一行と酒2
外に出ると、冷たい空気が頬に当たり身体が震える。寒い夜の中、彼はどこにいるのか探ろうとしたが、その必要はなかった。民家横にある馬小屋の側で焚き火に当たっている彼を見つけたからだ。
「クリフ」
近づいて声をかけたら、彼は驚いた顔をした。
「アナ、何やってるんですか」
立ち上がって近づいてきた。食事を見せて、届けにきたことを伝えると顔を顰められた。
「寒い上、夜は危険なんですよ。」
「アントンに頼まれたのよ」
「アイツ…」
舌打ちでもしそうな勢いで顔を歪めた。
「疲れているのに食事を摂らないのは良くないと思って。ほら座って。」
促せば渋々焚き火の側に座り込む。こんな所で焚き火をしてもいいのかを聞けば、民家の住民から許可はもらった、と言ってきた。
食事を摂る彼をじっと見ていたら顔を顰められた。
「何です?」
「いえ…。前から思っていたけど、あなた食事する時のお行儀が良いわね。」
食事の所作を褒めたら顔が下に向いた。彼は軍人の体格をしているが、動作の端々に育ちの良さが出ている。
「気になります?」
「ええ、とても。あなた、とっても強いみたいだし。」
彼は顔を上げ、方手で顔を覆った。先程の事を気にしているのだろう。ため息をついて顔を戻した。
「アナ、ああいう場では、はっきり嫌と言わないとダメですよ」
「わたしもああいうのは初めてで驚いたのよ。今度からはそうするけど、賑やかさは嫌ではなかったわ。」
薄らと笑みが浮かぶ。最近はああいう賑やかさとは無縁だった。家族とあんな風に過ごしたのも随分前のことだ。
食事の手が進まない彼を見れば、少し驚いた顔をして止まっていた。
「どうしたの?」
「いえ……。今、笑っていたので。」
「わたし?今笑ってたの?」
無言で頷かれ、反射的に口元に手を当てる。自覚がなかった。
「あなたが笑ったところは久々に見ました」
「そうね…。そうかも。わたしも久々に笑ったわ」
両手を頬に当て、くすぐったい気持ちになった。彼は気づいていたのだ、皇女がずっと笑っていない事に。
背中に寒さを感じ、身体が震える。皇女の様子に気づいたクリフは腰を浮かせて、焚き火に寄れるよう間を空けた。
「アナ、もう少しこちらに。」
「大丈夫よ、もう少しだけ…」
「良いから。」
食い気味に言われると同時に、勢いよく肩を抱かれ、彼に寄り添う形になる。先程軍人に肩を抱かれた時と違い、触れている肩に熱を持っている気がした。
「ク、クリフ…」
「ああ、それ。そういえば、さっき初めて呼ばれました」
「そ、そう?」
ええそうです、と猫が喉を鳴らすかのように、彼は上を向く。先程激昂した時と違い、なんだか機嫌がいいように見える。
「クリフ、」
「何ですか」
「クリフと最初から一緒にいた仲間って、アントンとグスタオ?」
触れている部分に意識がいかないよう、顔を下に向きながら聞けば、そうですねと返答があった。
「アイツらと酔っ払ってた数人が俺の仲間です。髭の生えた若いのと、他はあの家からです」
「そう…」
「アナ。」
呼ばれて顔を上げれば、そばに彼の顔があった。後方には、美しい星々が夜空に広がっている。まるで空が賑やかに起きているかのよう。
「不安に思うことがあれば、俺に言えばいい。泣きたければ、泣き喚いてもいい。あなたにはそうする権利がある。」
いつもと違い、やさしく囁くように彼は言う。
「まだ、あなたは分かりきっていないのかもしれない。あなた自身が抱える怒りや悲しみについても。理不尽な事が多すぎて、悲しみや不幸な事が当たり前だと思っているなら、それは違う。」
熱をもった眼差しに、射抜かれたように。身動ぎひとつ取れない皇女の両肩を優しく掴む。
「こんな怪しい男に言われても、信用できないことかもしれない。それでも、あなたには、生きることが難しいこの世の中でも、平穏に生きて欲しいと願ってる。」
外が暗くて良かった、と皇女は思った。焚き火の周りは明るい事が分かってはいたが、今は顔を見られたくなかった。きっと酷く歪んだ顔をしている。彼はきっと気づいているけど、下を向く皇女に、何も触れないでいてくれる事が有り難かった。
彼の言ってくれることが、皇女には分からなかった。彼が何故そう言ってくるのか、自分のことを分かっていないと言われても、腑に落ちない。
でも、もしかしたら、気づいているのかもしれないと皇女は思った。彼は自分の本当の望みに。