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雨の夜の怪─前編─


 「久しぶりだな、この匂い」

 畦道の真ん中で、田舎特有の 濡れた草の匂いを思いっきり吸い込む。


 ここが嫌で、こんな田舎で終わってたまるかと、中学を卒業後、故郷を捨てた。

 赤ん坊の頃に両親が事故で死んで、引き取って育ててくれたばあちゃんに後ろ足で砂をかけるようにして飛び出したんだ。


 盆にも正月にも帰ってこなかった。

 ばあちゃんが死んだ時も戻ってこなかった。

 それなのに、今、何故、ここにいるのか。


 ……要するに逃げてきたんだ。都会の生活はなにもかもが華やかで時間が倍速で進む。自分の愚鈍さを嫌というほど思い知らされて、おめおめと逃げ帰ってきた。ここにだって居場所なんかないけれども、とりあえず、ばあちゃんの家がある。布団で眠ることができるだけで御の字だ。家賃が払えなくなってアパートを追い出されてから、駅のベンチや自動販売機の影が寝床だった。


 「とりあえず腹一杯まんま食って、風呂へぇって寝ればいいんだ。朝起きでお日様ば浴びたら、てぇげぇ上手ぐいぐ」

 ばあちゃんの言葉と笑顔が頭に浮かんだ。とりあえず日雇いのバイトで交通費を工面して、夜行バスで仙台まで、そこから先は在来線と路線バスを乗り継いでようやくたどり着いた。


 運転手は無機質な声で終点を告げ、降りるとすぐ、そのまま乗客も乗せずに折り返して行ってしまった。このバスが村への最終便で、町へ向かう便はもうない。回送だ。ユウトはトタンを貼り合わせただけの簡素なバス停で空を見上げた。どんよりと暗い雲が頭上を覆い、しとしとと雨が降っている。


 「ったく、運が悪いっていうか、間が悪いっていうか」

 傘など用意していなかったからそのまま全身に雨を受けながら懐かしい道をトボトボと歩く。


 雨の音に混じって川のせせらぎとカエルの鳴き声が聞こえる。

 村の外れの神社の入り口にあった三本の立て札のことを不意に思い出す。古ぼけて文字はかすれ、所々コケが生えた立て札だ。

 雨が降った日は、ばあちゃんが立て札のことを繰り返し聞かせてくれた。


 「あれ、なんて書いてあったんだっけ、インチキくさい迷信……ああ、『雨の夜は近づくな』『受話器を触るな』『天地を正せ』だ。意味分かんないし、そもそも受話器なんて滅多に見ないよな、固定電話がない家も多いし。あ、でもばあちゃんの家はダイヤル式の黒電話だったな」

 ポケットからスマートフォンを取り出す。家賃よりも優先して支払いをしていたのに無情にも『圏外』と表示されている。


 「電波、届かないのか。くそ田舎。でもまぁどうせもう半月もすれば利用停止の予定だったし、もうこのまま解約になってもいいか」

 役立たずのスマホをポケットの中に乱暴にしまう。

 カサッ、ポケットの中で乾いた音を立てたのは、仙台に向かう高速バスの中から持ってきたビニール袋。前の席の背中の収納ネットに備え付けられていたものだ。他にもサービスのアメニティグッズが入っていたから、歯ブラシやタオルも全部貰ってきた。無料(ただ)のものは何でも貰うという貧乏生活で身についたライフハックだ。



 雨足が強くなったけれどもここまで濡れてしまえば、もう急いでも急がなくても余り関係ない。さっきのビニール袋を裂いて頭に被れば良かったかなとも思ったけれども、今更頭だけ濡れていなくても、頭まで全部濡れてても関係ないか、多分同じだ。夏だし、風邪は引かないだろう。

