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事故チューだったのに! 前編

騒がしいご令嬢がビビり散らしている話です。


 古来から、呪いを解く最大の魔法は、愛だと決まっている。


 怪物に姿を変えられた若者も、眠りについたお姫様も、真実の愛で呪いを解いたのは有名な話だ。

 多くはお伽噺だが、お伽噺には真実が混じっている。お伽噺で語り継がれる様々な呪いは過去実際に起きた出来事で、助けとなったのはひたむきな、愛する者の真実の口付けだった。

 親愛を忘れず。隣人に手を差し伸べる心を忘れず。愛を忘れず向き合うことで呪いを跳ね除け、正しい道を歩めるのだと、人々は信じていた。


 信じていたのだ。

 信じていました。


 私、イヴ・ベルンシュタインは、素直な心で真実の愛は無敵だと信じていました。

 だけど。


「殿下の呪いが解けた!」

「高名な呪い師にも解けなかった魅了の呪いが…!」


 どくどく心臓が煩くて、周りの声が全然頭に届かない。

 震える手で目の前の人の服に縋りついた。縋りついてヒエッと固まる。なにこれ知らない手触り絶対お高い。こんな服を握るとか身の程知らずでは。助けてお兄さま。


「あの方が触れた瞬間、目に見えて殿下の空気が変わりましたわ」

「きらきらと何か光ったように思います」

「まさか本当に…?」


 早くここから退かないといけないのに、触れる全てが上質で動けない。動いた瞬間汚してしまいそうで、バクバク心臓が煩い。縋りついた手から力を抜かないと…意識すればするほど力が籠る!!落ち着いて私の指先!そんなに力を籠めたら破いてしまうわ!御幾らすると思ってるの!わからないけれど!早くここから離れるのよ!

 心臓が高鳴り過ぎて、自分が心臓になったような気持ちになる。元気に血液巡らせております。そうよ早く動いて離れて走って!滞っちゃだめよ健康が取り柄でしょうイヴ・ベルンシュタイン!私の心臓なら滞りなく任務を遂行するのよ!そう…早くこの方の上から退くの!

 感覚のない手を何とか引こうとした瞬間、燃えるように熱い手が指先まで冷えた私の手を包み込んだ。ヒエッ助けてお兄さま!心臓が爆発しそうです!


「素敵!まるでお伽噺のようだわ」

「これが、真実の愛…呪いを解く最大の魔法…!」


 怖々視線を上げると、無垢な漆黒の瞳と目があった。つい先程まで澱みを閉じ込めたようだった漆黒は、まるで赤子の様に無垢な輝きを放っている。

 まさしく産まれ直しましたと言う輝き。キラキラしている。お星さまですか?地上の星ってやつですねふふっ。笑えません助けてお兄さま!!

 不可抗力で相手を押し倒し馬乗りになっている私、今すぐ退かなくてはならないのに恐れ多すぎて動けない。速やかに退いて土下座せねばならないのに。もたもたしている間に、それも不可能になった。だってこの方私の手をお握りあそばしておられるでございますのよ?ナンデ?助けてお兄さま!


 星のようにキラキラする目で、私に押し倒されたまま、尊い方―――この国の王子様であるアルバート殿下が、私を見て小さく呟いた。


「僕の天使(アンジュ)…?」

「いいえ貴方の天使(アンジュ)はあちらです!」


 私は素早く訂正を入れ、空いた片手で階上を示した。ビシッとその人を指す。貴方がアンジュと言って憚らないご令嬢はあちら!

 階段の踊り場で呆然とこちらを見下している、ふわふわした金髪で小柄な愛らしい少女。ここ数カ月、不思議なほどたくさんの令息たちから守られていた、ロレッタ・アップルトン嬢。

 しかしつい先程までそんな彼女にご執心だったはずのアルバート殿下はそちらを一切見向きもせず、キラキラした目を私に向け続ける。


「いいや、君が天使(アンジュ)だ。僕の天使(アンジュ)。何てことだろう。こんな嬉しいことはない―――君の口付けが、僕を救ってくれたんだね」

(ぎぃいああああぁあああああああああ!!)


