我君を…… 1
一応ノックしてから、美術教師の教員室のドアを開ける。
誰も居ない室内に入って、鍵をかけた。
いつもと同じ、油絵の具の匂いが充満した部屋。
卒業したらこの部屋に入る事もなくなるかと思うと、なんだか感慨深いものがあった。
――なんで在室してない時に鍵かけてねぇんだよ。
普通逆だろ、とツッ込みながら、いつもあいつが座っているイスに腰掛ける。
クルリとイスを回転させて、描きかけの大きな油絵を眺めた。
人間と動物の目が、たくさん描かれた絵。
あいつの絵には、たいがい目が描かれている。
「先生が描く目、俺好き」
あの時は、心からそう思っていたから。
意外にもきれいな目を描くな、と感心していた。
「本当に? それは嬉しいな」
あんな、子供のように笑う顔は初めて見た。
「目には、こだわりを持っているから。そして一生の、課題かな」
その言葉で、「あぁ、こいつは、一生絵を描いて生きる奴なんだな」とふと思ったりした。
何年後、何十年後かに、あいつが何かの絵画展で大賞をとる。
別格のように飾られたあいつの絵を、他の客達と一緒に、俺はきっと見上げるんだ。
何のこだわりも『課題』も持たず、流れに任せた人生を送って、テキトーな会社に就職した俺は、一丁前の背広なんか着て。
俺の事なんて憶えていないあいつは、他の見知らぬ客達を見るのと同じ目で、俺を見るんだろう。
『ありがとうございました』
なんて、愛想笑いを浮べながら。
「………………」
――自分の想像なのに、なんかムカつく。
けれどもきっと、現実になるだろうし、それが現実というヤツなんだろう……。
コン、コン……。
小さく聞こえたノックの音に、息を止めた。
「奥野先生?」
聞こえた声は、きっと同じ3年の上田だ。
もう1度ノックの音がして、諦めたように帰って行った。
「どこに、居やがるんだろうな?」
片想い同士の親近感で、そっと呟いてみる。
さすがにドアを開けて、直接言う事はできなかったが――。
もう放課後になってだいぶ経つのに、こんな時間まで彼女は残っていたんだな、と思う。
きっと奥野と、言葉を交わす為だけに……。
ガチャガチャ。
開いてるかどうかも確認しない。
当然のように、無造作に鍵を開けて、奥野が入ってきた。
「あんたガサツ過ぎ」
顔をしかめて言った俺に、「?」と不思議そうな顔をする。
そうして、内側から鍵をかけた。
「ふつう逆じゃない? 居ない時に鍵かけろよ」
「放課後以外はそうしてるよ」
「………………」
俺が入れるように? そう訊こうとしたが、違ってたらムカつくから止めておいた。