第6話 ジェネシス・プログラム-2
次回からバトルパートに入ります
「神のプログラムで世界を改ざんできる……?」
あまりにも突拍子がなさ過ぎていまいち把握できなかったが、
「それって、あの……まずくないですか?」
そのイメージだけは抱くことができた。
泰智のその言葉に、マイカは安堵したような表情を見せた。
「……君がそういう思考の持ち主で嬉しいよ」
「?」
「こっちの話だ、忘れてくれ。――そう。非常にまずい。二人はこの制御プログラムの機能に驚愕した。アルフはこのプログラムのことを公表せず、秘密裏に封印することを提案した。が、エルザはまったく逆の考えを提示した。すなわち、そのプログラムを用いて、更に世界を書き換えよう、と。
過去の歴史すらも自在に支配できるGプログラム……それを手に入れれば、すなわち神に等しい力を手に入れることができる。その誘惑や好奇心、彼らからすれば探究心だろうか。エルザはそれに抗える人間ではなかった。
――そして二人の所属していたグループはアルフ派とエルザ派に分かれ争い、Gプログラムを巡って殺し合った。何人もの研究者が死んでいく中、アルフとエルザは共にコードスペースに潜り、そして二人の天才はコードスペースの中で戦った」
「戦った……?」
「実際にどのようなことがコードスペース内で行われたのかは判っていない。結局どちらも死亡したし、真相は闇の中だ」
「死んだんですか? じゃあ、Gプログラムはどうなったんですか?」
「後に研究員がコードスペースに潜ったところ、Gプログラムは強固なプロテクトで封印されていたらしい」
「プロテクト……アルフさんがGプログラムを封印したってことですか?」
「だろうな。そのプロテクトはおそらくGプログラムのコードを用いて構築されたもので、誰にも解除することはできなかった。これにより誰もGプログラムには手を出せなくなり、グループ内の争いも終わった」
「じゃあ、もう大丈夫ってことですか?」
続きが気になった泰智が何の気なしにそう尋ねると、マイカはしばらく沈黙したあと、一度重く首を横に振った。
「そう。そしてここからが私たちの話になる」
その言葉で泰智は自分は今、夕方に起きた謎の怪奇現象についての説明を受けていたことを思い出した。
マイカの話を聞いている内にいつの間にか本来のテーマを忘れていた。
「二人が亡くなってからも、コードスペースの研究は続けられた。コードスペースへ潜るためには、アルフとエルザが考案したアバターという存在が必要不可欠だった。そちらの研究にも熱は入れられ、それが民間へと流れた結果、今のアバターメイクというゲーム機の形が誕生したんだ。もっとも、かなり簡略化されてはいるが」
「アバターメイク……」
泰智は無意識の内にポケットの中のアバターメイクをさすった。
アバターメイクにそんな血生臭い背景があったとは、このゲーム機に無邪気に熱中していた泰智は思いもしなかった。
「新たに編成されたグループは自らのアバターを作成し、コードスペースの探索を続けていた。だがある日、研究者の一人が突然意識を失った。外傷はなく、二日後には目を覚ました。アバターメイクの操作中に起こった出来事のため、何らかの理由でアバターメイクがショートし、軽い電気ショックに倒れたのだろうと診断された」
泰智が僅かに目を見開いた。
その反応をマイカも予想していたようで、意味深な表情を泰智へ浮かべた。
――君にも身に覚えがあるだろう?
