花園とお茶と恋と猪と
ある日の午後に突然やって来たマデリン様。
自ら現れました。
先触れも前触れもなく現れました。先触れらしい侍女を追い越して自ら扉をあけ放ちました。
何をなさっておられるのですか猪令嬢!!
いやほんとに何をなさっておられるのですかい!!
貴族としての礼儀とか作法とかみっちり教育されているはずなのに何故!!そのような暴挙に!!何が貴方を荒ぶらせるというのですか!!いやほんとうに!!何故そこまで荒ぶるのか!!
慌てる私をものともせず、侍女さんたちに命じてよそ行きのドレスに着替えさせたマデリン様。侍女さんたちにドナドナされている間に護衛のお兄さまとお話しなさったらしく、お兄さまは完全に傍観態勢。そのまま王妃様お気に入りのお庭に連行された私です。
そこにはしっかりセットされたテーブルに椅子、美味しそうなお菓子にお茶。煌びやかに着飾った令嬢たちが居ました。
…何故!!
「王妃様主催の【殿下の婚約者候補お疲れ様会】ですわ」
「それ婚約者内定が居ちゃだめな奴では!?」
だって慰労会ではありませんか!!
言い方は悪いですが、殿下の婚約者になれなかった候補の方々を慰める集まりではありませんか!!長い事候補者として拘束していたこともあり、嫁ぎ先などの斡旋を王家が責任を持って行っているらしいですが!!それでも長い間期待を持たせたこともあり、令嬢たちにとってぽっと出の私は思うところのある相手でしょうに!!何てところになんて人を連れてきているのですか婚約者候補筆頭様は!!
などと慌てた私ですが、杞憂でした。
令嬢たちは私を認めると、ぱあっと花咲く笑顔で出迎えたのです。
「ベルンシュタイン様だわ」
「呪われた殿下の為に愛を示したご令嬢よ」
「恥ずかしながらわたくし、殿下が魅了されているとは思ってもおりませんでしたの」
「わたくしも。ベルンシュタイン様は愛する人の異変に気付いておられたのですね。素晴らしい慧眼ですわ」
「それでいて褒賞はいらないとおっしゃったとか」
「その献身ぶりに殿下もベルンシュタイン様に真実の愛を感じられたそうよ」
「殿下のあまりの溺愛ぶりに結婚式が早まったとか」
ご令嬢たちはコイバナに飢えておられました。
いや、誤解――――!!
「わたくしは兄君が殿下の護衛騎士で交流があったと聞きました」
「あら?あちらの方、ベルンシュタイン様によく似ておられるわ…まさかあの方?」
「ベルンシュタイン様の護衛に兄君をお選びになったのね。それもお一人?兄君は殿下に信頼されておられるのね」
「お兄さまは優秀ですのでっ」
しまった力強く肯定してしまいました!!いえでもこれはお兄さまが優秀だという事一点のみですからセーフですかね!?私のお兄さまは優秀なんだっ!!
ご令嬢たちはきゃっきゃと楽しそうに、私と殿下について質問して来ます。質問しますが答えあぐねていると、勝手に納得して話が進んでしまうので要注意です。あわあわ。
流石に一から十までお話しするわけにはいきませんが…お話しするときは必ず手を握られるとか、お忙しい中でも必ず会いに来てくださるとか、気を遣って護衛にお兄さまを選んでくださったことなどをお話しすればご令嬢たちは大変満足そうでした。
そ、そうですよね。長い事期待させておいて、やっと決まった婚約者が力不足とか愛されていないとか適当な相手だったら、嫌ですよね。これってばその確認もあります??
マデリン様はお伽噺の続きを皆さんお聞きしたかったのですと言っていますが本当です?あとこれお伽噺とかそんな綺麗な流れではありませんから!!事故ですから!!私も殿下の魅了には気付いていませんでしたから!!偶然ですから!!
「仲睦まじい様子で良かったです」
「ええ、殿下の溺愛ぶりは噂に成るほどでしたが、魅了のこともありますし。正気かどうか疑う失礼な方々もいらっしゃったようよ」
「まあ、真実の愛を目の当たりにして置いて信じられないなんて」
すみません正気かどうか疑った側です。
当事者ですが疑った側です。
「魅了にかかっていた時の殿下と今の殿下を比べれば、差は歴然ですのに」
歴然ですか?
