嫁(カッパ)と初デートしました
士郎とナツメちゃんが街にお出かけです。
「士郎。あんたちょっとナツメちゃんに街を案内してあげなよ」
リビングでテレビを見ていた士郎に母の千里が言った。
「今、あの子寝てるよ? 昨日寝てないとか言ってたし」
「起きてからでいいわよ。しばらく一緒に暮らすんだし、街に何があるかくらい教えてあげないと。もしかしたら本当にあんたと結婚するかもしれないでしょ」
うーんと、士郎は一悩み。母親は簡単に結婚の話をしているけれど、士郎にとっては自身の未来の問題だ。しかも見た目がそうでなくても妖怪と人間との結婚ともなると、いろいろ問題が生じるに違いない。何とかその結末を避けて夏休み中に呪いだか何だか知らないけれど解除させたいと士郎は考えていた。
街を案内するのは構わない。この日差しが強く猛暑の中、ナツメを連れて出かけるとなると、それなりの対策は必要になるだろう。
まず、水は確定だ。所々で髪に水分を補充しながら移動しないと、最初にあったときみたいにナツメが干上がって倒れられても困る。
もう一つは、あの謎の甲羅だ。河童一族に伝わる絶対防御の甲羅。ナツメの感情で勝手に発動する場合もあるとナツメ本人からも士郎は聞いている。あんなものが街中で突然現れたら、ナツメが妖怪だとばれてしまうのではないか。そうなったらどうなるのだろう。士郎の乏しい想像では、天上家まで迫害される想像図が出来上がっていた。
これは避けたい。でも、勝手に出てしまう場合もあるとナツメは恐ろしいことも言っていた。
これ無理ゲーじゃないのかな。と、士郎は頭を抱える。
そういえば、母親はナツメが河童だということを知っているのだろうか。
士郎はナツメの口から直に「河童」だと聞いているが、母親にも話したのかナツメに聞くのを忘れていた。
「母さん。ちょっと言っておきたいことがあるんだけど。あの子、実は――」
「うーん。ねえ士郎。ナツメちゃん河童だからやっぱりキュウリが好物なのかしら?」
士郎は親に対する怒りが湧いてくる。この母親は一人息子が妖怪と結婚してもいいと考えるのか。
確かにナツメの顔は士郎の好みであるけれども、ナツメの性格は素直そうないい娘に見えるけれど。
「母さんはナツメと僕が結婚してもいいと思ってるの?」
「ん~? いいんじゃない? あんた、今まで彼女の一人もいないしさー。世の中見てみなさいよ。結婚したくてもできない人っていっぱいいるんだから。あんな素直で可愛い子そうそういないわよ」
「でも河童だよ?」
「それがどうしたの? 全然、河童に見えないじゃない。そんなつまらない問題どうでもいいわよ。見た目も可愛いし」
「突然、甲羅が出るんだよ? しかもむちゃくちゃ頑丈で大きい甲羅が」
「河童だもん。あたりまえでしょ。それに身を守る術があるってことね。いいことだわ」
「河童のくせに皿ないよ?」
「余計にいいじゃない。皿が割れたりしないか心配しなくていいんだもの。それにそんなの頭の上に乗ってたら、私に割ってくださいって言ってるようなものよ?」
駄目だ。この母親は真剣に僕のことを考えてくれてない。
どちらかというと、この状況を楽しんでいる節がある。
士郎はこの家の子供に生まれてきたことを後悔した。
「まあ、とりあえず、あの子とひと夏過ごしてみなさいよ。あんただってその気になるかもしれないじゃない。まあ、今日は初日だし、街案内ってことでとりあえず初デートしておいで。小遣いもあげるから。あ、ついでにキュウリも買ってきてね」
言われなくてもナツメにキュウリを買ってこようと思ったよ。
と、士郎は何だか納得できないと顔を歪ませた。
☆
ナツメが寝てから数時間が経ち、士郎はそろそろ起きているのではないかと自分の部屋を見に来た。部屋には大きな甲羅に肌掛けが乗ったまま。士郎が部屋を出てきたときと全く変わらない。
「まだ寝てるのか」
士郎は甲羅を揺すってみる。
「ナツメ? そろそろ起きろよ。街を案内するからさ」
『……』
「ナツメー。起きろ。ほら、起きろ」
ゆさゆさと甲羅を揺するがナツメの反応はない。
士郎はどこか中に手を入れる場所がないか甲羅を万遍なく探ってみる。
ナツメが亀のように顔を出したことから、中からは経路があるようだが、どうやら外からアクセスできない構造のようだ。
「絶対防御は伊達じゃないってか」
『……うん? 士郎様ですか?』
甲羅の中で反響しているのか、中からナツメのくぐもった声が聞こえる。
士郎が甲羅を探っているうちにどうやらナツメが目覚めたようである。
「ナツメ起きた? 母さんからナツメを街に案内してこいって言われて誘いに来たんだけど」
『士郎様、そっちは私のお尻です』
「甲羅のどっちが頭かなんて分からないよっ!」
