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7/10

酔っぱらいは重くて臭くて嫌になる

今回は少々長めです。どうか最後までお付き合いください。

 月本と東条と加賀美、それから夢野ともう一人の安藤あんどうという4組の生徒は親に連絡を入れる。いずれも承諾という返事。ギャル――小泉こいずみは、あたしの家はそういうのいらないからという一点張りで、ケータイを取り出すそぶりも見せない。そこを無理に月本が言い含めたが、家庭の事情に他人が踏み入るべきではないということでお咎めなしとなった。


「カラオケいこーよ」


 という小泉の一言で、6人はカラオケへ行くことになった。もっとも小泉以外カラオケなんて行ったことがないか、または久しく行っていなかったものだから、彼女の行きつけだという店に決まる。

 歩いて20分ほどでそこに着いた。オレンジの看板に大きなマイクの絵が描かれている「カラオケの館」という何ともひねりのない店である。小泉が躊躇なく入るので、慌てて5人も付き従う。パーティールームありますか、はい空いております、じゃあドリンクバー3時間で、メンバーズカードはお持ちですか、はい、それではこちらに人数とコースとお名前をお書きください。見る見るうちにやり取りが交わされる。やがて小泉が店員から6人分のコップを受け取る。


「お待たせ、じゃ行こっか」


 彼女を先頭に二階へあがる。206と書かれた一室に入る。モニターと予約用の機器、マイクが2本、テーブルを取り囲むように柔らかいソファーがあった。

 最初に加賀美と安藤が向かい合って座り、加賀美の隣に月本が座を占める。そして彼の対面に夢野が座り、その隣に東条が腰を下ろした。


 あれ?


 月本のみならず、東条以外の5人が首をかしげた。夢野に至っては気のせいか若干顔が引きつっている。せっかく男子3人女子3人の組み合わせなのだ、男子と女子が並んで座ることに相場が決まっている。だが東条の中では違ったらしい。


「攻めるな、アイツ」


 加賀美が耳打ちをしてくる。


「あんなに積極的なら僕らいらなかったんじゃないの?」

「言ってやるなよ、せっかく人の恋模様を実見できるってのに」


 悪い趣味だ、と月本は思った。

 成り行きで月本の隣に座った小泉と東条がみんなのドリンクを持ってくる間に、加賀美が機器をいじって曲を予約し安藤に渡す。モニターに映ったのは、少し前に流行った戦隊ヒーローのオープニングテーマだった。これなら知っている。見回すと、他のメンバーもああ、なるほどとうなずいていた。トップバッターだから、皆の知っている曲を選んだのだろう。相変わらず気遣いのできる男だ。


「では不肖加賀美、僭越ながら歌わせていただきます」


 わーわーきゃーきゃーしゃんしゃん。備え付けのタンバリンが鳴る。いつの間にか夢野が手に持っていた。

 加賀美の歌唱は悪くない、と月本は思った。歌のうの字も知らないけど、聞くに堪えない声ではないし、音程もきちんととれているような気がした。


「加賀美、上手いね」


 いつの間にか戻っていた小泉が耳打ちをしてきた。月本の肌に鳥肌が立つ。


「そ、そうだね。僕はあまり歌とか歌わないけど」

「ふーん、そうなんだ。月本だっけ? 普段どんな曲聴いてんの?」

「グリーンとか、ファンモンとかかな」

「あー、メジャーなとこね」


 そりゃあメジャーなところに決まっている。普段音楽など聴かないが、クラブで流行っているのだ。知らないとハブられる。だから聴いて覚えているのだ。


「……小泉さんはどんな曲聴いてるの?」

「さん付けはヤメテよ。あたしは――まー、月本とおんなじかも」

「メジャーなとこ」

「そ、メジャーなとこ」


 夢野が機器を渡してくる。どうやら彼女も予約したようだ。どんな曲を歌うんだろう。気になって予約リストを観てみると、全く知らない曲だった。

 ひとまず無難なバンプの歌を入れて、東条に渡す。


「何入れたの?」

「バンプ」

「またメジャーなとこじゃん」

「いいだろ、良い歌なんだし」


 東条が機器をいじりながら夢野に話しかけている。夢野、俺とデュエットしようぜ!いいけどなんの曲?ミスチル。それデュエットできないじゃん。あっ。

 ふと見れば、東条が死んだ顔で虚空を見つめていた。


「失敗した失敗した失敗した」


 どこぞのブラウン管売場の店員のようなことをずっと繰り返している。それを尻目に夢野は最近流行りのアイドルソングを楽しそうに安藤と歌っている。東条の攻めっ気は空回りしたらしい。月本はため息をついた。


「あたしは何歌おっかなー」


 東条が手放した機器を小泉が操作する。多分彼女はこの中でも1、2を争うくらいには上手いのだろう。何せカラオケ店の常連だ。常連かどうか物証はないが、店員との慣れたやり取りからして常連に決まっている。


