2.貧困街での暮らし。
――三年後、王都リュクス。
俺がオルクスとして生きていた頃から、諸々の名称は変わっていないらしい。貧富の差にも変化はなく、むしろ以前よりも広がっているようにさえ思われた。
より正確に言えば、貧しい者たちへの蔑視が悪化したらしい。
少しでも住処から外に出ると、彼らは石を投げられ、笑いものにされた。
「あぁ、おかえり。……イヴ」
「ただいま、アメリアさん」
そんな貧民の集まる居住区――いわゆる貧困街に、俺ことイヴは住んでいた。
三年の月日を経て、自身の身体能力は飛躍的に向上している。それでも日々の食事から摂取できる栄養素が少ないためか、一般的な同年代よりも背丈は小さいといわざるを得なかった。
だが、そのことを恨んだりはしていない。
身寄りのない俺を拾ってくれた女性――アメリアさんには、心の底から感謝している。あの日、森から上がった火柱を見て、駆けつけてくれた彼女がいなければ詰みだった。そして素性不明の赤子である俺を引き取って、三年も育ててくれたのだから。
「いつもありがとう。イヴは狩りが上手ね?」
「あぁ、昔取ったなんとか……って感じかな」
「あらあら、おかしなことを言うのね?」
俺が冗談交じりに真実を告げると、彼女は楽しげに笑った。
そんなアメリアさんに、獲ってきた獣の肉を差し出す。彼女はその肉を受け取ると、何度か頷いてからこう言うのだった。
「これなら、今日はご馳走ね! といっても、ソルトで焼くだけだけど」
「構わないよ。そりゃ、欲を言えば植物性の栄養もあるといいけどね」
「まぁ、どこでそんなこと、覚えてくるの?」
簡単な部屋の片づけをしながら、俺が返事をするとまたアメリアさんは驚く。
しかし『いつものこと』だと気にしないのが、おおらかな彼女らしい。首を傾げたのも束の間、少しだけ考えてから笑顔を浮かべてこう言った。
「それなら、せっかくだしイヴにお使いを頼もうかしら?」
「お使い……?」
◆
「……まったく。へそくりがあるなら、自分のために使えばいいのに」
俺は貧困街を歩きながら、手のひらに乗せた銅貨を見てそう漏らす。
どうやら、アメリアさんは俺の返事を『おねだり』と受け取ったようだった。どう考えても違うのだが、どこか抜けている彼女らしいといえば、彼女らしい。その上で厚意として任されたのだから、俺としては断ることができないのだった。
お使い――要するに、果物の類の買い出しだ。
渡された銅貨は三枚だけだが、これだけあれば十分だろう。
「問題は、馬鹿な輩に絡まれなければいいが……」
「バカな輩ってのは、誰のこと?」
「……アシュカ、か」
そう考えていると、気の抜けた声色で声をかけてくる人物があった。
声のした方を振り返ると、そこにいたのは煤けた衣服をまとった栗色髪の少女が一人。幼い顔立ちに、むき出しの膝には生傷が絶えない。名をアシュカという彼女は、その円らな青の瞳を輝かせながら小首を傾げて訊いてきた。
「ねぇねぇ、イヴはこれから買い物にいくの!?」
「あー、そうだけど?」
「わ! それなら、アタシも一緒に行っていいかな!!」
「………………」
俺はそれに、やっぱりそうなるか、と黙り込む。
このアシュカという少女は何故か俺に懐いていて、事あるごとに声をかけてくるのだ。今日こそは見つからないように、と思っていたが……どういうわけか、逃れられない。
しかし、こうなったら無視もできないだろう。
「分かった。その代わり、俺から離れるな――」
「わーい! ありがと、イヴ! だいすき!!」
「……言ったそばから、一人で走り出すなよ」
そのため、渋々ながら了承すると。
アシュカはまるで放たれた矢のように、街へと向かって走り出してしまった。俺はそんな彼女の姿に肩を竦めつつ、急いで追いかけ、一つ角を曲がる。
すると、その時だった。
「きゃ!?」
「……アシュカ?」
短い少女の悲鳴が聞こえてすぐ、俺の視界に――。
「あァ!? 貧民のくせに、街へ行こうだなんて考えてんのかァ!?」
「ふざけんなよ、この薄汚いガキが!!」
「街の平和は我々が守るであーる!」
やけに身なりの良い、三人の男がアシュカの前に立ちふさがる光景。
そしてその中の一人が瓦礫を手にし、彼女へ向けて投げようとする姿が見えたのは。
「…………!」
俺はとっさに駆けだし、投げ放たれた瓦礫を素手で受け止める。
危うくアシュカの顔面に直撃するところだった。
「おい、どういうつもりだ……?」
そんな事態にあって、俺は怒りを隠せずにそう三人組に問いかける。
すると、三人の中で最も恰幅と身なりの良い男が応えた。
「汚物は街に踏み入れさせない。それは基本原則であーる!」――と。
ふざけた口調だが、その視線はより鮮明に語っていた。
すなわち『貧民など人間ではない』という、腐りきった思想を。
「なるほど。……つまり、貴族様の戯れってことか?」
「戯れとは失礼であーる! 私は立派に、貴族としての職務を全う――」
「――うるせぇよ」
「……ぬぬ?」
俺はそんな相手の言葉を遮ってから。
残り二人の片割れに、瓦礫を投げ返して告げた。
「お前らだろ。最近、噂になってる王都立学園の落第生は」
すると、その呼び方が気に障ったのか。
三人は目の色を変え、うち一人がこう叫んだ。
「あァ!? その言葉を取り消せ、今すぐにィ!!」
「取り消さねぇよ、事実だろ」
だが、怯む必要などもない。
努力もできず、社会的に下の者に八つ当たりするクズ。
そんな奴らに対して遠慮する必要など、あるはずもなかった。
「アシュカ、離れてろ」
「……イヴ?」
「心配するな。……すぐに片付けるから」
俺は静かに貴族三人衆を睨みつけ、こう口にする。
「今も昔も変わらない。自分に甘い奴ほど、他人に文句を言うのは」――と。
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