キミはオレの希望 3
檜山が用意したのは、中学1年の奴が宿題としてやるプリント。
彼等が次の授業までにしていくそれを、毎日やってこいと言うのだ。
B5サイズのプリント1枚。
答えさえ解れば、5分とかからずに出来るものだ。
『I am ~ 』
程度から始まるその『宿題』は、他の3年の奴なら「冗談だろ?」と笑ってしまう内容だろう。
「こんなんで間に合うの?」
訊けば、「それは君次第」と檜山は笑った。
強制の宿題ではない。やっていかなくても檜山は何も言わなかったし、俺を怒ったり注意してきたりする事はなかった。
だけどやっていけば、檜山は放課後、他のクラスメイトが帰って居なくなった教室で、それを採点してくれる。間違えた処は、説明しながら俺が正しい答えを出すまで教えてくれた。
そして全ての答えを一発で正解していれば、俺を褒める。
それも凄く嬉しそうに微笑みながら褒めるから、俺は一生懸命間違わないよう、毎日真面目に『宿題』をしていくハメになった。
「檜山と由利先生、今朝ケンカしてたぜ」
「学校着く前に由利先生、檜山の車降りてたんだけど、バァーンッ! って車のドア閉めててさー。メッチャ、顔怖ぇぇーの」
「『おはようございます』って声かけられないくらいだったよねー」
そんな話を最初に、檜山達の不仲説は何度も生徒達の話題となった。
――ほらな。1年経ってないのに、こんなモンさ。
結婚なんてロクなモンじゃないと、俺は心の中で呟く。何がそんなに面白いのか、興味津々に笑いながら話す友人達の会話に、ただ耳を傾けていた。
檜山は俺が何か話題を振る以外で雑談はしない。
俺も短いながらもこの『時間』を大切にしたくて、無駄話を振るような事はしなくなった。
2人だけの空間。
視線は合わすけれど。
プリントの同じ箇所を互いに指差し合いながら、言葉を交わすけれど。
嬉しそうに微笑む顔は、俺だけに向けられるけれど。
なのに俺達の指は、手は、肌は――。
1度も触れ合う事はなかった。
彼が触れた場所を、俺の掌がなぞる。
けれど俺の掌は、彼の体温がどんな暖かさなのか、知らないままだった。
不機嫌に車を降りていけるあなたの奥さんは、その暖かさを知っているんだろうな。
怒りをぶつけても、どんなに憎たらしく振舞っても。
彼の隣に、彼の帰る場所に、自分の居場所があるのを知っている……。
――そんな羨ましさではない自分の心にある苛立ちに、俺はいつも可笑しくて、嗤ってしまうのだ。