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「ただいま!」
僕が帰ったときには家の電気はいつも通り点いており、ドアの鍵も開いていた。
「あ、ターちゃん帰ってきた!」
そう言うのは母方のおばあちゃん。
「うん、うん、うん、わかったわ」
おばあちゃんは誰かと電話しているようだ。
「ターちゃん、今からおばあちゃんとお出かけしよ」
「いいけど、母さんは?」
家に帰ってから未だに母さんとカナデを見ていない。
そう聞くとおばあちゃんは一度黙った。
「あ、あっちにいるから……」
その言葉に、そうなのかと納得する。
おばあちゃんと一緒に向かったのは病院だった。だが、予防接種にはまだ早いし、誰かが入院でもしたのだろうか?
瞬間、心臓が締め付けられるような感覚に襲われた。朝から今までの出来事が、無意識のうちに集められパズルのピースのように嵌っていく。
不安で不安で仕方がない。だが、体が震えたりするわけでもないため平然を装おう。
「虎丸くん、ターちゃん連れてきたわよ」
表情が死んでいる。父さんはその言葉がよく似合う無気力な表情をしていた。
「ありがとうございます。お義母さん」
父さんが力なく僕の手を取り、引っ張った。連れられた部屋は真っ白。その空間には二つの台があり、それぞれに布のかかった何かが乗っていた。
「ッヒ!」
否、何かではない。これは僕が予想していた通りのことだ。
「か、母さん……?」
肌は白く、生気を感じさせない母さんの姿があった。
「冷たい……」
母さんの頬に触れると、氷のように冷たくなっていた。まるで偽物、作り物のようだ。しかし、肌の質感、産毛の感じがあまりに人間すぎて……
「父さん、母さんは死んじゃったの?」
「…………」
父さんは何も答えない。口にしたくないのだろう。しかし、それはこれ以上ない無言の肯定だった。
予感していたことが起き、今の感情は虚無だ。何もない。
そして、母さんのとなりにもう一つ。
目を見開いた。歯の根が噛み合わず、過呼吸になる。
分かっていた。先ほどの母さんの死から予感はしていた。
だが、何故だろう。
母さんの死を何とも思わなかったわけじゃない。むしろショックだった。
朝までいつも通りだったのに……どこで変わってしまったのか……
記憶を掘り返し、違和感を探す。いつも通りでなかった場所を探す。
ある。鍵が開いていなかった。ということは、あの時には家に居なくて……もしかしたら、もう、そのときには……
「うああああああああああああ‼ああああああああ‼あーーーーーーーー‼」
あのときの僕には友達の家で遊ぶことしか頭になかった。目前にニンジンをぶら下げられて走る馬の様だ。
なんて愚かで浅はかで……
喉が潰れ、咳き込んで、喉から血が出てきた。それでも叫び足りない。嘆き足りない。
僕が友達とノウノウと遊んでいる間にカナデと母さんは……
鍵が開いてないことに気付いてから何時間遊んでいた?なぜ気づかなかった?
小学四年生でゲームをやりまくっていたがバカじゃない。この後悔が無駄で、もうどうしようもないことはわかっていた。
だが、それで嘆くな。喚くなと言われて黙れるほど大人でもなかった。
いつの間にか崩れ落ちていた膝。目の前には床がある。拳を思いきり握り、振りかぶる。
「ああああああああああああ‼」
思いきり打ち付けて潰れてしまえばいい。そのあと惨めに転げ回ればいい。僕がこんな奇行に走ったところで、母さんが……カナデが帰ってくるわけじゃない。だが、思いきり打ち付けて、痛い目を見たかった。
だが、その拳は振りかぶったところで止められた。
「やめろ、やめてくれ……」
顔は見えない。しかし、それは今にも泣きそうな父さんの声だった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛‼」
ガサガサになった声で泣き叫ぶことしか出来なかった。