士郎の突っ込みにナツメの反応はなかったが、ナツメを覆い隠していた甲羅が消え、肌の透き通った肌の白いオカッパ頭の少女が姿を現す。青みがかった黒髪を整えると、ちょこんと正座した。
「士郎様が案内してくださるんですか?」
期待した瞳で笑みを浮かべナツメは士郎に顔を近づける。
「う、うん。そう」
「嬉しいです!」
ナツメは士郎の手をぎゅっと掴み嬉しそうに握った。
「ということは……デートですね? さっそく私とデートしてくれるんですね?」
「あー、まあ、そうなるのかな?」
「嬉しいです。あ、少し時間をいただけますか? 服を着替えます」
「その格好でいいよ。あーでも帽子はあったほうがいいかな」
「いえ、着替えは必要です。勝負下着に着替えます」
「ナツメは何する気?」
☆
「水分よーし、帽子よーし、携帯よーし、財布よーし、鞄よーし、鍵よーし、全部よーし」
士郎は持ち物を指差しチェック。
これは父親がよくやっていることで士郎も幼いころから見て育ち真似をするようになり、今となっては自身の習慣になっている。ナツメはその姿を見て目を丸くする。
「あ、ごめん。驚いた? ちょっとした癖なんだ」
「いいえ。それじゃあ、私も。水分よーし、麦わら帽子よーし、財布よーし、鞄よーし、勝負下着よーし、全部よーし」
「……本当に着たんだ?」
「二人とも気をつけてね。ナツメちゃん、うちの息子ちょっと頼りないけど、デート楽しんでおいで」
「はい、お母様。行ってきます」
千里に見送られ、士郎とナツメは駅を目指して歩き始める。
士郎は家を出てすぐに、甲羅だけは絶対出すなと真剣な顔でナツメに言い聞かせる。
ナツメも真剣な顔で頷いた。
駅に到着した士郎は手始めに駅の周辺を案内した。
昨日と同じく無風の上、日差しと熱気が強烈で少し歩いただけで汗が流れる。
帽子もあるだけましなだけで、体から水分が抜けていくのを士郎も感じていた。
なるべく短時間で街の案内を済ませよう。
「あの建物がこの町で一番大きなショッピングモールだよ。色々な店が集まってる。映画館もあそこにある。あそこの交差点にあるアーケードは昔からある商店街。昔に比べると活気は減ったらしいけど、まだ元気だよ」
「士郎様。ご説明ありがたいのですが、すでに干上がりそうです」
「水かけろ。水!」
士郎は持ってきた水をナツメの麦わら帽子の上からちょろちょろとかける。
麦わら帽子ごしにナツメの髪に水分が補充されていく。
水をかけた途端、ナツメの口元が大きく緩む。
「ふわあああああ。生き返る~」
まあ、昨日は実際に生き返ったし、その言葉はあながち間違いじゃないよね。
と、士郎は心の中で呟く。
こうも熱気が強いと日陰を移動した方がいいと考え、士郎らはアーケードへと場所を移した。
「ここは色々な店があるからな。まあ、商品も多くない古い店が多いけどね」
士郎は自分がよく行く古本屋やゲームセンターを案内。
それから天上家が月に一度は来る和食屋を紹介した。
ナツメは店先に置いてある狸の置物をじーっと見つめていた。
「父さんがこの店のかつ丼が好きでさ。どんぶり物と麺類だけなんだけど。よく来るんだよ」
「妖怪界と一緒な感じです。おばあちゃんちに来るたびに思ってたんですよ」
「そういや、おばあちゃんちは近くなんだよね?」
「昨日会った川に住んでるんです。最近は危ないらしくて夜しかこっちには出ないらしいんですけど」
「川の中に住んでるの?」
「いいえ。川にある結界の中です」
「結界?」
「人間には見えないんです」
「じゃあ、僕には見えないってことか」
ナツメは結界について簡単に説明した。
結界には門のようなものがあり、その門が妖怪界に繋がっていて、人間は無意識に避ける特性がある。
ごく稀に人間が誤って侵入することがあるが、その時は妖怪界でも騒動になるという。
基本的に迷い込んだ人間は無傷で人間界に返すのが妖怪界の通例であるとナツメは説明する。
「妖怪にもたくさんの種類がいますからね。極少数ですが人に危害を加えるものもいますから……犯罪者ですけど」
「それを言ったら人間だって犯罪者はいる。一緒だよ。そういや河童って、尻子玉抜くっていうよね。あれ、ホントなの?」
「私の知る限りじゃあ、そういうことできたのは私たちの始祖様くらいだって聞きました。こっちではどう伝わっているか分かりませんが、私たち河童一族はおとなしい種族です。争い事が嫌いな平和主義者ばっかりですよ。人に危害は加えませんよ」
それから先を進め一通り回ったところで、母親から頼まれた買い物へ。
いつも天上家が愛用しているスーパーに到着。
「ここも妖怪界と同じ感じですね」
「妖怪界にもスーパーあるんだ!?」
