聖女の資格を剥奪され、生贄にされた私ですが、イケメン邪竜から溺愛されて幸せになりました。
祈ることには、慣れていた。
物心ついた時には聖女として祭り上げられていたアリアであり、その日常は、大半が祈ることであったといってよい。
それも、ただ神前で手を組むだけではない。
時に神々へ舞を奉納し……。
また、時には聖歌を歌唱することで……。
実に様々な形で、人々の安寧と繁栄を祈り続けてきたのだ。
だが、今、アリアが祈っているのは他者の幸福ではない。
それどころか、自身の幸福ですらなかった。
脳裏によぎる思いは、ただ一つ……。
――せめて。
――せめて、苦しみなくこの命が終わりますよう。
……ただ、この願いのみだったのである。
アリアが今いるのは、慣れ親しんだ大聖堂の中ではない。
それどころか、人里ですらなかった。
周囲には、不気味に節くれ立った樹木が生い茂っており……。
漂う空気の冷ややかさは、ここが森の中というだけでは説明がつかない。
背筋を震わせる怖気の正体は――瘴気。
この地で各所から吹き出している瘴気が、植物の正常な成長を阻害していると見て間違いなかった。
そう……ここは、尋常な生物が足を踏み入れてよい場所ではない。
今はまだ姿を現していないが、生息する動物たちも瘴気の影響を受けて魔獣と化しており、通常の生物では考えられない身体能力や、邪悪な魔力を秘めているのだという。
とりわけ、恐ろしい存在とされているのが、この地に生きる魔獣の頂点――邪竜。
その名も、邪竜イービルシスである。
吐き出す黒炎は、オリハルコンすら溶かすほどの超高温であり……。
その牙や爪は、この世に破壊できないものがないという。
太くたくましい尾は、十人からなる完全武装の騎士を、ひと振りで肉塊に変えると伝えられていた。
想像するだに恐ろしい魔獣の王……。
自分はこれから、その竜に生贄として食われねばならないのだ。
そう、アリアは、身ひとつでこの森にやってきたのではない。
十五という年齢を加味しても小柄な体は、聖別されたイチジクの木で組まれた檻の中へ放り込まれている。
しかも、この檻には他ならぬアリア自身の手で聖なる力を込めてあり、生半可な魔獣では、近づくことすらできないようにされていた。
そうすることにより、他の魔獣に食われてしまうことを避け、確実に邪竜へ食わせようとしているのだ。
いかなこの檻といえども、邪竜の力を退けることなど不可能なのだから……。
アリアは祈り続ける。
一刻も早く、邪竜が現れることを……。
そして、この恐ろしい時間を、自らの命ごと終わらせてくれることを……。
自分を檻ごと運んできた兵士たちが立ち去って、一刻ばかりが過ぎただろうか。
その間、檻の力を恐れてか、魔獣が姿を現すことはなかったが……。
ついに、それが飛来したのであった。
上空を羽ばたく音の、なんとたくましく力強いことだろうか……。
それが、徐々に徐々に……と、地上へと降下してくる。
そうして降り立ったのは、全長二十メートルを越すだろう巨体であった。
全体的には、爬虫類の特徴を宿しているが……。
背のコウモリめいた翼と、太くたくましい後ろ足による直立は、爬虫類から隔絶したものである。
その瞳も、はっきりとした理性の光を宿しており……。
そこいらの魔獣とは、格が違う存在であることを、見る者に直感させた。
全身を覆う鱗の色は――漆黒。
いかなる色にも染まらず、ただ飲み込むのみであるその色は、この生き物にこそ相応しい。
「邪竜――イービルシス」
アリアが、檻の中でつぶやく。
「――娘よ」
「――言葉!?」
アリアが驚いたのは、眼前に降り立った巨大な魔獣が、はっきりとした人間の言葉を喋ったことだ。
太くたくましい牙が並ぶ口は、とても人語を話せる構造ではないが……。
この強大な生物にとって、そのような身体的構造など、問題ではないということだろう。
「ふっはは……。
面白い小娘だ。
喋っただけで、かくも驚くとはな」
自分を見据えた邪竜が、目を細めながらそう告げる。
そして、あらためてこう言ったのだ。
「それで、娘よ。
何故、この森にいる?
それも、かように強力な力を込められた檻に入れられてだ」
「それは、あなた以外の魔獣から、襲われないようにするためです」
嘘をつく理由など、存在しない。
だから、アリアはただ事実を告げる。
そんな自分に、邪竜は続けてこう聞いたのだ。
「我以外から、襲われないように、か……。
娘よ。
それでは、まるで、我になら襲われても構わないと、そう言っているように聞こえるが?」
「その通りです」
これもまた、きっぱりと告げる。
自分の姿を見るや否や、ひと息に飲み込んでくるだろうと思っていた相手との会話……。
少々の意外さはあったが、しかし、それだけでしかない。
つまるところ、結末は何も変わらないのだ。
「ふむ……。
どうして、我になら襲われてもよいのだ?」
「それが、わたしの役目だからです」
「要領を得ぬな。
何故、我に襲われて食われることが、お前の役目となる?」
「それは……」
その問いかけに……。
初めて、アリアは答えることを躊躇する。
それは、自分の罪を告白することと同義だったから……。
だが、しばしの逡巡を経て、決意した。
自分を終わらせてくれる相手に告解できるというのは、神々の思し召しであるかもしれないと、そう思えたのだ。
「……わたしが、罪人だからです」
「罪人、だと……?
