眼鏡
私は眼鏡女子が好きだ。
ウェリントン、ボストン、ラウンド、オーバルなど様々な種類があるが私は眼鏡ならば分け隔てなく全てを愛してる。
現在絶賛片思い中である野村ノエル――通称ののちゃんも眼鏡女子である。
ピンクゴールドの丸眼鏡をしていて、同じくピンクゴールドの細やかな眼鏡チェーンをした彼女。
そんな眼鏡とののちゃんを愛する私に、ある日大事件が起きた。
「おはよう、あやちゃん」
教室に入ってきたののちゃんが、眼鏡をしていなかった。
眼鏡をしていないののちゃんもこの上なく可愛いが、私のストライクゾーンであるフェチズムから外れた彼女に思わずスマホを床に落とした。
「あれ、眼鏡は?」
「ふっふー♪ イメチェンしてみた。どぉ?」
どぉ? なんて聞かれたら答えは決まっている。
『似合っている』だとか『眼鏡なくても可愛いね』なんて肯定てきな言葉だ。
よほどの親しき仲でもない限り、女子の世界で否定的な言葉を使うのはそれすなわち真剣で切りかかるようなものである。
落としたスマホを拾い、今一度ののちゃんを見る。顔がいい。今日も優勝している。
でも――あの眼鏡女子だったののちゃんは目の前から消え去ってしまっている。
「ねぇー、どぉ? どぉ?」
「眼鏡なくても可愛いー♪ めっちゃイメチェンになってるよ!」
「えぇー良かったぁ。ほら、あたし今まで眼鏡が本体だったじゃん? だからイメチェンしてみたかったんだよねぇ」
表面上はきゃっきゃしつつ、イメチェンしてしまったののちゃんを褒める。
イメチェンが成功したことを喜ぶ彼女、その影で私の心は泣いている。
眼鏡でなくなったとて好きなことに変わりはないし、未だ片思いし続けているのには変わらない。
だけど、私の大好きだった眼鏡女子は今日お亡くなりになってしまった。
RIP眼鏡だったののちゃん。
ののちゃんはそのあとも他の仲良しちゃんたちにコンタクトの姿を見せては賛同の声を聞いて喜んでいた。
『わぁ、眼鏡卒業したんだ。そっちのほうがいいよ』
『めっちゃかわいいー、え、カラコンじゃないのにそんな目でかいの? うらやまー』
『そっちのほうが絶対モテるって!』
どこか遠くから聞こえる声。
私は墓場の前で泣きながら胸の内につぶやく。
『さよなら、眼鏡』
「はぁー、私もコンタクトにしようかな」
眼鏡を外して、眼鏡を見つめる。
レンズ越しに見えるののちゃん。楽しそうに笑うののちゃん。レンズ越しにののちゃんが少しこちらを見て、また仲良しちゃんたちとおしゃべりしはじめる。
「はぁー、イメチェンかぁ……」
◇
傷心、とまではいかないけれど、次の土日に私も親に無理をいってコンタクトを作ってもらった。
今まで私自身ずっと眼鏡を貫いてきたけど、これでもう卒業になりそうだ。
はじめて目の中にいれる異物は怖かったし、入れるのに中々慣れない。
でも、コンタクトを入れてみると視界のすべてがはっきりとして見えた。
「急にコンタクトにしたいなんて。好きな人でもできたの?」
帰りの車の中で母がいう。
好きな人がコンタクトにしたから、私もコンタクトにしたの。
なんて言えるわけもなく、ぶっきらぼうに「なんとなくしただけだよ」とつぶやいた。
週明け、私はコンタクトをつけて登校した。
ののちゃんみたいに一軍女子じゃないから、私に対して『イメチェンしたんだ』『そっちのほうがいいよ』なんて声をかけてくるクラスメイトはいなかった。
何をしているんだろうなとため息が出る。
チャイムがなるギリギリの時間になって、ののちゃんが教室の扉を開いた。
「やべぇー遅刻するところだった!」
「ののギリギリじゃん」
「あぶねぇー」
なんて仲良しちゃんたちとやりとりしながら席につく。
別に気づいて欲しいってわけじゃないけど、ののちゃんの顔を見た。
「あ」
ののちゃんはコンタクトをしていなかった。
つい先日までと同じように、ののちゃんは眼鏡女子に戻っていたのだ。
ピンクゴールドの丸眼鏡に、いつも通りの眼鏡チェーンをつけて。
きっと私は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたことだろう。そんな私に釣られてか、ののちゃんも同じような顔をしてこちらを見ていた。
「あれ、あやちゃんコンタクトにしたの?」
「あ、えーと、うん、なんとなく」
「えぇー、あやちゃん眼鏡のほうが可愛かったのに」
嬉しいような、嬉しくないような。
というか普通そこは褒めたり肯定したりする部分だろうに、ののちゃんはそんなふうにいう。
一軍女子だからか、それとも私のことなんてなんとも思っていないからか。
「……ののちゃんはどうして眼鏡に戻ったの?」
チャイムが鳴って、担任の先生が教室へと入ってくる。
ホームルームがはじまるけど、私の意識はさっき質問したことの答えを考え続けていた。
先生の話を右から左に聞き流していると、隣の席に座っていたののちゃんがノートの切れ端を渡してきた。
ののちゃんはそれを渡すとぷいっとそっぽを向いてしまう。
何が書かれているのだろうと二つ折りされた切れ端を開く。
『私の好きな人がね、眼鏡のほうが好きみたいだから』
心臓が高鳴る。
その短くも印象に残りすぎる文章を何度も目で追って、何度も心の中で読み上げる。
ホームルームが終わって、みんなが席を立つ中、私はののちゃんのほうを見つめた。
「あ、ののちゃん」
「ん」
「あ、えーと、あの……」
なんて言えばいいんだろう。あらゆる経験値が低い私は何か言おうとするんだけど、何も言えずにいる。
いつまでも口をもごもごさせる私を見て、先にののちゃんが口を開く。
「あやちゃん、眼鏡好きなんでしょ?」
「うん」
「私も。あやちゃんも眼鏡のほうがいいよ。そっちのほうが可愛い」
きっと私の顔面は真っ赤になっていた。簡単にそんなことがわかるくらい私の顔は熱を帯びていた。
「う、うん」
「今のあたしは?」
「コンタクトより、可愛い……です」
これが私の精一杯。
「ふふ、やっぱり眼鏡に戻して良かった」
両手で眼鏡を少しさげてチロッと舌を出すののちゃん。
これは――今どんな状態にいるのか私には理解できなかった。
それでも――……。
明日からはまた眼鏡をかけてこよう。そう思った。