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球技大会開幕

 朝、いちごジャムを多めに塗りたくったトーストを片手に『可愛いワンちゃん特集』を観ていると、2歳のチワワの映像から突然深刻な表情を浮かべた男女一対のアナウンサーに切り替わり、「あの悲惨なテロからちょうど10年が経ちました」という音声、テロップが流された。


『我々はあの同時多発テロの惨劇を忘れてはいけません』


 アメリカかどこかのふたつのビルに旅客機がぶつかり、黒煙と火の粉をあげて崩れ去る映像が流される。死亡者ウン千人、負傷者ウン千人、主犯格はイスラム原理主義組織のどこそこ――気持ち重めの声音を使い、10年前はおそらく子供だったであろう女子アナが原稿を読み上げている。邦人もこの事件により犠牲になり云々。ハイジャックされた旅客機は云々。遺族への保障は云々。


 月本はパンの欠片を飲み込んだ。

 ヒサンなテロの映像が流されてもイマイチピンと来ない。確かに当時も生きていたといえば生きてはいたものの、10年前といえば3歳や4歳そこらのガキンチョだ。まだ言葉を話すようになって間もないし、死や生の概念を十全に兼ね備えていたかもおぼつかない。

 テレビでは一昨年当選した大統領がイエス・ウィー・キャンという殺し文句を抜きに、これからの国際社会がうんたらかんたら、アメリカはうんたらかんたら、テロがうんたらかんたらと演説をしている。


「もう10年経ったのか」


 父が朝刊から顔を上げた。目には驚嘆と懐古の色が浮かんでいる。


「この時はもうすごかったぞ。日本でだってちょっとしたパニックがあったくらいだ」

「へえ」


 目玉焼きに塩コショウをかけて一切れ食べる。目玉焼きに何をかけるかを巡ってかつて美香(みか)香織(かおり)と一悶着あったが、最近になってようやく平和条約が結ばれて事なきを得た。それ以前は塩コショウをかけた瞬間上からソースと醤油が二手からドバドバかけられて、塩分マシマシの目玉焼きの化け物が生まれたものだ。テロとの戦いよりも、目玉焼きに何をかけて食べるかの方が重要だった。


「お前はまだ小さかったから覚えてないだろうが、あの時父さん実はアメリカに出張する話があってな。香織と美香がまだ小さかったから断ったものの、もし承諾してたら今頃はここにいなかったかもしれないな」


 得々とすんでのところで死を回避した武勇伝を語る父にテキトーにへえ、と相槌を打ちながら、パンを食べる、目玉焼きを食べる、コーヒー牛乳を飲む。


 アメリカ大統領の演説は終わり、テレビには中東情勢に詳しい何某(なにがし)という太ったハゲでメガネの中年男性が映っている。


『第二次大戦中のフセインマクマホン協定やバルフォア宣言、アメリカやソビエトの中東に対する度重なる介入による不満が爆発して、このようなテロ事件が起こったのでしょう。アメリカはこのような卑劣な仕掛けに対し断固として戦うなどと言っていますが、我々は被害者であると同時に加害者であることも忘れては行けませんね。おまけに最近ではシリアの方でも紛争が起ころうとしている。憂慮すべき事態ですね。この問題は一気には片付きません。長い年月をかけて国際協調の枠組みを作り、中東情勢の改善に尽力しなければなりません』


 よく分からないことを言っている。どうしてそう小難しい単語を使いたがるのか。学校で習った範囲でニュースを制作してほしい。


 テレビの画面が切り替わる。『夏も終わりに……厳しい残暑が続く』というテロップが流れ、男性アナウンサーのテノールをBGMに東京都渋谷の街を練り歩く白ワイシャツのサラリーマンやサングラスに日傘をさした有閑階級の婦人などの映像が流れる。興味が無くなり、対面に座って並んでモソモソとパンを食べる美香と香織に視線を移す。


「……なによ」


 香織が、刺々しい視線を月本に投げかけてきた。いわゆる反抗期というやつで、香織の場合、去年の冬頃から特に父や兄に対して辛く当たるようになっていた。もう少しで1周年だ。


「いや……別に」

「ふん」


 鼻を鳴らし、オレンジジュースをこくこくと飲む。そして一つ伸びをした香織に対し、「行儀が悪いですよ」と美香が注意をする。姉よりも妹の方がしっかりしているという関係がなんだかおかしい。笑いそうになったが、笑えばまた香織が怒るからこらえた。


