登山、そして
「何だい何だいミコトくん! ユリヤくんとは二人きりで山に登っておいて? 私と行くときはズィロくんも連れて行く? しかもユリヤくんのは彼女を楽しませるのが目的で、今回は素材の採集が目的だって? 扱いがひどすぎるよ! 許されざるよ!?」
まあ、サアク先生には申し訳なかったかもしれない。実のところ、今回のデスボス登山は魔王問題解決のため必要な素材集めが目的である。
「そんなことよりミコト、」
「何がそんなことだよ! 一大事だよ!?」
「すみません——ミコト、この世界インターネットがあるんだね」
転生者のズィロ少年が話題を切り出した。
「イン——ああ、インター・アストラル・ネットワーク・システムか。人類が今の人類になったぐらいの頃からあるやつだな」
インター・アストラル・ネットワーク・システム通称アスターネットは——何と説明していいかわからない。現実世界と重なり合う、全人類と一部その他の生物が共有する世界の情報の層に意識を飛ばしあるいは情報の層から霊的構造を引き出して情報的な構築物を作ったり見たりするやつなのだが。
「それ僕がいた世界だとだいぶ高度な技術って扱いだったんだよね」
「そうなのか。意外だな」
この世界にアスターネットがあるのは空に月が3つ浮かんでいるのと同じぐらい自然なことだ。ああ、でも月を人工的に浮かべるというプロジェクトもあるし人工アスターネットというのもありえるのか。
「そんなことより! 登るぞ山に! グダグダしていると下山時には日が暮れてしまう」
そう、目指しているのは頂上ではなく中腹であるとはいえデスボス山は素人が日帰りで登るには多少無理をしなければならない山だ。前世では高地暮らしだったが、今の体は山に十分慣れていない。この間の登山から帰った後も疲労で倒れこむように寝たものだ。今日は早朝に山の麓までやって来たので、ちょっと寄り道や休憩をしたぐらいでは日没までに下りきれないということはないが、それでも余裕綽々とはいかない。
それに、比較的安全とされる登山ルートでも野生動物や魔獣との戦闘が発生することがあるのだ。岩妖精が空を飛ぶというイレギュラーによるものだが、先のヤオケッロ山もそうだった。そして、今回は。
「ワッハッハ! 俺は山の番人四天王の一角! 夜明けのザントレ! ここにある俺の石を持っていきたいだと? 上等だ! 奪えるものならやってみろ!!」
——今回は、目的地に戦意あふれる大男が構えていた。言うまでもなく山にある石は彼のものではない。大量に持ち去るのでなければ誰でも拾って帰ることができるということになっている。倒すと、
「——ククク、俺を倒したぐらいでいい気になるなよ。俺は山の番人四天王のうちでも最弱、数合わせで入れてもらっただけの、四天王の面汚しよ」
などと言っていた。自分で言っていて悲しくならないのだろうか。
ともかく目的の素材は手に入ったので、ズィロ少年に頼んで加工してもらった。ズィロ少年はこの手の加工に強い。要求した通りの形を作ってもらえた。
「——なんか私何もしていなくないか?」
サアク先生が不満げである。実際には何もしていないということはない。道中何度か野生動物や魔獣を避けたりズィロ少年に山の歩き方をレクチャーしたりしている。割といてくれてありがたかった。そうしているうちにも、
「あ、そこの岩は押すと魔獣が湧くから気をつけな」
などと忠告をくれた。押すと魔獣が湧く岩って何? なんで登山コースにそんなものがあるんだよ。
「——はあ、やっと麓まで下りきったか」
大したことも起こらず、昼過ぎには下山することができた。
「気を抜くのは早いぞズィロくん、家に帰るまでが山だ」
先生が先生らしいことを言う。交通機関が通っているとはいえ家までの帰り道にも危険はあるのだ。警戒を怠ることなくアパルトメントまで戻り、寝間着に着替えて寝台に倒れ込んだ。