 両手で頬を包まれ、額を合わせられて心の中で断末魔を上げた。

 ばっくんばっくん高鳴る心臓が口から飛び出そう。それこそ心臓が殿下と口付けしてしまう距離。色めき立つ淑女の声なき黄色い悲鳴が空気を震わせたけど、私はそれどころじゃない。何ですかこの距離なんですか。助けてお兄さま!


 周囲の状況なんてさっぱりで、自分の心音しか聞こえないような状態の中…震えるロレッタ嬢の呻き声が、不思議と耳に届いた。


「そんな…嘘よ…こんなはずじゃ…」


 それな――――!!それ私が言いたい!!


 イヴ・ベルンシュタイン伯爵令嬢。

 顔見知り以下だった殿下にかかった呪いをたった今、真実の愛の口付けで解いてしまいました。

 

 待って、これは、違うんです!真実の愛の口付けなど烏滸がましい…!

 私、殿下に恋い焦がれた愛溢れる淑女とかじゃありません!


 だってこれ、事故チューですからぁああああああああああ!!




 事件は小さな社交場、チャンル学園で起きていた。


 チャンル学園は十五歳から十八歳の身分ある者たちが通う学園。それは貴族の令息令嬢たちが交流する小さな社交場で、顔つなぎや将来家を継がない者が他の仕事に就きやすいよう学を深めたり婚約者を探したりする場所だ。

 家を継ぐことが決まっている者、婚約者が決まっている者は顔つなぎだけの場所であるが、学園に通うことで自分の家の者がどれだけ学力を持っているか示すことが出来る為、基本的に貴族は自分の子供を学園へと通わせる。何せ小さな社交場、有力貴族ほどその権威を示したいものである。

 そこに時々、将来を見込まれた平民も紛れ込む。学園は小さな社交場だが、学び舎でもあるので、区別はするが差別してはならない決まりがある。貴族は広い心で、将来を担う彼らを見守る義務があった。実力主義万歳。是非優秀な能力で国を盛り上げる一員となってくれ。我々はその為の助力ならば惜しまない。

 チャンル学園最高学年であったアルバート殿下も助け合いの精神で、少ない平民の生徒たちを気にかけていた。


 その一人が、ロレッタ・アップルトン。男爵の推薦で学園に入学して来た、愛らしい少女だった。


 アルバート殿下は数か月前から、様子がおかしかった。たいして交流のなかった私が訝しむくらい人が変わったと言っていい。

 絵にかいたような責任感と良識溢れる王子様だった殿下が、ロレッタ嬢と交流するようになってから彼女にのめり込み、理性を溝に捨てたかのような行動を多々とるようになった。お待ちくださいそれ捨てたらあかんやつです殿下。

 婚約者がいる身でありながらロレッタ嬢を優先して溺愛し、彼女の望むがままに行動するようになる。依怙贔屓がすごい。皆平等に扱っていた殿下はいずこに。

 更には授業をさぼって公務をさぼって四六時中、キャッキャウフフとお花畑に居るような顔でずーっとお茶会していた。繰り返す。ずーっとお茶会。

 というのも、おかしくなったのは殿下だけじゃなかった。公爵令息、侯爵令息、伯爵令息…上位貴族の御子息の大半がロレッタ嬢にメロメロズッキュン状態で、ロレッタ嬢の周囲には人が溢れていたのだ。彼らは誰かがロレッタ嬢を独占するのを嫌い、皆平等に接することのできるお茶会をずーっと催していた。なので幸いにして、殿下はロレッタ嬢と二人っきりで過ごすことはなかった。不幸中の幸いその一である。


 明らかに異常事態。直ちに調査が行われ、呪いが関わっていることが判明する。


 このあたりのことは詳しくわからないけれど、解呪の為高名な呪い師や善良な魔女などに助けを求めたらしい。それでも殿下の呪いは解けず、怠惰な学園生活を送り続けていた。隔離すべきとの声も上がったが、殿下が暴れたため手が付けられなかったのだ。それこそ正気を疑うほどの暴挙。彼が魅了に毒されて、我を忘れている証明に他ならない。