そう言っているように泰智には見えた。
「その後すぐ、その研究者のアバターメイクに謎のデータが上書きされていることに気がついた。研究者たちはそのプログラムを解析し……そしてその正体に気づいた。それはGプログラムと同じコードで構成されたプログラムだった」
「Gプログラムと同じコード……って、え、有り得ないじゃないですか。だってGプログラムはアルフさんに封印されたはずじゃ……」
「そう。今となってはGプログラムに接触できる人間は誰もいない。だが封印される前……Gプログラムに接触できた人間がいる。アルフ以外に、もう一人」
「なるほど」
泰智にもそれが誰か容易に察しがついた。
「エルザさんですね?」
「そうだ。アルフとエルザはコードスペース内で戦い、アルフがGプログラムを封印してしまう前に、エルザはそのプログラムを作成した。
だがそこで何かが起こり、エルザが作成したプログラムは十七個に断片化され、コードスペース内に散った。研究者のアバターメイクに上書きされていたのは、その断片化されたプログラムだったんだ」
「それであの、エルザさんが作ったそのプログラムって、一体なんなんですか?」
マイカは一呼吸おいて言った。
「……解除プログラムだ。そのアバターに上書きされていたのは、アルフが作ったプロテクトを打ち破るための、ウイルスデータだったんだ。……これがどういう意味か解るか?」
急に話を振られた泰智だったが、マイカの語る話の内容は泰智には難しくてほとんど頭に入ってきていなかった。
泰智は脳内でマイカから聞いた話を整理した。
――まとめるとこういうことになる。
世界の全てを意のままに改竄できるGプログラム。それを巡ってアルフとエルザという二人の天才が争い、結果的にどちらも死亡した。
Gプログラムの悪用を防ぐためにアルフはGプログラムにプロテクトをかけ、誰もGプログラムには手が出せなくなった。
これで二人の、ひいては二つの派閥の争いは終結した。
だが実はエルザは、アルフのプロテクトを打ち崩すための解除プログラムを作成していた。
そのプログラムは十七個に分割されて、コードスペース内に散った。
「――あ、もしかして、その解除プログラムを十七個集めて完全な形にすれば、プロテクトを解除できる……Gプログラムに接触できるってことですか?」
「その通り。ということは、その後その研究チームがどうなったか判るか?」
再び混ぜ返された泰智だったが、今度はすぐにマイカの言いたいことに察しがついた。
「――そうか……また殺し合いが始まったんだ」
「そういうことだ。アルフの仕掛けたプロテクトを解除できる可能性があると判るや否や、グループ内は再び二つの派閥に分かれて殺し合う羽目になった。
Gプログラムは人間の手に負えるものではない……このまま封印するべきだというアルフ思想の派閥と、Gプログラムを手に入れて世界を支配しようとするエルザ思想の派閥。
――そして、勝ったのはエルザグループだった。まあ当然だ。最初にギアを手に入れたのはエルザグループだったんだからな」
ギア。
その単語は今日の夕方頃、泰智も何度か耳にした。
泰智を襲った四人の男たちが時折その単語を口にしていたが、やはりそれも何か関係があるようだ。
いよいよマイカの話は泰智の身に降りかかった出来事の核心に迫ったようだった。
「そのギアっていうのはなんなんですか? 僕を襲った人たちも何度か言ってましたけど」
「――これだ」
マイカはそう言って、右手をそっと宙へかざした。
その瞬間、マイカの周囲から幾つもの赤色の文字列が現れた。
それはあのとき泰智が目にしたものと同じ動きをし、蛇のように宙を泳ぎながら一つの形へと密集していく。
やがて赤の光が部屋を照らし、ベルが現れたときと同じように一つの人型を象っていく。
そして、今まで泰智とマイカ以外誰もいなかった部屋の中に、一人の女性が姿を現した。
赤色の髪にいかめしい軍服を着た、長身の女性だった。
「こ、これ……」
泰智はその女性の姿を覚えていた。
四人の男たちの内、ベルが取り逃がした最後の一人を殺害したあの人物だ。