「月本はさ、女子に歌ってほしい曲ってある?」

「女子に?うーん……ないかなあ」

「えーつまんない」

「つまんないって言われても、僕は女の子が聴いてる歌なんて知らないし」

「流行りのヤツは大体知ってるよ」


 その流行りのヤツが分からないのだ。


「じゃあ……AKB」

「おっ、いいじゃん。逢いたかったとか?」

「それでいいと思うよ」


 なにそれー、とぼやきながら入力した。モニターに『逢いたかった』というタイトルが浮かび上がる。

 CMやらMステやらで嫌でも覚えたイントロが流れ始めた。

 やはり、この子は苦手だ、と月本は思った。

 小泉の歌は、それはもうアイドル並に上手かった。


***


 たっぷり3時間歌って店を出る。

 時刻はすでに9時になろうとしていた。月本ら男子3人はまだしも、女子の方はカラオケの中で軽く食べた程度で、夕飯を食べていない。そう思ったことがひとつ。それから東条と夢野の恋路を応援するために、皆で夕飯を食べないかという提案をしたものの、流石にもう遅いからという理由ですげなく断られてしまう。それだけならまだしも、当の東条本人が「いやもう遅い時間だし飯はないだろ」とニヤニヤ笑いながら言ってきたので、月本と加賀美で息ピッタリのダブルラリアット。白目を剥いて倒れる東条を女子が引いた目で見る。


 夢野と安藤は親から迎えが来る、東条と加賀美はチャリで帰るということで、月本は不本意ながら徒歩通学の小泉と一緒に帰ることとなった。

 気まずいなあ。

 元々お喋りが達者でないので、こんな風に女子と2人きりにされるとどうもいけない。いい天気ですね、もうすっかり日が暮れたね、と当たり障りのない話題か、一度聞いたような質問ばかりしてしまう。しかし小泉はケバケバしくデコられたピンク色のケータイを開いてしきりにカチカチとやっているので、これはこれで話す必要も無く月本は窮地を救われたような気分になる。


「今日楽しかったねー」

「そうだね」

「月本はカラオケはじめて?」

「うん」

「そっかー。ヒトカラもいいと思うから、これから行ってみなよ。んであたしとデュエットしよ」

「デュエットって……男女が歌う曲なんて知らないけど」

「トリプルエーとかあるじゃん」

「とりぷるえー……」

「あ、知らないんだ。おっくれてるー」

「ほっといてくれ……」


 T字路にさしかかる。本当はここで月本と小泉は別れるのだが、もう夜遅いから女の子1人は危ないと思い、さりげなく同じ道を歩く。実際この辺りから段々と街灯が減ってくると同時に、不審者注意という看板が増えてくる。そういえばここらでも不審者の事案があったっけ。確か下校中の小学生に黒ずくめの中年男が「お菓子あげるからおじさんと遊ぼう」とかいうコテコテの事件だった。中学校の朝のホームルームで植木が注意喚起をしていた。


 田舎道を通って、川の土手に来る。一級河川星鳴川(ほしなりがわ)を左手に、右手には住宅街。オレンジ色の屋根付きの窓から、これもオレンジ色の明かりが漏れている。ここまで来れば人の気配が増えてくるので、そろそろ自分の帰路につこうか、などと思っていると、


「あれ、あそこ」


 小泉が指を指す。その先は闇だから何があるのかハッキリ分からない。土手を降りて灌木や丈の高い茂みを横切った先の川岸に何かがいる、かろうじてそれだけ分かった。


「あれ……人?」

「だね。多分人だ」

「何してるんだろう」

「さあ……あんまここら辺で人は見ないけど、たまに酔っ払ったオッサンがいるけど。あ、ねえ聞いてよー」


 そう前置きして、自分が親切心から声をかけてハゲデブオッサンに身体をまさぐられた事件をケラケラ笑いながら語る小泉を尻目に、じっと影を見つめる。

 ()()はうずくまって川を覗いているらしい。酔っ払いならばゲーゲー吐いてるかもな、と思いながらぼんやりと眺めていると、


 突然その影が消えた。


 川に落ちたと悟るのに、そう時間はかからなかった。

 小泉は見ていなかったようで、ケータイ電話の画面から目を上げると、


「あれ、もうあのオッサン消えた?」


 なおも影をオッサンと決めてかかる小泉に、月本は切羽詰まった声で、


「これ、持ってて!」


 と言って、左肩にかけていたカバンを乱暴に預けるやいなや、土手を全速力で降りていく。地を踏みしめる振動で、右手首がズキズキ痛む。灌木と背丈ほどもある雑草で身体じゅうが切られて痛い。だが不平不満は言ってられない。今目の前で命が消えようとしているのだ。

 ギプスをつけたまま川に飛び込む。思いのほか浅い。せいぜい腰までだ。流れも速くない。泳ぐ必要のないことにほっとしつつ辺りを見回すと、プッカリと傍に浮き上がるヤマがひとつ。人の背中だ。黒い川の中では浮草の束か何かのように見える。