 そんな中。


 ―――奇跡が、起きた。


 その日は珍しく、ロレッタ嬢が一人で歩いていた。理由はわからないが一人だった。そこにアルバート殿下の婚約者であるマデリン・エフィンジャー公爵令嬢が颯爽と現れて、ロレッタ嬢を糾弾した。ロレッタ嬢が何らかの方法で魅了の呪いを使用していることは明らかだったので、今すぐそれを止めるようにと公共の場で声高に糾弾したのである。偶然その場に居合わせた者たちは今までの不審な求心力の原因を、彼女の糾弾で理解した。


 いや、そんな大事なお話を学園の階段の踊り場で何故した。


 いえいえ分かっています、ロレッタ嬢が一人になる瞬間が本当に珍しいことだと。お手洗いに行くのだって出入り口まで誰か付いて来る。異性なのに。異性なのにそこまでついて来るとか何ごとですか。ついて来てもらうロレッタ嬢のメンタルもどうなっとるの。逆に他のご令嬢たちがお手洗いに行きづらい状況が出来上がっております。お手洗いの出待ちとか事案だと思うの。

 だから、マデリン様が一人のロレッタ嬢を見て今しかないと切り出したのはわかります。わかるけど、なんて機密事項を暴露してくださったんだ。聞いてしまった周囲はさっと顔を伏せて壁際に避難した。場所が階段の踊り場なもので不用意に移動することも出来ず、この嵐が立ち去るのを待つしかなかった。私もその一人である。

 殿下が暴れて手が付けられないから、ロレッタ嬢を何とかするしかない。けれどロレッタ嬢に魅了されている令息たちがあまりにも多すぎて、ロレッタ嬢に手を出すことが出来ない。焦れたマデリン様が動かれたのは、ちょっと短気なあの方ならば仕方がない…とか言えないほど重要機密ですわね―――!?


 しかも魅了の呪いを否認して誤解だ冤罪だと騒ぐロレッタ嬢。悪足掻きはやめて罪を認めろと言い募るマデリン様。不敬なことにロレッタ嬢はマデリン様に飛びついて、驚いたマデリン様がそれを振り払い―――大げさな動作でロレッタ嬢が飛びのいた先が、下りの階段。

 身を竦めて見守っていた周囲がひゅっと息を呑んだ。私は咄嗟に駆け出して、ロレッタ嬢の腕を掴んで引っ張った。振り子のように立ち位置が逆転し、ぱちくり目を丸くするロレッタ嬢と視線が合って―――私はぶわっと弧を描いて落っこちた。

 悲鳴が上がる。目を覆うご令嬢の姿が見える。だけど私は余裕を持って、高いところから飛び降りた猫のように着地しようとして―――。


 階下に居た、ロレッタ嬢を探しに来てロレッタ嬢が落っこちそうになった瞬間を目撃し、救出すべく走り出したアルバート殿下が着地点に滑り込んだのを、見た。


 いやああああああ軌道修正ならず退いてください殿下このままだと圧しつぶします不敬罪から斬首刑確定――――!?


 入れ替わり落っこちて来た私にびっくりした殿下と蒼白な私の視線が交差したと思ったらぶつかって、転がって、咄嗟に殿下の身を守らねばと腕を回して頭を守ろうとして―――むちゅっと。

 むちゅっとしてしまったのです。

 むちゅっと当たってしまったのです。

 ええ、はい、偶然。そんなつもりもなく。

 …殿下の麗しく尊い男性的な薄い唇と、私の化粧っ気のないちっちゃい唇が、むちゅっと。


 …落っこちて押し倒して馬乗りになった挙句事故とはいえ殿上人の唇を奪ってしまうとか処刑一直線の不敬ではぁ―――――!?

 助けてお兄さまぁあああああ!!


 しかし私が悲鳴を上げて命乞いをするより早く。

 殿下の身体が淡く輝き、虹色の粒子が散り、弾けた。

 何事かと様子を窺っていた誰か―――殿下を見張っていた若い見習い呪い師が、驚愕の一言を告げる。


「殿下の呪いが解けた」と――――。


 うっそやん。







「大変なことになったなイヴ」

「お兄さまぁあああ!!」


 うわーん怖かったよー!何もかもが怖かったよー!!

