軍人と時計
「ナーシャさま、おはようございます」
カーテンが開けられ、部屋の中が明るくなる。ベットの中から出たくなくて、うーんと言いながら体を縮こませていたら、勢いよく毛布を剥ぎ取られた。
「おはようございます」
眩しいメイドの笑顔に対し、誤魔化すような顔で、おはようと言った。
「もうすぐ冬ですね。ナーシャさまがベットからもっと出にくくなる時期がくるので、冬支度を急がなければ」
「いいわよ。私よりみんなが寒くないようにそっちの準備を急いでちょうだい。私はまだ十分温かく過ごせるから大丈夫よ」
冬が来るとはいえ、まだ秋の中頃。朝起きるのは大変だが、冬本番に比べればこれくらい平気だ。
「ナーシャさま、お言葉は大変嬉しいですが、帝国の冬を軽んじてはいけませんよ。冬のコートも服も支度しなければ。毛布も絨毯も変えて、暖炉も常にあたためておかないと」
冬は寒いんですから、という力強いメイドの声にほどほどにね、と伝えておく。この様子だと明日にも冬の支度が出来上がっていそうだ。
窓を見ると晴れ間の見えない曇り空に、城内の庭は寒そうな空気を醸し出していた。まだ冬ではないのに雪が降りそうな気配がした。
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「皇女さま」
ハッとして目を向ければ、暖炉の前に軍服を着た男が立っていた。暖炉の火を見ていたら、うとうとしてしまったらしい。どれくらいこうしていたのだろう。
「皇女さま、何故ここにいるんですか。お怪我をされているのに、部屋から出るなんて。悪化したらどうされるのですか」
かがみこんで下から私を見つめてきた。平坦な声の割に瞳が感情で揺れている。どうも怒っているようだ。それは悪いことをした。
「ごめんなさい、目が冴えてしまって。もう少ししたら戻るつもりだったのよ」
下を向きながら申し訳ない気持ちで謝ったら、はーっと声がした。男は首を横に向いていたが、私に向き直って言った。
「何かあれば家の者か私をお呼びください。皇女はまだ歩くのがやっとの状態なのですよ。」
どうも怒っていたわけではなく、心配させていたらしい。小さな声でもう一度謝った。
パチパチと暖炉の火が燃える音がする。ようやく落ち着ける場所に来たせいか、ついついぼうっとしてしまう。革命が起きてからというもの、軟禁同然の生活中もずっと息を潜めているような状態だった。
男の方に顔を向けてから、そういえば肝心なことを聞いてないことにようやく気づいた。
「ねえ、あなた達は一体誰なの?」
男もこちらを向いた。よく見れば家の中なのに、制帽から軍服の上着まで着用していた。
「あなたたちはあの家の警備兵だった。つまりは私たちの監視役。はっきり言ってしまえば敵対関係にある者たちだと思ってたわ」
言い切ってから、胸が痛みだした。あの時の傷の痛みだが、これは身体の痛みだけじゃない気がする。
私が顔を歪ませたのを見て、「皇女」と手を伸ばしてきた。それを手で制して、続ける。
「あそこで私たちの味方は家族と使用人、それと医者たちだけだったわ。それなのに、何故あなたは私を助けたの?あなたを見たのはあの家ではじめてだったはずだけど」
胸が痛い。身体中が熱くて、全身が沸騰しているようだ。頭の中にあの光景が浮かび上がる。泣き叫ぶ声が、助けてという声が、悲鳴と共にいくつもの銃声が頭に響く。
「答えて。あなたたちは何者なの!?私を助けてどうするつもり?」
痛む胸を抑えながら、感情的に言葉が出た。頭も痛み出したが、目の前にいる男から目を逸らさない。感情を抑えようと意識しながら、相手の様子を伺った。
暖炉の薪は爆ぜた音がした。
息を吐いてから、改めて男は私を見つめてきた。その瞳は、母が持っていた蒼玉と同じ深い色をしている。瞳はなんだか熱をもっているような気がした。
