中の水分を凝固させ、自由自在な形の武器を生成することができる。例え砕けようと、すぐさまそこから水分を集め、元の形に直すことができる。
この天恵で、森に棲み着く魔族を狩ったことがある。村同士の戦いで500人を相手取り、無傷で勝利を収めたことがある。
「俺なら、勝てる」
「やめとけよそういうフラグ建てるセリフ」
「黙れ」
茶化すアサヒだが、彼女が誰よりカイトの力を信じている。その戦いを誰よりも近くで見てきたからこそ、まったく勝利を疑っていない。だからこそ少しでも場を和ませようと発した言葉だったが、「黙れ」と一蹴された。
カイトとの関係が浅い者であれば、自分の茶化しに対する「うるせえ」ぐらいの反発ととらえるか、急に強い言葉を使われて苛立ちを覚えるか、そのどちらかをするだろう。
だが、アサヒは違う。16年にも渡るカイトとの付き合いが、その発言から緊張を見出した。カイトが何かを感じた、そう思った。事実、立ち止まっているだけのように思えるカイトの姿は、アサヒから見れば十分な戦闘態勢だった。さらには冷や汗すらかいている。魔族との戦いですら余裕が滲み出ていたカイトが、だ。
本当にヤバい奴が来る、そう思ったアサヒはすぐさま後ろに下がり、カイトの戦闘の邪魔にならないようにした。
ヒタ、ヒタ、と、足音がする。
先の見えない洞窟の細道から現れたのは、屈強な体をした男だった。
一本の派手な見た目の長剣を右手に持ち、右の腰に短剣を携えている。
「お前が、魔剣持ちか」
カイトの低い声が洞窟に響く。
一拍置いてから、
「そうだ」
と、男が返答をした。
「俺は“薄氷”のカイト。魔剣を、奪いに来た」
端的に用件を伝え、本格的に戦闘態勢に入るカイト。
「そうか」
またも、一拍置いてから返事が。
「では、行くぞ!」
正々堂々、開戦の合図を告げ、突進しようとするカイト。敵との距離およそ10メートル。
瞬きより早く、詰めることができる。
だが。
「なっ!?」
踏み込もうとした瞬間、男が短剣を投擲した。
素晴らしい速さだった。棒立ちの状態から腰に挿した短剣を抜き、常人ならば目にも留まらぬほどの瞬間に投げ終わる。
しかし、それはカイトを驚かせる程度のものだった。長く実戦経験を積んできたカイトは、音速の攻撃もギリギリで躱すことができる。それに届かぬ速度の投擲であれば、弾くことは容易い。
だから彼にとって、脅威にはならなかった。
投擲は。
「くッ!」
投擲を躱した態勢から踏み込む形に直すと、背後からそんな声がした。
振り返ると、アサヒが腕から血を流していた。その足元には投擲された短剣が。
カイトが弾いた短剣は、狭い洞窟の壁にぶつかり軌道を変え、アサヒへと向かったのだ。
「アサヒ!」
「大丈夫だ! 浅く切れただけ!」
彼女の無事を確認して、すぐさま敵に注意を戻すカイト。
その視線の先では、男が先程までと変わらない位置で、棒立ちのまま、右腕を高らかに挙げていた。そして。
「我に従え。『君臨』」
そう言葉を発した。
おそらく魔剣の能力を発動したのだろう。
何をしたのか分からない。近づくのは危険だ。
そう判断したカイトは、遠距離攻撃をすることにした。
「〈具氷現固〉」
天恵を発動させ、空気中の水分を集める。この洞窟は、ジメジメしている。集められる水分の量は、かなり多い。
水分を一点に集め、前方に針のように凝固させる、その技の名を。
「『氷柱』!」
結果として、突きのような攻撃になる。だが、そこに予備動作は存在しない。
突きの構えを取り、能力を行使するだけだ。相手は避けることなどできない。
だが。
「くッ」
狙いがズレた。外してしまった。
突然、地を踏む感覚が消え、足が立たなくなった。