 やっと逢えた大好きな兄に、一目散に駆け寄ってひしっと抱き付いた。私より上背のあるお兄さまは、危なげなく受け止めて抱き返してくれる。頼りになりますお兄さま!このがっしり感がたまりませんお兄さま!!


 あの騒動から三日目。私はどんぶらこっこと流されるがままに王宮に連れられて、豪華な客室に滞在していた。

 本当は伯爵家に戻りたいのだけれど、殿下の呪いが本当に解けたのかわからなかったので様子見の為に滞在させられている。何より再度呪われてはたまらないので、解呪できる私は手元に置いておきたいらしい。安心の為。うええんおうちかえしてぇ。

 半泣きの私ですが、私はしがない伯爵令嬢。王家の決定には逆らえない。幸い扱いは丁寧だし、皆さん親切だし、微笑ましくも奇跡を目の当たりにした興奮から恭しく扱われている。とても居た堪れない。助けてお兄さま。


 なので、実の兄であるお兄さまにもこの三日間一切会えなかった。遺憾の意!!つまりこのお兄さまは私にとって三日ぶりのお兄さまなのだ!


 伯爵家の跡取りであり、アルバート殿下の護衛騎士の一人であるお兄さま。エディ・ベルンシュタイン。御年二十歳。

 お兄さまは青みのかかった短い黒髪と、夏空のように晴れやかな青い瞳をした爽やかな青年だ。ただ目つきが鋭いので、親しみのない爽やかさん。表情も乏しく、がっしり鍛えられた騎士なので嵐の前の夏空を思わせる。あれれぇ爽やかとは…?

 笑顔になれば一気に爽やかさが弾けるのに、表情で損をしている。真面目で優しい私の大好きなお兄さま。

 四つ年下の私を大事に守ってくれる、理想の騎士様なのです。お兄さま素敵です!


「うええええ会いたかったですお兄さま…お父様はどうなさってますか?」

「父上は白目を剥いてひっくり返り、騒がしい周囲への対応に追われている。お爺様が窓口になって下さったので、もう少し経てば落ち着くことだろう」

「お爺様が…」


 お爺様はかつて騎士団長を務めたほどの実力者で、その影響力は未だ衰えていない。王家への忠義も厚く、陛下からの覚えも目出度いので上位貴族でも下手に手出しできないお方だ。父も騎士の出だが、お爺様ほどの才能はなく現在は領地経営に専念している。ひっくり返ったお父様を見てこの軟弱者めって怒鳴るお爺様が容易に想像できた。

 でもでもあわわ…お爺様が腰を上げるほどの騒ぎになるなんて…私は涙目でおろおろした。お兄さまはそんな私を丁寧に誘導して、二人掛けのソファに座った。二人揃ってぴったりくっつきながらソファに収まる。実はずっと居た侍女が澄まし顔で二人分のお茶を置いてくれた。澄まし顔だけど目が微笑ましそうで、気を使ったのか話し声が聞こえない位置まで下がってくれる。このお部屋とても広いんです。とても、広いんです…!

 ところで、とお兄さまが切り出した。


「いつの間に殿下に惚れていたんだ?」

「惚れとりません!」

「…惚れてないのか?」

「惚れてません!」


 首が取れる勢いでぶんぶん否定する。お兄さまと同じ青みのかかった黒髪が胸の前で踊る。耳の下で結った紺色のリボンには黒い刺繍が施され、お兄さまとお揃いの青い目はころころあちこちを彷徨い見ている。爽やか詐欺なお兄さまを女性的にして女性にしたのがこの私。清楚感より清涼感があるとよく言われます。スッキリサッパリという意味ですかねさっぱりです!

 私の必死な否定に、お兄さまは小さく首を傾げる。ああ!大柄な男性がコテッと首を傾げる様子、きゅんとします!男性的なのに愛らしさを覚えます!お兄さま素敵です!


