言葉の本当は言葉そのものではないよ
私は、頂いたご感想に返信をまともに出来ていない。
私がよく考えるのは、……というよりも、考え続けてきたことの一つだと思います。
言葉の本当は、言葉そのものにはないから、言葉の本当は、言葉そのものではないよ
……何というのでしょうね、含められた含意、
言葉からにじみ出るもの、言葉の外にあるもの、隠されたメッセージ。……それが、言葉の本当です。
言葉は、言葉そのものだけ見れば、ただのすっからかんの入れ物にすぎないのだと思っています。
たとえば、母親が子供に言いますね。「お母さんはあなたのためを思っていうの。お母さんは、あなたのことを考えているの」
言葉、(容れ物)だけ見れば、愛情深い母親の言葉に見えるのかもしれません。では、その言葉を言った母親の言葉(容れ物)以外の隠された含意を見てみましょう。母親は、そう言葉にしながら、家をあけ、不倫相手のもとへ向かう。その事実を子供が知っていたとします。言葉(容れ物)は、そこで初めて、隠されたメッセージを持ちます。無意識に子供が受け取るメッセージ。隠された意味。それは、以下のようになるでしょう。
「お母さんはあなたのためを思っていうの。お母さんは、あなたのことを考えているの(私がこんなに愛情深いのだから、あなたも私のしていることに目をつぶっていてね。私を裏切ったら、もう愛さないわ)」
言葉(容れ物)は、その方の行動によっていくらでも隠されたメッセージを持ち、変貌していきます。……言葉は、顔を変えるのです。
……私が、ご感想に対して頂いたお言葉に対して、あらゆるなにもかもに対して、返せなくなることが度々あるのは、何を言って良いのか、文字通り、解らなくなるからです。……私が、型通りの返信しか出来ず、対応が上手くできなくなるのは、型通りの対応しか(何も考えずに出来る挨拶のような型通りの対応しか)表出出来ないからです。自分の中身が露呈することが怖い。……そこには、自らを露呈する怖さと恐れがあります。だから、隠そうとします。言葉が刃だと知っているから。自らの息の根を止める刃だと知っているからです。
怯えるという状態は、何も持たない状態と似ています。それは、顔がないのです。
人は皆、顔がない。
だから、私は、人間が大嫌いです。人そのもの、概念そのものすら、嫌いです。




