ロレッタ・アップルトン1
皆忘れていただろう彼女のお話し
ロレッタ・アップルトンは、八百屋の一人娘だ。
優しい祖母と穏やかなお母さん、ちょっと気が弱いお父さんの四人家族。
曽祖父の代から続く八百屋は、そこそこ繁盛していた。地域馴染みの八百屋で、安いし美味しいし顔見知りだしの信頼関係で顧客との関係は安定していた。
幼いロレッタは父の隣で明るくいらっしゃいませーっと愛らしい声を道行く人たちにかけ続けた。その甲斐あって、八百屋の可愛い売り子さんとして覚えられた。時々お菓子をくれるお客もいて、ロレッタは店番の手伝いが好きだった。
だけど、構ってくれる客は常連客。ロレッタを可愛いと言ってくれても、野菜を買っていく新規客は増えなかった。
これはいかんと立ち上がったロレッタは、長年売り子をしている祖母にその極意を教わった。
祖母は腰を悪くしていて、母が介護で付きっきりだった。八百屋の運命は父とロレッタに託されたと言っても過言ではない。
どうすれば野菜が売れるのかと相談する孫に、祖母は優しい笑顔でこういった。
「魅力的な売り子がいれば通行人の足も止まる。ロレッタが可愛ければおのずと野菜も売れるさ」
孫馬鹿だった。
そして孫はそれを本気にした。
私が可愛ければ野菜が売れる。
野菜が売れれば家族は喜ぶ。
ロレッタは可愛くなる為に祖母が冗談交じりに教えてくれた「魅力的になれる」お呪いを本気で繰り返した。
「らぶりー♡きゅーてぃー♡はーとにずっきゅん!☆」
教えられたとおり忠実に、鏡を見ながら指でハートを作り、奇怪なステップを踏んで最後に決めポーズ。
完璧だ!私可愛い!
調子に乗ってウインクを決めようとしたが両目をつぶって失敗した。
勿論お呪いだけでなく、可愛いと言われるためにバランスの良い野菜生活を送った。何のための八百屋か。この時の為の八百屋だ。ロレッタは八百屋の娘として可愛くなければいけなかった。私が可愛いのは野菜生活で健康的だから。可愛いは野菜。お呪いはマヨネーズ。止められない止まらない。何気に奇怪なステップが良い運動になった。
ロレッタは毎日これを繰り返した。数か月は続けた。今では滑らかにステップを踏みウインクを決める余裕も出て来た。きっとパステルカラーのハートや星が出ているに違いない。私は可愛い。らぶりー!
野菜は飛ぶように売れた。新規客は若い男性が多かったが、ロレッタは不思議に思わなかった。むしろ野菜生活の効果を確信した。
私可愛い。間違いない。
ロレッタには妙な自信がついた。
結果、売り子が売れた。
非売品です―――!!っと泣き叫ぶ両親に、腰を折り曲げながら大根を両手で振り回す祖母。
しかし相手は貴族。八百屋の娘のロレッタは泡を噴きそうになったがまだ話の分かる貴族だった。買われそうになったけど。
男爵らしいその人はロレッタを気に入り、自宅に持ち帰れないのなら代わりに教養を身につけさせたいと言って来た。援助するからチャンル学園に入学しなさいとロレッタに命じた。あれはお願いでなく命令だったと思う。流石貴族。拒否権を与えない。
八百屋の娘なので正直、貴族の教養など必要ではない。だけどこのままではご購入されてしまいそうだったので、ありがたく援助してもらいチャンル学園へ入学した。
入学してからおっとこれはお買い上げされたのと変わりないのでは…?と気付いたけれど後の祭り。男爵の金で学園生活が始まっていた。これは逃げられない!私が可愛いばっかりに!!きゅーてぃー!
焦るロレッタだが、この悲劇が彼女にとって、今後の展開のスパイスの一つとなってしまった。
チャンル学園の生徒はほぼ貴族。平民など希少種レベルで存在しない。その希少種がロレッタである。自覚していたからこそ、ロレッタは貴族に虐められるのではないかと割とびくびくしていた。
しかし蓋を開けてみれば、貴族は皆優しかった。世界が違うと感じることは多いが、それでもロレッタを馬鹿にするような態度を取る者は少なかった。全くいないわけではないが、大半がロレッタを気遣ってくれた。はわわ、なんてエレガントな世界。ロレッタは貴族に優しくされる学園が本当に現実なのかわからなくなった。
その筆頭が、アルバート殿下の存在だった。
入学して数日後に「わからないことも多いだろう。不安に感じたことは何でも私に伝えてくれ」と言われた瞬間、ロレッタの中でふぉおおおおおおっという謎の高揚感が芽生えた。
わたし、いま、おうじさまとおはなししている…!?
むしろ、おうじさまから、はなしかけてきた…!?
わたし、へいみんなのに!?
なんで…なんで……わ、わたしがかわいいから…!?
八百屋の売り子ロレッタに話しかけてくる者たちは皆お客様だったが、大多数が「可愛いからおしゃべりしたい」という下心があった。八百屋の売り子に積極的に話しかける客は大抵そうだ。だからロレッタは可愛いを磨くのだ。
だがここはチャンル学園。ロレッタは八百屋の売り子ではなくただのロレッタ。何も持たないロレッタに王子様が声を掛けてくる理由とは何ぞ?ずっきゅん?
ロレッタはチャンル学園の伝統も、貴族の義務も、何も知らなかった。
そして駆け巡る、八百屋で売り子をしている記憶。
可愛いとお菓子をくれた客。
君に会いに来たと人参片手に頬を染めた客。
教育させてくれと迫って来た男爵。
優しくしてくれる貴族の子息たち。
極めつけに殿上人のアルバート殿下。
ロレッタは確信した。
てぃんっと来た。
そう、来た!
モテ期が、来た!