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駐在員と市街戦  作者: 南風はこぶ
2/2

前篇 その1

 プロローグ


          1


 騒がしい足音が職員室の入り口で聞こえた。千葉県の中学教師である真壁進次郎(まかべしんじろう)が机に向かい、作成を終えた通信簿を見直していた放課後のことである。夏休みが数日後に迫っていた。

「貴様が社会科の教師か」

 唐突に男の声がした。椅子をずらし、何事かと真壁が振り向くと、三人の男が立っている。

「失礼ですが、どちら様ですか」

 不意の出来事に狼狽えながら、真壁は立ち上がった。見当はついている。昨日、授業中に大声で私語を始めた生徒の父親であろう。生徒の名前は山本といった。声を荒げたわけではなく、穏やかに注意をしただけなので問題になるとは思わなかったが、思い当たる節はそれしかない。

「何だと、この野郎。貴様の態度は何だ。ちゃんと立ち上がって、すいませんでしたと謝れないのか」

 父親らしい男が怒鳴り始めた。自分の子供のこととなると血相を変える親はいるものだが、それにしたところで異常な剣幕である。形相も凄まじい。

「落ち着いて下さい」

 真壁は背筋を伸ばし、目の前に並んだ三人の男達を眺めた。

「なぜ大勢の前で叱ったんだ。息子は傷ついたんだぞ。謝れよ」

 立ち上がったばかりの真壁の鼻先に、興奮した父親の怒声と唾が飛んでくる。

「何を息子さんが訴えたのかは分かりませんが、他の生徒の迷惑にもなることでしたから、教師としての責任上、注意をさせてもらいました。感情的に叱ったりはしておりません」

 やはり昨日の一件かと思いながら、やんわりと真壁は釈明した。

「言い訳するな。もう勉強はしたくないと息子が言っているんだ。おまけに、お前を刺し殺すとも言ってるぞ。息子の将来を台無しにしやがって」

 父親の興奮は収まらない。

「お前は生徒が可愛くないのか。そんなことで、よく教師が務まるもんだな。お前には教師の資格なんかないんだよ」

 父親の息づかいが、一層激しくなった。怒りが最高頂に達したようである。

「だったら、私はどうしたら良かったのですか。私語を見逃したままでは、授業は続けられませんよ」

 父親の一方的な言い分に、真壁は問い返した。父親は返事に窮している。真壁の反撃が意外だったのだ。

「なんやて、こらっ。いてまうぞ、われ。おのれは教育基本法に触れてんねんぞ。そのくらい分らんのか、どあほ」

 父親の不利を悟ったのか、ふいに隣にいた男が口を挟んできた。聞き慣れない関西弁を耳にしたせいか、思わず緊張が走る。

 真壁は恐怖を感じた。流行のパンチパーマに柄物の半袖シャツを着た、いかにもその筋風の男である。父親とどんな関係にあるのか疑問が湧くが、全く結びつけられない。

「たかが教師やないか。世の中の事なんぞ、われはなんも知らんやろ。青二才のくせしおって、偉そうな口きくんやないで。今に痛い目に遭うからな、覚悟しとけや」

憎々しげに唇をねじ曲げ、いかにも脅すように真壁の耳許で男が大声を出した。高飛車な男の言い草に苛立ちながらも、これくらいの言葉でへこむわけにはいかない。

「確かに半人前、青二才かもしれませんが、私は教師です。教師としての責任を放棄するわけにはいきません」

「ええか、新幹線でわざわざわしは大阪から来たんや。ここにおる兄弟の電話を今朝もろうてな。ええかげんなことぬかしとると、明日から街宣車で乗りつけるで。それでもええのか」

 平静を装いながら真壁が無視していると、根負けした関西弁の男は助けを呼ぶように隣の男に顔を向けた。



          2


 五十歳前後と思われる三人目の男が、関西弁の男を片腕で制して前へ出てきた。角刈りの髪型に紺色の背広の下には、白いワイシャツが見える。ノーネクタイであった。

「お前は偏向教育をしているそうじゃないか。父兄の噂になってるぞ」

 叱ったことを咎める父親とは全く脈絡のない内容を言いながら、男は肩を怒らせて真壁の目の前に立っている。痩せぎすな体型が、神経質そうな性格をにじませていた。

「本で読んだうわっ面の知識で、日本がアジアを侵略しただの、虐殺しただの、いい加減なことを教えているんだってな。これっぽっちの戦争経験もないくせに、どうしてお前なんぞにあの戦争のことを教える資格があるんだ」

 男の喉仏が上下し、腹から絞り出すように低い声を出した。ドスの利いた声、しかも命令口調である。男の目は少しも動かず、真壁を睨みつけていた。眼光の鋭さは並外れており、場慣れしている男だと真壁は感じる。

「学んできたことを、私は生徒に教えているだけです。失礼ですが、貴方のお名前を教えてもらえますか」

 怯みながらも、真壁は言葉を返した。相手の名前を真壁が訊いたのは、咄嗟の判断である。そうでもしなければ、言いたいことは山ほどあるのに、口から言葉が出てこないのだ。

「俺は山岸という者だ。文句があるなら、この場で言ってみろ」

 男は怒鳴り声を出しながら真壁との距離を縮め、執拗に真壁の目を覗き込んでくる。

 強面の男を真壁は苦手であった。喧嘩をふっかけられたも同然だが、如何せん喧嘩の経験はほとんどない。真壁は耐えられず、思わず目をそらした。しかし、山岸は依然として真壁を睨み続けている。

 どう対応したら良いのか、これ以上為す術を真壁は知らなかった。あるとすれば感情にまかせて相手に殴りかかるだけだが、人前で殴り合いをするほど理性は失っていないつもりである。

 いつの間にか、周囲には十人ほどの職員が集まっており、真壁の目に入っていた。しかし、気が動転しているのか、一人一人の顔を見ている余裕はない。

 一分、二分と静寂が場を支配した。誰も助け船は出してくれない。こんなにも自分は人望のない男だったのかと、我が身が恨めしくなってくる。

 そのうち、一人の声が聞こえた。

「偏向教育はいかん。山岸さんの言うとおりだ。謝りなさい」

 声の主は教頭であった。

「教師は中立でなければいけないはずだろ。それなのに君は何を教えていたんだ。君には教師の資格がないよ」

 間髪を入れずに教頭は言葉を続けた。山岸なる男にへつらうような言い方である。

「ほらっ、今の声が聞こえたか。お前が偏向教育をしていることを、みんな怒っているじゃないか。謝れよ。きちんと床に頭と手のひらをつけて、『申し訳ありません』と謝るんだ」

 教頭の叱りつける言葉に立ち往生していた真壁に向かって、山岸が勝ち誇った笑みを浮かべた。おどおどした真壁の様子を見て、楽しんでいるようにも見える。

「もたもたするな。土下座して謝れと俺は言っているんだぞ」

 一瞬にして薄笑いの表情を消し、眉間に皺を寄せ大声を出す山岸のこめかみには、血管が浮き出ている。真壁の膝頭は震えだしそうになっていた。

 催眠術にかかったように、真壁進次郎の思考は完全に停止している。

「今すぐにでもこいつを辞めさせろ。さもないと、この学校へ毎日押しかけるからな」

 真壁に向けていた姿勢を反転させ、威嚇するかのように背後の教職員をゆっくりと山岸が見回して怒鳴りつけた。誰一人、反論する者は現れない。

 再び山岸が真壁に向かって振り返ると、頭の中が真っ白になった真壁の目の前に、山岸の人差し指が突きつけられた。



    第一章


          1


 1985(昭和60)年九月六日、金曜日の昼、「東比貿易」マニラ支店の電話が鳴った。東京に本社を構える「東比貿易」は社員四十名余りの小さな会社とはいえ、国際入札の専門商社である。フィリピン共和国の首都マニラには、二人の日本人駐在員がいた。

 フィリピンの商売は激烈かつ特殊である。例えば、ほんの十数年前まで、水道メーターやバルブといった製品は日本勢が納めていたが、今は価格競争に負けてインドや中国に取られてしまっている。もはや素材に近い製品に、日本の商社が入り込む余地はなかった。

 一方、建設機械や車両などは日本勢の独壇場である。しかし、数少ない大手のメーカーは、一流の有名商社が商権を握っていた。それゆえ、「東比」のような小さな商社は、どの国へ行っても相手にされず、フィリピンも例外ではないはずなのである。

 ところが、フィリピンには戦後賠償からの流れがあった。戦後賠償とは、1951年の講和条約締結後に、独立した日本政府が東南アジア各国と結んだ、戦争被害への補償金である。そこに特殊な商社の暗躍する余地が残されており、その一つが「東比貿易」なのだった。

 昼飯時のため、電話の鳴る事務所に現地社員の姿は一人として見られない。閑散とした事務所の大部屋で、クリーム色をしたシーメンス社製の受話器を取ったのは、赴任して五日目の新米駐在員、真壁進次郎である。三十歳を目前にして中学教師を辞め、「東比」へ入社してから五年余りの月日が過ぎていた。

 真壁が受話器に耳を当てると、ピッピッと電波音のような雑音が入り、国際電話だと直ぐに分かる。はたして東京の本社からであった。緊張のあまり、一瞬、真壁の首すじがひきつる。

「藤原君はどこにいる」

 電話の声の持ち主は栗山部長だった。かなり怒っている様子が感じられ、真壁の心臓は凍りつきそうになる。栗山部長はワンマンそのものの人物で、年齢は五十を超えていた。真壁が本社にいた五年間は毎時間のように怒鳴り散らされ、部長の声は恐怖の的になっている。

「先ほどお出かけになりましたが、行先は分かりません」

 椅子を蹴って立ち上がり、真壁はまっすぐに背筋を伸ばした。

「馬鹿野郎。支店長がどこへ出かけるかくらい、なんで訊いておかないんだ。お前は商社員失格だぞ」

 電話口から大きな怒鳴り声が響いてくる。

 小さな商社に余剰人員を抱えている余裕はない。一を聞いて十を知ること、何でもこなすこと、そつなく気配りのできることが、当たり前のこととして全社員に要求されている。上司は無論のこと、隣の同僚が何をしているかも分からないのでは、商社マン失格というのが「東比」の社風なのであった。

「申し訳ありません。今後は気をつけます」

 流れ出る額の汗を手で拭いながら詫びを入れ、真壁は部長の次の言葉を待った。エアコンの音が耳に響き、胸の動悸が激しくなってくる。

「仕組まれているぞ。どうするんだ」

 不機嫌そうな大声が続け様に聞こえてくる。仕組まれているとは何のことか、支店長の行先から話が変わり胸をなで下ろしたものの、何を部長が言っているのか見当がつかない。

 それでも瞬時に頭を巡らせていると、日本の円借款による「漁港近代化プロジェクト」の案件が閃いた。

「冷凍施設のスペックが、アンモニア冷凍法になっているんだよ。メーカーは三社しかないぞ。みんな押さえられている。どうするつもりなんだ」

 真壁を追い詰めるように、栗山部長が更に語気を荒げた。

「確かに私が担当になりましたが、支店長から入札スペックの入手を言いつけられたのは、ほんの四日前なんですが」

 藤原支店長の指示通りに動いているだけで、自分の責任ではないと真壁が言い訳しようとすると、

「何が四日前だ。君がそっちへ行ったのは一週間も前のことだろ。もたもたしていると、日本へ呼び戻すからな。とにかく、今日中に今後の対応を報告しろ」

 部長の電話が切れた。「日本へ呼び戻す」とは、解雇のことである。使い物にならなければ首にするというのは、何事につけても余裕のない、小さな商社ならではの厳しさであった。



