奔走中です
さてさてその後のアルバート側。
短めです。
「わざとか?」
「誤解です」
執務室に入るなり恨めしそうに苦言を漏らしたアルバートに、書類に埋もれていたマーヴィンは即答する。聞かれている内容に主語は無いが、時間とアルバートの態度から何が起こったのかは大体察することが出来た。
アルバートの側近候補であるマーヴィン・ドーソン男爵子息は、大きめの眼鏡をかけ直しながら紫の瞳に申し訳なさそうな色を一瞬だけ滲ませたが、すぐいつもの厳しい表情に戻り書類の積まれた机を示した。
「婚約者との仲を邪魔したいわけじゃないですけどね。この忙しい中で婚約式も急ぐとしたらあっちもこっちも間に合いません。ただでさえ人手不足なんですから」
「分かっているが、作為を感じたんだ」
「気の所為です」
「あともう少しだったのに…」
「また色惚けないで下さいよ!?もう、同時進行するなら俺たちだけじゃ手が回らない。惚けるならせめて使えそうな奴を至急持ってきてください」
いつもより乱暴にペンを走らせるマーヴィンに、アルバートも重ねられた書類を手に取った。忙しさに拍車をかけた自覚はあるので、惜しい気持ちはあるが未来の為これ以上の不満は飲み込む。これは未来の為の忙しさだ。
「俺たちが使い物にならなかった間は他の人たちが何とかしてくれましたが、おかげさまで禿散らかすほどの心労を与えてしまった…。流石に休ませないと心が病みます。俺たちも相手も」
「あれは本当に…申し訳なかった…」
魅了の呪いにかかり、役目である公務をほったらかしにした。
本来ならアルバートやその側近たちが捌くはずだった仕事は他に振り分けられ、当然振り分けられた彼らは仕事に追われた。
自分たちの仕事が無くなるわけがないので、単純に人手不足で作業効率も落ち、王子が呪われているという事実で精神も不安定になった。
結果ストレスが頭皮に影響し、目に見えて薄くなった者が相次いだ。アルバートが正気に戻って一番心苦しかったのは、アルバートの奇跡を喜ぶ大人たちの頭部が一層寂しくなった原因になってしまったことだ。同じ男として大変申し訳なく思う。
胃を痛めている者すらいたので、長期の休みを取らせた。勿論全員ではないが、交代でまとまった休みが取れるよう調整した。これから忙しくはなるが、心労をかけた彼らの手は極力借りない方向で行きたい。胃に穴が空き残り少ない毛髪が散ってしまう。
勿論、休暇が終わり次第手は借りるが、この休暇はしっかり休んで欲しい。それがアルバート達にとってせめてもの贖罪だった。
だが休暇明けが激務では意味がない。彼らのいない間に、ため込まれた仕事を処理しなければならない。仕事は無くならないので、通常業務の合間に詰め込むしかなく、マーヴィンは執務室に泊まり込む形になっている。
本来なら責任感が強く、人を頼るのが下手な男なのだ。つい自分だけで仕事を終わらせようとしてしまう。そんな彼が人手を寄越せと言うほど、現状手が足りていない。
「いっそシオドアとレイモンドに声を掛けますか?」
「もう少し彼らが落ち着いてからだな。今呼んでも集中できるとは思えない…一応他に心当たりがあるから、声を掛けておく」
シオドアとレイモンドは、マーヴィンと同じく将来はアルバートの側近として公務につくと思われていた貴族子息たちだ。この二人も、例に漏れず魅了の呪いにかかってしまった。
彼らはアルバートの呪いが解けてからじわじわと正気に戻り、蒼白となった。魅了されている間に疎かにしたモノの中に婚約者の存在があったのだ。
アルバートとマーヴィンには婚約者がいなかったが、彼らにはいた。そして苦言を溢す婚約者に対して、厳しい対応を取ってしまったらしい。
