⑥
私は目醒める。最初に感じたのは違和感。私は自分の顔を触る。顔は変わらない? なんか、身体がいつもより大きく感じる。窓から見える空は明るかった。
「えーと、巨人ではないよね?」
私は鏡を探す。白雪姫の物語に出てくるような宝石と紋章で凝った装飾をされた大きな鏡の前に立つ。
「わお。美青年になってる。水色の髪、碧色の目。綺麗……」
私は転生した自分を確認する。サファイアのような長髪。エメラルドグリーンのような目。おとぎ話の王子のような出で立ち。身なりが立派すぎる。この世界は西洋っぽい。
細身なのに、どっしりした筋肉が全身にバランスよくついている。素人目でも、この身体が普段から鍛えられていることは安易にわかった。
「噂の『異世界』かしら? 憧れの『魔法』が出るかしら?」
私は頭の中で、呪文、呪文、呪文、と考える。この美青年は何歳? どんな魔法が得意?
この外見から『水系統』のスキルがありそう。室内で水の魔法を使うわけにはいかない。窓の外には『桜』っぽい木がたくさんあって、中庭をピンク色で埋め尽くしている。
「晴々した青い空。恵みの雨を降らせよう」
私は大きな窓の外にある、広いテラスに出る。厨二病のごとく、大きな独り言を言い放つ。呪文はわからなくて、でも頭の中で『雨』のイメージをする。
『❝rainy❞(レイニー)』
私の口は勝手に呪文を唱えた。私の身体も勝手に動いた。両手の平を天に向けて、高々と掲げる。
テラスにいた私もずぶ濡れになるほどの、大量の雨が降り注ぐ。私はどうやら偉大な魔法使いらしい。
「アルテミス様、お目覚めでございますか?」
大雨を降らせた私は、叱られると思い眉をひそめた。
いきなり登場した人物は、表現のしようのないほどに美しい女性だった。洋服がメイドさんみたいで、一国の皇女ではないみたい。
だけど気品が漂っていた。ミステリアスな雰囲気も兼ね備えている。メイドの格好をしているけど、実は『私の魔法の師匠』っぽい。
視えないけど、感じるものがある。只者ではない壮大なスケールの魔力を感じる。
まるで滝のように流れるような美髪。膝まである銀髪は、光の加減で、藤色にも見えるし、水色にも見えるし、金色にも見える。
泉のような綺麗な蒼い瞳は、どこまでも澄んでいる。
「ごめんなさい。ずぶ濡れになっちゃった。わざとじゃないの。魔法が使えるか、試したくて」
「アルテミス様、記憶がないのですか?」
「あー、『この身体の持ち主』のことかな? なんか私がずっと、アルテミスくん?の中に眠っていたんだけど、何か衝撃?があって、『私』が出てきたみたい」
「貴女は『異世界転生』というものですか?」
「そうそう! アルテミスくん? と、この身体で共存したいんだけど」
「アルテミス様は、『貴女の中』で眠っているのですね?」
「うーん? 元々『魂が統合』するはずだった? みたい。私も上手く説明が出来ないわ。私の記憶に『アルテミスくん』が入って、2人はひとりになるの。だから、私はアルテミスくんとして、生きるの」
「アルテミス様を傷付けたのは、私です。責任は全て私にあります。貴女を責めようとは思いません」
「心配しなくてもいいわ。多分、じきに『アルテミスくん』と代わると思うわ。私は『ユイナ』を探してるの。転生して、私のそばにいるらしいわ。『ユイナ』を探してもいいかしら?」
「承知致しました。私はメルフィーナ・ラファード・サクラ。貴女の名を教えて下さい」
「私は如月彩。アヤって呼んでね! 宜しく、メルフィーナ」
私はメルフィーナとすぐに仲良くなった。殺伐としたやつはもう懲りごりで、他の5人とも、毎日お茶会をして、少しずつ『友人』として『絆』を築いた。
私はメルフィーナの仕事を積極的に手伝った。私の手なんか借りなくても、メルフィーナは知恵と魔法を使って、膨大な量の仕事を熟していた。
私の中に残っているアルテミスくんが、『メルフィーナに嫌われたくない!』って叫んでいた。赤ちゃんが泣いて、ママを呼ぶように。
