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第四話 約束

本日2話目の更新です。

 なんとかバイトとして貴族たちのあるまる方のパーティに潜入することが出来た俺たちではあったのだが……。いざ働いてみると、殺人的な忙しさだった。

 なまじ昔、城の人たちと知りあっていただけに信頼され、中途半端な仕事は出来ないのもつらい。するつもりもないけど。

「久しぶりだなこの感覚は」

「……血沸き肉躍る」

 グリカゲのコンビはキラキラした目をしながら働いている。

 どうやらこいつらにはいつの間にか社畜根性が染み付いてしまっていたようだ。

 かくいう俺も、この忙しさに関しては久々に腕がなっている。

 うーむ。それにしてもこの二人は貴族の癖にこういう場所で働いているというのもどうなんだろう。

 二人は「どうせ家はそういうのにはあんまり興味ない」とかいっていたので、大丈夫なんだろうが。

「つーかよ、いざ入ってみたはいいものの、お前はここからどうするつもりだ」

 仕事の合間にドングリから投げかけられた質問。

「……分からない」

「はぁ?」

「どうするのかも、どうすればいいのかも全く分からない。だけど……だけど、勇者とアリス様を二人っきりにしたくなかっただけだ」

「お前……もう少し何か考えてきていると思ったら」

「うるさいな……俺だって多少、考えているんだよ」

 考えた。今日と言う日が来るまで、考えてみた。

 考えて、考えて、考えて。

 俺がなんとかして絞り出した一つの答え。

 だけどそれを実行している間に俺のこの初恋は終わってしまうかもしれない。

 ていうかそっちの可能性の方が遥かに大きい。

 賭けにもならないような賭け。

「……ふーん。そっか」

 俺が何かを言おうとしたその時。

 ドングリは何かを察したのか、

「ま、お前が自分で考えて決めたなら良いんじゃねーの」

 と、言ってくれた。

 俺はドングリに感謝をしつつ、仕事に戻る。

 それにしても……。

「……さすがは勇者様、イケメンスマイル」

 さっきからニッコリとイケメンスマイルをアリス様に向けている。

 俺の目から見てもお似合いだ。

 どうにかして俺は、そんなお似合いの二人の仲をぶち壊さなければならないのだが……あれ? 俺って馬に蹴られて死んじまった方がいいんじゃ……。


「おーい、アキトくん」

 厨房に戻ると、料理長が声をかけてきた。

 俺は慌てて駆け寄る。

「はい、なんでしょうか」

「戻ってきたとこ悪いんだけどね、これを王族席に届けてくれないかな」

 そういって、料理長はデザートの乗ったトレイを俺に渡してきた。

 思わず、それを受け取る手が緊張する。

「……僕は応援しているよ。頑張れよ」

 料理長が最後に言った言葉のせいで、思わずトレイを落としそうになった。

 どうやら近くで様子を見ていたらしいグリカゲの二人が寄ってきて、横目で料理長をチラリと見ながら、

「どうやら、なんだかんだで見抜かれてたみたいだな」

「うう、恥ずかしい……」

「……気にするな。今更だ」

 どういう意味だそれ。

 もしかするとあれか。

 俺ってずっと恥ずかしい事でもしていたのか。

 とりあえず俺は、ぎゅっとトレイを握りしめて王族席へと向かった。

 王族席は思ったよりも遠くて、高い場所にあることに今更ながら気が付いた。

 上ってみると、クロード様の姿はない。庭園の方で、若手の女性貴族たちに囲まれていたのをさっき横目にした。

 トレイからデザートを一つずつ、丁寧に置いていく。

 あくまでも目立たず、俺はこの場にいない存在として振舞う。

 デザートを置いていくと、嫌でもアリス様と勇者様の二人の姿が目に入った。

 アリス様は煌びやかなドレスや宝石を身に着けていて、いつにも増して綺麗だった。

 思わず見惚れてしまいそうになる。

 だけど、今の俺のやるべきことはあくまでもデザートを届けること。

 ただ淡々と、デザートを置いていく。

「アキト? 君もここに来ていたのか」

「あ、はい……アルバイトで」

 近くで見る勇者様はかなりイケメンだった。

 勇者様マジイケメン。

 それに比べて俺ときたら………………あ、やべ。泣きそう。

「あ、アキト、くんは。子供の頃、ここで働いていたことがあったんです」

「子供の頃から?」

「はい。えっと……少しでも家計の助けになればいいと思いまして」

「そうだったのか……大変だな」

「それほどでも」

 俺の意気地なしぃぃぃぃぃぃいいいいいいい!

 何にも言えない! いや、まあ、国王様が傍にいるということもあるんだけれど!