「だが殿下の呪いを解いたんだろう?」

「不可抗力です!」


 むしろ事故です。


「俺は見ていないが、殿下に飛びついてそれは熱い口付けを交わしたと聞いた」

「どこのどいつですかそんなフィルター越しの証言をしやがりましたのは!」


 階段から落っこちたのであって殿下の胸に飛び込んだわけではない!!


「していないのか?」

「しとりませんよ熱い口付けなんて!」

「口付けは?」

「…」

「していないと?」


 お、お兄さまが意地悪します…!

 私はぷるぷる身を震わせ、きゅっと唇を引き結ぶ。力を込めた結果、触れあった柔らかさを不意に思い出してしまい、ジワリと頬が色づいたのがわかった。むぐぅ落ち着いて私の心臓…!


「イヴ」

「………し、しました…」


 でもでもでもでもっ


「事故なんです無実なんですそんなつもりはなかったんです偶然の一致なんですー!」


 本当の本当に、あれは事故だった。だって本来なら、落っこちていたのは私ではなくロレッタ嬢。私は偶然たまたまその場に居て、私なら着地できると判断して飛び出した。その着地点に滑り込む殿下のお姿など見えていなかった。

 殿下を押しつぶして押し倒して馬乗りになって事故とはいえ不敬にもちゅーをかましてしまった私は、いつ罰せられるかと戦々恐々だった。それがまさかの―――。


「…イヴがそう思っていても、世間はもうイヴと殿下が真実の愛を誓った恋人同士だと認識している」

「ナンデー!?」

「専ら噂になっている。『魔女に魅了された王子様を真実の愛で救った令嬢』がいると」

「どちらさまですか」

「イヴのことだ」

「どこのお家のイヴさんですか」

「ベルンシュタイン伯爵家のイヴだ」

「それ絶対私のことじゃないです!」

「お前以外に誰がいる」


 いやああああ嘘よおおお三日でそんな噂が広がるだなんて!!

 お兄さまの厚い御胸にグリグリ額を擦り付けながら嘆く。勿論職務中でなく休暇に顔を出しているので、普段の鎧は取っ払われて礼服越しにお兄さまの筋肉をもろに感じることが出来た。この!厚みが!ドストライク!!お兄さま素敵です!!ハイ現実逃避をお許しください!!


 祖父も父も兄も騎士だったので、娘の私は大層可愛がられた。ただ女の子の可愛がり方を知らない朴念仁たちだったため、その可愛がり方は普通の女の子にする可愛がり方ではなかった。

 可愛がって可愛がって…可愛がって騎士の英才教育を施したため、私は刺繍の針の代わりに細身のレイピアを握り、詩集の代わりに兵法を学び、優雅なダンスの代わりに体術のステップを踏むご令嬢に成長した。途中で祖母が気づいて何とか最低限の淑女教育は受けたが、令嬢として自慢できるのは鋭くキレのあるダンスくらいだ。むしろキレがあり過ぎてお父様とお兄さましかついて来られない。お爺様はワンチャン腰が逝く。


 そんな、令嬢として殻を被った状態の私、イヴ・ベルンシュタインが。


 世間から、お伽噺に出てくるお姫様のように見られている。


 いやあああああああ!!むりぃいいい!!


「痒いですお兄さま!」

「『正気に戻った殿下はご令嬢の深い愛に感銘を受け、自ら二度目の口づけを交わし固く抱き合った』と続く」

「何てことでしょうしとりません!!」


 確かに心臓が飛び出したならばその場でセカンド事故チューが起きましたが、そんなことはありませんでした!

 してませんとも!!心臓も飛び出しませんでした!!固くも緩くも熱くも冷静にも抱擁していません!!断じて!!