足の筋肉が、断たれていた。
「アサヒ……」
アサヒによって。
「なぜ……!」
「祝福を与えよう」
小さく呟くようなアサヒの言葉に反応するかのように、カイトは行動に移った。
『氷柱』からさらに枝分かれするように氷針を伸ばし、男を串刺しにする。
それだけで、男は倒れた。何の抵抗もなく、絶命した。右手に持たれた長剣が落ちる音が、洞窟の中にこだました。
「『隷属』」
片腕で地面を押し、アサヒから距離を取るために前方に移動する。
「なかなか使える天恵をした男だったが、天恵でも肉体でもさらに上回る個体が現れてくれるとは」
アサヒが、そう言いながら近づいてくる。おぼつかない足取りで。
足が使えなくなったカイトだが、アサヒとの距離を保つ程度に動くことはできる。
「さて、せっかくだ。面白いものを見せてやろう」
そう言った途端、アサヒが目の前に現れた。否、目の前まで移動した。カイトの目にすら止まらぬ速さで。
咄嗟のことだったが、アサヒとの間に氷の盾を作り、攻撃を防ぐ。さらに距離を離して、アサヒに問いかける。
「どうしたんだ、アサヒ! なぜ急に襲い掛かってきた!?」
氷の盾が砕かれ、アサヒの顔が目に入った。
嗤っていた。
「お前は、何をしにここに来たのだ?」
意味が分からない。
「魔剣を手に入れるためだ!」
「では、その魔剣はどこにある?」
こいつは何を言っているんだ?
口調までいつもと違う。
「そんなもの、あそこに」
「それは本当に魔剣なのか?」
倒れ込む男の足元に横たわる長剣を指さすと、アサヒはそう言った。
「その長剣が、いったい何をした?」
「な……何って、魔剣持ちはあの長剣を掲げて、能力を発動したぞ!」
「それが、どうなった?」
「何も……いや、アサヒが、俺を、襲った…………まさか!」
支配者の魔剣。弱者を支配する力を持つ魔剣。
その名は聞いていた。だが、まさか見つけ出した魔剣がそれだったとは。
「アサヒを、乗っ取ったのか!?」
「フ、フフフフ……フアァァッハッハァ! 残念! 少し違う!」
狂気すら感じられる嗤い声をあげ、アサヒが右手を目の前に出す。
その手には、男の投げた短剣が握られていた。
「『俺が、魔剣だ』」
魔剣。異能を纏いし剣。
小さい戦争ならばただの一本で戦局を覆すことすら容易い、最強の剣。
それを手にした者は、強大な力と絶対の勝利を手にするのだという。
圧倒的なオーラを纏い、見る者すべてを魅了し、恐れ慄かせ、力の差を理解させる。
そういう物だと思っていた。いや、そういう風に聞かされていた。
まさか、なんの特徴もない、包丁とすら思えるほどの短剣だったとは。
「『斬られたということは、それは俺よりも弱いという事。ならば、俺の支配対象だ。この娘は、何の力も持っていないようだが、お前の不意を突くには十分だった』」
「よくも……よくも、アサヒを……!」
カイトが不意を突かれたのはアサヒを気にしていなかったからではない。むしろその逆だ。
信用していた。信頼があったからこそ、このような事態は想定していなかった。
それを、その信頼を、あの魔剣は、斬り裂いた。
許せるはずもない。
「殺す……いや、ぶっ壊してやる!」
天恵で足に氷を纏わせる。『氷柱』を地面に穿てば、十分な速度で移動できる。
アサヒには悪いが、一度身動きを取れなくさせてもらう。そのうえで魔剣を強奪し、『氷槌』で破砕する。
シミュレーションを一瞬のうちに済ませ、『氷柱』を発動させようとするカイト。
「『どうやって?』」
「は?」
動けない。動こうという意思に、体が反応しない。
「『お前』」
何故。何故。何故。
焦るな。思考を落ち着けろ。
「『もう斬られてるだろ』」
