Ⅰ-1
「魔法陣も準備できています」
「そう……セレン、ありがとう。これでしばらくさよなら……だね」
セレンと呼ばれた少女は、銀の髪の少年の前にかしずく。頭を垂れて……まるで神に祈るように。
「私にとっては一瞬です。主よ」
木造りの部屋。
足元には魔法陣。
あたりは儀式的な準備が張り巡らされており、近くにあるバーカウンターと不釣り合いに見えた。
喪服のような幻想的な黒いドレスを身にまとった少女……セレンは何かに気付いたらしく、顔を上げた。
「来たようですね」
遅れて足音が響き、バーのドアが開く。
入ってきたのは、銀色に輝く鎧に身を包んだ金髪の少女。
流れるような金色の髪を後ろでひとつに縛っている。
「魔族よ……ここで何をしている!」
続いて、十数人の鎧が大仰な足音を立て、室内に殺到した。
隠せない怒気がいずれの鎧からもあふれていた。
「討伐騎士団、団長オルト・リアの名をもって貴様らを討伐する!」
金髪の少女は勇ましく剣をかかげ、セレンともう一人の人物をにらむ。
「貴様らは終わったのだ。そしてこの人数……諦めて死を選べ」
「仕方ないか……」
ゆっくりとした動作だった。
黒いコートのような外套を着た人物。少女とも少年とも言える風貌の人物。
椅子に座っていた彼は、少女の声音でつぶやき、立ち上がった。
「動くな!」
幾人かが魔力の流れを読み取り、眉をピクリと動かした。
道に立つかげろうのような、熱気のような……微妙な空気の変化が騎士団たちの目に映った。
「全員構えろ! 魔法が来る!」
ピシリ、と張り詰めた空気。
一瞬の沈黙。
立ち上がった少年の銀髪が揺れる、その奥に光る双眸が赤く閃いた刹那、
「エルディアス」
という声が響いた。
「!!!」
輝く鎧の討伐騎士たちは構えた剣をお互いに向けた。
もちろん金髪の少女も同じで、仲間同士であろうというのにも関わらず、お互いがお互いの体を切り結んだ。
「オルト様! おやめください!」
鮮血が金髪を染め上げていく。
「お前も死ね!」
黒い服を着た二人は微動だにせず、その有り様をただ見ていた。
「死ね! 死ね!」
笑う騎士団長。その目は完全に光を失い、黒く濁った虹彩に映っているのは倒れゆく仲間の姿だ。
嬌声に似た笑い声と悲鳴が織り重なって、数刻のうちにはあたりは血と死体だらけで、生臭い人間のにおいが辺りに充満していた。
「わ……わた……私は……」
騎士団長オルト・リアは、呆然としてその場にへたり込んだ。その金髪はみるみる色を失い、白髪へと変わっていった。
殺戮の最中、後ろで縛った髪はほどけており、砕けた上半身の鎧がにぶい音を立てて血だまりの中に落下した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……どういうこと?」
目を覚ますと目の前には惨状が広がり、左腕を白髪の少女がギュッと抱きしめていた。
「お待ちしておりました。主よ」
一方、眼前には黒いドレスを着た黒髪の少女がひざまずき、にこやかに微笑んでいる。
「私はセレニティス・エクレシア。セレンとお呼びください」
セレンと名乗る少女は落ち着いた動作で深い一礼をしながら、言葉を続ける。
「主の見た目は17歳程度の男性。黒髪で鋭い目つきをしています。眉目秀麗です。お名前は?」
そう言われるが、記憶にある姿形とは異なっている。
情報があふれて頭痛がするが、最後に見たのは海の中から見える朧げな星と月明かり。
記憶をたどり、自身の名前を確認し、答えた。
「イル……」
「イル様、あなたは貴方はこの世界を支配するために転生しました。まず今いるこの国を手に入れるべく動きましょう。私も尽力いたします」
「あー、まず……」
自分は夜の世界で生活し、裏の道で生きてきた。
この世界は前の世界とは大分異なる。
イルはそんなことを考えながら、喉奥からなんとか言葉をしぼりだした。
「この左腕にくっついてるのは?」
「我々と敵対していた討伐騎士団の団長です。オルト・リアと名乗っていました」
オルト・リアらしいその白髪の少女は、イルの左腕を抱きしめながら、彼の目を見つめた。
「好き……」
目を背けるようにしながら、セレンはすこしだけ言いよどんだ。
「貴方を召喚する儀式の直前に現れまして……少々問題が発生しました。ですが、支障はありません」
「好き……イル君……好き……」
オルトの目は青みがかかっていたが、どこか光のない印象があった。
イルはせき払いをして、顔を背ける。
「まず、主にはこの世界のことをお伝えいたしましょう。」
一切を無視して話を続けるセレン。
その前に色々教えてほしいことがある、と思ったがイルは言葉を飲み込んだ。
きっと何を言っても無駄だ。
そういうことは慣れきっている。社会ではよくあることだ。
セレンの声は澄んでおり、木で作られた部屋の中で、小鳥のさえずりのようによく反響した。
「この世界はクライテリアと呼ばれています。神々の住む土地、という意味です。クライテリアでは我々魔族と人類が昔から対立したり、よりそったりして、世界を構築して来ました」
いわく……魔族と人類は数百年ほどは友好な関係にあった。
しかし、魔族のみが使える『魔法』が発展を見せ、人類はそれを脅威に感じ始めた。
人類には魔力が存在していなかった。また、魔法により生まれた経済や国の繁栄に対し、人類が不満を持ち始めた。
人類には神の力を借りる『奇蹟』しかなかったためだ。奇蹟は医療目的で使われたが、それだけで汎用性に乏しかった。
不満が人類領に広がり、対魔族強硬論の声が上がり始めた。
そして「魔族は人類を支配して、奴隷にするつもりだ」などの流言が広まり、四十年ほど前、ついに戦端が開かれた。
「この戦争は後に聖魔戦争と呼ばれました。数年で聖魔戦争は激化し、さらに十年ほどで、魔族は人類を大幅に追い込みました。しかしそこで……」
セレンはイルの目を見つめた。
「勇者、と呼ばれるものが現れたのです」
勇者は目覚ましい活躍を見せ、圧倒的な力を持って五年ほどで戦局を逆転させ、魔族領を崩壊させた。
魔王は姿を消し、魔族はクライテリアの各地に散らばった。
「魔王……主は今あなたのうちにあります」
「は?」
突然のことにイルは思わず高い声を出した。理解が追いつかない。
「主は肉体の維持が困難になるほど、消耗し、魂をあなたの中に隠しました。つまり、あなたは魔王であり、イル様なのです。我々はその状態にあるものを継ぎ手と呼んでいます」
セレンは一呼吸おいて、真剣な眼差しで話を続ける。左腕を抱きしめるオルトの力が少しだけ、強まった。
「あなたには継ぎ手として、魔族を助けてほしい。そしてまた魔族が当たり前に暮らせる世界を作ってほしい」
何度目かの沈黙。
イル、セレン、オルト……三人の息遣いが部屋に小さく響く。ため息を吐いてイルは前を向いた。
「それで……再び魔族の世界にするために、手始めにこの国を盗れ、と」
「その通りです、イル様」
「……悪くないな。俺の目的にも合ってる」
目を鋭くさせる黒いドレスの少女。
「イル様の目的とは?」
「復讐……かな」
遠くを見つめるイルの言葉だけがその場に残った。
部屋でゆらめくろうそくの火が、三人の影を長く伸ばしている。
どこか遠くで、名も知らない生き物のギャァという鳴き声が夜のとばりを裂いた。




