お兄さまがいなーい!
婚約式当日。
お兄さまが居ません。
お兄さまが居ません…!!
婚約式という目出度い佳き日にお兄さまが居ません…!!
おはようからお休みまで傍に居たお兄さまのいない一日なんて…!!
誇張しました。ごめんなさい。
ですがそれくらいの頻度で一緒だったお兄さまが全くいないので、私の気分は深海より底に沈んでいます。冷え切ってしまう。いえ、惑星の中心で身を焦がすでしょうか。寂しさで身を焦がすかもしれません。
なんて阿呆なことを考えている私、現実逃避中です。
―――現在私は、今まで縁のなかった豪奢なドレスを身に纏っている。
それは稽古だ訓練だ修行だと駆けまわる私とは縁のない絹。絹だ絹。豆腐の様に真っ白な絹。絹違いでした。
背中の編み込みできゅっと絞られたウエストからふわりと広がるスカートは紫と白。丸い肩から下、二の腕と胸元を覆うのは絶妙な肌の透け感を演出する白いレース。胸元には紫と白の造花が飾られ、晒された華奢な肩と鎖骨の彫りの深さを強調している。この、身体を覆う布の大半が絹。肌を撫でる上質な布の感触に一歩も動けません。助けてお兄さま!アッこれなんか久しぶりな気がします!!
普段耳の下で二つ結びにしている青みのかかった黒髪は紫の花飾りで複雑に結い上げられている。ぎっちぎちです。ちょっと痛いし頭が重い。計算されて零れ落ちた後れ毛がくすぐったい。
胸元が造花で豪華なので、大きなサファイアが一つだけ縫われたチョーカーを装備。間違えました装着。あれこれも違う?とにかくこれを身に着けて。
紫と白の胡蝶蘭を模した淑女の出来上がり。
以上を着るのに朝から準備に追われました!!着る前の作業が多すぎる!!お風呂とかマッサージとかオイルとか諸々!!お化粧とかね!!命かかってるのかってくらい鬼気迫るものを感じます!!あーっ侍女さんたち的に命かかってる!?お仕事でしたすみません!!
お花…お花を模したドレスとか着たことはありますけど、胡蝶蘭…豪奢…はわわ、お胸の造花が造花じゃない。生きてる。生きてないけど生きてます。近くで見ても生きてるから遠くから見ても生きてる。造花とは?
ちなみに胡蝶蘭とはよそのお国のお花です。我が国では気候が合わず育てるのに厳しいお花さん。ですが他国で幸福を招く花として有名で、祭事には他国から取り寄せて飾ることが多いです。
今回は流石に、間に合わず…結婚式には間に合うよう手配しているそうです。やっぱり三カ月とか怒涛の勢い!!お手紙書くことから始めるんですからそりゃ間に合いませんって量もあるんだから!!花の時期とかも考えて予定を立てないと!!いけないのに!!もう本日婚約式ですよわーぁん!!
すごい勢いで間に合わせたドレスですが、とても素敵ですが、素敵過ぎて着られている感が半端ないですお兄さま…。
でもってこちら婚約式用のドレス。婚約披露宴ではまた違うドレスになります。
変える意味とは…いえ淑女なのでわかります。ちゃんとわかっています。普段着のドレスと夜会用のドレスが違うように、夜会用でもその趣旨に合わせたドレスがあることだってわかっています。
でも着替えるだけですよね?さっきやった行程をもう一回とかないですよね??ないよね??ね??侍女さん微笑むだけですかお返事ください知っているけど予定知っているけれども!!ちゃんと把握しています一日の予定!!省略されるけどもう一回なんですよねーデスヨネー!!
幸いなのは、婚約披露宴はダンスパーティーに近いので動きやすいドレスだってことくらい。現在着用しているドレスは裾が長すぎて踊れません!!ゆったりスローテンポならワンチャンですが私の得意とするキレッキレダンスは無理です!
…なんかダンス講師が感動して私と殿下のファーストダンスは普段よりアップテンポなモノになるそうです。
いいの…?むしろ殿下が心配ですが…?