カイトの足は、アサヒによって斬られている。魔剣によって、斬られている。
斬られたということは、弱いということ。
「『さて。お遊びはここまでにするか。精神の支配はしないでいたが、やはり人間は面白い』」
「クソ……クソッ!」
幼き頃より魔剣に憧れた。
幼き頃より正しく鍛錬を積んだ。
幼き頃より天恵を理解していた。
周囲の人々は皆、ひたむきなその姿勢を評価し、天恵からとって「透き通る氷のように美しい」と、カイトの夢を応援した。
「俺はまだ! 諦め」
「『君臨』」
薄氷など、強者の前では踏み砕かれるだけの儚き物に過ぎない。
「『さて。この肉体があれば、本格的に外に出られそうだ。何といっても、支配下にある能力が弱かったからなあ。良い器が手に入った。強き天恵もそろった』」
そう言って立ち上がるカイト。両足は治り始めている。
「『フム。この小娘はもう用済みだが……殺すまでもないだろう。むしろ元居た場所に返す方が面白そうだ』」
アサヒは歩き出す。洞窟の出口に向かって。
「『さあ。ここから始めるとしよう』」
魔剣。異能を纏いし剣。
天恵は、魂ある者に宿る。
「『世界を支配する』」
支配者の魔剣。傲慢なる魂を纏いし剣。
天恵は、〈弱者支配〉。
それが今、広き世界に解き放たれた。
「グフッ」
カイトの目の前で、アサヒが倒れた。
洞窟の出口。アサヒは腹に風穴を開けられ、口から大量の血を噴き出している。
そこに立っていたのは、一人の青年。
「やっと見つけた」
反射的に、カイトは青年に襲い掛かっていた。
魔剣が本能的に危ないと判断したからなのか、カイトの体の奥底から来る怒りによるものなのか、それは分からない。
辺り一帯の水分を全て集め、全方位から『氷柱』で青年を貫き、さらには頑強に造った氷の球で覆う。大量に水分を入れておき、凝固させて球を破壊しない程度に膨張。身動きが取れない青年の体内の水分も『氷柱』にして突き出させ、球内で固定。最後に『氷槌』で砕く。
魔剣は弱者を支配する。天恵の性質も、使い方も、理解している。
「『なんだ、今の男は』」
砕けた氷が粉となり、宙を舞っている。
少し乱れた息を整えるカイト。
「『この俺が』」
「恐れている?」
青年が、背後に立っていた。
「――ッ!」
「動くな」
その一言で、カイトは身動きが取れなくなった。
「お前の天恵、『自分より弱い者を支配する』だったか?」
そうだ。今こうしてカイトの肉体を、これまで奪ってきた天恵を、支配している。
「考えてもみなかったか? 自分が弱者側だったら、って」
「――!」
「お前の天恵は、『弱者』が『お前』に『支配される』ものだ。そして今はその逆。つまり」
身動きが取れないのは恐れているからではない。
「『俺』が『お前』を『支配した』」
『動くな』という命令により、カイトの肉体を操れないのだ。
「え~っと、確か……」
カイトの左の腰から魔剣を取る青年。
「祝福を与えよう。『隷属』」
そして、カイトを切り刻んだ。無数の肉塊になり、頽れる。
「よし。これで揃った」
『何故、知っている……?』
「おぉ。魔剣単体でも喋れんのか。ってよりは、心に直接話しかけてる感じだなぁ? まぁ、これからは黙っとけ」
「『お前は、いったい……』」
辛うじて、ほんの僅か。命令に抗えたのは、直接的に強弱を明確にされていないからだろう。だが。
「――勇者、かな」
何もせずとも命令を通せるほど隔絶した力の差が、両者にはあった。
「 を救おう」
勇者を名乗る青年は、その肩書きには不相応な力を持つ魔剣と共に旅立った。
この日、新たに3つの死体が洞窟に生まれたことを、まだ誰も知らない。
『傲慢なる支配者の魔剣』