 でもこれじゃあ、本当にただのアルバイトで終わりじゃん!

「よかったら、アキトも一緒に食べないか?」

「……まだ仕事があるので。失礼します」

 ううっ。俺のバカ野郎。

 ここでもう少し強気で言えなきゃダメじゃん。

 結局、俺はそのままずこずこと退散してしまい、グリカゲからは「意気地なし」と揃って呼ばれた。


 ☆


 時間は流れ、パーティは次の段階に移行していた。

 優雅な音楽が流れ、貴族たちはダンスを踊り始める。

 ダンスは貴族にとっての嗜みみたいなものなので、その動きに淀みはない。

 貴族たちにとってはこのダンスの時からが勝負といえる。

 ダンスというのは二人でないと出来ないものであり、その組み合わせによっては周囲の注目を浴びる。

 また、ダンスとはアピールの場でもあるので、例えばこの家とこの家の二人は仲が良い。だからこの二つの家は仲が良いということを周囲にアピールすることが出来る。

 つまりダンスとは、貴族たちにとっての視覚的な政治手段でもあるのだ。

 もちろん、すべてがそうというわけでもない。

 ただ単にダンスを楽しみたい者や、ダンスが好きな者もいる。

 だがそういった本人の意思とは関係なく、周囲の視線は踊る者たちに向けられる。

 そんな貴族たちにとっての戦の時間。

 俺たちバイト組はひと段落つくことが出来る。

 ダンスに興じている者が多いだけに俺たちバイトがすることも減る。

 少なくとも、少しゆとりをもてるぐらいには。

 さすがにパーティが始まってから働き通しだったので、俺たちは休憩をもらえた。

  なんだかんだ、やっぱりこのバイトはキツイな。

 物陰にある休憩スペースから、俺たち三人はパーティの様子を眺めていた。

 貴族や王族にゆかりのあるものたちが煌びやかなドレスや衣装に身を包み、ダンスに興じている。

「お前たちは混ざってこなくていいのか?」

「ああいうのは親父とかがやってくれるから問題ねーよ」

「同じく」

 この二人は、相変わらず貴族らしくない。

 まあ、グリカゲの二人があのお上品なダンスを踊っているところなんてまったく想像できないが。

「つーか、お前こそ混ざってこなくていいのかよ」

「せっかくバイトに来てまでアリス様に近づいたのに」

「そうだけど……」

 俺はチラリと視線をアリス様の方へと向ける。

 彼女は相変わらず王族専用席に座って行われているダンスの様子をぼーっと見ていた。

 時折きょろきょろして何かを探しているようにも見える。

 何を探しているのだろう?

 もしかして、俺を探していてくれたり?

