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91 焦りか…… 似たようなものか……

 兵庫県警灘警察署の一室。


 守衛から借りた衣服はどれも大きくて、体格に合わなかった。

 特にパンツのゴムが緩くて気持ちが悪い。


「それでは、まずはあなたのことをお聞きします」

 待たされること十分。

 入ってきた刑事は二人。その第一声。

「通称と本名でお願いします」


 通り一遍の身元照合を終え、刑事は手元の書類に目を落とした。

 目を上げると、じっと見つめてくる。

 なんの表情も見せずに、ただ黙って。

 観察しているぞ、という威圧的ポーズ。


 そして質問に取り掛かった。



「ところであなた、あそこで何をしてたんです?」


 刑事に何度聞かれようとも、答えることはできない。

 それが己の身に極めて不利になることはわかっている。

 それでも、事の経緯を正しく説明することはできない。

 なぜ白骨死体を発見するに至ったか、ランが、蛇が、猿が、あいだみちが、など言えるはずもない。


 黙っていれば、刑事達の頭に、犯人は犯行現場に戻ってくるというジンクスが浮かぶ。

 しかし、信じてもらえないことをいくら声高に説明しても、状況は悪くなるばかり。


「話せないのです」

「なぜ、です?」

「わかりません」

 などというやり取りを続ければ続けるほど、己が首を絞める。



「あなた、あそこの大学の先生ですよね」

「そうです。講師をしています」

「大学の裏山に登る、そんな授業があるそうですね」

 と刑事は、仕込んできた情報をチラと見せる。


「つまり、あの山には何度も行かれたご経験があるってわけだ」

「……まあ」

「あの仏さん。今、確認中ですが、あなたの授業を受けてた学生だったそうですよ」

「……」

「卒業後は一時、職員として働いていた」

「……」

「彼女と、裏山に登る。特別おかしなことでもなかった。違いますか?」

「あ……、えっ、もしや」

「もしや、何です?」



 アンジェリナ……、なのか……。



「いえ、……なんでもありません」

「彼女と裏山に登った。ということですね」

「違います。授業で行ったのは一度きりですし、いえ、彼女が受講していた年度では、という意味です。それに」

「それに、なんです?」

「彼女が卒業してから、結局、雨やなにやで、一度もその授業はやっていません」

「あなた、私の言うことをちゃんと聞いていますか? 彼女が職員として働いていた時に、と言ってるんです」

「あ……」

「それに、あなた、彼女、に心当たりがあるんですね」

「え」

「私は名前は出していませんよ。誰ですか?」

「いや……」



 警察はすでに、白骨死体がアンジェリナであるという想定に立っている。

 現場に散乱していた持ち物から、すぐに判明したのだろう。

 警察情報網ではアンジェリナの現時点での位置情報は掴めなかったのだろう。

 かなり以前から行方不明という大学側の説明も踏まえれば、その想定は正しいのかもしれない。


 学内の誰かがアンジェリナの失踪を警察に告げたのだろうが、致し方のないことだ。

 しかし、アンジェリナ……。

 いったい、どうしたのいうのか。

 あんなところで白骨に……。



 刑事は、アンジェリナとの関係性など、追及してはこない。

 あくまで、まだ想定の範囲なのだ。

 遠回りした尋問になるのはそういうことだろう。



「先生、その怪我、どうされたんです?」

「転んだだけです」

「一度転んだくらいで、そんなにあちこち怪我しますかね」

「何度もね。木の根に躓き、足を滑らせ、穴ぼこに足をとられ」

「焦っておられたんですな」

「……、それはもう。全力で下ってきましたから」

「ふうむ。それにしても、その傷の数は。違うでしょう。もっと切迫した理由があるのでしょう」

「は? どんな?」

「さあ。それはこちらが伺いたいこと。何を焦っておられたんです? あるいは何に怯えておられたんです? あるいは、誰かと争われたのかな」

「怯え……、争いか……。似たようなものか……」

「どういうことです?」

「いや……」



「それでは、もう一度お聞きします。なぜ、あそこに行かれたのか。死体発見当時の状況を」

「もう何度も」

「ええ、なんども同じことをお聞かせ願うのは刑事の習性ですので」



 これで三度目の、肝心なところは伏せた、辻褄の合わない説明をしながら、どうすればこの危機をやり過ごすことができるか、考えた。


 ただ、疲れ果てている。

 しかも眠い。

 焦点が定まらぬ思考が空回りするばかりで、妙案が浮かぶわけでもない。

 こうやっていつしか、誘導尋問に掛かるんだろうな、などとつまらないことだけが頭の中を巡る。



「で、私は待ちました。誰かが来てくれるのを」

「守衛の男性が見つけてくれるまで、あそこにずっといた。そうですね?」

「そうです」

「ずいぶんと気長すぎる行動ですねえ」

「待つしかなかった。何度、言わせるんです」



 確かに、刑事が言うように、白骨死体を見つけた時の恐怖や驚きに照らせば、昨日の夕方からフェンスの向こうで何時間も蹲っていたという行動は奇異に映るだろう。

 しかも時折雨が降る夜明け前まで、半日もの間。


 しかし、それしかできなかったのだ。

 あらゆる電子機器は放電していて連絡のしようもない。

 フェンスはどう探しても乗り越えられるところはない。

 どれだけ大声で叫んでも、だれも気付いてくれない。

 夜が更け、陽が昇り、朝になるまで、濡れた体を丸めて座り込んでいるしかなかったのだ。

 何度言わせるんだ。

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