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大好きな大好きな牙狼タイガー。
今ならば考えるだけで胸躍る。それなのに……
どうして胸がこんなに痛いのだろう。
武田大牙 九歳
「母さん、ただいま」
そう言えば
「おかえり、学校はどうだった?」
と、返す声がある。母は専業主婦で家に帰れば大体いる。
母の質問にいつも通りの答え
「楽しかった」
と、笑顔で返す。
「今日父さんは?」
「夕飯までに帰るって言ってたわ」
「わかった。友達の家に行ってくるね」
朝は学校に向かい、放課後になれば仲のいい友達の家へ遊びに行く。
何の変哲もないどこにでもありそうな小学生らしい日々だ。
「ただいま!」
家に帰ると昼過ぎに帰った時より靴が増えていた。父と妹だ。
「お、父より遅く帰って来るとはとうとうグレたか?」
「何言ってるのさ、夕方六時に帰っただけでヤンキーあつかい?」
そう言い返すと父が頭をワシャワシャとかき回す。荒っぽいが決して嫌いではない。
「にぃ、おかえり」
父の手を振りほどき、妹の奏の頭を自分が父にされたように撫でる。
「ただいま、カナデ~、ただいま~」
三つ下の妹。歳はそんなに変わらないが、気持ちよさそうにされるがままにしているカナデが可愛くて仕方がない。
「ほらタイガ、手洗ってないでしょ?そんな手でカナデを撫でまわしてないで手洗ってきなさい」
「お、タイガばっちぃな。なぁカナ~」
「にぃ、ばっちぃ」
妹に言われて少しメンタルのゲージを減らしながら洗面所で手を洗う。
どこにでもある普通の家庭。少し違うとすれば父の仕事的に裕福である点だ。特に不自由することなく今まで生きてきた。
だから、油断していた。
一利一害という言葉がある。良いこともあれば悪いこともあるという意味だ。
「ゆるさない!絶対に……絶対にだ!僕が絶対に……どこまでも!地獄だろうが追いかけて!ぶっ殺す!」
良いことと悪いことがもし同じだけ起きるなら、殺された人はそれまで良いことが死ぬほど起きたのだろうか?
その死を乗り越えれば更なる幸運が得られたのだろうか?
誰が……誰がそんなこと望んだというのか。
更なる幸運を望んだわけじゃない。今までが幸運過ぎたというのであれば、これからは不運で構わない。
どれだけ祈っても、望んでも、願っても、恨んでも、怨んでも、悔やんでも、呪っても、時間は一定の速さで過ぎ去っていく。今までも、これからも。
大切だった時間を置き去りにして……