私ってば翻弄されっぱなしで違いが分かりません。未だに殿下の正気を疑うことがあります。
素であんな恥ずかしいこと言えるの…?愛…?愛とは…?
「羨ましい限りですわ」
「呪いを解くほどの愛…すぐには無理でも、いずれそうありたいものです」
「ええ、王妃様が良き婚姻を導いてくださいます。わたくしたちはそれが真実の愛になるよう努力いたしましょう。ベルンシュタイン様も、愛を示したからこそ殿下に見初められたのですから」
誤解――――!!
綺麗にまとめていますが誤解ですマデリン様!!貴方目撃者でしょう!!これ絶対印象操作に使っていますよね!?現場のこと忘れていませんよね!?あっ忘れていらっしゃる気がする―――!!
マデリン様…猪な所はあれど、優秀なご令嬢であることに変わりはない。むしろ優秀なのに猪なのでその部分が印象強すぎて台無しになっている…それでも婚約者筆頭と言われていたのは、家柄だけではない。
そのマデリン様の婚姻はどうなるのでしょう。マデリン様はお慕いしている方がいますが、叶うのでしょうか。確かマデリン様には跡継ぎのお兄さまがおられるので、マデリン様は嫁ぐ側…慕っている相手は伯爵家の跡取り息子…む、無理な話ではないけれど、お相手がお馬鹿なのでお勧めできませんよマデリン様…!!いや私にはそのような権限はないので黙りますけど!!
それにしても…マデリン様の言葉にもぞもぞします。私は世間様が思っているような愛を、殿下に示したつもりが一切ないので。結果的にそうなりましたが、私はあれが事故だとしっかり理解しているので。事故です本当に。あれを狙ってできる人は事故チューのプロフェッショナルに違いありません。
でも結果が全て。私は殿下を愛していて、その愛が呪いを解いた。
最初は戸惑いしかありませんでしたが、殿下に熱烈に愛を語られ、でろでろに溶かされる私…のぼせ上がっている間に世間様という外堀はもりもり埋まり、婚約者として将来は王太子妃になることが決定事項。何なら国母にもなります。うっそやん。
不安が大きいけれど、私は殿下を愛している。自覚していないだけで気持ちはしっかりあるのだから、この栄誉に怖気付かずに向き合わなくては。
それに殿下が愛を語ってくれるので、最近はちょっと安心感がある。好きな人に好かれている安心感。好意に好意を返されている、私はこの人を好きでいていいのだという安心感。
じわじわと自覚出来て来たのか、今では嫉妬する殿下を可愛く感じる。お兄さまへの嫉妬はちょっとよくわからないけれど、嫉妬されるだけ愛されているのだと思えばやはり可愛い。お兄さまの件は、慣れてもらうしかありませんけどね!!
私はその後ものんびりと、コイバナに花を咲かせて久しぶりのお茶会を楽しんだ。
背後で目を光らせていたお兄さまの警戒も、令嬢たちに目を走らせていた猪令嬢の獲物を見定める気配を知りもせず。
何せ私は、お茶会に出るより稽古をしたい残念令嬢だったので。
社交場での情報収集とか、考えたこともなかった!!
突撃隣の庭でのお茶会を終えて数日。
なんだかちょっとおかしい。
何がおかしいって、殿下でもお兄さまでも侍女でもなく、私がおかしい。
…やっと気付いたのかとかそんなどういう意味ですかね?そうではなくてですね?言われるほど私おかしくもないはずですし!!おかしくないですよね!?
脱線しました。
とにかくおかしい。
より正確に言えば、私の足元がおかしい。
最近私の足元にバナナの皮とか落ちているんですが?
王宮でバナナとかどういうこと?
しかもさっと現れる。侍女が先導し、私が続き、お兄さまが殿を務める。その隊列の真ん中にいる私を狙いすましてバナナの皮が現れる。
普通の令嬢ならば、踏み出した先にバナナの皮があれば踏んで滑って転んでしまうだろう。
けれどベルンシュタイン産の令嬢である私は違う。たとえ瞬きの間に現れたバナナの皮だろうと、踏みつけることなく軽やかに回避が可能だ。後方のお兄さまだって難なく避ける。突然のバナナトラップに戸惑うことは何もない。いや、何故突然バナナ?とは戸惑っているけども。足捌きに問題はない。戸惑うけども。
周囲も戸惑っている。掃除の行き届いた王宮で突然のバナナ。どこから生えて来たの?
