39 宵の明星が光る下で
「ふう」
心を落ちつかせようとした。
これからハルニナが話すであろうことは、自分に関係することであろうとなかろうと、はたまたノーウェに関係しようとしなかろうと、きっと重要な事柄のはず。
そうでなければ、この密会のシチュエーションにどんな意味があるというのか。
大きく息を吸い込み、ゆっくり吐き出して、ハルニナから視線を外し、木々の幹越しに見えるコース、その向こうにそびえるスタンドを目でなぞった。
スタンドには明かりがともり、遠く、京阪電車が淀駅に入るアナウンスが流れてきた。
目を転じると、木々の梢が空にシルエットとなって有機的な模様を描き、その隙間に宵の明星が光っていた。
「落ち着いた?」
ハルニナが口を開いた。
すぐ近くにいるのに、なぜか遠く聞こえる。
「ハルニナ、それ、先生に向かって言ってるのか」
言葉遣いが気に障ったのではない。
だれか、別の人に向かって言っているように感じたからだった。
「そうよ」
普段なら驚くようなハルニナの応え方にも、ミリッサはなぜか、さほど違和感を感じなかった。
やっぱりな、という感触が沸いただけ。
「じゃ、お話ししましょうか」
と、今度は微笑みかける。
ミリッサはハルニナを見つめ、再び大きく息を吸った。
夜の虫が鳴き始めた。
「先生、今、妙なことが噂されていること、知ってますよね」
「今度は、先生か?」
「ええ」
「まあ、なんでもいい。わかるように言ってくれたら」
ハルニナの微笑みが大きくなった。
こんなハルニナの笑みは見たことがない。
少なくとも、学校や競馬をしているときには。
いや、でも……。
ごくごく稀に、ハルニナと一緒に下校することがある。
そうだ……。
こんなハルニナの顔……。
見たことがある……。
随分前のことだ。
まだハルニナが二年生だった頃だろうか。
四年ほど前。
その夕、正門で待っていたのはハルニナだった。
二年生でそんなことをする学生はいない。
教師に対しまだ親しみをもっていないこともあるが、二年生向けの授業は二限目。午前中。
昼食を食べ、他の授業を二つも受けた後、夕方、正門で二限目の先生を待つという行為は自然ではない。
しかし、その日、明らかにハルニナは待っていた。
その証拠に、よかった、先生が一人で、と言ったのだった。
なんとなく覚えている。
今と同じような山吹色のローブを纏ったハルニナが、早速ポケットから出してきたもの。
棒付キャンデーを差し出したハルニナは、駅前でたくさん配ってる、賄賂じゃないし、と言ったのだった。
そのころ、ハルニナはよく話す普通の女学生だった。
服装は人目を引くが、それぞれの個性をことさら主張するのはいいことだし、世間の風潮でもある。
ハルニナはよく笑い、快活に挨拶をした。
成績もピカ一。ただ、しばしば欠席した。
あの日、守衛に手の平で挨拶をして、他の大勢の学生に混じって歩き出した二人。
ミリッサは、どうハルニナに話しかければいいのか、迷った。
それほど、ハルニナはうきうきしていたし、変な話題でも振ろうものなら、道往く学生たちが振り返るほど大声で笑いそうだった。
「学校、楽しそうだね」
と言ったのだが、これにハルニナは、
「そりゃあ、好きな人がいるから」
と、舌を出したものだ。
「職員に?」
「当たり前ですよ。私、女、ですから」
と、やはりびっくりするくらい大きく笑ったものだ。
いろいろな話をした。
学校での出来事ばかり。
駅へと続く坂道を下りながら。
御影石を積んだ石塀のお屋敷を過ぎ、コンクリート打放しのカフェを通り過ぎ、大きなアキニレの木の下を通り、二つ目のバス停を過ぎ、急ぎ足の学生に追い越されながら。