          2


「東比」の主な取引先であるフィリピン政府の買い付けは、入札の形態を取っていた。主な資金源は、アジア開発銀行、世界復興銀行、円借款、無償供与などである。

 入札というのは、価格の最も低い会社が優位となる。それゆえ、価格的に競争力のあるメーカーとタイアップするのが、受注への近道であった。しかし、一番札であっても、それは優先的に交渉権が与えられたというだけで、契約が決まったわけではない。

 価格で負けても契約を取るためには、スペックの作成段階から客先に介入するのが、その第一歩であった。いち早く買い付け情報を入手し、特殊なスペックを持つメーカーを押さえるのである。「特殊」というのは、日本で三社しか製造していないとか、機械が縦型とか横型とか、とにかく他社が排除しやすいスペックということになる。

 このような特殊スペックを客先に採用させておけば、三番札、四番札、時には七番札、八番札であっても、スペックを口実に入札審査にいちゃもんをつけられる。値段が高いのはスペックの違いがあるからであり、スペックに合っていない応札社は全て失格にすべきと工作できるわけだ。

 勿論、内部の入札審査に介入するのであるから、普段からの客先との密接な関係が必要となる。入札情報の先取りから契約を結ぶまでの裏仕事が、「東比」駐在員の腕の見せどころなのであった。

「まいったなぁ」

 思わず真壁の口から声が出た。「漁港近代化」の案件は、真壁が本社にいた二年前から情報があり、同僚の赤城が担当していたものだ。その間にスペックが仕組まれていたのだから、悪いのは日本にいる赤城の対応が弱かったのか、マニラ支店がきっちり動いていなかったのか、いずれかになる。

 今回の「漁港」案件のように、コンサルタントが日本企業であることもあり、参加社の限られている円借款入札では様々な仕掛けが可能なはずだった。赤城の上司で東京にいる栗山部長こそ的確な指示も与えず何をしていたのかと、真壁は疑問に思う。マニラ支店の対応もおかしいが、本社の対応もおかしいのだ。

(俺が赴任したのは、九月一日の日曜日だぜ。一週間前どころか、ほんの五日前だ。なぜ俺が怒られるのか、さっぱり分からん。俺じゃなく、支店長に文句を言えば良いのになぁ)

 心の内で真壁は毒づいた。漁港プロジェクトの担当を藤原支店長から命じられたのは、マニラ支店に初出勤した九月二日で、公示前に入手した入札書類を本社へ送ったのは二日前の九月四日である。真壁の初仕事であり、うまくやったと真壁は思っていた。

 公表されていない入札書類を手に入れるのは、いくら規律の緩いフィリピンの役所といえども容易ではない。酒を飲ませさえすれば、金さえ握らせれば簡単だろう、と思うのは大きな間違いである。人間というのはそんなに甘くない。プライドがあるのはフィリピン人も同じであり、嫌われたら口もきいてもらえず、信用できないと思われたら金の話も出来ないのだ。

 運良く今回はプロジェクト事務所のエンジニアに近づき、初日から食事に誘い出すことが出来た。初対面で嫌われてしまえば、スペックどころか今後の情報すら取れなくなる。細心の注意を払い、相手との距離を縮めた成果であった。

 俗に仲良くなると言うが、文化も言葉も違う人間同士であり、初対面から友人になどなれるわけがない。自分が相手の利益になると思わせるのは当然だが、それ以上に大事なのは人間的に信用がおけると感じてもらうことだと真壁は思っている。スペックを入手したのは、一緒に食事をした翌日の夜のことだった。

 真壁は気が気ではない。部長は今日中に報告しろと言う。すぐにでも漁港プロジェクトのオフィスへ出かけたかったが、赴任早々の真壁は、支店長の許可なく動くことが禁じられている。栗山部長からの電話内容を報告しようと支店長に連絡を取りたくても方法はなく、「漁港」事務所の閉まる時間を気にしながら、真壁は支店長の帰りを待つことにした。

「東比」生え抜きの社員である藤原支店長は、今年四十五歳になる。ゴルフ焼けした黒い顔と、バロン・タガログといわれる白い現地服が似合う人物であった。

 午後四時頃になって、ようやく藤原が戻ってきた。真壁は足早に支店長室へ出向き、部長の電話内容を報告した。

「漁港プロジェクトは、お前が本社にいた頃からの案件だろう。なぜ具体的な指示をマニラへよこさなかったんだ。しかも、アンモニア冷凍法のメーカーが三社しかないなんて、俺の知ったことか。とにかく今はお前が担当者だ。他の商社に出し抜かれて、『どうしましょうか』なんて、俺に泣き言を言うな。自分の頭で考えろ。いつまでお前は先生のつもりでいるんだ」

 自分の責任を感じている様子は全くなく、平然とした顔で藤原は真壁を見つめ返している。

(いくら本社にいたといっても、俺は担当じゃなかったんだぜ。それなのに責任を俺になすりつけるとは、どういうことだ。俺が『漁港』担当になったのは、ほんの四日前じゃないか。あんたのフォローが悪いからライバル商社に出し抜かれたんだろうに。おまけに俺のことを「先生」などと茶化しやがって)

 真壁は怒りを耐えていた。藤原が真壁のことを「先生」と言ったのは真壁の前職が中学校の教師だったからだが、勿論、尊敬しているからではなく、世間知らず、ビジネスには向いていないと馬鹿にしているのである。



          3


「急いでいるので運転手を借ります。それから、漁港事務所のエンジニアを接待しますので、夜は遅くなります」

 大至急であり、自分の頭で考えろと言われたことで、躊躇いながらも真壁は思い通りの要求を藤原にぶつけた。

 真壁が躊躇ったのは、支店に一人しかいない運転手を借りてしまえば、二人が会社の宿舎で同居していることから、社に二台ある残りの一台の車を藤原自らが運転して帰宅せねばならないからである。しかも、早く現地の免許に書き換えろと今朝もせかされていたのに、忙しさにかまけて陸運局へ行っていないからだった。事故を起こした場合のトラブルを恐れ、大手商社では日本人社員が運転するのを禁止しているのだが、現地社員に知られたくない裏の仕事が多い「東比」では逆なのである。

 藤原が頷くのを確認して、真壁は「漁港近代化」の事務所へ向かった。

(何が「先生」だ。俺をからかいやがって。部長にしても、二言目には呼び戻すだなんのと脅しやがって。辞めさせたいのなら、こんな会社はいつだった辞めてやる。しかし、五年も俺は辛抱してきたんだ。今更、首になってたまるか。俺だってやる時はやるんだ。なんとしても一人前の商社マンになって、いつか見返してやるぞ)

 藤原の皮肉な言い草や部長の脅し文句を思い出しながら、真壁は自らに活を入れた。自分がただの元教師、ただの中途入社社員でないことを、部長や藤原に見せつけてやらねばならない。

 役所は車で十分ほどの、「東比貿易」の支店と同じケソン大通りにあった。

 やるべきことは分かっている。出入りしている商社を洗い出し、どの商社が仕組んでいるのか、入札スペック変更の可能性があるのかを調べて本社へ報告することだ。具体的な対応は、その後にすれば良い。

 訪問相手はエンジニアのホセ・パブロだった。ホセは公示前のスペックを入手した人物で、食事に誘ったその夜、「俺の愛人だ」という女を連れてきた。お互いを知る前に自分の弱みを見せているのに等しい。無防備な奴だと思いながら、真壁はビールを飲んでいたものだ。

 役所の入り口にいる警備員に五十ペソ(五百円相当)を渡し、目の前の机に置かれた出入記録簿をじっくりと真壁は見せてもらった。市販されている縦長のノートが記録簿で、ボールペンで線引きされた欄に入退室の時間、会社名、氏名が記入されている。

 三十分前に、「洋々通商」の小川という人物が訪れていた。退出時間が書かれていないので、まだ役所の中にいることになる。「洋々通商」は、「比立産商」、「東比貿易」とともに円借款の入札に参加する常連の商社で、これらの三社は業界では「御三家」と呼ばれていた。徳川の御三家をもじった、マルコス大統領の御三家というわけである。

 建物の中へ入ると、退社時間を間近にした役所の薄暗い廊下は、行き交う人で混み合っていた。出入りの業者もいるのだろうが、この国では公務員の雇用が失業対策にもなっている。縁故採用も大っぴらで、課長や部長に昇進すると自分の親類縁者を雇い入れるため、どこの役所も職員が多いのだ。

「よおっ、『東比』さん」

 白いバロン・タガログを着た男が、すれ違いざまに右手を上げて声をかけてきた。出入記録簿にあった「小川」だと、すぐに見当がつく。真壁より四、五歳年上のようだ。まだ一度も会っていないのに真壁が「東比」の社員だと知っているのは、さすがに情報を売り物にしている商社マンである。

「余計なお世話かもしれんが、この案件は注意しろよ」

 ビジネスマンらしい愛想笑いを浮かべて、小川が言った。

「それは脅しですか」

 皮肉っぽく、半ば冗談めかして初対面の相手に真壁は言葉を返した。

「脅しではないが、ちょっと厄介なことになるかもしれんと言いたいのさ」

 さらに何か言いたげな様子を見せて、小川が真壁を見つめた。

「恐縮ながら、厄介なことというのは何ですか」

 真壁は小川を睨む素振りを見せながら、次の言葉を待った。

「とんでもない裏切りがあったのさ」

 そう言うと小川は話を止め、我に返ったように表情を引き締め、それから再び口を開いた。

「申し訳ない。今日は急いでいるんで、話はここまでだ。どこかでまた会うだろうから、その時にでもゆっくり話そうや」

 小川が背を向けて役所から出て行った。ライバル会社の真壁に、少し喋りすぎたと反省したのであろうか。

 厄介なこととは何か、裏切りとは何か、もう少し小川の話を引っ張り出せなかったかと反省するものの、うかうかしていると役所が閉まってしまう。真壁は事務所へと急いだ。



          4


「マビニへ行く用事があるので送ってくれよ」

 真壁の顔を見るや否や、グッドタイミングとばかりにホセが目を輝かせた。今日もまた愛人と落ち合うつもりなのか、上機嫌である。

 マビニへ向かう道路は渋滞していた。時間を持て余しているのか、これからのデイトでよほど気分が良いのか、助手席に座った真壁の後部座席でホセは饒舌気味である。

 ホセは得意げに色々と語った。時には誘導尋問を交えて一つ一つ聞き出した話を、真壁は頭の中で整理する。


 1.プロジェクト事務所を二年前から頻繁に訪れているのは「洋々通商」であること

 2.アンモニア冷凍法を採用したのは値段が安いからだが、ガス漏れなどの安全面で問題があること

 3.プロジェクトのサイトは四か所予定されているが、すべて土木工事が必要であり、物価が高騰して四か所のサイトに冷凍施設を作るには政府の資金が不足していること

 4.したがって機材だけは円借で賄っても、インストレーション (据え付け) の費用がなければどうにもならないこと

 5.予算が足りないとなれば、円借をキャンセルするか、借款条件を変更してサイトを縮小するかのどちらかになるが、政府間で合意した内容を変更するのは難しいこと

 6.仮にサイトの縮小を日本側が承知しても、建設を期待していた地元の猛反発が起こり、この国の国会議員を巻き込んでの大騒ぎになり、下手をすれば死人も出ることが予想されることから、どのサイトを縮小するかは簡単に決められないこと