 ばあちゃんの家に行ったら、風呂、沸かせるかな、子供の頃にやって以来だから、薪のくべ方がうろ覚えだ。もっと手伝いとかちゃんとすれば良かった。曲がった腰で風呂を用意してくれていた祖母の姿が脳裏に浮かび、鼻の奥がツンとなった。




 道の先に、ポツンと電話ボックスが光っている。


 「雨の夜は近づくなって言っても、ばあちゃんの家、この先だし、この道を通らないと、すごい遠回りになるし」

 インチキの迷信が頭をよぎったが、鼻先で笑い飛ばした。


 

 薄汚れたガラス、錆びた枠。パチッパチッと音を立てて時々消える電灯、接触が悪いのか、虫がぶつかっているのか。

 中を覗くと、受話器が外れ、電話機本体の上に無造作に放置されていた。コードがだらんと垂れ下がっている。



 緑色の公衆電話を乗せた木製の台の上に、青と黄色の分厚い電話帳が置いてある。かなり古い電話帳のようで日に焼けて端はそり返り、全体的に薄汚れている。その電話帳の上に、有名なエナジードリンクの缶が3本置かれていた。2本は250mlのスリム缶でプルタブは開いている、残りの1本は350mlの太い缶でキャップが閉まっている。もしかしてあれだけ未開封だったりしないか、希望的な考えが頭をよぎるけれども、よく見るとキャップの下のリングが少しだけ離れていて開封済みであることを理解する。


 蒸し暑いし、歩いてきたから喉も乾いている、お腹も減っている。無造作に置かれた空き缶に腹が立った。

 「ったく、誰だよ、ゴミ置きっぱなし……ってか、電話しながらエナジードリンク3本飲むって、なんだよ、なんなんだよ」

 ユウトは舌打ちをした。全てのことにイライラした。ゴミなのに、それを見て少しだけ期待してしまった自分にもイライラした。


 緑色の公衆電話のディスプレイの『受話器をかけてください』と点滅するドット文字にさえイライラした。


 「知るかよ、てめーで直せ、無理だろーけど」

 毒付いて立ち去ろうとした。実際、数メートル先まで通り過ぎた。


 「まぁでもゴミくらい片付けてやるか、『情けは人の為ならず』ってばあちゃん言ってたもんな」

 情けをかけることはそいつのためにならないって意味だと思ったけど、そうではないという。

 『人に親切にすれば、巡り巡って自分にも良い報いになって返ってくるってことだ』ばあちゃんはそう言って笑っていた。

 ばあちゃんには何にもしてやれなかったしな、そう呟いて、ポケットの中からビニール袋を取り出した。


 今来た道を少し戻り、電話ボックスに足を踏み入れた。周りよりも少しだけ空気が冷たいような、ひんやりとした感じがした。


 ビニール袋に入れようと空き缶に触れると、缶が異様に冷たかった。中身が入っていなければ、常温になって然るべきなはずなのに、凍っているのではないかと錯覚してしまうほどの冷たさだ。重量感はないから空であることは間違いない。ちょっと気味が悪いな、さっさとここを出て、ばあちゃんの家に行こう、そう考え、その前に置きっぱなしにされている受話器を元に戻してやろうと手をかけた、その瞬間、バタン、ガチャリ、そんな音がして、半開きにしていたはずのドアが勝手に閉まった。

 

 「お、おい、なんだよ、これ……」

 ドアを開けようと、押してもまったく開かない。今度は力一杯両手を突っ張らせたが、ドアはビクともしない。

 先ほどまで書かれていなかったはずの文字が電話ボックスの中に浮かぶ。


 『4本目、デ……、完成スル……』まるで血の色のような真っ赤な文字だ。


 背後でザザッーと水の流れるような音が響く。

 受話器からは、びちゃびちゃと濡れた音が漏れる。


 「ユウト……」

 低い声で名前を呼ばれた気がして、背筋が凍る。


 ど、どこだ、誰だ、名前……なんで?