「基本的に人間界にあるものは妖怪界にもあります。真似してるんです。ある種の憧れってやつです。やっぱり人間界の方が色々な物があるし、美味しいものだってあるし、オシャレな服とか小物とかいっぱいあるじゃないですか。今、妖怪の子供たちの間で流行っているのはベイブレードとミニ四駆です」
「何年ずれてんの!?」
「しょうがないですよ。新しいものを仕入れるにしてもお金が必要ですから。九尾様が人間界で頑張ってくれて、妖怪界に投資してくださるお陰で妖怪界も人間界にかなり近づきました。隣街にしかなかった映画館も私の住んでた街にできたんですよ」
士郎にも聞き覚えのある名前がナツメの口から出た。
九尾様と言うのは九尾の狐のことじゃないだろうか。
士郎の知る九尾の狐は大妖怪で悪い妖怪としては名を知るものが多い。
「九尾って、狐の妖怪じゃない? それって僕には悪い妖怪だってイメージがあるんだけど」
「九尾様のお話だと確かに多いですね。でも、とても立派な方ですよ」
「悪い妖怪を褒めるのっておかしい気がする」
「九尾様は二面性をお持ちです。悪の化身とも言われ、神の遣い、神獣とも言われてますし、今では人間界でいくつかの企業を経営し、その他にも慈善事業を営んでます。そこで得た利益を妖怪界に回してくれている。と、学校の授業で教わりました」
「九尾の狐が何だかとても偉い妖怪な感じがしてきた。何で慈善事業なんてしてるの?」
「さあ。九尾様はもう一万年は生きておられますので、その間に何があったかまでは……授業ではざっくりとしか……」
「なんか僕の持ってる妖怪のイメージが段々崩れていくんだけど」
スーパーをぐるりと回る。
母親の千里から頼まれたものは、とりあえず問題なし
あとはナツメ用のキュウリを選ぶだけだ。
「ナツメはやっぱりキュウリが好きだったりする?」
「え、そんな高級食品を庶民の私が口にできるわけないじゃないですか」
「……」
人間界と妖怪界では価値が違うのか?
士郎の脳裏に「?」が浮かび上がる。
士郎は野菜売り場へ移動してナツメにキュウリを見せる。
一本五〇円で並ぶたくさんの直線形キュウリ。十本なら四五〇円と少しお買い得。
ナツメは目を見開いてキュウリを凝視している。
そして声を震わせて士郎に呟く。
「し、士郎様。この店おかしいです。値段が、桁が。二桁ほど足りません」
「こっちではこんなもんだよ? 高級食品でもないし」
一本5千円もするキュウリって何者だよ、と士郎は思う。
ナツメは鞄から財布を取り出し中身を確認。
指折り計算し始める。
「今の全財産はたいて全部買う?」
「ナツメ、とりあえず落ち着こう」
「む、無理です。この機会を逃したら絶対一生食べらないです」
「大丈夫。これからうちにいる限り、毎日でも食べられるから」
「へ? もしかして……私に毎日キュウリを買ってくださるんですか?」
唖然とした顔でナツメは士郎を見つめる。
士郎が言った内容に身体が震えている。
「うん。キュウリを買うつもりできたし。そんなに食べたいなら今日も大目に買うけど」
「キュウリをたくさん――」
ナツメはそのまま白目をむいて気絶した。
☆
ナツメは胸に温かいものを感じていた。
何だろう。とても気持ちがいい。
一定のリズムで聞こえる小さな音。いや、聞こえるのではなく音を感じる。
自分の身体が少し上下している。
誰かに背負われている?
お父さんとは違う。お父さんより背中は狭い。
でも、何だか気持ちがいい。
「――ナツメ、目が覚めた?」
「……士郎様? あれ、私、一体」
ナツメが目を開けると、士郎が背中に負ぶって家の方向へと進んでいた。
背中にナツメを背負い、手には買い物した荷物もあるのに、士郎はナツメに微笑む。
「びっくりしちゃったよー。ナツメが急にキュウリの前で気絶しちゃったから。家みたいに甲羅展開するかと冷や冷やだったよ」
「……お恥ずかしいところをお見せしました。重いでしょ? もう大丈夫です。自分で歩きます」
「そうかい? ナツメって軽いから僕は平気なんだけど。もうちょっとそうしてなよ」
振り向く士郎の笑顔で士郎の元々少しきつめの目が柔らかくなる。
その柔らかな目にナツメは自分の顔が熱くなるのを感じた。
「安心しなよ。キュウリはちゃんと買っておいたよ。とりあえず、一〇本ね」
「士郎様。私、士郎様の嫁になれて嬉しいです!」
「たがだかキュウリで大袈裟な。それにまだ嫁じゃないから。そこ大事なとこだから」
「天上家の皆さんは嫁にとても優しいです」
「だから、まだ嫁じゃないから」
「私は嫁に来てとても幸せですー」
「いいかげん話聞こうよ!」
ハプニングは少しあったけれど、これが天上士郎と自称嫁――ナツメとの初デートだった。
お読みいただきましてありがとうございます。
甲羅展開が書きたかったのに……。
甲羅を使うシーンを削ってしまった。
もしかしたら後で加筆するかもしれない。