 7.そんな事情から、入札は予定より遅れること


 話を聞きながら真壁は考えていた。

 出入りしている商社が一社となれば、この案件は「洋々通商」が仕組んだと断定できる。なぜなら、入札規則により参加できるメーカーは一品目一社に限られており、今回のようにアンモニア冷凍法のメーカーが三社しかないとなれば、「洋々通商」はダミーの商社を立てて三社全てを押さえてしまえば良い。ダミーの商社は「洋々」からスペックをもらってメーカーを押さえ、裏で談合の口銭を稼ぐのである。

 現状では「東比」の出る幕はない。しかし、入札が大幅に遅れるとなれば、何とか談合を壊すことも考えられる。最良の方法はスペックの変更だが、円借の入札には日本のコンサルタントが入っており、そのコンサルタントと「洋々」が裏でつるんでいればまず不可能である。

「ひとつ思い出したぜ。三ヶ月前から、『ホンエイ商事』の『カゲヤマ』という日本人が頻繁に顔を見せているよ」

 マニラ市内の交通渋滞を抜けてようやくマビニへ着いた時、捨て台詞のように言ってホセが車を降りた。「ロビンソン・ショッピングセンター」の入り口前である。

 帰宅者を鈴なりに乗せたジープニー(乗り合いバス)が、一方通行のマビニ通りを埋め尽くしているのを眺めながら、真壁は更に考えていた。

 いきなり日本の大手商社「ホンエイ」の名前が出てきたものの、三ヶ月前からの出入りとなれば、あまりに遅すぎる。やはり、「漁港近代化」は「洋々」が仕組んだ案件なのだろう。

 しかし、いったんはそう考えたものの、「漁港近代化」の役所で会った小川の言葉が気にかかる。「厄介なことになるかもしれない」、「とんでもない裏切り」とはどういう意味なのだろう。

 円借の入札に大手商社が参加してくるのは稀であるが、二年前にアキノ元上院議員が暗殺されてからフィリピン経済は停滞し、軒並み政府入札が延期されている。ビジネスチャンスが少なくなっている今、「漁港」のように百億円の予算が付いた大型案件となれば、大手商社が指をくわえて見ている道理はない。

 もし大手商社の「ホンエイ」が乗り込んでくれば、円借款の元締めである「海外経済協力基金」や日本大使館を巻き込んでの大乱戦になる可能性がある。「洋々」が仕掛けた案件なのは間違いないとしても、小川の漏らした言葉が頭から離れない。部長へどう報告するか、真壁は頭を悩ませた。



          5


 ホセと別れると緊張感が崩れ、接待の必要もなくなったことで急に真壁は空腹を覚えた。既に夜の七時を回っている。

 近くに日本料理屋があるのを思い出し、真壁は向かった。そこは昨晩も藤原に連れられて食事をした店で、四十五歳前後の日本女性が経営している。味が良いから来ていると藤原は言っているが、女将のさっぱりとした気性に加え、ほんのりと漂う色っぽさも魅力だった。

 運転手に二十ペソ(邦貨にして二百円相当)の食事代を渡し、暖簾をくぐって真壁が「鳥羽屋」に入ると、煮物と焼き魚の混ざった日本の匂いが鼻に染み込んでくる。店内は右側に四つのテーブル、左側に五人ほどが座れるカウンターと厨房があるのだが、観光客のグループで賑わっていた昨晩と違い、その夜は三人の客がテーブルにいるだけだった。

「今夜は一人なの」

 顔を覚えていたらしく、ジーンズにエプロン姿でテーブルの客に配膳をしていた女将が振り向き、真壁に問いかけた。豊かな腰の線が、真壁にはやけに艶めかしく見える。夜になってもマニラの夜は蒸し暑く、まだ三十度の気温を上回っており、ハンカチで汗をぬぐいながら「はい」と返事をして、真壁は頷いて見せた。

「うるさい人が一緒でなくて良かったわね。ゆっくりしてらっしゃい」

 藤原のいた昨日は、よほどしょぼくれた顔をしていたらしい。そんな有様を女将が覚えているのかと思うと、恥ずかしさのあまり、真壁は逃げ出したくなる。

 カウンターの椅子に座ると、安ど感に似た溜息が漏れた。それなりの情報がつかめたという達成感と、もうじき一日の疲れから解放される喜びである。

「何を召し上がる」

 いつの間にかカウンターの向こうに回った女将が、真壁の前に顔を突き出した。

「ビールを頂きたいところですが、まだ仕事が残っているので、食べるだけにしておきます」

 女将の差し出したコップの水で喉を潤してから、真壁はおでんを注文した。これから支店へ戻って報告書を書くとなれば、アルコールを飲むわけにはいかない。部長とのやりとりは、電話であろうが書面であろうが、喧嘩と同じなのだ。酔った頭で、真剣勝負など出来るはずがない。

 おでんが出てくるのを待つ間、どのように報告書を書くべきか真壁は考えた。先ほど仕入れた情報をそのまま伝えたのでは、何を言い出されるか分からない。かといって自分の推測を入れたのでは、「君の推測など要らん」と叱られるだろう。

「昨日は随分とお小言を頂戴していたわね。たまには言い返してやらなくっちゃだめよ。あんなに偉そうなことを言ってたけど、藤原さんだって陰では何をしているか分かったもんじゃないんだから。赴任したばかりの今は大変でしょうけど、何ヶ月かすれば慣れるから安心しなさい」

 ざっくばらんに話しかけてくる女将に、真壁は軽く頭を下げた。

 マニラに赴任して以来、日本とは全く違う仕事や日常生活に戸惑うばかりで、精神的にまいっている。しかも、毎日のように繰り返される藤原の説教が、ボクシングのボデー・ブローのように効いていた。試合開始早々なのに、もうノック・ダウン寸前である。そんな真壁の心理状態が顔に出ているのに違いない。女将の言葉に、つい涙腺が緩みそうになった。

 どうして自分は仕事ができないのか、自虐の念が頭を駆け巡る。もっと英語を勉強しろ、情報量が少ない、仕事の効率が悪いと藤原から叱られていたのは、昨日の晩、まさにこの店でのことだった。

 真壁にも言い分はある。客先訪問前に約束を取ろうとしても、回線や受話器が不足しているのか電話が通じない、交通渋滞がひどい、約束の時間が守られないといった具合なのだ。

 次第に鬱々としてくる気分を抱えて、結露に濡れたコップを真壁は握りしめた。

「まさか日本へ帰りたいなんて思っていないでしょうね」

 おでんの盛られた皿をカウンターに差し出しながら、真壁をたしなめるような口調で女将が言った。

「大変だと思うのは今のうちだけよ。マニラで働いている駐在員の人はね、任期が切れる頃になると、帰りたくない、帰りたくないって、みーんなこぼすんだから」

 疲れ切った様子の真壁を励ますように、女将が微笑んだ。

 そんなものかと思いながらも、女将の言ったことには半信半疑である。温度も湿度も異常に高く、治安も悪く、道路や電力事情も悪い。おまけに、雨が降れば街中は洪水になる。そのうえ、言葉が不自由となれば、この先、何年住んでいようと、帰国したくないと自分が言い出すことなどあるのだろうか。

「個人的なことを訊いてもいいかしら」

 割り箸を握っておでんに手をつけようとした真壁に、女将が神妙な顔をして話しかけてきた。



          6


「学校の先生をしていたんですってね。どうして辞めちゃったの。学校の先生といえば、安定した職業なのに」

 思いがけないことを訊かれて、真壁は戸惑った。藤原から聞いたのであろうが、素直に答える気にはなれなかった。教師を辞めた時の屈辱感が、今もって消えていないのである。

「六年間、千葉県の中学で社会科の教師をしていたんですが……」

 優しく接してくれる女将の質問を無視できず、真壁は話し始めた。

「授業中に騒いでいた生徒を、その場で叱ってしまったんです。翌日の放課後、叱った生徒の親が職員室に乗り込んできましてね、大事な倅を人前で叱るとは何事だ、息子は傷ついたんだぞ、謝れと、ものすごい剣幕だったんですよ」

 真壁の説明に、女将がかみついた。

「それはおかしいんじゃないの。だって、授業中に生徒が騒いでいたんでしょ。他の生徒のことがあるんだから、静かにするように叱るのは教師の責任だと思うけど」

 女将が口を尖らせ、不満そうな顔を見せた。

「今は時代が違うんですよ。景気が良いですからマイホームが当たり前になり、子供には自分の部屋があって、親が干渉出来ない時代になっているんです。自分勝手な子供が増えるのは、当然の理なんでしょう。

 まぁ、この程度の文句は覚悟していたんですが、他にも父兄らしい男が一緒にいて、色々と説教されました。たかが教師のくせに一人前の口をきくな、お前なんぞは世の中がどんなものだか知らないだろ、世間知らずの青二才とは、お前のような奴を言うんだなんてね」

「でも、そんなことを言われただけで教職を諦めるのは、ちょっと無責任じゃない」

 納得しないのか、女将が眉をひそめる。真壁は話を継ぎ足した。

「世間知らずという言葉に、私は反応してしまったんです。学校という温室を卒業し、学校という温室で生きている教師は、世の中の厳しさ、つまり社会を知らないことに引け目を感じているものなんですよ。特に私は社会科の教師でしたからね、そんな思いが人一倍強かったんだと思います」

「それにしても、辞めることはなかったんじゃないのかなぁ」

 カウンターの向こうで女将が料理の手を止め、非難するような眼差しを真壁に向けた。

「おっしゃる通りかもしれません。世の中の厳しさを知らずに温室で生きている事に対する、私のコンプレックスが強すぎたのでしょう」

 真壁は顔をしかめて見せた。真壁の呼吸が次第に乱れてくる。

 真壁の言葉が聞こえなかったように、女将は無反応であった。とってつけたような真壁の説明に、真壁の苦衷を察したのだろうか。



          7


真壁は嘘をついていた。正確に言えば、嘘をつかざるを得なかった。社会を知らない劣等感から解放されたくて辞めたというのは、あまりに見え透いており、綺麗事なのは真壁にも分かっている。

 なぜ辞めたのかと己に正直に問えば、あまりにも恥ずかしく惨めな気分になった。そのために、辞めた本当の理由を真正面から考えるのは苦痛であり、この五年間を自分を欺しながら生きてきたといっても良い。

 核心には触れていないと自覚しつつも、辞める決意をさせたと思しき理由は三つあった。

 ひとつ目は、辞めなければ毎日押しかけるという言葉である。校門の前に街宣車が乗り付け、大型のスピーカーから大音響でがなり立てる日が続きでもしたら、学校や生徒に迷惑がかかると思ったのだ。

 二つ目は、偏向教育をしていると詰め寄ってきた背広姿の男に、怯んでしまったことである。あの時、かろうじて膝が崩れ落ちるのを我慢していたが、教頭の叱責する言葉が聞こえると、集まっていた職員の前でふいに涙を流したことを思い出す。

 三つ目は、なぜ誰も助け船を出してくれないのか、俺は独り相撲をしているのかといった孤独感に襲われたからである。

 思い起こせば、涙ばかりではない。山岸と名乗る男から指を突きつけられると、走って職員室から逃げ出してしまったのだ。

(どうしてあんなにみっともない、逃げ出すような真似をしてしまったのだろう)