「イヴ」
おっぎゃ。
遠い目をしていたらいつの間にか殿下がいらっしゃいました!心臓が飛び出るかと思いましたね目玉から!!不思議な現象ですがそれくらいの衝撃!!
艶やかな金髪を後ろに撫でつけているので、いつもより御尊顔がよく見える。キラキラした夜色の瞳が今日も眩しいです。殿下も特別仕様…というか公式な礼服に身を包んでいらっしゃる。
基調は紺。紺色のダブルブレストのジャケットは金の縁取りがされており、太めの黒いベルトがほっそりとしたウエストを締めています。腰細いですね殿下!ジャケットの下から伸びるパンツを臑まで覆う黒い編み上げブーツまでがスタイリッシュです!!
流石、高貴であり上品に仕上げられている。でも何より注目すべきは、その襟元。
金の縁取りをされた大きな下襟と立ち気味の上衿には宝石のようなボタンが飾られていて、その数が多い程身分が高い表れとなる。全部で十二個。上流階級はこのボタンをいかにおしゃれにバランスよく飾るか試されていると言っても過言ではない。
身分が低くてもお金があれば大きくて豪華なボタンを飾られるし、身分が高くてもお金のない場合は小さくて質素なボタンになる。この襟元に貴族男子たちの見栄と凶事が終結しているのだ。間違えた矜持。確かに人によっては凶事だけど違う。
ちなみに騎士服にこれはない。いざという時に邪魔なので。
そして王族の殿下は勿論十二個。バランスよく、上等の宝石が如きボタンが…ってこれもう宝石ですね!?宝石ですわ!!宝石のボタンですわ流石王族格が違う!!しかも程好く小さくて下品にならない配置!!
ああ…!目が…目が心臓みたいに脈打つぁ…!!
ふらっと倒れてみたいですが負けず劣らず豪奢なドレスを着ている身でそんなこと出来ませんね!!鍛えられた足腰で耐えました。ベルンシュタイン家の淑女だから耐えられましたがベルンシュタイン家以外の淑女には耐えられなかったかと思います。いえマデリン様はノーダメージな気がしますね?こんなに麗しい殿下のお傍で動じないマデリン様本当に王妃の器では?本当にこのまま私と婚約式していいんです?
ちょっとオロオロしかけていると、私をじっと見つめていた殿下が照れたように微笑んだ。
…照れたように微笑んだ!?照れ!?
「キレイだ」
「ぴょ…っ」
照れながら言われると照れるんですが!?照れって伝染するんですが!?空気感染ですよわかります!?
普段さらりと褒める御方に照れながら褒められるとこう…突き刺さるダメージがあります。止めてくださいまだ戦闘前です。本番前です。瀕死にしないで。殺さないで!!
殺さないでって言っているのに殿下は白い手袋に包まれた手を、私の結われた髪にそっと伸ばした。
殺さないでって言っているのに!!その動作は何です!?
セットが崩れないよう、触れるか触れないかの柔らかさで―――殿下の手が、白い手袋に包まれた手が、揺れる。
「胡蝶蘭か。祝いの席に相応しい花だね」
「ご、豪華すぎて私には勿体ないです」
「そうかな?君を飾るのにふさわしいと思うよ」
白い手が下りてくる。いつも以上に化粧がされている為か、殿下はその手で私の顔に触れなかった。触れなかった。
触れなかった、けれど。
「胡蝶蘭の花言葉は、【幸福が飛んでくる】」
髪を、頬を、後れ毛を、首筋を。
「私にとっての…僕にとっての【幸福】は君だ」
鎖骨を、胸元―――に飾られた、造花を。
「幸福が僕の元に飛んできてくれた」
なぞるように、滑るように、絡めるようにその手は私に―――触れていた。
「何より君に相応しい花だと、そう思えるよ」
ちゅ、と。
言いながら白い手が私の手を掬い上げ―――その甲に、口付けた。
殺さないでって言ったじゃん…。
イヴってば軽率にすぐ死ぬ…。
オリジナルのお花ではなく胡蝶蘭にご登場願いました。
ご本人は結婚式に満を持して登場するようです。




