樹精霊の花嫁
ある男が、大樹を見つけた。
古く大きな大樹は神秘的な光の玉を周りに生み出し、神聖な空気を纏っていた。
見たことも聞いた事もない不可思議な大樹を前に、男はしげしげと上から下まで大樹を見下ろしながらゆっくりとその大樹の周りを歩んだ。
すると丁度男が大樹を見つけた場所から回り込んだ場所に、何やら茶色くて人の頭程もある種子のようなものが一つ、成っていた。
不可思議な大樹になる不可思議な種子。
鬼胡桃のような見てくれだった為にあれを割ればどんなものがあるのだろうかと好奇心をくすぐられた男は少し高い位置にある種子に手を伸ばした。
と、指先が軽く触れるかどうかといった時。種子はぱぁんと軽い破裂音と共に弾け光が溢れた。
閉じた目すら眩ますような明るい光に、男は暫く視界を封じられたがチカチカと明滅する視界の中、漸く周囲の光景が見えてきたと同時に自分の目の前に人が立っている事に気付いた。
それは毛先が薄い新緑色をした見たこともない程に美しい娘だった。
突然の登場に驚いた男であったが、その娘の纏う神秘的な美しさに惹かれ、どこから現れたともわからない娘を村に連れ帰り、己の妻として迎え入れた。
無垢なる娘に愛の言葉を聞かせど、子を作るような真似は憚られ、子をなそうとの思いも湧かず二人きりの生活が長く続いたが、それでも二人は幸せに日々を送っていた。
しかし十七年目の晩、娘は男の目の前で突然に薄らとその姿をぼかし始めた。
驚き縋る男に、困ったように笑いながら彼女はそれでも男と過ごせてきた日々を感謝し、貴方の血筋を護ろう、この土地を豊かにし繁栄させ続けようと誓った。
そうして夜闇に溶けていった娘の言う通り、男の住む村は栄えやがて国となり男の血筋のものは何かに護られているかのような加護を受けた。
古くから伝わるおとぎ話の一つ、樹精霊の花嫁より抜粋
遥か東の地で、嘗てそれなりの領土とそれなりに恵まれた土地を誇っていた国が、いつしか大地の恩恵を受けられなくなり、人が流出し始め、日に日に貧しく、そして追い討ちをかけるよう魔物から襲撃を受ける回数が増えている。まさに滅びの一途を辿っているようだ。
そんな国から使者が来て我が領地へ来いと何様かと疑うような類いの文が来た。
断れれば良かったが癇癪を起こされてもかなわないとなるべく早く支度を整え、新たなる王となった愚君と陰で呼ばれている王とその妻へ謁見を願った。
そして明かされたのが樹精霊の娘に対し行ったという数々の暴言と裏切りの果てに、彼の方を国から追い出したという何とも不敬で恐ろしい自殺行為。
しかし本人らは事の重大さに気付く由もなく、何故か作物が育たぬ土地となっただの神の加護が消えただのと宣う。
本当に、彼らは何を言っているんだろう。
「はぁ、それで私達に何をせよと申されますの?」
謁見の間には私のような特殊な能力を持ったような乙女があと二人。
一人は多分エルフの方、恐らくは精霊と言葉を交わす事ができる能力の持ち主であろう。
もう一人は背の低いドワーフと思われる方。こちらは土の声、つまり土地の神との対話が叶うと思われる。
その三人を集め、ここに呼びよせたのはきっと前述の事でなんとか樹精霊と再び対話の場を設け、この国を守護させろというような事なのだろうけれど、そんな事、無理に決まっているのだ。
「確認致しますわね?この国では極稀に現れていた樹精霊様を保護し、一時的にではありますが王族の伴侶として扱う事で樹精霊様より国を守護していただくという契約を結んでいたと。しかし此度は契約を一方的に破棄、それどころか樹精霊様を罪人扱いし強引に国から追い出した。……とどのつまり、自業自得ですわね。今までの契約もこれからなされるはずだった契約も、皆様方自ら潰し、結果樹精霊様に見放され、加護の全てが消えただけに過ぎません」
そもそも樹精霊とこの国で呼ばれているものの本体たる大樹は、世界では様々名称のある木である。
調和樹、精霊樹、守護聖樹、調停樹、世界樹。
そこにあるだけでも大いなる恵みや守りといった力を発揮する神の宿りし樹木であるとどこの国も、敬い畏れ奉り害を与えようなどとは一切考えられやしない神聖なるもの。
しかもこの国の近くに存在していたその大樹は己の分身を一定期間切り離す御業をなせるほどに知能も力も持ったものであったとくれば
「神の息吹かかりし聖なる大樹が、身を分けてまで人の世に関わるのは大樹の周りにいる者らが己の聖域を護らせるに値するか否かを判断する為のこと。今までは認められていたからこそ加護や恩恵を得てきたでしょうに、自ら拒絶し、大樹の不信を買ってから慌ててももう遅いのです。見極めの時は過ぎました。聖域は直に閉じられましょう。後は自分達の力のみで這い上がるしか御座いませんわ。……証拠に、彼の方は樹木の声を聞く御子も、精霊の意志を感じ取れる操り手ももう一切受け付けておりません」
一応、同じ人の国に所属し、自国ではそれなりの手厚い保護を受ける私が率先して話すが、概ね間違っていないと他の二人も目くばせをすれば小さく頷いた。
呆れと侮蔑が言葉に乗らないよう話したつもりだったが、呼び寄せた私達でももうどうにもならないと突き付けたのが気に食わなかったのか王妃がキイキイと甲高い声で私達を無能と罵り、無礼者に縄を打ってくれると鼻息荒く命令を下すが、兵の持つ武器の類いは私達に当たる前に弾かれた。
私は緑の聞き手、この見放された地でも果たして植物はいう事を聞いてくれるかと心配もしたが杞憂に終わり、私の周りには茨の障壁ができる。
エルフの方も精霊術を駆使し炎や氷、風といったものらで対抗できる術もある。……ドワーフの方は無言で椀を伏せたような小さなシェルターを土で作り、恐らく先に地下へと逃げてしまった。
「他の方の身分は私は存じ上げませんが、それでも御子や操り手の方に手を出そうなど……。国の崩壊を早めるだけですよ。では失礼いたします」
心底、この国とは馬が合わないと愚痴をこぼしたくなるのを抑え、エルフの方と私もそれぞれ王城を後にした。
その後の事はいう間でもあるまい。彼の国は国としての体裁を失い、その国があった場所も過去に人々が生活し、国を築いていたと聞かされても信じられないほど荒れ魔境と成り果てた。
樹精霊の娘を遣わしていた大樹はそんな魔境との間に絶対不可侵の結界を広く張り巡らせ、外界と一切の接触を絶ったようだが、私達矮小なものどもにそれをとやかくいう事もできまい。