私もお兄さまも問題なかったけれど、他の人はそうでもなかった。そもそもここは王宮。足元にごみ一つあるはずがない場所である。
偶然通りかかった文官風のおじさまが気付かず踏みつけてすってんころり。急ぎ足だったし障害のあるはずがない場所。完全に油断していた。キレイに前方にころりした。
その拍子に頭部が勢いよく前方に吹っ飛ぶ。
飛来物が何なのか理解した私は慌てて空中キャッチを決めて元あった場所に即リリース。おじさまを助け起こす振りで近づいたお兄さまがキャッチして元あった場所に返却。この間二秒。
周囲はそっと目を伏せた。心の中では神業に拍手喝采だけれど、それを表に出すのは憚られた。王宮ですので。
おじさまに縋る様な目で見られましたが何のことでしょう。私は何も見ていません。はい、バナナの皮で転んでしまっただけです。お兄さまもそれを助け起こしただけです。それ以外の何かなど何も。ええ、ええ、勿論何もなかったです。はい。
…このおじさまどっかで見た記憶がありますが誰だっけ…貴族名簿で見た気が…復習が出来てない。これは見直さなければ。
そしてこんなことが一度で終わらない。
息抜きで散歩に出た庭では雨も降っていないのにぬかるんだ足元で転びそうになり、お兄さまに支えられました。逞しい胸筋。添えるだけの腕橈骨筋。素敵ですお兄さま!
…反省します。自分で体勢を立て直せたのにわざと転びました。お兄さまが受け止めてくださる気がしたので。ゴロゴロ擦り寄って怒られました。しょぼん。
または王宮図書館に向かう途中(鍛錬にも勉強にもなるので続けてます)掃除中の侍女と遭遇し、うっかり私の足元に水を溢しそうになった…ので水桶を受け止め、倒れかけた侍女の腰を支えて回避。蒼白と赤面を繰り返す侍女を他の侍女に任せ、何事もなかったように王宮図書館に入った。
この時お兄さまは空気。相手が敵意のない女性だったので!お兄さまが動くより先に私が動きました!!お兄さまに助けられたら惚れちゃいますもん!!惚れちゃいますもん!!…お兄さま、何故そんな目で私を見るのです?
本来ならば掃除中の侍女と遭遇することからしておかしいのだけれど、やたらと連続するおかしな事象と比べれば些事。
王宮図書館では床に不自然に積まれた本が足元に崩れて来た…所を背後のお兄さまが私を持ち上げて回避。棚の上からも本が崩れたけど、お兄さまが片手でいなした。崩れて来た本の山はお兄さまがまとめて司書に返却。
王宮図書館。王宮図書館で、床や棚の上に本が積まれるわけがない。本来ならあり得ないことだけど、今の私の前では些事である。
何せ、最近よくあることなので。
ね?私の足元がおかしいでしょう?
こんなことが続けば、足元に気を付けて行動するのは当然のこと。
だからその人を見つけたのは、必然と言えた。
懲りもせず散歩で向かった庭園。
気を付けながら足を向けた先―――茂みの影に這いつくばるように隠れた人影。
「ロレッタ嬢?」
このところ一切話を聞かなくなった、周囲に魅了の呪いを掛けた張本人。
ロレッタ・アップルトン嬢が居た。
彼女は何故か這いつくばりながら…いや、え、何故?何をしておいでで?
庭に這いつくばるなど、まず貴族はしないよ?平民でも幼子ぐらいでしょ?お嬢さん何しているの?何故そんな蒼白な顔色でわなわなと唇を震わせているの?
私が彼女を名前で呼ぶと、きゅっと眉が寄り…ぶわっと、大粒の涙を零れさせた。勢いよく、這いつくばったままその場で頭を抱えて金の髪を振り乱し。
「ああああああああああ皆さん私の顔を覚えていらっしゃるうううう忘れてえええええええ!!私を忘れてえええええ!!出来れば存在ごと忘れてえええええ!!」
「うぇええ…!?」
どうしたロレッタ嬢――――!?