何より学業も疎かにして一人の女性に入れ込んでいたので、実家からも後継ぎとして疑問視される声がある。彼らは今、婚約者に誠心誠意謝罪して許しを得るため奔走している。家同士の婚約とはいえ心を通わせていたらしいので、魅了されている間辛辣な対応を取ってしまった事実に悄然としていた。最年少のシオドアは半泣きだった。
彼らは許されるかもしれないが、許されないかもしれない。彼らにとって婚約者が変わるかもしれない一大事。こちらも喉から手が出るほど人手は欲しいが、横槍を入れて事態を拗らせるより新しい人手を募ったほうがいい。何より、集中できない人手は邪魔にしかならない。
流石に即戦力になる人手に心当たりはないが、猫の手になりそうな者は何人かいる。この機会に教育するのが最善だろう。
「ああそうだ。忙しいのはわかっているが、明日も決まった時間に休憩を貰う」
アルバートの発言に、マーヴィンはちょっと嫌そうな顔をした。この忙しい時にと顔全体が語っている。
「ベルンシュタイン様ですか?明日も会いたいと乞われましたか」
「私が乞うているんだよ。そうしないとあの子は、遠慮して近づいてくれないからね」
部屋に行くたび猫のように飛びあがって驚く愛しい天使を想う。
彼女は青みがかかった黒髪を耳の下で二つに結って、真っ直ぐな髪を胸の前に流している。夏空のように青い瞳はすっきりしていて涼やかだというのに、驚く動作や感情のまま動く表情がとても幼い。雌鹿の様にすらりとした体躯はいつも俊敏で、気付かれないよう捕獲しないと速やかに逃げてしまう。
本当に羽が生えているように、彼女は軽やかだ。
捕まえる度にはわわと慄く様子が可愛くて、思わず口元が緩む。その様子を見たマーヴィンはくっと片眉を上げて何ごとか思案している様子だったが、やがて一つ頷いた。
「わかりました。ただし長くは無理ですよ」
「ありがとう。苦労を掛けるね」
「俺もかけた側ですからお気になさらず。何より俺だって、この婚約式ははやめにしたほうがいいことくらいわかります。愛の奇跡の体現者との仲が良好なのも、印象付けるべき点です。醜聞はさっさと御目出度いことで誤魔化すべきだ」
「…誤魔化したいのは醜聞だけじゃないけどね」
「何か言いましたか?」
「いや何も」
がりがりとペンを走らせながらマーヴィンが問い返したが、アルバートは小さく否定した。とにかく自分たちは、自分たちが疎かにしたモノを何とか拾い集めなくてはならない。
「そういえば、心当たりの人手とはどなたです?」
「文官志望じゃないが、器用な奴がいて…」
「ああ、生徒会の…」
「あと頭はおかしいが回転の速い奴がいるから声を掛けてしまおう」
「それ邪魔では?」
手を動かしながら頭の中でこちら側に引きずり込むリストを作り、ふと思いつく。彼女はアルバートに告げ口をしなかったが、彼女が今日誰に絡まれたのか報告は受けていた。今回は令嬢だったが、今後興味本位で動く人間がいないとは限らない。侍女だけでなく、護衛も充実させるべきだ。
(彼女に護衛を付けよう…うん、ちょうどいい人材もいる)
思い描くは愛しい婚約者―――の色彩を持つ、アルバートの護衛騎士の一人。
エディ・ベルンシュタイン。
愛しい天使の隣に立つ実兄の姿を想像して―――予想される展開に、ペンを持つ手に力が籠る。
(…物凄く、面白くない)
マーヴィンはアルバートと同い年。処理能力を買われて側近候補としてアルバートのお仕事を手伝っています。卒業後の就職先が決まっている中で起った魅了事件で、就職先からお断りされる前に正気に返り必死に信用回復中。ちょっと頑張り過ぎ。
他二名の側近候補たちは身内の方で忙しいため登場するかも未定です。
そして面白くない様子のアルバート。
彼は彼の天使が一番大好きな人をちゃんと理解しているからです。
お分かりいただけただろうか。