「ごちそうさま」


 カチャカチャと皿を重ね、流しへと持っていく。蛇口をひねって水を出し、スポンジを湿らせ洗剤をぶっかける。食事の支度は母と美香の役割なので、せめてもと月本は自分の使った食器は自分で洗うようにしている。ちなみに父は食べ終わっても新聞とにらめっこをし、香織は食べ終わった瞬間ごちそうさまも言わずに自分と美香の部屋へ戻っていく。


「あ、母さん。今日は制服じゃなくて体育着で行くから」


 黒のスラックスとワイシャツの上下を出す母に対し、声をかけた。母は不思議そうな顔をして、


「あら、そうなの?どうして?」

「今日は球技大会があるからさ。体育着登校でオッケーなんだ」

「そう」


 母は押し入れに制服を戻した。

 時刻は午前7時20分。少し早いが、月本は着替え始めた。普段FCひらやまで使っているゲームシャツにガッコー指定の半ズボン。着替え終わって25分。それからカバンにものを入れ、歯磨きとトイレを済ませて35分。父はまだ新聞にかじりついてウンウン唸っている。その様子を見ていると、実は新聞記事を理解できてないんじゃないかと月本は思ったりする。


「行ってきます」


 31度の熱気に包まれた大気の中へ、月本は繰り出した。


***


 球技大会は3学年全てがトーナメントで争う。

 1学年が4クラスなので総計12クラス、その中でも男女で分かれて競技が行われ、男女それぞれ2種目ずつ競うので、結構な試合数になる。それを一日で全て行うのだから無謀といえば無謀だが、ともかく生徒にとっては体力勝負となることが多い。


 今は開会式を終えて生徒が各々競技場へ散り、第一試合が行われているところだ。グラウンドでは男子がサッカー、女子がソフトボールの試合をしている。


 月本は未だ痛々しい包帯のとれぬまま、とりあえず3組男子サッカーの試合の見学に来ていた。

 平山中の球技大会では誰がどこの部活に入っていようが競技参加は自由なので、自然それぞれの競技には現役の選手が多くなる。特に部活動の人数の多いサッカーやバスケでは、スターティングメンバーのほとんどが経験者ということも有り得る。


「一試合目は1年1組か……ま、いいカードだな」


 赤い半袖を肩までまくりあげた加賀美が、意気揚々と対戦相手を睨みつける。気の毒なもので、中学生は成長期。1年生と2年生の間には体格然り運動神経然り、大きな差が開いていた。こんな大会クソゲーだと月本は思っているが、改善される気配は未だない。

 加賀美の視線の先にいる1年1組男子は、去年までランドセルを背負っていた子供よろしくまだ幼い身体つきをしている者が多かった。いいカード、とは皮肉である。一方的なリンチが試合では待ち構えているだろう。


「まあ、勝つだろう。僕は別のとこに行くよ」


 対戦相手が知れて急に観戦意欲を無くした月本は、立って体育館へと向かった。

 体育館では女子がドッジボール、男子がバスケの試合をしている。早くも白熱した試合を繰り広げるところもあるようで、女子の黄色い声援や男子の野太いかけ声なんかが飛び交い、熱気に包まれている。

 いや、実際に暑い。下手すりゃ外よりも暑いぞ、と月本は額の汗をぬぐった。体育館はてっきりクーラーがガンガン効いて快適な居心地だと思っていたが、湿気と気温でもう身体が鉛のように重い。現役サッカー選手の彼でさえ参る環境だ。選手の負荷は推して知るべし。


 月本は試合を観戦する3組の連中に近づいた。どうやら第三試合のようで、それまでにはまだ少し時間がある。なら遊んでいてもよさそうなものだが、3組のバスケ選手は揃いも揃ってクソ真面目なようで、敵軍の偵察としゃれこんでいる。


「オッス、月本」


 クラスメイトの野田のだが声をかけてくる。現役バスケ部でポイントガードをやっているとか言っていた。ポイントガードが何をするポジションなのかは知らないが、この前友達に貸してもらったバスケの漫画を読んだら結構上手い人が務めていたので、まあそれなりだろうと月本は勘定していた。クラスメイトも野田がいればバスケはもらったななどと口を揃えて言っていた。


「オッス。どうかな、調子は」

「まだ試合してねえから分かんねえけど、俺はまあいつも通りだぜ」


 野田が振り返った先には、同じくバスケに出場するメンバーがやたらと意気込んでいた。少し緊張しているらしい。


「第三試合ってことは、まだ時間があるんだよね」

「ああ。30分後だな」


 流石に30分も熱気に包まれた会場に突っ立っているのは気が狂いそうだったので、彼はそこを辞して再びグラウンドへ戻ることにした。

 女子ソフトボールへ。

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