一行と酒1
序章で雪原と書いたのですが、季節が若干進んでいます。冬山は大変ですので...
革命軍に倒された、今は亡きヨシア帝国。国は広大な国土を有し、大河により民族や文化が育まれてきた。しかし国土が広大である一方、寒さの厳しい気候条件のため、国は冬季に沿岸部が凍結する不利を持つ。冬でも凍らない不凍港獲得に執念を燃やし、南下政策をするも西欧諸国に阻まれていた。そこで、海路を見出せない帝国は広大な領土を結ぶ、独自の陸路を打ち出した。それが、リベリア鉄道計画である。
「ヒッ・ヒッ・フ―…。ヒッ・ヒッ…フー。」
「アナさま。何、出産時の呼吸法やってるんですか。ソレ、疲れを軽減させるモノではないですからね」
「そうなの?疲れが楽になる呪文なのかと思ってたわ。」
「違います。それはラマーズ法と言って妊婦の緊張を和らげるものです。」
「なるほど。ところで、あとどれくらい歩くの。もうちょっとで休憩?」
「いえ、あと数時間は歩きます」
「なるほど…」
皇女たち一行は、リベリア鉄道に乗車するため、乗車駅の町をめざして山道を進んでいた。一行が滞在した民家から町に辿り着くには、旧帝国を南北に分けるジウル山脈を越えねばならない。
「まあ山道とはいえ、まだ線路沿いを歩けるのでマシですね。列車が来る度に隠れるのは面倒ですが。煙も強烈ですし」
「仕方ないだろう。鉄道も半分は革命軍が保有していると言っていい。どこから見られているか分からないのだからな」
アントンとグスタオの会話を皇女は半ばぼんやりしながた聞いていた。慣れない山道で身体全体が重い。
「アナ。少し休みましょうか。」
クリフからの急な提案で振り返る。先ほどアントンから休憩は数時間先と言われたばかりだった。
「どうしたの?もう少し歩けるわ」
「歩き始めてもう2日です。だいぶ疲れが見えます。ここらで少し休みましょう」
クリフの気遣いに、皇女は言う通りにすることにした。一行は林の奥に少し入りこみ、休憩する準備を始める。
「お湯は沸かしていいか?」
「空が晴れてる。煙は目立つから湯を沸かすのはやめておけ。」
「そうかー。寒いのにな。」
残雪は少ないとはいえ、立ち止まると寒い。湯は用意できないので、水をどうぞと渡され、お礼を言って受け取る。民家で老婆が餞別にくれた固いパンや干し肉が回ってきたので、そちらもお礼を言って受け取って座った。座った時に体の重さで疲れがドッと感じた。
「アナさま、疲れましたか?」
話しかけてきたのはアントンだった。
「慣れない山道で大変でしょう。軍人でも疲れるくらいです。」
「お気遣いありがとう。私はともかく、みんなは言うように疲れてるように見えないわ」
「ははっ!それはそうでしょう。これくらいで疲れを見せれば、おっかない上官に怒られますからね」
アントンの目線の先にはクリフがいた。彼はグスタオや他の軍人たちと何か話し込んでいるようだった。
「愚痴の一つも言わずに歩き続けて。アナさまは立派ですよ。」
皇女はアントンをじっと見た。道中、彼の軽快な会話は仲間を笑わせるだけでなく、皆の疲れを紛らわすかのようだった。そんな彼は幽閉中、親身になってくれた警備兵の一人だった。その上、彼は2番目の姉が親しくしていた相手だった。
「アナ。」
クリフが立ち上がって近づいてきた。
「あと数時間歩けば集落がみえるはずです。そこまで歩けば今夜は民家で休めるでしょう」
「今夜は野宿じゃないってこと?」
この二日間は野宿続きだった。あたたかい家で休める期待が高まる。
「おそらくは。そこで一晩過ごし、翌日には町に到着するでしょう。」
ガチャガチャと軍人たちが出発の準備を始めたので、皇女も立ち上がる。今夜は野宿ではないことでやる気を奮い立たせていた。
「もう少し。頑張りましょう!」