 真壁は唇をかみしめずにはいられなかった。忸怩たる思いと共に、取り返しのつかないことをしてしまったという痛恨の念が蘇ってくる。

(もういい加減にしろ。いちいち格好つけるなよ。自分でも分かってるんだろ、俺が臆病者だってことを。しかし、どうしたら良いんだ。こんな性格はどうしようもないじゃないか)

 商社に勤め始めてからも、折りにつけ同じ問いを真壁は胸の内で繰り返していた。頭の中に蘇るのは、偏向教育をしていると自分を責めた山岸の顔と凄みのある声である。

 欠勤する真壁を心配して先輩教師の多田が電話をくれたのに意地を通し、数日の欠勤後、辞職を止める校長の言葉にも耳を傾けず、強引に真壁は退職届を出してしまった。夏休みになる学期末まで日が間近であったこともあるが、学年半ばにして辞めるというのは無責任な行為であったかと、今は心ならずも反省している。

 教師を辞めた経緯を女将に話している時から、沼林景子の記憶が蘇っていた。同じ時期に連続して起きた出来事ではあるが、それだけではなく、教師を辞めた真壁を、精神的などん底に突き落とした女性だからである。

 沼林景子は四歳年下で、当時、交際していた恋人であった。父親は県の高校教師をしていたと記憶している。真壁と景子は同じ中学の教員で、彼女は英語を教えており、いずれ結婚しようと約束していた仲だった。ところが、騒動の数日後、真壁が彼女へ電話をして退職したことを伝えると、「好きな人ができた」と言われ、そのまま別れてしまったのである。

 真壁は景子を追いかけなかった。未練たらたらでありながらも、自分が職員室から逃げ出したことを彼女は知っているはずで、そんな後ろめたさからくる恥ずかしさ故に、声がかけられなかったのである。しかも、無職となり収入のなくなった自分の立場を考えると、幸せな家庭を夢見る彼女に翻意を促す勇気が出なかったのだ。

 それでも別れた直後、二度ほど景子の自宅に電話をかけた。いずれも母親が電話を取り、「貴方とは話したくないと娘が言ってます。もう電話をかけてこないで下さい」と言われたものだ。

 沼林恵子との別れは精神的に大きなダメージとなり、一ヶ月ほど食事が喉を通らなかった。何もかもが億劫になり、生きる気力が薄れた真壁は体も精神も衰弱していく。千葉のアパートでせんべい布団にくるまり、このまま死んでしまおうかとも考え始めた。

 ところが、意識が朦朧としている明け方、閉め切ったはずのカーテンの隙間から僅かに朝日が差し込み、目を見開いた真壁に突如として怒りが湧いてきた。偏向教育だの毎日押しかけるだのと真壁を脅した山岸や関西弁の男、へつらうように言葉を発した教頭の声が腹立たしく蘇り、真壁の心に火が点いたのだ。生きる本能とでも言うのだろうか、どん詰まりになると人間は力が出てくるのかもしれない。

(こんなことで死んでたまるか。俺は強くなってやる。世知辛い世の中に出て、山岸や沼林恵子を見返してやるんだ)

 真壁は奮起し、怒りが冷めやらぬうちに職探しの行動に出た。幸いにも日本経済が右肩上がりに成長しており、求人難の時代である。早速、購読している新聞の求人欄を見ると、「商社員募集。海外駐在希望者歓迎。年齢三十迄」とあった。恋愛に懲りた真壁は、自らを鍛え直そうと迷わず応募し、今に至っている。



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「あなたも、いろいろ苦労したみたいね」

 真壁がおでんの皿から顔を上げると、しんみりとした眼差しで、女将が真壁を見つめていた。思いやるような目つきである。

 入社早々は、随分と恥をかいた。「東比」は入札専門商社ではあるが、社長の顔が利く大手商社から仕事をもらうことがある。主として右から左へ輸出するだけなので、貿易実務の訓練と称して新入社員が担当させられていた。

 初めて真壁が任せられたのは、シンガポール向けの工作機械である。先輩社員の指導に従って、「オーシャンフレイト(海上運賃)」や「エックスゴーダウン (倉庫渡し)」の見積もりを出すように言われても算出方法が分からず、更には「エル・シー (L/C=銀行信用状)」だの「エフ・オー・ビー (FOB=本船渡し)」だのといった貿易用語を言われてもちんぷんかんぷんで、「なんだ、そんなことも知らないのか」と何度も馬鹿にされ、罵倒されたことを思い出す。

 貿易知識の不足だけではない。教師上がりの真壁は英文タイプが打てず、新人社員の仕事であるテレックス送信用の鑽孔テープを作るのにも手間取った。最終電車で帰宅するのは当たり前で、時には終電に間に合わず、空きっ腹を抱えて冬の寒い朝を社内で迎えたこともある。

 しかし、どんなに辛くても眠くても、毎朝、一時間早く出社し、貿易用語を学習したり英文タイプの練習に打ち込んでいるときだけが、心安まる時間だった。一、二ヶ月前の惨めな思いを忘れていられるからである。

 五年の本社勤務を経て、恋の痛手は薄れていった。他にも自分が変わったと思うことがある。それは他人に対する甘えの克服であった。毎日、毎時間のように部長に怒鳴られ、同僚社員に分からないことを訊けば馬鹿にされ、罵倒されていると、他人は当てにならない、他人に甘えることなど愚の骨頂だと、身を以て学んだのだ。

 おでんを口に運びながら、真壁は考えていた。

(俺が教師を辞めて商社に入ったのは、社会を知るためなどではなく、もっと強くなるためだったはずだ。それなのに、今以て栗山部長、藤原支店長の前では何も言えない自分がいる。何も変わっていないではないか。いつまで俺は臆病なままでいるんだ)

 自分の心の問題に正面から向き合おうと思うのだが、どうしたら抜けだせるのかが分からない。その夜もまた、真壁は心許ない思いを抱えていた。

「あなたは私の弟に似ているわ。痩せていて、肩幅が広いところなんか、そっくりよ」

 次々に大根、竹輪とほおばりながら空きっ腹を満たしていると、女将が真顔になって言った。

「本当ですか。実は私には姉がいて、女将さんにそっくりなんです。七歳年上で、瑠璃子というんですが、美人でね」

 真壁には姉がいた。面倒見の良い姉だったせいか、子供の頃から母親よりも親しみを感じている。

「嬉しいことを言ってくれるじゃないの」

 女将が笑い顔を見せた。



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 翌朝の土曜日九時、宿舎から藤原とともに支店へ出社した真壁に、事務所へ導入したばかりのファックスで昨晩遅く送った報告書に対して、栗山部長から電話があった。マニラとの時差が一時間あるので、東京は午前十時である。

「君の報告書を読んだがね、こんなものでメーカーを説得しろと俺に言うのか。馬鹿にするのも、いい加減にしろ。仮に談合だとしても、『あなたは騙されているんです。こちらへ鞍替えしませんか』といったところで、そんな話に誰が耳を傾けるというんだ。

 それに、大手の『ホンエイ』が出入りしているとなれば、どんな動きをしているのか、もう少しまともな報告書を送ってこい。俺たちは勝負に勝たねばならんのだぞ。情報というのは、勝つためのものなんだよ。勝つためには先を読まねばならんのだ。現状を分析するだけだったら、そんなのは評論家の仕事だぞ。駐在員の仕事とは言えないんだからな」

 矢継ぎ早に言いたいことだけを言うと、話にならんとばかりに部長が電話を切った。

<漁港の件 昨晩、プロジェクト事務所のホセ・パブロに面談。彼によると、プロジェクト部長のところへ出入りしている商社は、「洋々通商」と「ホンエイ商事」の二社のみで、「洋々」は二年前から、「ホンエイ」は三ヶ月前から頻繁に訪れているとのこと。アンモニア冷凍のスペックを採用したのは価格の安さからであるが、政府の予算不足からジョブサイトの縮小を検討しているため、入札は予定より遅れるらしい>

 自分が送った報告内容を、拙い文章と知りつつも頭の中で真壁は反芻した。反省点がいくつもある。真壁の送った報告には、商社マンとしての基本、つまり三つの「裏」のうち二つが欠けているのだ。三つの裏とは、「情報の裏を取る」、「事情の裏を知る」、「動きを知られぬように裏で動く」といったことだが、情報の裏を取るには、信頼の置ける、複数の情報源が要求されるのに、真壁はホセとしか接触しておらず、しかもプロジェクトの裏事情にも触れていないとなれば、報告の信憑性も要点も抜けていることになる。

 部長の指摘はもっともなのだ。駐在員たるもの、本社が動ける情報を送らねばならない。藤原から「先生」と茶化された屈辱の記憶が蘇る。

 現地社員が出払った支店の机に向かい、どうしたら良いものかと真壁は腕組みをし、大きく溜息をついた。はたして、「洋々」が頭になって談合を仕掛けており、その談合に「ホンエイ」が加わっているのか、それとも「ホンエイ」が単独で動いているのか、単独で動いているとすれば、どんな作戦を取ろうとしているのか、どんな情報を仕入れれば、商社を「東比」に鞍替えするようメーカーを説得できるのか、考えれば考えるほど頭が混乱してくる。



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 入札は遅れるとホセは言っていたが、いつ公示になるか油断はできない。早いうちに本社がメーカーを説得できるだけの情報を集めなければ、駐在員として失格の烙印を押されてしまう。

 本社にいた頃は担当しておらず、赴任して一週間も経っていないのに責任を問われる。こんな理不尽な会社なら、いっそのこと首を承知で駐在員など辞めてしまおうかとも思うが、そんな時、頭を掠めるのは五年前の屈辱であった。逃げ出すハメに自分を追い込んだ山岸、自分を見捨てた沼林景子への意地である。部長や支店長だけでなく、一人前の商社マンになって彼ら全員を見返してやらずにはおかないと決意しているのだ。

 大きな疑問があった。どうして百戦錬磨の藤原支店長が、「漁港」案件に手をこまねいていたのだろうか。二年前にアキノ元上院議員がマニラ空港で暗殺され、次々と円借案件が凍結されている中、「東比」にとって格好のターゲットだったはずである。日本からの充分な指示がなく、動きようがなかったとも考えられるが、それにしたところで、ライバル会社やプロジェクト・オフィスの動きをフォローすることくらいは出来たはずなのだ。

 自分が受けた部長の電話内容を報告することを口実に、藤原の動きが鈍かった理由を明らかにしようと真壁は支店長室を訪れた。

「お願いしたいことがあります」

 部長からの電話内容を報告した後、藤原の机の前で、直立不動の姿勢のまま真壁は話を始めた。

「例の『漁港』の件ですが、私の着任前にどんな事情があったのか教えて頂けませんか」

 やんわりと真壁が言うと、藤原が怒ったように目をむいた。

「なんだ、お前は俺がさぼっていたとでも言いたいのか」

 その通りと内心は思いながらも、そういう訳ではないと真壁が弁明すると、

「理由は簡単だ。俺は六十の案件を抱えて、人手が足りなかったんだよ。そこへようやくお前が来て、担当になった。ただそれだけの話だ」

 口早に返事をすると、目の前に立っている真壁を無視するかのように、藤原は手元のファックスを読み始めた。仕事の邪魔をするな、もう部屋から出て行けというのであろう。

 真壁は疑問を感じていた。入札は仕込みが大事である。事情はどうであれ、何も手をつけずにいた理由にはならないはずだ。少なくとも、プロジェクト・オフィスで考えている冷凍機のスペックぐらいは、一年前に入手していなければならないと真壁は思う。