 左手で服を乱暴に掴み、岸に引き上げた。やや遅れて小泉が走って来る。


「お、落ちたの!?」

「うん」


 引き上げた人の口に耳を近づける。

 息はある。規則正しい呼吸。

 寝ているようだ。

 多分飲みすぎて気持ち悪くなって、吐くために土手を降りてそのまま気絶して、バランスを崩して川に飛び込んだのだろう。ドブのような川の臭いとともに、酒臭さが鼻についた。なんとも迷惑千万な酔っ払いである。


「女の人、だね……」


 小泉がケータイのライトを点ける。なるほど、確かに女性だ。しかも若くて、それもとびきりの美人である。何故かこの暑い中で白衣を纏っているが、長く伸びた手足はそれすらも着こなして見せていた。

 なかんずく、胸にそびえ立つ2つの豊かな丘は、健全な発達をした中学2年生にとっては少々目に毒である。

 月本は顔を背けた。


「月本にはまだ刺激的かなー?」

「うるさいな……」


 なるべく濡れた女性の方を見ないようにして、小泉の持つ自分のカバンから汗ふきタオルを取り出し、水気を拭き取る。


「クッサ……」


 吐瀉物とドブの臭いに、小泉が鼻をつまんだ。


「でもこのままにはしておけないよね。どうしようか」

「え、この女なんとかする気?」

「うん」

「正気?」


 どうやら小泉は関わりたくないようだ。無理もない。酒とドブとゲロの鼻の曲がるような臭気を発する女性は、たとえとびきりの美人だろうが近づきたくもないだろう。


「とりあえず無事は無事みたいだし……シャワーでも浴びられたらいいんだけど……」

「ウチは無理。床汚したくないし」

「だよね」


 結局ここで別れ、月本は自分の家に帰ることにした。恐らく両親はまだ帰ってきていない。これから歩けば20分はかかるだろうが、やむを得ない。女性を肩に担いで土手の上を歩き始める。

 8月の午後9時の夜は、幸か不幸か涼しい。雲ひとつない夜空の下、さぞ夜中に散歩をしていれば心地よいことこの上ないのだろう。それをなぜこんな臭気と汚物にまみれた酔っぱらいを担いで歩くのか。泣き言のひとつも言いたくなるが、それでも困った人を放っておかないのが月本博幸という人間である。


 女は時折呻いたりしたが、服に吐瀉物を引っかけられるなんてこともなく、無事に家に着く。

 チャイムを押す。

 トテトテという軽い足音とともに扉が開いた。


「兄さんお帰りな――さ――」


 妹の美香(みか)が、エプロン姿で出迎えると同時に固まった。


「ただいま、美香。この人酔っ払って川に落っこちたっぽくてさ、一応引っ張ってきたんだ」

「……それは誘拐ではないですか?」

「失礼な。親切心だよ」


 人情を重んじた結果の行動だ。


「とりあえず、その人の服を何とかしないと……」

「そうだね」


 と言って、女性の来ているシャツのボタンに手をかけたところで止まる。

 そういえばこの人は女の人だった。しかも美人の。おっぱいもデカい美人だ。


「ごめん美香、この人の服脱がせて身体洗ってくれるかな?」

「……分かりました」


 渋々と美香は身柄を受け取る。小学5年生とは思えない、できた妹である。

 月本は泥まみれの白衣のポケットをまさぐり、スライド式の携帯電話を取り出した。ロックはかかっているが、電話をするには問題ない。それから財布。心の中でごめんなさいしながら開けると、中には漱石の1000円札が5枚と諭吉が1枚、それから小銭が幾ばく。最近見ないと思ったら、こんなところに漱石がいた。それに加えて何かのスーパーのポイントカードと歯科の問診票、呼吸器科の診察カード。喉が悪いのだろうか。

 そしてようやくお目当ての免許証を発掘する。普通Ⅰ種と大二という文字。眼鏡等という注意書き。右には今と違って清潔感のある顔写真。切れ長の目に通った鼻筋、濡れ羽色のウェーブのかかった髪の毛。やっぱり美人だ。

 名前の欄には、「松葉まつば綾音あやね」と書かれている。松葉。どこかで聞いたような名前だ。なんだっけ。思い出せない。

 電話帳を呼び出して、登録されている名前を見る。そこに「自宅」という文字の羅列と電話番号があった。コールをして耳に当てる。


『はい』


 落ち着いた、低めの声の女の声が聞こえた。


「あ、もしもし、月本といいます。えーっと……その……松葉さんのお宅でよろしいでしょうか」

『はい』

「その、倒れてた松葉さんをこちらで保護しているので、引き取りに来ていただけないでしょうか」

『分かりました。すぐに行きます』


 そう言ってブッツリと電話が切れた。まだこちらの住所も言ってないのに、随分とそそっかしい人だなと月本は思った。それにしても、この松葉という名前には聞き覚えがある。どこで聞いただろうか。確か比較的最近のことだ。えーっと。


 ピンポーン。


 玄関のチャイムが鳴った。速いなあとぼやきながらドアノブを回す。

 そして目の前に立つ少女を見て、目を見開いた。


 ほたるが立っていた。

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