皇女は至極真面目な顔をしていたが、今夜野宿ではないことへの喜びが溢れ出ていたことをアントンに苦笑された。
集落にはその日の夕方前に辿り着いた。クリフやアントンが宿泊の交渉をしている間、皇女は他の軍人たちと広場で待っていた。
「アナ。」
クリフたちが戻ってきた。しかし、クリフは浮かない顔をしている。
「交渉の結果、民家に泊めてもらえることになりました。ただし、一部屋だけなのですが…」
軍人たちと相部屋になる。そのことを気にしているらしかったが、皇女は足の痛みをもはや感じないほど疲れていた。野宿でなければ構わない、と説得して宿泊先へ向かった。
案内された部屋は、数人で寝ても問題ないような2階の一室だった。部屋に着いてから荷物を降ろし、宿泊先からパンと羊肉のスープを分けてもらい、部屋で食事をとる。食事中、どこで手に入れたのか軍人の一人がウォッカを取り出した。
「なんだよ!隠し持ってたのかよ」
「野宿で飲んでもなー。楽しみの1つにしたくて取っておいたのよ」
年嵩の軍人たちは酒を少量ずつ分け合い、酒を呷った。疲れていたから酒周りが早かったのか、あっという間に赤ら顔になった。
そうこうしているうちに、酒が回りすぎたのか皇女に絡み始めた。
「アナさまはどんな人が良いんです?」
え、と気づいた時にはアントンとクリフに挟まれていた皇女は酔っ払い共に引っ張られていた。
「わ、わ、わ!」
「お前バカ、そりゃー強くて男らしい人だろ」
「いや、貫禄がある博識な男かもしれん」
「いや立派な髭を持った…アナさま、こいつなんてどうですか!?」
皇女を中心に座らせ、酔っ払い特有のしつこさで好き勝手言いたいことを言い合った。突き出された髭のある若い軍人は酒で意識が飛んでるようだった。彼らは楽しそうだが、皇女は酔っ払いの集団にとても戸惑っていた。酔っ払いたちは皇女にどんどん近づいていく。
「アナさま、こいつは悪い奴じゃないですぜ!むしろ気の使える…」
「おい」
1人の軍人が皇女の肩を掴んだと同時に、軍人の頭が鷲掴みにされた。
宙に持ち上げられ、軍人の頭はミシミシと音がしそうなほどの力で掴まれている。
「それ以上騒ぐなら、表に叩き出すぞ」
研ぎ澄まされたような硬質をもった声と、氷のような冷たさを持った目をした男が怒っていた。感情を露にするクリフに、流石の軍人も騒ぎすぎたと思ったのか、「す、すまん…」と反省を述べた。その瞬間、軍人は解放され、床に尻餅をつける。男は床にへたり込んだ軍人に対し、冷たい目線を向けたままだ。
軍人が腰をさすっているとき、扉を叩かれた。
「おおーい。今、大きな音がしたけどー」
1階にも音が響いたのか、住人が気にして声をかけてきたらしい。立ち上がったアントンが部屋の外で対応している間に、クリフは上着を持って無言で部屋から出ていった。皇女も立ち上がり、扉の外に出た時には、住人はすでに1階に降りていた。
「アナさま、大丈夫ですか。野放しにしすぎてすみません」
酒を飲んでないアントンから謝られ、クリフもあんなことしちゃって、と言う。
「いえ、わたしもああいう場は初めてだったので…。」
皇女は顔を少し赤くして、クリフは外へ出たけど大丈夫かしらと思った。
「ははっ!彼の怒りは嫉妬もあるので、あまり気にしなくていいですよ」
「しっと…?」
疑問を浮かべる皇女に苦笑し、そうだ、とアントンは部屋に戻り、戻ってきたときには何かを手に持っていた。
「これ、クリフに渡してきてもらえますか?彼、あまり食事に手をつけていなかったので」
渡されたのはパンの乗った食事と皇女の上着だった。食事をとっていないのはよくないと思い、ふたつ返事で皇女はクリフを追いかけた。
出てくる地名は少し変えています。本物の地名とは少し違いますが、イメージは本物の通りです。