 別な疑問も生じていた。百億円の予算が付いた大型案件を見送るのであれば、とっくのとうに藤原の説明は部長の承諾を得ているはずである。にもかかわらず、何も知らないかのように、なぜ部長は真壁を追い立てているのだろうか。

「おいっ」

 仕方なく支店長室を出ようとした真壁の背中に声がかかった。

「お前は上司の言葉を信用しないのか。もっと素直になれ。子供じみた反発などするな」

 真壁を諫めるような言葉を藤原が放った。説明に納得していない真壁の表情を、藤原は見逃さなかったのだろう。

 丁重に頭を下げ支店長室を後にして大部屋の自分の席に戻っても、藤原の非や疑問を口に出せなかった自分に腹が立った。上司にモノを言えない、勇気のない自分がつくづく恨めしくなる。

(やはり自分が教師を辞めたのは、そして逃げ出したのは、山岸の凄みに怯えた己の臆病さのせいなのだ。こんなことでは、一人前の商社マンになるどころか、男としても不甲斐ない)

 机の上に転がっているボーペンを拾い上げ、力いっぱい真壁は握りしめた。



   第二章


          1


 九月半ばの「東比」事務所で、今か今かと真壁進次郎は現地従業員のマイクが出社してくるのを待っていた。その日は、アジア開発銀行を資金とした入札が灌漑局であるのだが、十時の開札にもかかわらず、九時三十分になっても出勤して来ないのだ。

 いくら時間にルーズなフィリピンとはいえ、入札ともなれば時刻通りに会場は閉鎖される。灌漑局までは車で二十分かかるのに、時間は三十分の猶予しかない。もし入札に遅れて参加できなかったとなれば、大恥どころか、得意先のメーカーを失うのは目に見えている。真壁も責任を問われ、首になってもおかしくない事態なのだ。

「マイクから電話があったわ。奥さんが病気なので休むそうよ」

 支店長室で電話を受けた秘書のテシーが、大部屋にいる真壁のところへやって来て言った。

「そんな馬鹿な。俺がマイクと話すよ」

 支店長室に向かおうとする真壁を、テシーが止めた。もう電話は、切れていると言う。

「何をぐずぐずしているんだ」

 状況を察した藤原が支店長室から飛び出てきた。もたついているわけにはいかず、昨晩遅くまでかけてマイクとともに準備した入札書類をカバンに入れ、大慌てで真壁は事務所を飛び出そうとした。

 支店には二台の車がある。翻訳証明をつけた日本の運転免許証を陸運局へ提出し、現地の運転免許を三日前に真壁は手にしているのだが、一刻の時間も無駄にはできない。灌漑局の駐車場で手間取ることを考え、運転手を使いたいと真壁は藤原に頼んだ。「甘えるな。お前が蒔いた種だろ」

 けんもほろろな藤沢の言葉が返ってきた。こんな時にそれはないだろと言いたかったが、藤原の勢いに押されて真壁は諦めざるを得ない。仕方なく、会社の車は使わずに真壁はタクシーを利用することにした。

 失業者の多いマニラではタクシーが簡単に捕まる。タクシー会社から日払いで車を借り、運転手をしている者が多いのだ。そんな中にはぼったくりや客を襲って強盗を働く運転手もおり、市民からは警戒の目で見られている。

 支店前のケソン大通りに出ると、マニラ市内へ向かう反対車線はさほどの混雑ではないのに、灌漑局への方向は交通渋滞である。パトカーに先導してもらう話を聞いたこともあるが、こんな時、パトカーが偶然に通りかかるのは小説だけの話であろう。

 予想通り、すぐにタクシーは拾えた。大急ぎの事情を説明すると、運転手はハザードランプを点けた後、分離帯の切れ目から、灌漑局とは反対の車線に車を乗り入れた。分離帯は一メートルほどの高さで、ケソン大通りを塀状に仕切っている。

 渋滞を避けて、いったんマニラ方向へ進むのだろうと真壁が思っていると、いきなり運転手は灌漑局方向へとハンドルを切った。向かってくる車を唖然とさせながら、タクシーはケソン大通りを逆走していく。日本ならできない芸当である。

 何台もの車が真壁の乗ったタクシーを避けてくれ、このまま上手く進めるかと思っていた矢先、目前に対向車が迫ってきた。急ブレーキの音が聞こえる。こちらは分離帯の塀すれすれに走っており、避けようはない。

「うわっ」

 真壁は叫んで、身を伏せた。次の瞬間、エアコンがなく開け放ったタクシーの窓から、「プッタゲナ(糞野郎)」という怒声が真壁の耳に飛び込んでくる。

 無事であった。衝突寸前に、対向車が急ハンドルを切ったのである。

(これはやばいぞ)

 いつ衝突するか、喧嘩沙汰にならないか、午前中とはいえ三十度を軽く超える猛暑の下、エアコンのない車内で真壁は冷や汗を流し続けた。



          2


 灌漑局の門に着くと、五十ペソもかからない運賃に二百ペソを奮発し、入札書類の入った鞄をひっさげて真壁はタクシーから走り出した。入札会場が閉められる時間まで、あと二、三分しか残っていない。

 門を入った灌漑局の玄関横には簡易テントがあり、張られた幕の下の机を前にして二人の警備員がいた。本来なら受付の手続きをしなければならないのだが、足を止めて記帳している暇はない。まだ顔見知りと言えるほどの仲ではないので止められると判断した真壁は、百ペソ紙幣二枚を机の上に置いた。

「申し訳ない。入札会場へ急いでいるんだ」と声をかけてから軽く右手を挙げて敬礼し、警備員がにやりと笑うのを確かめて真壁は受付をすり抜けた。

札びらで頬を叩くのは品がない、日本人の恥さらしだと言う人がいる。しかし、失業者が実質四十パーセントを超え、巷には物乞いや売春婦が溢れ、職に就いていたとしても給料は極端に少ない。そんなマルコス政権下の社会状況で、上品な理屈を振り回しても始まらないことを真壁は学んでいた。空虚な理想論を唱えて何もせず、現地手当を自分の遊びに使うより、身の回りにいるフィリピン人に金をばらまいてこそ、僅か一人や二人であっても彼らの生活の足しになればそれで良しと思うのだ。

 マニラへ来て役所回りを始めた頃、真壁は日本の商社で運転手をしている人物と駐車場で立ち話をしたことがあった。彼は元軍人で、「俺たちは歩哨番の時に強盗へ出かけるんだ」と言う。歩哨として記録が残っているのでアリバイが立証でき、強盗へ出かけている間、仲間に歩哨を頼んでおけば絶対に捕まらないというわけである。

「我々が強盗をするのには理由があるんだ。当直時の食費や毛布のクリーニング代、何から何まで差し引かれて、みんな切羽詰まっているんだよ。強盗でもしなければ家族を養えないのさ。誰が好き好んで強盗なんぞするもんか」と、悔しそうな表情を浮かべた彼の姿が、真壁の頭にこびりついていた。

 建物内の廊下を走り抜け、会場へ辿り着いたのは十時きっかりである。まさに職員が出入り口の扉を閉めようとしている瞬間であった。「サンダレ、サンダレ(待って、待って)」と叫んで真壁は職員の動きを止め、扉の中に入り込んだ。

(ひゃっ、よかった、間にあった)

 心の内で安堵しながら、息を切らして真壁は受付に入札書類のファイルを提出した。

 一息つくと、会場が人いきれに満ちているのに気がつく。大小様々な入札品目があるため参加社が多いのだ。冷房があるのかないのか、とにかく蒸し暑い。

 滴り落ちる汗をぬぐいながら空いている席を探していると、黒い上下のスーツを着た、まるで葬式のような身なりの若い女性が、わざわざ立ち上がって真壁に手招きをしていた。Tシャツにジーンズ姿が普通のフィリピンでは珍しい恰好で、おまけに黒いストッキングである。

 渡りに船とばかりに、真壁は近づいていった。何か企みがあるとか疑う必要はない。フィリピン人には困っている人を助ける民族性がある。「フィリピノ・ホスピタリティ」というやつだ。

 彼女の歳は二十五前後だろうか。鼻は少し丸く、茶色の肌をしているが、可愛い顔をした典型的なフィリピン美人であった。

「本日は参加社が多く、入札品目も多いので、進行は滞りなく進めます。皆さん協力してください」

 灌漑局の役人が、壇上から大声を出して注意を促す。

 席に座った真壁が呼吸を整える暇もなく、入札が始まった。まず「ビッド・ボンド」と呼ばれる入札保証金やメーカー委任状などの書類チェックが行われ、応札会社名と入札品目を告げると、応札金額を役人が早口で読み上げ始める。

「フォルミリオンスィックスハンドレッズフォルティーンサウザンズスリーハンドレッドフィフティオンリー」

 巻き舌のRが特徴的なフィリピン訛りもあってか、数字の並ぶ英語に真壁の頭は混乱した。最初は何とか聞き取れたものの、立て続けに次の品目に移ると、どうしても一部が聞き取れない。初めに「滞りなく」と職員がわざわざ断ったのは、質問は受け付けないということよりも、早口で読み上げるぞ、聞き逃したからといって進行を止めるなということなのだろう。そもそも、英語が公用語のフィリピンで、数字を聞き取れない者など一人もおらず、こんな大勢の前で「モウ一度オ願イシマス」などと手を挙げられる訳がない。

 真壁は焦った。「東比」の担いだメーカーにも、いずれ同業他社から入札結果は伝わり、真壁の報告した数字が間違っていたとなれば大変な問題になる。下手をすれば、会社の信用を損ねたとして首になるかもしれないのだ。



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 一時間半ばかりをかけて入札が終わると、先を争って人の群れが出口へ向かった。少しでも早く入札結果を会社へ戻って報告せねばならないからである。

 まごまごしていたら、会場は自分一人になってしまう。意を決して、真壁は隣のフィリピン美人に話しかけた。

「申し訳ないけど、聞き損ねが随分あるんだ。数字を確かめさせてくれないかな。英語が苦手でね」

 窮地である。恥を承知で真壁は頼み込んだ。彼女のノートを覗くと、活字のように奇麗な数字が並んでいる。

「いいわよ」と、即座に彼女は笑顔を返してくれたが、窮地も恥も忘れ、その笑顔に真壁は見とれてしまった。日本では経験のない香水の香りが、真壁の鼻先に漂ってくる。

 赤字のボールペンで各品目の応札値段を訂正し終えると、お礼に昼飯でもどうかと真壁は誘った。

「急いで帰らないとボスに叱られるのよ。またいつかにしましょう」

 あっさりと彼女から断られてしまった。

 仕方なく、真壁は名刺を渡して自己紹介をした。彼女も名刺をくれたが、見ると「ホンエイ商事 エリザベス・メンドーサ」とある。よりによって、助けてもらった相手が、「漁港」プロジェクトの「ホンエイ」社員とは真壁には驚きだった。これも何かの運命ではあるまいかと、真壁は勝手に解釈する。

 彼女が席を立った。真壁に手を振ってから後姿を見せ、ゆっくりと歩いていく。

 真壁の胸はざわめいていた。スタイル良し、顔良し、笑顔良し、しかも優しい心と、三拍子も四拍子も揃った女性、しかも日本人の真壁に丁寧な応対をしてくれたのである。そんな女性に、まさか今日、こんな入札会場で出会うとは思ってもいなかった。

