キミはオレの希望 5
卒業式の後の教室は、なんだかぽっかりとあいた、俺の心の空間のようで……。
もう聞こえない筈のクラスメイト達の声が、聞こえるような気がした。
自分のだった机に1人突っ伏していると、ガラリッと幻聴ではない音がする。
顔を上げると、扉に手をかけたままの檜山が、驚いた顔で俺を見ていた。
「何してるんだ? 皆もう帰ったぞ」
扉を閉めて入ってきた檜山は、黒板いっぱいにチョークで書かれた大きな『祝! 卒業!!』の文字と、その周りの色とりどりのクラスメイト達の書き込みを眺める。
しばらく微笑み見つめていた檜山が「菅田」と俺を呼んだ。
「何?」
「君の、書き込みがないんだけど?」
思わず絶句する。
皆、思い思いに書いただけで、全員が名前を書いている訳じゃない。
それなのに、俺のがないと、判るなんて――。
「………………」
俺は再び、机に突っ伏す。
「……なぁ先生」
「ん?」
「結婚して良かった?」
「………………」
顔は見えないが、返事に詰まったらしい檜山は無言だ。
どんな表情してんだろ、と思いながら、歩き出した檜山の足音を聞いた。
「あいにく私は、生徒相手にノロける趣味はないんだ」
シャー、シャー、と。
檜山が教室のカーテンを閉めていく音がする。
「聞けるのは、ノロケ、なのかよ?」
俺の言葉に、全てのカーテンを閉め終えた檜山が笑った。
「さぁ、菅田。これで見るのは私だけなんだから、何か言葉を書いてくれよ」
すぐ消すから、と笑いを含んだ声で言う。
机の1つに腰掛け、本格的に待つ体勢を取った檜山に、渋々席を立った。
「――なぁ先生。俺が生徒じゃなくなって……また、会えたら。そん時は聞かしてくれる? 今の答え」
檜山の答えを待たずに、黒板の前まで歩いて行って、チョークを持つ。
『あなたに、また会いたい。』
空いてる場所に、それだけを書いた。
俺が無言で机に戻ると、カシャ、と音がする。見ると、檜山が黒板をスマホで撮っていた。
「あっ。――きったねぇー」
すぐ消すっつったのに、と言えば、フフンと笑った檜山が「消すよぉー」と黒板消しを手に持つ。
その手が、1つ1つ。全ての言葉を丁寧に消していくのを、ただ眺めた。
教室の鍵をかける檜山と共に、廊下に出る。
「先生、色々とありがとう」
それ伝えたくて残ってたんだった、と言えば、檜山は微笑み、右手を差し出した。
「いつか――また会おう。菅田」
右手なのが当たり前でも、それが指輪のはまる左手でなかった事が、嬉しかった。
パンッ! と。右手で檜山の掌を叩く。
「…………。ここは普通、握手だろう」
不満げな檜山に、「握手はまた、会えた時に」と笑って背を向けた。
あなたの手の温もりも、伝わらない程の、一瞬の触れ合い――。
けれど右手は、これ以上ない程に熱を持っていた。
なぁ、先生。
また、会えた時。ノロケを聞かせてくれ。
「結婚して良かった」
と。俺の好きなあの笑顔を見せてくれ。
あなたは、俺の希望。
いつか、また、あなたに――。