86 サルが一声、吠えた
クマザサをかき分けかき分け進んだ。
蛇が追ってきているのかどうか、もうわからない。
ササに埋もれて、いつ何時、背後から襲われるか。
恐怖に苛まれながらも、足を運ぶしかない。
いよいよ径の痕跡はかすかになり、進めなくなった。
正面は盛大にクマザサが茂り、茎がびっしりと屏風のように行く手を阻んでいる。
超えてくのは骨が折れそうだ。
左に回れば緩い上り坂。径はあるようなないような。
右に回れば、急な下り斜面。径はなさそう。
躊躇している場合ではない。
登っていこう。
と、すぐ目の前の枝にサルが腰かけているのが見えた。
白銀の毛を持つ大きなサル。
見た目はニホンザルだが、二回りほど大きく、チンパンジーほどの体躯を持つ。
サルの賢人か……。
そいつが、右に降りろというように、左手を挙げて、一指し指まで突き出している。
ん?
何を言う。
径はこっちの登りだ。
それに、山で迷ったときは、谷へ降りるのではなく尾根へ上れというぞ。
サルが一声、甲高く吠えた。
びくりとしてサルを見上げると、また下を指さす。
くそ!
こいつを信じればいいのか。
迷いを察したか、サルは、何度も何度も右へ降りろと指さしてみせる。
よし。
さすれば、従うしかあるまい。
ここで、もたもたしているわけにはいかない。
いつ何時、足首を蛇に喰いちぎられないとも限らない。
勢いよくクマザサをかき分けて下っていった。
沢の音が聞こえてきた。
水辺に近づき、幸い、クマザサは勢いを減じた。
幾分疎になり、進むに支障はない。
さらに下ると沢に出た。
ささやかな流れだ。
で、どうする。
飛び越えて前方に進むのか。
前は急斜面。見上げるほどの崖。
それとも、沢に沿って下っていくのか。
こちら側を。
それとも右岸を。
それとも遡っていくのか。
ランを追って。
情けなくなってきた。
何をやってるんだ、俺は。
ランを恨む気持ちは全くない。
しかし、なんだ、このざまは。
こんなわけの分からないところで、蛇に追われて逃げ回り、サルの指示に従いここまで来たものの、それでどうするというのだ。
あいだみちなどという妖怪の腹の中で、出口もわからず途方に暮れるばかり。
まさか、いつしか消化されるのではあるまいな。
再び、サルが現れた。
崖の上から、また教えてくれるらしい。
沢を渡り、そのまま沢沿いに降りていけと人差し指を動かす。
わかったよ。
従うよ。
あまりにふがいない。
ランにも蛇にもサルにも、さほど怒りが湧かないこと自体がふがいなかった。
それとも、俺はもう、なにか別の人間になっているのだろうか。
PHとやらに。
沢を飛び越え、足首を濡らしながら下って行った。
お。
なるほど、これは径なのだろう。
水や岩に阻まれることなく、まがりなりにも進んでいける。
さて、どこの口から、どこへ出るのか。
常時オープンの口なのだろうな。
でなければ、サルめ、ただでは済まさんぞ。
ランを思った。
今頃、どうしている。
俺を探して走り回っているだろうか。
それとも、あいだみちとやらに聞いているだろうか。
テンポが上がってきた。
が、調子よく下ってきたと思いきや、やれ、情けなや。
ぬか喜びとはこのこと。
大きな岩が行く手を阻んでいた。
岩は水系から突き出たようで、水にえぐられた川底は深い。
とても水の中を進むことはできない。
となれば山側。
目を凝らすと、けもの道らしき痕跡がある。
山の草が踏まれた跡が。
ん?
草?
クマザサではない。
ん?
んん?
おお?
気付かぬ内に、いつしか、よく見る山の景色の中に立っていた。
そうか。
あいだみちの口から出ていたのか!
そいつはいい。
いい兆候だ。
だが、まさか、大峰のただ中ではあるまいな。
けもの道を登った。
すぐに小さな尾根にたどり着いた。
おっ。
お、おおおおっ!
谷筋のはるか向こう、遠い下界。
街の明かりが!
よし、いいぞ!
いいぞ!
いいぞ!
いいぞ!
やれ、うれしや!
やれ!
やれ!
やれ、だ!
ホントに!
サルの大賢人様、恩に着る!




