心の準備にもっと時間が欲しいのが本音
いつでも騒がしいイヴ視点。
今回から投稿文字数を抑えて区切っていきます。
…なるべく!
「三か月後に婚約式を執り行うことになったよ」
「へふぅっ」
令嬢らしからぬ声が漏れたのは仕方のないことだと思います…!!
王宮図書館からの帰り道に暴走気味なウリボウ令嬢に絡まれ猪令嬢に助けられ、周囲の称賛と好奇心に満ちた視線に耐え切れず、用意されている客室へと逃げ帰った私。
敵前逃亡とは情けない…いや敵でない敵ではない…戦略的撤退です。いやだから敵ではない…味方でもないですけどね…!!
意気消沈しながらも暇だったので読書しました。せめて本来の目的を果たさないと部屋の外に出た結果が、私が羞恥心で転がりたくなるだけの悲しい事態になってしまう。
何より本当に身体が鈍ってしまう。レイピアの重さに一週間以上触れていない…!由々しき事態です…!
…騎士の訓練所にお邪魔させていただけないかな…こっそり一緒に訓練…は流石に無理だろうけど、早朝とかこっそり使えないかな。殿下にお願いしたら可能かな。あっ騎士の訓練所でお兄さまと会えたりして!訓練に励むお兄さまはきっと煌めく汗で爽やかさが普段の二割増し!目つきが悪いけど爽やか顔なのできっと爽やかさんになるはず!…ん?爽やかさより男の色気がアップするかも…?汗を流す男性ってなんであんなに魅力的なんだろう。
汗臭くて暑苦しいって嫌がる人もいるけど、私は大歓迎です。抱き付いて匂いを嗅ぎたい。お兄さまの筋肉の弾力と体臭が恋しい。くんかくんかくんか!
…あっ変態じゃありません!匂いフェチでもありません!ただお兄さまの存在に安心するだけなんです本当です!!お兄さま以外に興奮だなんてしませんはしたない!私は一応貞淑な貴族令嬢なんですから!
…貞淑な貴族令嬢は婚約者の家に泊まり込んだりしないんですよねぇえ~~~っ世間的にこの辺りどうなっているんでしょうね!!
いつになったら私は伯爵家に帰れますかね!?私の貴族令嬢としての価値観大丈夫!?婚約内定したからって寝る前に必ず会いに来る殿下の存在大丈夫!?侍女さん達毎回歓待ムードだけどご令嬢的にアウトなんですけど!!
そして今日も寝る前に会いに来た殿下とお話ししている最中だったんですが衝撃的なお言葉を頂きましたね!
ハイ現実逃避は終了です!!
私の為に用意された客室で、夕食後に訪ねて来た殿下。
軽く雑談でもと侍女が用意してくれたお茶と軽食を頂きながら何気ない会話を楽しもうとした瞬間、婚約式について告げられました。
危うく紅茶を噴き出すところでした…あっぶないとこでしたわぁ…いやそれよりも待ってください。今なんて言いました?
「こんにゃくしきが三か月後…?」
「ふふ、そうだよ」
せめて噛んだことに突っ込みが欲しいです殿下!そんな愛しそうに微笑まないで溶けます!!でろでろに溶けてしまうからその視線やめてぇ!!
ちょっとこの人視線で愛を語り過ぎだと思います。愛情ビームが止まらない。
油断して視線を合わせようものならば、相手を溶かす即死性のある熱量で見つめられる。目の合った相手を石にする蛇といい勝負。動悸息切れ全身の震えで麻痺してしまうのでそれ以上かもしれません。
私の心臓は今日も元気にドコドコ太鼓を叩いていますよ!やめて聞こえるでしょう!!殿下に聞こえちゃうでしょう太鼓がどれだけ空気を震わせると思っているんですかもうちょっと静かに叩いてください!赤子を寝かしつける母の手くらい柔らかくお願いします!!
「君を早く僕の最愛だと自慢したくて、周りを急かせてしまった。急なのは分かっているけれど、僕が我慢できなかったんだ。ごめんね」
「ん、んんん~~~っ」
眉を下げてすまなそうな表情をしながらも私の左手を殿下がすっと掬い上げて自分の頬へ。
すり、とご機嫌を取る猫のような動作で手の甲に擦り寄って、星空のような瞳が許しを請うように私を見ている。
流れるようなたらしこみぃいいい~!!やめてくださいときめいてしまいます!!
殿下絶対ご自分の使い所、分かっていてやっていますよね!?これ分かってやっていますよね!?流石にこれが素だとかそんなまさか!!そんなまさか!!流石にこれは私を丸め込もうとする小賢しい作為を感じますよ私だって!!私だって!!わかりますよ!!
わかるけどこの顔されたら許しますって言っちゃうぅうぁあああー!!助けてお兄さま!!殿下のあざとい仔猫動作が男性だというのにお似合い過ぎて太刀打ちできません!
これが母性本能を擽られるってやつですか!もう仕方がないなぁアーッて叫びたくなるんですけど!
懐に潜り込まれて心臓を短剣でグサッと刺されるくらいの衝撃と威力です!!自由な右手で胸元を抑えないと心臓が飛び出そう…!!うああああ助けてお兄さま!