聖なる力を持たぬ我にも分かる。
お前が、尋常ではない光の力を備えていると。
おそらく、神々の声を賜ったことも、一度や二度ではあるまい?
通常、人間はお前のような者を聖女と呼んで崇め奉り、導き手とするのではなかったか?」
「確かに、わたしは聖女と呼ばれていました。
ですが、それは過ぎた扱いだったのです。
わたしには、皆を教え導く資格などなかった……」
「娘よ。
何故、そう思う?」
「魔王ラスプーンの復活……。
去年、我が国を襲った記録的な不作……。
いずれも、わたしの祈りが足りていれば、起こり得なかったことです。
ゆえに、わたしは聖女の資格を剥奪され、こうして御身の下へと運ばれました。
今、我が国は弱っています。
わたしが生贄となって食べられることで、せめて、あなた様が襲ってくるようなことだけはないようにしよう……そのような方策です。
聖女の務めを果たせなかった出来損ないですが、そのくらいの役には立たなければならないのです」
一気に言い切る。
そして、あらためて邪竜の姿を見上げ、こう言った。
「邪竜イービルシスよ。
どうか、我が身を引き換えとすることで、王国に災いをもたらさぬようお願い申し上げます」
「ふうむ……」
邪竜は、何やら考え込んでいるようだったが……。
しばらくして、こう言ったのである。
「ならば、お前を我が伴侶にしよう」
……と。
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人間の年齢というものは、よく分からないが……。
おそらく、この娘は、大人と子供の狭間にいる年頃だろう。
ひどく――可憐な少女だ。
黄金の髪は、首元の辺りまで伸ばされており……。
顔立ちの愛らしさは、猫科の幼獣を思わせた。
生贄用だろう薄手の装束に包まれた体は、やや小柄であるが、その割に、女性らしさを感じさせる部分はよく育っている。
はっきり言ってしまえば、イービルシスという個体にとって、好みの外見そのものなのであった。
そう、竜でありイービルシスにとっての、好みである。
何故、かくもかけ離れた生物を相手に、そのような感情を抱くのか……。
その答えが――これだ。
「――むうん」
軽く唸ると、イービルシスの巨体が光に包まれ……。
少しずつ、その体を縮小させていく。
しかも、過程で明らかに体が作り変わっており、人間のそれと寸分も変わらない姿となっているのだ。
やがて、光が収まり……。
一人の人間が、姿を現す。
イービルシスにとってもかなりの昔に手に入れた装束は、少しばかり布や装飾が多く、動きづらい。
鱗と同じ漆黒の髪は、腰の辺りまで真っ直ぐと伸びている。
顔は……以前、人間に見せた際は、恐ろしいほどの美形であると言っていたか……。
とはいえ、いくつかの文明が滅んでは興る前のことであるから、美の価値観も変わっているかもしれないが……。
この姿こそ――竜種の秘密。
どうして、人間への変身能力など持っているのか……。
その答えは、簡単だ。
種を存続させるためである。
竜に、雌は存在しない。
そして、世に生物数あれど、竜の子供を宿せるのは人間の女のみなのであった。
「その、姿は……?」
「驚いたか?
これが、我がもうひとつの姿だ。
どちらも、真実。
いずれかが、仮の姿ということはない。
さて、そろそろ、檻を挟んで会話するのにも飽きたな」
そう言いながら、イチジクを素材とした檻に近づく。
娘を捕らえているそれは、並の魔獣ならば近づくこともできないほど、強力な光の力で守られているが……。
問題はない。
こちらの姿になると力が衰えるとはいえ、イービルシスこそ竜の中の竜――暗黒竜なのだから。
「ふん……」
軽く力を入れ、檻を破壊しにかかる。
枯れ木をへし折るかのごとく、聖なる檻は破壊された。
「では、行くとしようか。
その前に、名を聞いておこう」
「アリア、と申します」
「アリアか。
我の名は、名乗る必要もあるまい。
だが、そのままではちと長い。
よって、我が嫁となるお前には、イルスと呼ぶことを許そう」
言いながら、手を差し出す。
だが、少女は困惑した顔のままで、この手を取ろうとしなかった。
「あの……伴侶にするというのは……?
わたしを食べないのですか?」
「ふ、ふふ……」
その態度に、思わず笑みを漏らしてしまう。
「どのように伝わっているかは知らぬが、我が人間を食べたことなど一度もない。
一度、何をとち狂ったか、人間が向けてきた軍は皆殺しにしたが……それも自衛のためよ。
どうやら、永き時を経て、歪んだ伝承が伝わっているようだ」
手を取らないというならば、強引に……。
こちらから、やわらかな手を掴み取る。
「娘よ。
お前の望みは、ことごとくが叶わぬと言っておこう。
何やら、お前は自分の不幸を望んでいるようだが……。
あいにく、我はお前が気に入った。
よって、これから先、お前の人生には、あらゆる幸福を約束してやろう」
「え、ええ……」
困惑する彼女の手を引き、縄張りとする森の中を歩む。
まずは、この娘と共に生きるため、人間としての身分を作らねばなるまい。
それから、この娘が憂いとしている物事をひとつずつ取り除き、笑顔を取り戻させればいいのだ。
そうなると、最終目的は――魔王の打倒か。
父たる竜が、当時の聖女だった母と共に封印した存在……。
確か、真実を知らぬ人間たちは、父を勇者として語り伝えているのだったか……。
その伝説を、息子たる自分が塗り替えるのも、悪くない。
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