——うとうとしていると、呼び鈴が鳴った。のそのそと寝具から這い出す。
「痛っつ——」
筋肉痛である。回復の初歩、【やすらぎ】の魔術をかけて体を動かす。
「どちら様ですかー」
「マリーア・イェスペッルアと申しますー」
誰だろう。とりあえず少し待ってもらうよう言ってメイド服に着替え、ドアを開けた。自分と同じ、つまり学院指定のメイド服を着た自分と同じぐらいの背の女の子が立っていた。三つ編みになった長い赤髪が美しい。今見た目で判断したがマリーアって名前らしいし女の子で合っているだろう。
「家政科二年生、製菓研究会のマリーアです。本日は甘いものをお持ちしました」
同等または親しみをもつ目下の相手に対する正式なマナーに従った仕草でマリーアが挨拶する。少し慌てたがなんとか正しいやり方で返した。
「——もしかしてお休みになっているところを起こしてしまいましたか?」
「いえ、今起きたところです」
話しているうちに思い出した。彼女は入学式の日製菓研究会に勧誘してきた子だ。ぐいぐい来ていた覚えがあるが、まさかアパルトメントまで来るとは。こちらとしても製菓には興味がある。サアク先生やユリヤ嬢には悪いが魔術よりもよほど。前世はパン屋だったしな。
「わざわざありがとうございます。後日お礼をお持ちします、マリーア先輩」
「あっあの——おっ——お姉様またはお姉ちゃんと呼んでもらっても——」
なんだこの人。調べたところ一応家政科の今は廃れた風習で、入学した者に一つ上の学年の生徒が助言者としてつき、その関係をきょうだい、大抵は姉妹になぞらえるというものがあったらしい。前世での士官学校の対番みたいなものか。家政科の学生が中心になる課外活動では今も受け継がれていたりするようだ。
「ごめんなさい気持ち悪いよね!! すみません!!」
「——マリーアお姉様」
「ふわああ——」
大丈夫かなこの人。一応霊的状態の数値化【ミイェリ】で見たところ(戦闘力を測るだけが能ではないのだ)喜んでいるようなので大丈夫か。
「さ、最後にちょっと後ろ向いてみてくれますか!?」
何だろう。リボンの歪みとか直してくれるのかな。
「足を肩幅に開いて、あっ、裾を少し持ち上げてください。そんなに肩に力を入れなくていいですよ」
「——?」
——【ミイェリ】は極めて有用な固有魔術である。戦闘においては数値の比較によって勝算を正確に見積もることができる。調理においても再現性を高めるのに使える。己を鍛える際上がり幅を記録しておけば効率を高めやすくなる。前世では数字が大きくなるのが面白くて鍛えすぎた感もあるが。人付き合いでも相手の感情を推し量るのに有効である。
だから、油断など滅多にしたことはなかった。それがどうだ。いくら友好的そうに見えるからといって、ほぼ初対面で行動が読めない相手に背を向けて脱力状態になるなど、何という油断、何という慢心だろう。
「はぁっ!!」
霊体が肉体から引き剥がされたかというほどの衝撃が走った。身体中から脂汗が吹き出す。
「——ぁ、がっ——」
固有魔術に頼りきりになっていた報いというにはあまりにも重い、それは金的と呼ばれる急所攻撃だった。マリーアお姉様は無防備な俺の足の間に渾身の蹴りを叩き込んだのだ。
「ごめんなさいごめんなさい! 痛かったよね! 今日はこれで帰りますから!!」
「——あ、謝る、ぐらいならっ、」
「最初からやめておけ、だよね! でも必要なことだったんです! すみません!!」
わけがわからない。何かに目覚めそうだ。
「では! また会えるのを、楽しみにしてます! 失礼します!」
できればもうお会いしたくない。
——しばらくうずくまったまま動けなかった。
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「我が名はラースラー。——この間のお前か」
「墓標など、必要ない。がまあ、あったらあったで構わない」
「——話を、聞くか?」