 「お前……、ユウト……ッテ、言ウ……ノカ?」

 今度は明確に聞こえた。さっきの声とは違う。受話器からだ。びちゃびちゃと濡れた音の奥からしゃがれた声が聞こえる。不気味な声が自分の名前を呼ぶ。心臓が締め付けられるような恐怖で頭が真っ白になる。


 同時にビニール袋の中、エナジードリンクの空き缶からも、名前を呼ぶ声が聞こえた。先ほどの低い声だ。「ユウト……」




 「助けてくれ……!」

 今度はスリム缶から掠れた声が聞こえた。先ほどの低い声とも、受話器から聞こえたしゃがれた声とも違う。



 太い缶が低く唸りを上げる。ドクンドクンと脈打つ感触に思わず缶を落としてしまいそうになる。


 「ユウト……頼む、助けてくれ、……俺だ。タケシだ」

 は? タケシって、タケシ? あのタケシか? クラスで一番ガタイのいいヤツだった。いや、まさか、な。



 電話ボックスの中に、一段と冷たい空気が流れ込み、結露によって前後左右全面が一気に曇る。外の様子は全く分からなくなってしまった。

 床に先程までなかったはずの水たまりが突如現れ、ユウトのスニーカーを濡らした。


 なんだ、なんだこれ、ヤバいだろ、おかしいだろ、なんだよ、なにが起きてんだよ。

 

 まとわりつくような視線を感じてふと見上げると、水たまりの真上に何かの影が見える。そこから水が滴り落ちている。


 !!!


 逆さまに吊り下げられた人型の影だが、顔のあたりはぼんやりと靄がかかったようでしっかりは見えない。目玉だけがギョロギョロと光り、水草のような髪の毛から水が滴り落ちる。裂けた口からギザギザの歯が見える。吐く息がカビ臭い。ポタポタ水を垂らしながら、何かを訴えかけている。


 「ユウト……お前ユウトって言うのか? ユウト……4本目に、ナレ……!」



 逆さまのままゆっくり近づいてくる。ヤバい、これは、ヤバい。逃げないと、そう思ったけれども水たまりに掴まれた足は全く動かない。

 水草の髪がユウトに触れる。まるで生きているように絡みついてくる。べたべたとした気味の悪い、冷たい感触が頬に残る。


 「うわっ!!」

 焦ったユウトが電話ボックスのドアを叩くがびくともしない。外側からびちゃびちゃに濡れた手形が次々に現れる。


 もう、ダメだ。絶体絶命だ、大ピンチだ。この得体の知れないぬるぬるのギョロギョロに喰い殺される。ユウトが諦めかけた、その時




 「くっそ、ユウト、くそくそ、クソッタレ。お前、立て札のこと忘れたのかよっ」

 外から声が聞こえた、懐かしい声だ。



 「ケンジっ?!」

 何年も会っていなかったのにその名前が自然に口から出た。




 ケンジと、それから太っちょのタケシと中学卒業までつるんで過ごした。このつまらない村を一緒に出ようぜと誘ったけれども二人とも首を縦には振らなかった。


 「意気地なしどもめ」

 悪態をついて、背中を向けた。そしてそのまま一人で電車に飛び乗った。


 電話ボックスの中に外から細い灯り届く。その灯りがユウトの顔を照らす。おそらくケンジの懐中電灯だろう。

 電話ボックスの外からドンドンと鈍い音が響き、ケンジが何かで殴っているのだと分かった。

 続け様にドンドン、ガンガンガンという音が響く。電話ボックスに何かを叩きつけているのはケンジか? それともあの不気味な手形たちなのか。

 

 水の怪の目がギラリと光り、水草の髪がユウトの首に絡みつく。

 「お前、この村ヲ捨てた。お前この村ニ要らない。……4本目ニナレ。ユウト、4本目ガお前ノ家ダ」

 