 女性のことを考えるのは、沼林景子と別れてから、実に五年ぶりである。その間、青年期の終わりとも言える三十代前半を、ただ一人前の商社マンになることだけを目標にして過ごしてきた。自分をこけにした連中を見返してやろうと、いわば復讐心に似た殺伐さを抱えて生活してきたのだ。

 また会えるだろうかと、支店へ戻るタクシーの中で、真壁は密かに期待していた。現地の女と結婚でもしたら当社では冷や飯を食わされるぞと、部長から警告を受けてマニラへ赴任してきたこともあり、多少のためらいはあるのだが、好きな女性が出来たとなれば、そこまで会社にへつらう気持ちはない。

 ひとつ懸念するのは、藤原支店長のことだ。朝から晩までの毎日を一緒に過ごし、休みの日もゴルフにつきあわされている。もし彼女と親密になれば、なんとか言い逃れをして時間を作ることになるとしても、自ずと藤原との関係は疎遠になり、仕事がやりにくくなるだろう。それどころか、フィリピン女性とつきあっていることが知られたら、部長と同じように、ひょっとしたらそれ以上にきつい言葉で、帰国しろとか会社を辞めろとか言われるかもしれない。

(何を先読みしているんだ。まだあの女性とは出会ったばかりで、自分のことなど眼中にないかもしれないのに、自惚れるのもいい加減にしろってんだ)

 己の妄想を胸の内で笑いながら、真壁はタクシーの車窓からケソン市の街並みを眺めていた。滑った転んだはあったものの、なんとか一つの仕事をやり遂げた満足感がこみ上げてくる。



          4


 九月の下旬になった。灌漑局の入札から一週間が過ぎている。真壁は藤原と共に公共事業道路省のロドリゲス副大臣室にいた。いつものように宿舎から藤原と一緒に出勤してしばらくすると、どこへ行くのかも伝えられず同行を求められ、着いた先が副大臣室だったのだ。公共事業道路省の本部はマニラ市内のイントラムロス地区に隣接し、近くにはマニラ港がある。

 ロドリゲス副大臣は、フィリピン側円借款の窓口である調達局の長官を兼任していた。調達局が公共事業道路省の建物内にあり、その長官を副大臣が兼任しているのは、円借款事業が道路工事から始まったためである。

「例の支払いはどうなっているのかね」

 真壁と藤原が向かい合って副大臣の机の前に置かれた椅子に座って待っていると、どこで何をしていたのか大急ぎで部屋の外から現れたロドリゲスが、着席早々に言い出した。

 副大臣の突然の発言に、なぜか藤原が戸惑っている。どうやら、藤原が考えていた面談の目的と、趣旨が反していたようだ。副大臣の発言した「例の支払い」とは何なのか、真壁には見当がつかない。

「おまえは席を外してくれ」

 有無を言わせぬ命令口調で藤原が言った。わざわざ自分を連れてきながら席を外せとは訳が分からないが、拒む権利などありようはずもない。

 真壁は部屋を出て、入り口近くにいる副大臣秘書のところへ行った。秘書の机の向かいには木製のベンチがあり、副大臣との面会を待つ待合室のようになっている。

「かなりおかんむりよ」

 ベンチに座わった真壁と目が合うと、中年の女性秘書が話しかけてきた。

「何か当社と問題でもあるのですか」

 契約上のトラブルでもあるのかと思いながら真壁が訊ねると、

「なぜ副大臣が怒っているのか詳しくは知らないけど、大統領が絡んでいるようね。マラカニアン(大統領府)から呼び出しがあると、最近、驚くほど神経質になっているわ。それだけじゃないの。マラカニアンから戻ってくるたびに、『東比』の愚痴をこぼすのよ」

 声を潜めて秘書がしかめっ面を見せる。

 副大臣の言葉と秘書の話から、真壁は賄賂のことだと思いついた。「例の支払いはどうなっているんだ」と副大臣が言っていたのは、大統領への支払い金額が不足しているとか遅れているとか、恐らくそんなトラブルなのに違いない。藤原が慌てて真壁を外へ出したのは、平社員には聞かれたくない、微妙な話だからであろう。

 なかなか藤原は副大臣室から出てこない。一時間も過ぎた頃、ようやく出てきたと思うと、秘書へ会釈するでもなく、無言のまま藤原は廊下へ出た。慌てて真壁は後を追う。



          5


「爪楊枝を頼んでくれ」

 副大臣室からの帰り道、ロハス大通り沿いにあるフィリピン料理店「ブラケニヤ」で昼食を取り終えると、藤原から真壁は言いつけられた。ロハス大通りはマニラ湾に沿って走っており、「ブラケニア」の前の広大な埋め立て地には、貿易センターの敷地が広がっている。イメルダ大統領夫人の肝いりで作られた「マニラ・フィルムセンター」も近くにあった。数年前、「マニラ国際映画祭」が開かれた会場である。

 食事前から、真壁は気になっていた。透明なガラス窓越しに物乞いの一家が現れ、真壁と真正面から向き合っているのだ。母親は赤ん坊を抱え、破れたシャツを着た父親と三人の子供の顔は垢だらけである。家族全員が口元で手を動かし、しきりに食べ物をくれと訴えていた。

 爪楊枝の英語が思い出せず、ウェイターに向かって真壁は歯をほじくる仕草を見せた。

「恥ずかしい真似をするなよ。お前が『トゥースピック』の一つも英語で言えないと本社に報告すれば、どんなことになるか分かってるのか。そんな有様だから、中途入社の社員というのは駄目なんだ」

 よほど機嫌が悪いのか、棘のある藤原の言葉だった。

 確かに、日本社会には中途入社に対する偏見がある。「東比」もその例外ではなく、新卒と中途入社の社員には歴然とした差別があった。例えば、新卒社員は入社後三年で海外へ派遣されるのに対して、中途入社組は五年以上かかっている。真壁は六年目で駐在員になれたのだが、十年たっても駐在の声がかからない者もいた。商社マンとしては飼い殺しのようなものだ。

「まぁいいか。勘定を頼んだら、ビールが五本出て来た奴もいたからな」

 真壁に向けた感情を打ち消すかのように、藤原が冗談を言った。勘定を頼む際、受験英語で習った「BILL」を使った社員がかつており、しかも五本の指を広げて手を挙げたので、ビールが五本運ばれてきたという笑い話である。

「ところで僭越な質問ですが……」

 恐る恐るではあるが、意を決して真壁は切り出した。

「副大臣が『例の支払い』と言うのを私は聞きましたが、それは大統領への政治献金のことですよね。何かトラブルがあるとすれば、我々駐在員の命に関わる問題だと思いますが、もしそうだとすればですね、ええっと、例えば支払いが遅れているとかですが、私も知っておく必要があるのではないでしょうか」

 賄賂を政治献金と言い換え、微妙な話ゆえに控えめを心がけながらも、真壁は力を込めて藤原に頼み込んだ。本社にいれば、社員同士でもはばかられる話の内容である。

 しばらく迷っているようであったが、やがて声を潜めて藤原が顔を真壁に近づけた。

「来月中に俺は出張する。その間、お前が支店長代理になることを副大臣にお披露目しようと今日は出かけたんだが、当てが外れてしまった」

 ウェイターの持ってきた爪楊枝を口にくわえ、どこへ出張するのか説明もせずに藤原は話し始めた。



          6


「お前の想像通りだよ。確かに大統領への支払いは遅れている。これまではフィクサーを通して催促があったが、今回はロドリゲスを通してきた。大臣のポストは政局に応じての論功勲章で入れ替わり立ち替わりだが、副大臣というのは腹心の部下を据えている。その腹心の部下を通して催促させるのは、それだけマルコスが『東比』へ怒っていることになるのはお前にも分かるだろう。大統領選挙が1987年にあるが、もしかすると健康状態もあって来年に早めて必勝を期すと考えているのかもしれん。選挙の資金集めに必死ということだな」

 やはり賄賂の話だったのかと思いながらも、その支払いが遅れているとは驚きである。いずれ厄介なことにならねばならねば良いがと、不安が真壁の胸を掠める。

「東比貿易」がダーティーな商社であることは、入社して早々に気がついていた。新入社員の夜の仕事はテレックスの送信であったが、マニラ支店宛に部長の書いた原稿には、暗号めいた名前や金額らしい数字があったからである。更には、入札書類の作成を任せられた頃になると、円借案件の入札価格は、アジア開発銀行や世界復興銀行を資金とした入札に比べると、十五パーセント以上高くなっていた。

 めったに裏の話を教えてくれない藤原だったが、微妙な問題のせいか、しばらく円借款の話が続いた。入社した頃から真壁の気がついていた事柄と総合すると、次のようになる。

「東比貿易」がマニラに連絡事務所を開設したのは、太平洋戦争による「日比賠償」が締結される一年前の1955年で、日本人と見れば石をぶつけられる時代だった。「バターン死の行進」、「マニラ市街戦」、バタンガス地方など各地の虐殺事件により、百十万人以上のフィリピン国民を犠牲にし、大量の軍票と物資の収奪により経済を破壊しつくした日本人は、フィリピン人の激しい怒りをかっていたのである。

 そのような状況下で、日本の大手商社はフィリピン進出を躊躇っていた。マルコス大統領の行政指導により、三井、三菱、住友、丸紅、ニチメンなどの商社がマニラ支店を開設したのは、1967年三月になってのことで、「東比」より十二年も遅れたことになる。

「日比賠償」が「円借款」に切り替わった1970年頃、「賠償」を手掛けてきた「東比貿易」、「洋々通商」、「比立産商」などの三社に対し、マルコス大統領から「政治献金」の依頼があった。その見返りとして、円借款の入札には「賠償」実績のある三社しか事前資格審査を通らない仕組みが出来上がり、受注した商社は契約金額の十五パーセントを大統領へ支払うことになったのである。

「御三家」の役割はそれだけではない。万が一にも「御三家」を押しのけて大手商社が「円借」に参加する場合には、大統領への支払いを「御三家」が保証する仕組みになっていた。裏であれ表であれ保証が必要なのは大手商社にとっては屈辱もので、その分、「御三家」は恨まれることになる。

「支払いが滞っているとなると、物騒な問題が起こりそうですね」

 眉をひそめて真壁は胸中を吐露した。大統領との金銭トラブルとなれば、ただでは済むまい。なにしろ、ここはフィリピンである。アキノ元上院議員が、白昼の空港で1983年に射殺された例を持ち出すまでもなく、暴漢や強盗を装って殺されるのが落ちであろう。

「そりゃあ危ないさ。駐在員の俺たちが標的になるだろうなぁ」

 落ち着き払った口ぶりで藤原が答えた。

「あまり心配するな。今度の大統領選挙も、いざとなれば戒厳令を布告して延期も出来るし、そもそもマルコスが勝つと社長は考えている。この国で商売を続ける限り、いずれ払ってくれるさ」

 余裕たっぷりな表情を浮かべて藤原は席を立ち、店の出口に向かって歩き始めた。

「チェック(お勘定)」と叫んで真壁は手を挙げ、やって来たウェイターに残り物を包んでもらった。外にいる物乞いの家族に渡すつもりである。



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「漁港」案件に、思わぬ展開があった。つい先日、真壁がプロジェクト事務所を訪れると、予算不足からサイトを四か所から二か所に縮小することが決まったこと、円借款の一部を現地コストに振り替えるために日本側と交渉を始めたこと、したがって入札は大幅に延期になったこと、九月半ばにマニラ北部のナボタス漁港で事故が起こり、三人の作業員がガス漏れで死亡したことからスペックの見直しが検討されていることなどをホセが教えてくれた。マニラ北部にあるナボタス漁港で使われているのが、アンモニア冷凍法による製氷施設なのである。

