76 でも、この雨だから、梅田でお茶しない?
指摘されるかと思いきや、ランの言葉にホッとはした。
しかし、ギクリともする。
好き、という言葉に。
それに、人を好きになる理由やきっかけは様々あろうが、それにしても妙な理由だ。
ランの背は低い。
黒い傘の下で、どんな顔をしてそう言ったのか、わからない。
ただ、ニュアンスとして、危険の臭いはない。
「光栄だな」
「そう? 言われ慣れてると思うけど」
「まあ、もう言うな」
それからのランは、今日の紅焔山行きが中止になったことや、力学の計算が面倒とか、授業の話ばかりで、なかなか本題に入ろうとしない。
きっと、絶対に誰にも聞かれたくない話なのだ。
阪急の駅を過ぎても、雑談モードは変わらない。
「JRで帰るのか?」
それは知っていた。
家は、西宮駅の近くと聞いた覚えがある。
「うん。でも、この雨だから、梅田でお茶しない?」
と、辻褄の合わない誘い。
まあ、いい。
大事な話、それはそこで聞かされるという意味だろう。
先日来、己の掟としている、学生とは二人きりではいかなる店にも入らない、は消えかけている。
「西宮で降りてもいいぞ」
「わっ、知ってたんだ」
「家は知らん」
「でも、西宮だって覚えてくれてたんだ」
「で、どうする?」
「でもやっぱり、梅田で」
「そうか。でも、俺は尼崎で乗り換え」
「お願い!」と、ランが傘を持ち上げた。
大きな瞳がまっすぐ見つめてくる。
目の下の二つのほくろ。
ミリッサは、なぜかどぎまぎした。
こんな顔でランに見つめられるのは初めてかもしれない。
典型的な美形かというとそうではない。
小顔で丸顔だが、造作が大きめで、どこかアンバランス。
でも、魅力的。
「そんじゃ、そうするか」
ノーウェの死を事件化してから、妙なことが立て続けに起きる。
慣れたわけでは毛頭ないが、いちいち気にしていても始まらない。
「よかった!」
「で、そこで大事な話、なんだな?」
「そう! ミリッサに会いたがっている人がいて」
「ん? あ、そういうこと。だれが?」
「今は内緒。後で」
いよいよ雨脚が激しくなり、歩道に跳ねる水しぶきが音を立てている。
傘の音がうるさい。
二人は黙って、足を水に落とさぬよう、下を見ながら歩いた。