 びちゃびちゃとした囁きが耳の奥に響く。

 確かに、オレはこの村を、ばあちゃんを、それから友達を捨てた。オレにこの村に戻ってくる資格なんて……。



 「バッカやろう、くだんねぇこと考えんな。要らねぇ奴なんていねぇよ」

 開かないドアの外でケンジが怒鳴る。電話ボックスを何かで殴り続けている。

 



 「ユウくん、助けて……」

 缶の中から女の子のナミダ声が聞こえる。アヤミ? 多分アヤミだ。村で一番可愛い女の子で、一度だけ教室で、触れるだけみたいなキスをした。あの日、オレがこの村を出る時、目に涙をいっぱい浮かべて駅まで見送りに来てくれた。


 そうすると、さっきの 「助けてくれ……!」っていう掠れた声はマコトか?


 ここでオレが諦めたらタケシもアヤミもマコトも、それからドアの外にいるケンジもみんなこいつに飲み込まれちまう。

 なんとか、なんとかしないと!!


 そうは思っても、どうすればこの髪の毛を振り解けるのか分からない。徐々に指先が痺れてきた。


 

 「ユウトっ! 電話を、受話器を逆さにしろっ! コードを上にだ。天地を正せって、ずっと前にじいちゃんが言ってた」

 ばあちゃんからそんな話を聞かされたことがあった。子供の頃に自宅の黒電話でばあちゃんが見本を見せてくれた。コードを上に、口を当てる部分を上に、耳を下に。


 パニックで手がガクガク震える。うまく受話器が掴めない。


 何度目かのチャレンジでようやく掴んだ受話器を逆さまにかけた。

 

 「逆さまにっ! 天地をっ、正すっ!」

 大声で叫びながら、受話器を逆さまにかけた。コードを上に……口に当てる部分を上に、耳を下に。


 「グォオオオォッ!!」

 水の怪の体がねじれ、水草の髪が暴れる。苦しそうに見える。受話器を逆さまにしたからか!?

 そいつは逆さまの姿のまま水たまりに吸い込まれるように崩れた。


 ボックス内に静寂が訪れる。





 ──ガチャリ。あれ程、固く閉ざされていたドアが簡単に開く。

 その場にへたり込んでしまったユウトの身体をケンジが怒鳴りながら引きずり出す。


 「馬鹿! 雨の夜はここに来んなって、立て札の忠告、忘れたのかよっ!ったく、バスの運転手さんから『ケンジと同じ年頃の青年を最終バスに乗せた、知らない子だった』って聞いて、もしかしてユウトなんじゃねぇかって思ったら、電話ボックスにとっ捕まってるし、この阿呆」


 ケンジに怒鳴られながらユウトは息を切らし、缶を握り潰さんばかりに震えていた。一瞬だけ、助かった、と思った。けれども手の中にある冷たいエナジードリンクの缶が、終わっていない、まだ助かったわけではないと、ユウトの心に激しく語りかけてくる。



 「ケンジ……俺だ、タケシだ。アヤミとマコトもいる。……助けて、助けてくれ」

 太い缶からタケシの低い声が聞こえる。

 


 「はっ? はぁ??? タケシ? なんで、こんな、なんだよ、缶の中って。お前らが山に行って帰ってこないって言うから探しに来たら、まさか、お前らもかよ、なんなんだ、なんだんだよ、ったく。全員まとめて阿呆の子供か」

 ケンジが呆れた声を出し。ユウトの手の中の缶を見つめる。



 マコトとアヤミが囚われているであろうスリム缶の表面に水草のような紋様が浮かび上がる。缶の飲み口からポタポタと赤い水があふれる。それはまるで血の色のようだった。遠くに聞こえていた川のせせらぎがザバザバとまるで追いかけてくるかのように急に音を強くした。



 「まだ、終わってねぇぞ、ユウト。タケシたちのことは必ず助け出す」

 ケンジが呟くと、ユウトの手の中で太い缶がドクンと動いた。



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