 冷媒としてフロンを使うメーカーのスペックを本社から取り寄せ、真壁はプロジェクト部長に接待攻勢をかけた。真壁の動きに本社がゴーサインを出したのは、商談をかき回せると判断したからであろう。勝ち目はなくとも厄介者として立ち回り、案件から引き下がる口銭を稼ごうというのである。


 九月の末、三日間にわたりマニラは大雨に見舞われていた。南国と言えばスコールということで、ザッと降ってサッと上がるイメージだが、台風シーズンになると、北上するエネルギーを蓄えるかのように、ルソン島周辺には強風と豪雨の日々が何日も続くのである。

 マニラ市内はひどい交通渋滞であった。豪雨のために押し流された大量のゴミが排水口を塞いでしまうのか、あちこちの地域が洪水に見舞われている。

 夜の闇の中、ずぶ濡れになって役所回りから支店へ戻るやいなや、真壁は支店長室に呼ばれた。びしょ濡れなのは、役所から役所へと車から降りるたびに傘を使うのだが、横殴りの豪雨のため傘が役に立たなかったからである。

 夜の八時を回っていた。事務所には藤原と真壁の二人しか残っていない。

「灌漑局には行ってきたのか」

 本社からのファックスに目を通したまま藤原が言った。灌漑局は建設機械や車両の買い付けが多くあるので、毎日のように真壁は顔を出している。その日も、午後になってから企画部を始めとした局内のプロジェクト事務所数カ所を訪れたことを報告すると、

「何も変わったことはなかったのか」

 低い声で、藤原が念を押すように質問してきた。赴任して一か月近くにもなると、藤原の口ぶりから何かあったなと想像がつく。首筋から滴り落ちる雨と汗をハンカチで拭いながら、真壁は心の準備をした。

「エンリケス部長の親父さんが、今朝、死んだそうだ。昼過ぎにローカル(現地スタッフ)から報告があったぞ」

 藤原が真壁を睨みつけた。

 五十がらみのおばさん秘書の顔が思い浮かぶ。真壁は舌打ちしそうになった。エンリケスは企画部の部長で、四時間ほど前にオフィスを訪れたばかりである。部長は休みよと秘書が言うので、何の疑いもなく引き上げてきたのだった。

「一体お前は、どんな客先回りをしているんだ。冠婚葬祭は重要な案件だぞ。そんな情報すらお前は取れないのか。だったら、今すぐ、お前は日本へ帰れ」

 藤原が椅子から立ち上がり、真壁に向かって大声を出した。

 冠婚葬祭については、一刻も早く駆けつけることが相手に敬意を払うことになり、親密度を増すことになるのは真壁にも分かっている。商社の駐在員にとっては、ライバル会社との差をつける絶好の機会なのだ。

 職務を果たせなかったことが悔やまれた。完全に自分の落ち度である。

(語学力の問題だけではなく、俺には人間的な魅力が欠けているのかもしれない。秘書が声をかけてくれなかったのは、そのためなのだろう。俺は駐在員として失格だ)

 心の内で真壁は思った。不甲斐なさがこみ上げ、つくづく自分が厭になる。

「いったい何をぼんやりしているんだ。大手の商社と同じことをしていたら、俺たちはこの国で商売なんかできないんだぞ」

 真壁は頭を下げ、「申し訳ありません」と藤原に謝った。

「分かったのなら、さっさと部長のところへ行って来い。それから、二度とこんな不始末をしでかすな。じっくり反省しろ」

 怒りが収まったのか、藤原が静かに言った。しかし、部長の自宅がどこか分からない。藤原に尋ねようと思うが萎縮してしまい、真壁は立ちすくんでしまった。

「馬鹿野郎。何をもたもたしているんだ。早く行けよ。行くんだよ」

 犬を追い立てるように手首を振り、藤原が再び口調を荒立てた。今にも殴りかからんばかりの勢いである。



          8


 藤原の剣幕に怯え、真壁は支店長室から飛び出した。

「ちくしょう、やっぱり俺は何も言えなかった。こんなに夜遅く、いきなり部長の家に行けと言われても、知らないものはどうしようもない。一体どうしたらいいんだ」

 地下の駐車場に行き、運転席に座った真壁は泣き声混じりの声を出した。

 暗闇の中でしばらくじっとしていたが、やがて行先は灌漑局しかないことに気が付き、トランスミッションをニュートラルにして、エンジンのスイッチを入れた。エアコンをつけると、湿気を含んだ温風が吹き出てくる。雨と汗で濡れた下着がべったりと背中にへばりつく。

 豪雨の下、ワイパーをフル回転させて夜道を走った。暴風雨ともなると、さすがにケソン大通りも車が少ない。

 ふいに真壁は強い空腹を覚えた。今朝から真壁は国防省、農業省、電化局、灌漑局などを回り、支店には戻らずに昼食も外で取っている。「トロトロ」と呼ばれている、路上の屋台での食事であった。値段はわずか百円ほどだが、バサバサの外米に野菜入りのスープをかけただけの、口がひん曲がってしまうほどの酸っぱい代物で、これを手づかみで食べたのである

(今頃、日本は秋だよなぁ。サンマの季節だ。飯がうまいだろうなぁ)

 焼き魚の好きな真壁の脳裏に、脂ののったサンマや大根おろし、温かいご飯が思い浮かぶ。本社近くの定食屋が懐かしく思い出され、サンマの焼ける匂いすら漂ってくるようだ。

(死んだ親父も、こんな心細い思いをしていたのかなぁ)

 滝のように降り注ぐ豪雨をフロントガラス越しに眺めながら、真壁は父親を思い出していた。三年前に死んだ父親は元国鉄の職員で、変電所に勤めていた。雷の激しい夜は、雨の降りしきる中、深夜でも出かけていた姿が浮かんでくる。幼い頃、父親好きの真壁は、「もう行っちゃうの」と駄々をこねて困らせたものだ。

 人影の全くない灌漑局の通用門に着くと、薄暗い裸電球の下に、三人の警備員が見えた。土砂降りの雨の中、車を降りて近づき、「夜分申し訳ない」と詫びを入れながら真壁が話しかけると、一人の警備員は応対の様子を見せたが、あとの二人はショットガンを握りなおし、引き金に指をかけている。

 エンリケス企画部長の自宅を知りたいと事情を説明していると、「先日のハポン(日本人)か」と、ショットガンを脇に置いて一人の警備員が握手を求めてきた。

「助かったよ。あの日、勤務を終えて家に帰ると息子が熱を出していたんだ。おかげで薬を買ってやることが出来た。ありがとう」

 興奮気味に言う中年警備員の顔が、裸電球の黄色い光を反射して輝いている。

「こちらこそ。あの時は、私も助かりました。何しろ、入札会場のドアが半分閉まりかけていたんですからね」

 実を言えば、あの時の警備員の顔はよく覚えていなかったのだが、真壁も大袈裟に握手を求めて礼を言った。

 中年警備員は入退記録のノートから白紙一枚を破り取ると、丁寧に地図を書いてくれた。フィリピン人のウタンナローブ(恩返し)というやつである。「これで夜食でも食べて下さい」と、固辞する三人に真壁は百ペソずつを握らせた。百ペソはフィリピンの最高額紙幣で、円に単純換算すれば千円ほどだが、貨幣価値からすれば、日本人が一万円をもらった感覚であろう。

 地図を頼りに役所から三十分ほどの距離にある部長の自宅を探し当てると、応対に出てきた家族から、部長はロドリゲス通り沿いにある総合病院近くの葬儀屋にいると教えられた。「エンバーミング」だと言う。正式な葬儀の日まで、遺体に防腐剤を注入してもらうのである。

 急いで真壁はロドリゲス通りの葬儀屋へ向かった。時刻は十時を過ぎている。部長の自宅からロドリゲス通りまでは通常なら四十分程の距離なのだが、街灯の少ない沿道は想像以上に暗く、しかも激しい雨がフロント・ガラスの視界を遮り、冠水した路上で行ったり来たりを繰り返して、目的の葬儀屋を探し当てた頃は午前零時になっていた。



          9


 人影のない建物に入り、いくつかの部屋を覗くと部長の姿が見える。顔の部分がガラス張りになった黒い棺の横で、気が抜けたようにエンリケス部長が天井を仰いで腰かけていた。部長は五十代半ばで、定年を間近に控えている。白髪頭に黒縁のメガネが似合っていた。

 遅れたことを詫び、型通りのお悔やみの挨拶を真壁が伝えると、

「親父は腎臓病だった。重体に陥いり、友人を頼って『キドニー(腎臓)・センター』に入院させたんだが、やはりだめだったよ」

 真壁の顔を見つめながら、部長は大きく溜息をついた。「キドニー・センター」はケソン市にある国立の医療機関で、噂ではマルコス大統領も何度か入院したと聞く。この国の医療費は高く、部長といえども役人の給料では大変な出費だったであろう。

 家族のつながりが強いフィリピン人である。部長の落胆ぶりがどれほどのものか、親の死んだ悲しみを知っている真壁には、返す言葉が出てこない。

 弔問客が多かったのか、棺の周囲が泥だらけになっているのが気になり、真壁は部屋の片隅に立てかけてあったモップを使って掃除をはじめた。「もう誰も来ないからそのままでいいぞ」と部長は言ったが、真壁は続けた。他社よりも遅れて来たことが気にかかっており、少しでも申し訳なさを部長に伝えたい一心である。

 ひと通り床を奇麗にし、汗をぬぐったところで、なぜ秘書が今回の件を教えてくれなかったのか部長に訊ねた。真壁の胸の内で、秘書に対するわだかまりが消えないのである。

「十歳の時、マニラの市街戦で彼女は家族全員を失ったんだ。親類に引き取られたものの、みな貧しいものだからたらい回しにされて、叔母さんの家ではメイド同然に朝から晩まで働かされていたらしい。ベッドもなく、床の上で寝ていたと聞いているよ。そんな時は、死ぬまで日本人を恨んでやると思いながら耐えていたそうだ」

 部長の言葉を聞いて、真壁は理解した。自分も日本人である。憎まれていることに気が付かなかったのは、本当に迂闊だった。

「君はあの戦争のことを、フィリピン人と話したことがあるかね」

 エンリケス部長が神妙な声で言った。

「ありません。戦争の話をすれば過去をほじくり返すことになり、喧嘩になりかねませんから」

 戦争であれ何であれ、得意先の客と喧嘩をするのは、商人として失格だと真壁は思っている。

「それは違うぞ。戦争の被害者である我々は、過去のことを忘れることは出来ないんだ。だからといって、謝って欲しいのでないことは分かって欲しい。ところで、君はキリノ大統領のことを知っているか」

 部長の質問に、しばし真壁は記憶をたどった。マニラでは通りの名前にもなっているので、フィリピンの大統領だとは分かる。元社会科の教師としては恥ずかしいと思いつつ、商社マンよろしく、知っているふりを決め込んで真壁は頷いた。

「戦後まもなく、彼はマニラ裁判の日本人死刑囚百名余りに恩赦、特赦を次々と与え、ラジオ演説をしたのだ。日本人を許そう、恨み続けるのは愚かなことだと。当然ながら、当時の状況では国民は無論、政界や財界、マスコミから袋だたきにあい、大統領の再選を果たせずに亡くなったのさ」