うえ、うえ、私がチョロイだけですかこれ…?私がチョロイだけですか…?でもでも多分きっと好きな人にこんなことされたら乙女なら皆撃沈ですよね!?私だけじゃないですよね!?そうですよねー!?
そもそも異性との交流が鍛錬とか試合とか、爽快な青空の下で汗を輝かせながらの力自慢しか経験のない私。
殿下のように洗練された王子様にお姫様の様な扱いをされたことが全くないので、一々反応してしまいます。なけなしの乙女心が過剰反応です。私今、お姫様している…!?
お伽噺に対する憧れがないわけじゃないので、非常に、ときめきます…本物の王子様が甘やかしてくれるんですよ!?現実味がどっかんして夢見心地がこんにちはしても仕方がないと思いませんか!?
いやこれ現実なんですけどね?やっばいまた流されるところだった!
いつまでも仕方がないなぁアーッて流されるわけにはいかない…!しっかりするのよイヴ・ベルンシュタイン!婚約が内定した三か月後に婚約式ってことは、さらに三か月後に結婚式という事……いや早いですよ殿下!つまり半年後には結婚している計算ですよ!!ひえっ!?
いやこれ一般的にだった!!王家はもっと時間かかりますねーうっかり!!…かかりますよね!?
王家の婚約者は、意外と決まりにくい。情勢により良い縁を繋ぐため、本当に決定するまでは候補でしかない。この間までのマデリン様がまさにそれです。
その間、婚約者としてふさわしいオプションを増やすために王妃教育があります。実はこれ必須じゃないらしいです…王子妃の間に引き継ぎ可能ですからね…ただその引継ぎがスムーズなのは、やっぱり基本が出来上がっている令嬢なのです。そりゃそうです。
現在の私は婚約者内定。内定。婚約式で契約書に正式なサインをしてこそ婚約者(真)に進化出来ます。
お、オプションは愛しかないんですけど…他のオプション付随させる前に婚約式急ぎます!?
婚約するだけならば書類が受理されれば良いですが、それは一般のお話。王家はもっと大変なはず。予定を調整して、今最も旬な宝石を注文して…というか、婚約披露宴を催すための準備に時間がかかります。
婚約式で周知してからの婚約披露宴。婚約式で契約書にサインして民衆へ挨拶。言ってしまえば外側だけポンと紹介するための場です。
その後に控えているのが婚約披露宴。貴族たちと本格的に顔を合わせて言葉を交わす、内面を知るための場です。婚約者として初めて参加する社交場が婚約披露宴です。時間的にほぼ夜会と変わりないはず。
宴なので、招待客がいるわけで…対応に追われるのは私たちだけじゃありません。招待される側もてんやわんやです。
あちこちに婚約した旨をお知らせして招待状を書いて、契約した事業を進めるための下準備もして、家同士の繋がりを見せるために協力し合って会場の準備など…それこそ三か月後となれば場合によっては辺境への連絡・移動が追い付きません。のんびり伯爵家ならともかく相手は王家。せめて半年後に伸ばして準備万端で臨むべきでは?
ぐるぐる考えても、私には流れが早すぎるという言葉しか出てこない。
此処は発言せねばと、よしっと気合を入れて顔を上げた。
「三か月後は早すぎます。せめて半年は時間を…」
「うん、ドレスが間に合うか不安だね。でも母上御用達のお針子を貸してくださったから平気だよ。宝石も任せて。僕の天使はいつだって麗しいけれど、きっと天上が迎えに来るほど美しいドレスを時間がなくても仕上げてくれるだろうね。楽しみだけど、僕以外の男も見ると思えば少し妬けてしまうかな」
「んんん~~~~っ」
ドレスのことじゃないんですーっ!
ドレスも仕上がりが心配でしたがこの発言から飛んだドレスが飛び出してくることがわかりました。仕上がりが怖い!!それを私が着るんですよね!?仕上がりが怖いですそんな上等のドレスなんて着たことありませんよ!!
ちなみに今着ているドレスは一部殿下からの贈り物ですが、動きやすさを重視した簡素なものになっています。質はもちろん伯爵家では手が届かないレベルのものなので、着る度に深呼吸が必要です。
その他のドレスは伯爵家から私の荷物を運んでもらって…あれれーおかしいなー?何故わざわざ荷物を運んでもらっていたんですかねー?そこは私が家に戻るところでしょう!!何故今更気付いたのイヴ・ベルンシュタイン!!遅いわ!!流され過ぎよ!!
殿下の母上…王妃様も行動済みなら、私が何を言っても覆らない。立派な事後報告だ。
私に拒否権は存在しない。いえ拒否しませんけどね?ちょっと覚悟を、もう少し覚悟を付ける時間が欲しいところです!
そしてこれやっぱり私おうちに帰れませんね…?学園も行けませんね…?婚約式が終わるまで王宮に缶詰ですわこれ。婚約式が終わってもその後の結婚式に備えて帰れないのでは?
な、何とか説得して一時帰宅を…!学園が最悪中退でも、結婚前にお家に一度は帰りたいですそこんとこどうです!?ここまで帰れないと流石に陰謀を感じてしまう!
…お兄さま次会ったときに慰めてください…。
それにしても三か月後。三か月後かぁ…私はつい遠い目をした。
その間に私は殿下に対する愛を、ちゃんと噛み砕けるだろうか。
伯爵家はとてもそわそわしている。