Ⅰ-3
確かベッドに横になったはずだった。
すぐさま深い眠りに落ちて、目の前は暗転した。
しかし今眼前に見えているのは砂浜と青い海、遠くには雪を被った山。
イルの横には白砂に映える白いドレスを着た女の子が立っていた。
「君は?」
問いかけると彼女は一瞥もせず、海を見つめながら答えた。
『……私はレラシエ。魔族を統べる者』
直感した。
魂として同居している魔王……しかし、その姿はイメージする魔の王とは異なっていた。
襟足で切り揃えられた銀色の髪。
白い肌、白いドレス。
レラシエには魔王というよりは聖女という言葉が似合うだろう。
「君が王様か」
『……そう。そして、あなたと共にいる存在」
「この体は君の、レラシエのものかと思っていた」
さざなみが優しくリズムを打つ。
一定のザザ、という波音が絶えることなく耳に響く。
『……この体はどちらかと言うとあなたのもの。……でもあなたのものであってあなたのものではない』
連続する波音。美しい場所だ。この世のものとは思えない。
そしてこれが夢か何か、心象風景のようなものだとしても、イルの中にはこんな記憶は無い。
光の加減で透明度を増す海、サラサラの砂……少なくとも現実で訪れたことはなかった。
『……この帝国には脆弱性がある。例えば革命派。この国の暗部である巨大な格差を是正しようとしている人間たち』
沈黙を破ったのはレラシエの声。
『でも……』
そこで、言葉は途切れた。
「でも?」
『……いえ、なんでもない』
立ち上がり、砂を払うイル。ひとつ伸びをして、
「なら、その脆弱性とやらを狙ってみるか」
と返す。
『……あなたは私の力を少しだけ使える……。生物の心を掌握する闇魔法……エルド』
「エルド……」
『その力はきっとあなたの目的に役立つはず』
「そうか。やってみるよ」
レラシエはあまり会話が得意ではないらしい。
もしくはイル自身がその思考レベルについていけてないか、だ。
『……あなたのいた世界からすればこの世界は異世界ということになる。でも本質はあまり変わらない。それでも私は生命の可能性を信じたい……』
「相手が人間ならやりやすいよ。俺も伊達に色んなことを見聞きしたわけじゃないからな」
『……私はいつもあなたといる』
女性に対して百戦錬磨のイルとはいえ、魔王の少女と会話したのはこれが初めてだ。
こういう時は天気や土地の話など、ありきたりな所から攻めるのが定石だろう。
「ここはこの世界……クライテリアのどこかにある場所なのか?」
『きっとどこにでもある。でも、同じ場所はない』
「美しいところだ。見たことがある気がする」
『……私たちの精神はほとんど一つになっている。あなたの心もわかる。あなたも私の心がわかる』
その言葉を契機としてか、レラシエの記憶の様なものが、ある種、走馬灯のように脳内を駆け巡った。
燃やされる村、焦げた魔族、逃げ惑う子どもたち。
『たくさんの命が失われた。それぞれの思いひとつで』
人間の子どもを人質に兵士を足止めしているリザードマン。突如、兵士の背後からもう一体のリザードマンが現れ、鎧ごと切り伏せる。
路地に追い詰めた人間たちを魔法の炎で焼き尽くすツノのある魔族。
村に降り立った巨大な竜は慈悲無く女子供を食らう。
肉片や死体だけでなく、家屋や人の生活のあと……村や国ひとつが、どんどんと屍になっていく。
『……人間も魔族も同じ生命なのに……』
人間たちも魔族を串刺しにし、村の前にさらしたり……魔族のツノを集め、アクセサリーとして着飾ったり……。
「キレイゴトじゃないこともたくさんやって来たんだな」
井戸水に毒を混ぜ、種族関係なく殺す……。
土地を腐敗させる魔法を用いて、恒久的にそこに住む人間に害を与える……。
脳に浮かび、目の前に流れていく惨劇。戦争は悲惨を極め、生きるものは飢え……。
『……あなたが現世と考える世界は倫理や当たり前がしっかりしている世界みたい。この世界は違う。あなたが悪と考えることもここでは普通かもしれない』
レラシエの言葉に、イルはハハと高笑いをあげた。
「それは『おあつらえ向き』かもしれないな。太陽を避けてきたもんでね」
世界はいつも羊の顔をして、狼の爪を伸ばしてくる。
そんな中で人を騙し、己を騙し、金のために生きていくと……いつの間にか自分が望む平穏は、もっとも遠いところに離れてしまって、いくら手を伸ばしても届くことはなかった。
『日が沈む……つまり、朝が来る』
いつしか太陽が大海をオレンジ色に染めていた。相変わらずザザ、という音が辺りに聞こえる。
「行ってくるよ」
その声だけを残し、眼前は再び暗転した。
窓から差し込む光が、イルの顔を優しく照らしている。
世界はいつでも優しい光を見せてくれるが、その実何もしてはくれない。
「異世界か……」
呟きながらゆっくりと身を起こした。耳の奥にはまだあの波音が聞こえている、気がした。
横を見るとオルト・リアが左腕にまとわりついたまま横になっている。優しく髪をなでると
「好き……」
と寝言のように呟いた。