 部長の言葉を、真壁は神妙に聞いていた。少しずつ、学生時代に教えられたことが蘇ってくる。

 日比谷公園にある、キリノ氏の顕彰碑の話を思い出した。多かれ少なかれ、フィリピンでは家族の誰かが日本人に殺されており、キリノ大統領も奥さんや子供三人を日本兵に殺され、彼自身も憲兵隊の拷問を受けている。それでも、大統領として日本人を許す決断をしたのは、恨みを残さず、隣人同士は助け合うべきだという、キリスト教徒としての信念だったのだろう。

「今となっては、賢明な判断だったと多くの人は思っているが、まだ心の中では割り切れなさが残っている。それはそうだろ。かつてフィリピンはアジアで一番豊かな国だったのに、日本の侵略のせいで生活はメチャクチャにされ、百十万人も殺されたんだ。マニラでは市街戦により、当時七十万とも百万とも言われる市民のうち十万人が死んでいるんだよ。

 にもかかわらず、我々が戦争で受けた被害も、マニラ市街戦やキリノ大統領のことも、加害者である君たち日本人が知らぬ存ぜぬの態度では、こちらも不安や不信を覚えても仕方ないだろう。恨みはない、しかし心の傷は察してもらいたい、ただそれだけなんだ」

 キリノ大統領のことを真壁が知らないと判断したのか、部長が丁寧に話をしてくれた。

 真壁は恥ずかしかった。己の不勉強を恥じるとともに、日本人としても詫びたい気持ちになってくる。自分が歴史を教えていたとは、我ながら思えない。

 部長の言葉には思い当たる節があった。何人もの役人の顔が思い浮かぶ。妙によそよそしい人、口をきいてくれない人、日本の商社の者だと話した途端に「帰れ」と怒り出した人もいた。自分の英語が貧弱なせいだと思っていたが、どうやら自分の態度にも問題があったようだ。仕事をすることに精いっぱいで、どんな目で自分が見られているか、彼らの思いに気付いていなかったのである。

 何を自分は学び教えてきたのか、被害に遭った人のことなど少しも理解していなかったではないか。苦痛にも似た後悔の念がこみ上げてきた。

「恨みはないと私は言ったが、君は本心かどうか疑っているんじゃないか。しかし、嘘偽りないと私が言えるのは、フィリピンの歴史のためだろうな。ご存知のように古くはスペイン、最近ではアメリカの植民地だった。スペインは宗教、アメリカは自由と民主主義の啓蒙をひっさげてやって来たのは建前で、為政者は自国の利益を優先するから本音は富の収奪だ。相手が弱いと思えば、様々な口実をつけて襲ってくる。それはいつの世でも同じことさ。言ってみれば、動物世界の法則だな。強くなければやられてしまうというのを、フィリピン人は身にしみて知っているよ。

 だからこそ、今の日本は危ないぞと私は思っている。戦争は厭だ、平和が尊いと思うのは当たり前だが、それは理想社会でしか通用しない。嘘だと思うなら、第二次大戦後に戦争がなかったかと私は質問したいね。五千万人もの死者を出しても、まだ懲りないんだから、人間というのはどうしようもない、その意味では動物以下の存在なんだよ。

 私が日本人を恨まないと言うのは、責め続け、恨み続けて憎しみあうよりも、理想社会を求めて協力し合うほうが、よほど人間らしいと思うからさ。勿論、日本が反省せねばならないことはある。しかし、過去の反省ばかりでは進歩がなくなってしまう。未来に向けて、心の底から理想社会を目指すのなら、それ相応の責任を果たさねばならない筈だ。現実に目を背け、犠牲を払うのが厭ならば、せっかく摑んだ理念も空論に終わってしまうと私は思うんだがな」

 なぜアジアの人々の心情や視点を抜きに太平洋戦争を語っていたのかと考えると、その原因は、あの戦争を「民主主義とファシズムの戦い」とくくりあげた、欧米諸国による歴史観に日本人全体が洗脳されているとしか真壁には思えない。

 戦勝国である民主主義国家の裏の顔は、過酷な植民地支配を行っていた悪魔のような国々である。それゆえ、あの戦争は、民族独立に立ち上がり、日本とでも手を組み悲願を果たそうとした植民地国の歴史でもあるのだ。

 思い浮かぶ名前がある。それは学生時代に知った、インド独立軍を率いたチャンドラ・ボースと孫文の大アジア主義を信奉した汪兆銘だ。チャンドラ・ボースはガンジーの非暴力主義に反対した人物、汪兆銘は蒋介石が孫文の遺志に反して英米と組んだことに反対し、日本を頼った裏切り者として中国では取り扱われている。その結果、日本でも否定的な人物として取り扱われているのは、戦勝国による都合の良い戦争観に我々が洗脳されている証拠ではないのか。



          10


 三十分ほどを葬儀場で過ごし、挨拶の遅れたことを再度詫びてから部長と別れた。

 葬儀場の玄関を出ようとした時、道路の反対側にジープニー(乗り合いバス)の止まるのが目に入った。暗闇の下で車を降り、豪雨の中、こちらへ向かって傘もささずに走ってくる人影が見える。Tシャツにジーンズ姿、ずぶ濡れのようだ。やがて、その人物が玄関に着いた時、ようやく人影は「ホンエイ商事」のエリザベスだと分かった。

「エリザベスじゃないか。どうしたんだい、こんな真夜中に」

 真壁は声をかけた。

「決まってるでしょ。貴方と同じよ」

 顔を覚えていなかったのか初めは怪訝そうな顔をしていたが、真壁と気が付くとすぐにエリザベスが笑顔を浮かべた。

「まだ部長は中にいるよ。それから君が良ければ、用事が終わったら送っていくけど」

 真壁が言うと彼女は嬉しそうに頷き、建物の中へ消えていった。

 車を葬儀場の玄関前に停めて待っていると、十分ほどしてエリザベスは現れた。

「駆けつけるのがえらく遅かったじゃないか。もっとも、君のことを言える身分じゃないけどな」

 助手席に座ったエリザベスにタオルを渡しながら、真壁は照れ笑いを浮かべた。

「つい一時間前に寝ようとしたら、カゲヤマから電話があって命令されたのよ。挨拶してこいって。こんな雨の中、しかも突然に。ひどい話でしょ」

 濡れた髪を拭きながら、不満そうにエリザベスが可愛い唇を尖らせた。

 真壁は心から同情した。エリザベスの言う「カゲヤマ」とは、「漁港プロジェクト」のホセが言っていた人物のことであろう。

 治安の悪いマニラの夜は、男でも外出を避けるのが普通である。にもかかわらず真夜中に、しかも台風の最中に女一人を使いに出すとは、「カゲヤマ」の人間性を疑わざるを得ない。一体、カゲヤマとはいかなる日本人なのか、真壁は疑問に思った。

「どこの会社も、人使いの荒さは似たり寄ったりだな。まぁ、今夜は君に会えて、僕はラッキーだけど」

 マニラ方向へ車を発進させながら真壁は言った。

「ラッキーだなんて、本当かしら。厄介な女に出くわしたと思っているんでしょ」

「そんなことはないよ。君こそ、今夜この場で僕と鉢合わせしたことを、どう思ってるんだ。運命の出会いというやつかもしれないぜ」

 我ながらきざなセリフを吐いたものだと思い、真壁は顔を赤らめた。

「どうかしら。日本の男には気をつけないとね」

 エリザベスは、真壁の言葉を全く気にしていない様子である。すました顔の横顔も可愛いなと真壁が思った瞬間、

「どうして真壁さんはこんなに遅くまで葬儀屋にいたの」

 エリザベスが真壁に向き直って言い出した。

「話すのも恥ずかしいんだけど」と前置きして、秘書から何も教えてもらえず、支店長に怒鳴られた挙げ句、ようやく葬儀屋にたどり着いた経緯を真壁は説明した。

「そうだったの。そんなことがあったのなら、貴方は部長の秘書を恨んでいるんでしょうね」

 興味深げな顔をしてエリザベスが訊ねてくる。

「正直なところ初めは腹を立てたけど、今は何もない。それより、エンリケス部長の話を聞いて考えさせられたよ。戦争のこと、フィリピン人の対日感情のこと、自分に思いやりが足りないこと、人間として未熟なこと、そのほか色々とね。これから勉強し直そうと思っているんだ」

 しんみりとした口調で真壁は答えたが、エリザベスの反応はない。本当に反省しているのかどうか疑っているのだろう。

 ロドリゲス通りからケソン大通りに合流し、「ウェルカム・ゲート」を潜った。ここから先がマニラ市のサンパロック地区になり、通りの名前も「エスパニア通り」に変わる。

 いつデイトの申し込みを切り出そうかと迷っているうちに、鉄道の踏切に行き着いた。レールの錆具合からして、廃線のようである。

「この辺で降りるわ。これから会社へ行って、カゲヤマに報告しなければいけないの」

 反対車線からタクシーが来るのを見ると、エリザベスが言った。まだ暴風雨は続いており、「ホンエイ商事」のあるマカティ地区には程遠い。

 エリザベスの話は、信じられなかった。本当にマカティへ行くのなら、もっと早く言うはずである。しかも深夜の一時だ。いくらカゲヤマがひどい奴だといっても、こんなに夜遅く会社へ呼びつけたりするのだろうか。エリザベスの自宅がこの辺にあり、その場所を知られたくないために嘘を言っているのだろうと真壁は思った。

「風邪をひかないように」

 車から降りようとドアに手をかけたエリザベスに、真壁は声をかけた。遠慮せずにこのまま乗って行けよと引き留めても良いのだろうが、あえて嘘を言っているのであれば、彼女を困らせることになる。

「サンキュー、テイクケア(気を付けてね)。次に会うときは私を『リサ』と呼んでね」

 明るい返事ととともに、エリザベスが真壁の頬に軽く口づけた。「リサ」と呼んでくれと言うのは、「ELIZABETH」の中の字「LIZA」を取った愛称である。英語読みなら「リズ」となるのだろうが、フィリピンではスペイン語読みをするので、ZはSの発音になるのだ。

 車の外は横殴りの雨が降り続いている。深夜の暗闇の中、冠水した道路を走っていくエリザベスの後姿を、真壁は心配しながら見送った。

 一人になった車内で、エリザベスのキスの感触を真壁は思い出す。「リサと呼んで」という彼女の言葉も、真壁の心を浮つかせた。二人の距離感がぐっと縮まったように感じるのだ。

 今度はいつ会えるだろうかと考えていると、ハンドルを握る真壁の頭に疑問が浮かんだ。エリザベスはカゲヤマの命令で葬儀場へ来たと言っていたが、そのカゲヤマは、いつ部長の情報を掴んだのだろう。自分と同じようなタイミングでエリザベスを送り込むとはおかしな話だ。まるで、真壁の動きを追っていたようではないか。

(そういえば……)

 真壁の頭に別の疑問がよぎった。

 二週間ほど前、なぜ灌漑局の入札にエリザベスは会場にいたのだろうか。あの時、エリザベスの美しさに舞い上がってしまい訊きそびれてしまったのだが、「ホンエイ」は入札に参加していなかった。めぼしい入札案件の減った現状から、大手商社も今後に備えて情報を収集していてもおかしくはない。しかし、それは勝手な思い込みで、果たして事実はどうなのだろうか。

 いくつもの深い水たまりを突っ切り、激しく車の腹にあたる水しぶきの音を聞きながら、暗闇のエスパニア通りからケソン市の宿舎へ向かって真壁は引き返した。


-第三章に続く-

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