「本当に本当に、事故だったんです!不可抗力だったんです!私は無実です…!」

「そこに愛はなかったと?」

「ありませんでした!だいたい私と殿下に接点など…っ接点…接点など…?」


 ちょっと言い淀んでしまった。

 だって目の前に、殿下の護衛騎士(お兄さま)がいる。


「接点ありましたが大して会話したこともなく!」

「ああ、紹介したこともない。学年も違うし、接点はある様でないな」

「デスヨネ!」

「だが世間は『護衛騎士の兄という接点が二人にはある』と認識している。『そこから愛を育んだのだろう』と」

「世間様ぁ!!」

「何より―――呪いが解けている」


 その声は、とても静かだった。


「高名な呪い師も、善良な魔女も…誰も解けなかった呪いが、解けているんだイヴ」


 ひたっと、静かに致命傷とわかる攻撃を繰り出された。


 それに―――私は、口を閉ざすしかない。


「う、ううう…」

「才能あるものにしか呪いは施せない。だが誰でも、ただ一つの愛があれば解くことが出来る…それはお前も、知っているだろう」


 それでも呻き声の漏れる私に、お兄さまは淡々と言葉を続ける。冷静な対処が痺れますお兄さま。でもちょっと待ってくださいお兄さま。


 だって、だってだって、それじゃあ…。


「事故でも不可抗力でも、口付けで呪いが解けたという事は、お前が殿下を心から愛している証明になる」

「うああああああ…!」


 バッサリ斬り込まれて、私は頭を抱えてその場に丸まった。お兄さまから離れて、ソファの端っこに逃げ込んで、頭を抱えて膝を丸めて額を押し込んだ。


「違うんです違うんです…っだってだってだって」


 声が上ずる。どくどくと血流が早くなって、聞いていたくなくて耳を塞いだ。余計音が大きくなってぎゅっと目を閉じる。やっぱり音が大きくなった。


「だって私、殿下とお話なんてしたことなくて…っ」


 音を聞いていたくなくて、言い訳するよう言葉を探す。でもそれがお兄さまに対する言い訳なのかよくわからない。


「同じ学園に居ても学年違うし、すれ違っても挨拶しないくらいだし、廊下の端からちょっと眺めるくらいの距離感でっ」


 ぎゅっと閉じた目の裏には、視線の合わない殿下の横顔。ちらっと確認しただけの、二つ年上の尊き方の御姿。


「見つけてもわー王子様だーって感想しかなくてホントキレイとか凄いとかぼんやり考える程度で私そんなだってぇ」


 尊き方を目にするのは光栄なことで、友人と一緒にキャッキャと騒ぐくらいで、ちょっと得したねと思うくらいのものだったはずで。


「接点、接点とかお兄さまくらいだし、お兄さまだってお仕事の話しないしっ知らないしっあってないようなものなのにっ私全然あの方のこと知らないのにっ」


 公表されていることしか知らない。学園で分け隔てなく接してくださる姿しか知らない。


「なのに私のちゅーで、殿下の呪いが解けるなん、て…それって、それって」


 わなわなと、くるくる言葉を紡ぐ唇が震えた。すごく、泣きたい。


「私が気付いてないだけですっごく殿下のこと好きってことになるじゃないですかやだぁああああ!」


 しかも目撃者多数世間まで巻き込みイヴの想いは真実の愛の奇跡として祀り上げられることになる。

 伯爵家が騒がしいのは、真実の愛の口付けで殿下を救った娘が王家に感謝されるのが確実で、少しでも繋がりを持ちたいと貴族が駆けこんでくるからだ。

 そう、彼らは皆―――口付けで呪いが解けたのだから、イヴが殿下に対して真実の愛を抱いているのだと、疑っていない。むしろなんて健気なご令嬢だろうと過大評価をしている。


 羞恥心で一杯。

 周囲の見方もだけど、そんなつもりが一切なかったから自分の鈍感具合にも羞恥で一杯!!

 私ってそんなに、殿下のことが好きだったの!?呪い解いちゃうくらい!?全然知らなかった!!

 ああああーおうちかえりたいけどこの部屋出たくないー!皆が私を微笑ましく見てくるううう!!助けてお兄さま!


 羞恥で丸くなる妹をよしよしと宥めながら、妹の恋心に欠片も気付かなかった兄は小さく疑念を抱いた。

 ―――自分が朴念仁だから気付かなかっただけなのか、それともこの話に裏があるのか…。

 溶ける笑顔で書類を捌いていた護衛対象(殿下)を思い浮かべながら、エディはとにかく、イヴを優しく宥めた。




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