「これは私がアバターメイクで作成したキャラクター、《ゼータ》だ。このように、解除プログラムの断片――私たちが《フラグメント・ギア》と呼ぶウイルスプログラムに感染したアバターは、その所有者の意思で現実世界に召喚することができる」
「こ、こんなことが……」
「こういう常軌を逸した現象を発生させるのが、Gプログラムが神のプログラムと呼ばれる所以だ。そしてこれと同じウイルスが君のアバターにも感染している。――その件について、明日改めて話したい重要なことがあるんだが、明日も時間はあるか?」
「は、はい。大丈夫です」
「よかった。いま話してもいいんだが、ついでに私たちのことについてもまとめて説明したいんだ。今日のところは、まず私たちの戦いの歴史背景と、今日の夕方君を襲った出来事の真相を知っておいてくれ」
泰智が「はい」と相槌を打つと、マイカは満足したように一度頷いて話を続けた。
「フラグメント・ギア・ウイルスに感染したアバターは、その所有者の命令に従い行動する。君も、ギア・アバターの戦闘力は身をもって知っただろう?」
「……はい」
脳裏に蘇る、返り血に塗れたベルの姿。
それと同時に男たちの無残な姿も思い出してしまい、泰智は再び軽い吐き気に襲われる。
「ギアはギア所有者――ギア・デバイサーにしか観測できない。そしてその戦闘能力は絶大だ。まともに戦えば全滅は必至。実際、最初にギア・デバイサーとなった男のアバターによって、アルフのメンバーは大半が虐殺されたらしい。
そして、二大勢力の争いはギアの争奪戦へと形を変えた。次々にギア・デバイサーが現れては死んでいき、Gプログラムのことを聞きつけた権力者や資産家が、神の力を欲して抗争に介入。金や武力を惜しみなくつぎ込んでいき、研究グループ内での抗争は次第に大規模な、紛れもない戦争へと変わっていった。そして、それは今も続いている」
「……あなたも、その戦争の参加者なんですか? アバターを召喚できるっていうことは、つまり……」
「ああ、私はギア・デバイサーだ。デバイサーは戦争の要。デバイサーの数が戦争の勝敗を左右すると言っても過言ではない。私たちは表面上は普通の学生、社会人を装いながら、水面下では血生臭い戦争を続けているんだ。もう、何年も」
「マイカさんはアルフグループなんですか?」
「そうだ」
「じゃあ人を……エルザグループの人を殺したこと、あるんですか? そのアバターを使って」
――ベルのように。
その言葉を、泰智は寸でのところで抑えた。
マイカは悲しげに、何かに耐えるように視線をゼータの方へ向けた。
「……殺したとも。こいつの銃弾で、何人もの人間をバラバラにしてきた。……聞きたいか?」
泰智は慌てて首を横に振った。マイカはふっと微笑んで、隣で佇むゼータの腕をそっとさすった。
ゼータは身じろぎ一つせず視線をずっと前に向いていた。
どう見ても人間にしか見えない姿をしているが、一方で確かにどこか人間味を欠落しているようにも見えた。
「これが夕方の事件の真相だ。君のアバターは以前どこかでフラグメント・ギアに感染し、君もまたその影響を受けたはずだ。君は今日、メイキングファイターの予選大会に出場したな?」
「はい」
「君のアバターが対戦相手のアバターをデリートしたという話は、すぐにアルフとエルザの両陣営の耳にも届いた。
君のアバターがギアに感染している可能性があると判り、君の身柄を確保するためにすぐに両陣営から使いが出された。ギア・デバイサーはどちらの陣営も血眼になって捜しているからな。あの男たちはそういう、エルザグループに金で雇われた者たちだろう」
ということは、アルフグループから出された使いとはマイカのことなのだろう。
「――それで、僕にどうしろっていうんですか?」
「端的に言うと、こちらの陣営に加わってほしい。エルザの連中はGプログラムを手に入れ、世界の支配者になろうとしている。それがどれほど危険なことか、君にも解るだろう? 我々アルフの目的は、フラグメント・ギアの抹消――つまりGプログラムの完全な封印だ」
「今のところ、両陣営の戦力差はどんな感じなんですか?」
「ふっ――有利な方に与する、と? 見かけによらず君はなかなか強かだな」
「い、いえ、そういうつもりじゃ―― !」