私は『ユイナ』が誰かを見極めようと励んでいた。メルフィーナではないと思った。だから、お妃候補の、アクアマリン、フレイヤ、キン、スイレン、ウィズリーをよく観察した。
『私』のまま、2ヶ月が過ぎた。私は『アルテミスくん』の記憶を引き継いた。だから、私の記憶の中に、『ミリアリア』と『カナリアーナ』もあった。
『アルテミスくん』が感じていたメルフィーナからの試練。
30歳独身のブラック企業に10年勤めて、我が子の『ユイナ』を失った私には、『違ったように見えた』。
メルフィーナは、アルテミスくんのことを我が子のように愛していた。
ただ、目に見える『優しさ』『思いやり』『愛情』ではなかったけど。
『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』。そんな不器用な可愛がり方だった。
私は『ユイナ』のことを溺愛していた。『ユイナ』が悪さをしても、私はちっとも怒らなかった。
私のお気に入りの靴を噛んでも、私の高価なバッグを踏みつけて寝床にしても、私のブランドもののコートをボロボロにしても、私は『ユイナ』を叱らなかった。
私は仕事で、ほとんど家にいなかった。『ユイナ』は毎日寂しくて堪らなかったと思う。私は『ユイナ』の可愛いとこばかりを見ていた。だから、3年間ずっとずっと『ユイナ』が大好きだった。
だけど、『ユイナ』が本当に、人間の子供だったなら、話は違う。私はきっと、怒り散らしていたに違いない。野良犬だった『ユイナ』の世界は、『私とユイナ』だけの世界。
だけど、『アルテミスくん』の世界は、『アルテミスくんとメルフィーナ』だけの世界ではない。
メルフィーナが万が一死んだ時に、アルテミスくんがひとりで生きていけるように、メルフィーナは順を追って、試練を与え続けた。
私から見て、『アルテミスくん』はメンタルがとても弱かった。10歳までは、おおむねメルフィーナの愛情をたっぷり受けていた。
婚約者と絆を深めてほしかった。見た目や身体だけじゃなくて、一番大切なのは『アルテミスくんの心だ』と、気付いてほしい。
そんなメルフィーナの願いが、30歳同性の私には伝わってきた。私は前世で『ユイナの死』を受け入れられなかった。
だけど異世界転生した今世では、『ユイナの死』を受け入れることが出来た。
今のこの身体に、『アルテミスくん』が戻って来たら、きっとメルフィーナのことを理解できると思う。納得は出来ないかもしれないけど。
私が異世界転生した理由。
それはきっと、
『アルテミスくんとメルフィーナ』の『絆』を取り戻すこと。これが私の役目だ。
そのご褒美に転生した『ユイナ』に、ひと目逢いたい。
「今日はみんなに相談があるの」
私はみんなと食堂で昼食をとっている最中。私の緊張した声に、メルフィーナは微笑む。
アクアマリンとフレイヤは、『なーに?』『言ってごらんなさいよ?』と聞く耳を持ってくれる。
キンモクセイはにこにこ笑う。スイレンは神妙な面持ちで頷く。ウィズリーは嫌そうな眼差しを向けてきた。
「アルテミスくんが戻って来ない。だから、この婚約を白紙にします。そして、私は今ここから、『メルフィーナ』を妻とします」
「「ええ!?」」
アクアマリンとキンモクセイは驚く。
「それはあんまりよ!」
「突然過ぎます」
フレイヤとウィズリーは不満を言う。スイレンは無言だった。
「ごめんなさい。相談じゃなくて、結果報告でした。それぞれに、今まで尽くしてくれたお礼に、心ばかりの援助をします。少額になりますけど、今日から7年間、貴女たちが最低限の生活が出来るように、私が保証します。その7年間で、結婚相手を見付けるも良し、手に職をつけるも良し、大きな家を建て住人を住まわせて、家賃で生計を立てる。食堂を開いて儲けるも良し。土地を買って畑を作り、自給自足するも良し。次の人生の楽しみを見付けてほしい。宜しくお願いします。私に協力出来ることならするから」
私とメルフィーナは、みんなに深々と頭を下げる。ぶつぶつ文句を言っていたけど、みんなしぶしぶと私の気持ちに理解を示してくれた。
………