84 提灯は口に
ランは最初に謝った。
ここから先はまだ遠い。
時間にして一時間ほどだという。
「スニーカーだから大丈夫よね。でも、ちょっと急がないと。相手を待たせるわけにもいかないし」
「今夜中に帰れるのか? 明日は」
「大事な仕事がある?」
「ああ」
「順調にいけば、夜中になる前に帰れると思うよ」
「どう見ても、もう真夜中じゃないか」
しかし、漆黒の闇ではない。
星明かりがあるからか。
そうではない。
木々の下でも、芝居のセットのように、夜であることを意識させる照明があるかのように、夜目はきく。
かなり暗いことに変わりはないが。
「あいだみち。ここは時間の概念が希薄な道。あいだみちって妖の体内。彼か彼女か知らないけど、お腹が満たされていれば時間はゆっくり流れる。お腹がすいていれば、時の経つのは速い」
だから、しっかりお礼を持ってきたのよ。
これだけあれば、お腹いっぱい。
向こうに戻った時、たいして時間は経ってないわ。
「でも、急いでいくよ」
おう。
速い!
ミリッサは意識を妖怪ランの後ろ姿に集中した。
幸い、道は平坦。
歩きにくいこともない。
追いつけないほど、ランは飛ぶように走っているわけでもない。
でも、なんで黒装束なんだ。
闇に溶けている。わかりにくいぞ。
とんでもないことになった。
妖怪の世界で、誰かに会う。
何のために会うのかも定かではない。
ノーウェの死に関係しているとは言うものの。
ランは猫の妖怪。
オレは特別な人。
あいだみちの体内を移動。
お礼のおはぎ……。
ノーウェの死は妖怪の仕業?
そもそも、ランは何を知っている?
そんな思いが浮かんでくるが、深く考えないように。
考え事をすれば歩みは遅くなる。
ここではぐれてしまうわけにはいかない。
絶対に。
径は徐々に登り坂になってきた。
依然としてクマザサは深く視界を遮る。
径は曲がりくねり、ふとランの背が視界から消える。
映画館の中のような薄暗闇。
明かりはない。
妙だな。
生えている木はシイ類とクマザサのみ。
まあ、どうでもいいことなのだろう。
舞台セットの環境づくりに「あいだみち」ってやつは無頓着なだけだろう。
ランが立ち止まった。
再び平石に小皿。
今度はみたらし団子。
「はい、ミリッサ、これ」
と差し出されたものは、小さな提灯だった。
「手に持って、しばらくしたら火が灯る」
その通りだった。
ほのかな明かりだが、暗闇に慣れた目には眩しいほどだ。
足元だけが照らされる程度のものだったが、それでもありがたい。
明かりは灯ったが、なぜ光っているのか。
覗き込んでも、火はなかった。
「今日は、あいだみち、ご機嫌いいみたい。こんなのを用意してくれてるなんて」
登り勾配がきつくなってきた。
積み重なった岩を登り、木の根を掴んで降りる、を繰り返す。
そのたびに、提灯は口でくわえることに。
「やっぱり機嫌が悪いのかな。道が意地悪い」
「明日、筋肉痛かも」
「がんばって」
依然としてシイとクマザサ。
植生に変化はない。
というか、単調すぎる。
あいだみちの体内経路を彩る木々や草花は、修景としてどうでもいいのだ。
ここには何も住んでいない。
単なる修景。セット。
蜘蛛の巣さえ顔にかかることはない。
前方に大きな岩が立ちふさがっていた。
ランは跳ねるように飛びつくと、あっさりその上部に立つ。
「ミリッサは、鎖で」
確かに鉄の鎖が垂れ下がっていた。
「やれやれ」
「提灯は口に」
鎖を握り、岩を見上げた。
すでに、ランの姿はない。
薄情な奴め。
猫なら平気だろうが、こちらは中年男。
そう、やすやすとこれを超えては行けぬぞ。
岩に足を掛けようとして、再び上を見た。
念のため、今一度足場を確認してから、と。
が。
ぬなっ!
体は硬直し、提灯は口から落ちた。