「皇女、以前は誤解を招くような行動をしていたと自覚しております。しかし、革命軍に紛れるにはあのような行動をとるしかなかったのです。はっきりいえば、我々は皇室側でも白軍側でも革命軍側でもありません。」
混乱した。革命軍の軍服を着ていながら、この人たちは革命軍でもないという。混乱する私見ながら彼は続ける。
「我々はどこにも所属することなく、あなたを個人的に助けた。それでは納得できませんか」
顔に書いてあったのだろう、理解できてない私の顔を見てうっすら笑いながら言った。
「納得できるわけないでしょう!あなたたちは道中、外国語で話していたわ!それなのにどこにも所属していないというの?」
ズキズキと痛む頭を無視しながら、思い返してみる。雪原を進む中、確かに言葉を聞いたのだ。
彼は私の様子に目を細めながらも、話を続けた。
「我々の一部は確かに英国圏出身の者もいます。ただ、同行している者全てが同じ所から来ているわけではありません。同行している者の中には、あの家から協力している者もいます。」
彼らは一枚岩ではないということなのか。私を見つめながら、男はどこか遠くを見ながら、とつとつと話し出す。
「最初はもっと早くご家族ごと救出するつもりでした。ただ予想より監視の目が厳しく、日に日に警備も厳重になっていきました。こちらとしても下手に行動をとりスパイの疑いをかけられるわけにもいかず、そうこうしているうちにあの事件が起こったのです。」
頭痛がひどくなった気がする。でも、思い出してきた。彼はそっけなくも、誠実に対応してくれた警備兵の1人だと。周りにいる軍人たちも。ひどい警備兵だと、姉妹で用を足しに行くのにもついてきたり、壁に卑猥な落書きまでしてきたのだ。
「とにかく我々の共通の目的は、あなたを安全な所まで連れて行くことです。」
唐突な言い切りっぷりに驚く。聞きたいことはまだまだあるから、口を開こうとしたら、「今日はここまでです」と言い切られ、額に手を伸ばされた。
「先ほどから熱が出ているでしょう。今日はもうお部屋で休んでください。今のあなたの仕事は身体を休めることです。この続きはまた次回に。」
「待って、まだ聞きたいことがあるの。あなたたちの事や他のことも」
「そちらもまたの機会に。ひとつ言える事は」
瞳を覗き込んでくるように、息を潜めるようにしながら彼は言った。
「我々はあなたに恩がある。だからこうしているのです。」
恩て、なに。まっすぐな瞳に何も言うこともできないまま、手を取られた。
「それから、こちらを。」
片手の上に何か置かれた。冷たく、ひんやりとした感触に驚く。薄暗くて、最初は何かわからなかったが、ハッとして彼を見返した。
「これは...」
「没収された物の一部でしたが、諸々の事情でこちらで預かっていました。」
鎖を持ち上げると、暖炉の明かりを受けてきらりと煌めく。それは皇帝の、父の金の時計だった。
どうして時計が、と聞く間もなく「では失礼します」と声と同時に、気付けば抱えられていた。
「お、おろして、」
「お部屋までお運びします」
こちらを無視して歩き出した。別の意味で身体が熱くなり始めたが、大人しくすることにした。身体中が痛いのは本当のことなのだ。
まだ言っていなかった、と思い出し「あの、」と声をかける。
「ありがとう。その、助けてくれたことも。この時計も。」
「............いえ」
熱なのか別のことが原因かわからないが、意識がふわふわする。距離の近さがなんだか恥ずかしくて、顔を直接見れなかった。
「あなたのお名前は?」
彼が立ち止まる。時計の鎖がチャリンと鳴った。
「クリフです。クリフ・ウィレムス」
遅くなりましたが、初投稿です。
よろしくお願いします!