慌てて否定する泰智を見て可笑しそうに笑うマイカ。
張り詰めていた場の空気が、少しだけ和らいだように泰智は感じた。
「構わないさ。君にとっても重要なことだからな。――現在の勢力差は、残念ながら不利は否めないな。ギア・デバイサーの数はアルフが私を含め五人。エルザは七人だ。君を除いた残り四つのギアは、事情は割愛するが今は行方不明、捜索中だ」
「でも、ギア・デバイサーの数だけならそんなに差はないですよね」
「デバイサーの数〝だけ〟ならな。だが、エルザはその組織力、資金力でアルフを圧倒している。さっきも言ったが、エルザはその性質からバックに強力な権力者や資産家がつきやすい。そのため金の力で多くの人間を動かせるし、装備や設備も充実している」
泰智は夕方の男たちを思い出した。
彼らは見るからに堅気の人間ではなかった。
ああいう者たちに武器を持たせ、捨て駒としていくらでも使い捨てられるということか。
「対してアルフにはそういう後ろ盾がつきにくい。そういうところで、アルフはエルザに対して勢力差で劣っていると言わざるを得ないな。つまり今の我々にとって、まだどちらの勢力にも属さない君のようなギア・デバイサーは、喉から手が出るほど欲しい、というわけだ」
「もし僕がエルザに加わりたいって言ったらどうするんですか?」
「殺す」
――え? と泰智は思わず声を漏らした。
いきなり容赦なく放たれたマイカの言葉の意味を、泰智はしばし理解できなかった。
しかしマイカの眼光は先程までとは打って変わって鋭利な輝きを放っていた。
泰智が見たこともない、正真正銘、人殺しの目だった。
泰智を射抜くその視線が、冗談などではなく本気だと告げていた。
「いま言った通り、アルフの勢力はエルザに比べ劣っている。ただでさえ劣勢だというのに、エルザに新たなデバイサーを流すわけにはいかない。私たちの敵になると言うのならば、今この場で君を殺し、最悪の事態を防ぐしかない」
「そ、そんな……!」
「当然だろう。君がエルザにつくというのなら私にとっては敵だ。それも最悪のな。もちろん殺すさ」
「……」
一瞬でも場の空気が和んだと感じたのは愚かな錯覚だったと思ってしまうほど、いま二人を包む空気は重苦しく、剣呑としていた。
マイカの容赦ない宣告に、泰智は確かな恐怖を覚えた。
「僕は……殺し合いなんてしたくありません。どちらの勢力にも味方しません。そ、それで許してもらえませんか?」
「私が許しても、エルザは許さんだろう。どちらの勢力も、相手にギア・デバイサーが流れることを恐れている。放置するはずがないし、エルザはそもそも十七個のフラグメント・ギアを全て集めるつもりでいる。どの道、君の命は狙われることになるさ」
「……」
「君は決断しなければならない。アルフとエルザ、どちらの勢力に与するのかを。そしてエルザに加担するなら君は私の敵だ。いずれゼータの弾丸で君を撃ち抜くことになるかもしれんな」
はっとした泰智はマイカのアバター、ゼータの方を見やった。
先程までじっと前だけを向いていた彼女の視線が、今はじろりと泰智の方を射抜いていた。
その鈍く光る鋭利な眼差しに射竦められ、泰智は小さく息を呑んだ。
「……今日はこの辺にしておこうか。君にとっては命がけの話だ。じっくり考えるといい」
そう言うとマイカはソファから立ち上がった。
それと同時にゼータの身体が赤い光に包まれ、ほどなく幻のように掻き消えた。
「車を出させよう。君の家まで送るよ。こちらの陣営のことや、更に詳しい話は明日する。もしアルフに加わる気があるなら、また明日この家に来てくれ。君が敵にならないことを祈ってるよ」
茫然とする泰智へ、マイカは再び真面目な顔で話しかけた。
「それと、これはとても大事なことなんだが、今日は絶対にアバターメイクを使うな。いいな」
「え、どうしてですか?」
「明日また来てくれたら話そう。とにかく今日は絶対にアバターメイクを使うな。ゲームなどせずに、一日じっくり考えることだ。もし今日アバターメイクを使って何かのゲームをプレイしたら――」
マイカはそこで言葉を区切り、
「――君は死ぬ」
重く響く声音でそう言った。