 ……はぁ。自分で考えてると虚しくなってきた。

 都合の良い妄想をしても本当に虚しいだけだな。

 ガックリと肩を落としつつ、ため息をつくことしか俺には出来ない。

 ああ、本当に俺ってば意気地がない。

 友達を巻き込んで、力を借りてこんなところまで来て。

 それでも何もできなった……。

 実際にあの二人を近くで見るとなおさらお似合いに見えて、心が折れそうになる。

 ていうか緊張する。

 勇者様オーラパネェよ。

 イケメンだし。強いし。勉強だって出来るし。人気者だし。

 どれをとっても、俺が勝てる要素なんて一つもない。 

 …………………………でも、なぁ。

 俺はパーティの方へと視線を移す。

 アリス様は王族として、ダンス会場の方に参加していた。

 ダンスこそしないものの、他の若手貴族たちと何か話している。

 きっと、俺のようなド平民には知りようもない世界のことを。

 アリス様の近くに少しでもいたくてここに来たものの、実際はかなり距離が開いているままだ。

 俺はこうやっていつも通り、彼女を遠くから眺めていることしかできない。

 そんなことを考えいると、アリス様に一人の男が近づいていた。

 勇者様だ。

 ここからでは言葉をききとることは出来ないものの。

 言っている内容は、何故か分かった。

「アリス姫。いかがですか?」

 アリス様に手を差し伸べる勇者様。

 こういう仕草が一々、絵になる。

 俺から見てもその動作はカッコいいし、不自然でもないし、優雅だ。

 彼女の幸せを考えるなら、やっぱり勇者様のような男と一緒にいるのが一番なのかもしれない。

 それは分かっている。何度も自分に問いかけた言葉だ。

 それでも……。

「……やっぱり、諦めきれねぇわ」

 ぱんっ、と俺は自分の両頬を軽くはたいた。気合を入れる為だ。

 勢いよく立ち上がり、深呼吸をする。

 もうさっきみたいに何もできずにただの脇役で終わりはしない。

「行ってくる」

「ん。行って来い」

「健闘を祈る」

 考え何てないけれど、とにかく今は動きたかった。

 バイトの休憩時間だったので、服はそのままだ。

 この格好で会場を動き回っていたので、これでうろうろしても怪しまれないはず。

 じっとしていられなかった。

 もう見れいられなかった。

 出来るだけ急いで、優雅なダンスを踊る貴族たちの間を駆け抜ける。

 そして、ようやく彼女の元にたどり着いたかと思ったその時。

 彼女の姿は、そこにはなかった。

「あれ……?」

 この時の俺は、さぞかしマヌケな顔をしていたのだろう。

 そりゃそうだ。

 意を決して好きな女の子のところにダッシュしたのに、その女の子がいないのだから。

 そこにいたのは、勇者様ただ一人。

 おかしいな。まだこの二人が踊り始めてからそんなに時間は経っていないはずだ。

 俺は走ってる途中で、ダンスを踊っている貴族たちに阻まれて見えなかったけど……何が起こったんだろう。

「アキト」

「あ、勇者様……」

 う、気まずい。

 そもそも勢いに任せてきてしまった面もあるから尚更気まずい。

 でも、もうただの脇役にはならないと決めた。

 俺は内心やや怖気づきながらも……堂々と勇者様の前に立つ。

「えっと……アリス様は?」

「それが、突然どこかに行ってしまったんだ」

「へ?」

 と、突然どこかに行ってしまった?

 なにやってるんだこの勇者。

「それでアキトは、どうしてここに?」

「え゛っ」

 わかりません。

 なんて言えないよなぁ。

 でも、実際に何か考えがあったわけじゃない。

 とにかく彼女のもとへと急ぎたかったのだ。

 まあ、その後の事は特に考えていなかったんだけど……。

 衝動的なものというか。

「ば、ばいとで……」

 すごく……怪しいです。

 バイトであることは確かだけど、ただのバイトにしては手ぶらだし、何もしている気配がないし。

 さすがにちょっと怪しまれてるかなと思っていたが、勇者様は俺に視線を向けただけで、「……そうか」と言っただけだった。

「えっと……それじゃ」

 勇者様個人に今のところ興味も用もない。とりあえずアリス様を探しに行こうとしたその時。

「どこに行く気なんだ?」

「えっ……と、アリス様を、探しに」

『……………………』

 ここで、なぜか俺たち二人の間に沈黙が流れた。

 周囲では貴族たちがダンスを踊り、その中で俺たちは二人で互いを見つめ合っていた。

 その沈黙に何かがあるのかは分からない。

 でも、ここで目を逸らす分けにはいかないと。

 負けるわけにはいかないと思った。

 しばらくして。

「……では、私も探そう」

「そうですか」

 俺と勇者様は互いに背を向けて、歩き出した。

 こいつだけには、負けられない。

 俺は心の底から、そう思った。


 ☆


「アリス姫。いかがですか?」

 目の前で差し出された手。

 アリスは、その手をとるか一瞬、躊躇った。

 本来ならば躊躇わずにとるべきその手を、アリスをとるのは躊躇った。

 とるべき、なのだろうか。

 いや、とるべきなのだ。

 アリスは王族の娘なのだから、世界の救世主である勇者様から差し出されたこの手はとるべきものなのだ。

 そもそも、こうやって手を差し出されたことそのものが名誉ある事なのだ。

 迷うことはない。躊躇うことはない。

 だけどアリスは躊躇った。

 その手をとるか躊躇っているうちに、ある少年の顔が思い浮かんだ。

 視線を僅かに彷徨わせ、その少年の顔を探すも、見当たらない。

 休憩に入ったのかその姿をどこかへと消してしまった。

 アリスは少し視線を落として、差し出されたその手をとった。

 流れる曲に合わせて、アリスと勇者はダンスを踊る。

 周囲から見ればその光景は美男美女が手を取り合って踊っているようにしか見えない。

 だが、よく見れば少女の方の顔は僅かに曇っている。

 少女の心の中にあるのはここ最近のこと。

 目の前で一緒に踊っている世界を救った英雄の少年。

 その少年が帰ってきて、自分にプロポーズなんてしてくれた時から、ある少年の……アキトとの距離が徐々に離れてきている気がしていた。

 それが、今のアリスの心を占めている。

 不安。

 ただひたすらに今の状況が不安だった。

 もしこのままアキトと離れてしまったらどうしよう。

 こうやってダンスを踊っている間に、ますますアキトとの距離が離れている気がしていた。

 このままこうやっているだけで、もう戻れないような。

 そう考えていたら、いてもたってもいられなくなってきた。

「……アリス姫?」

「あの、すみません」

 ダンスの足が止まる。

 手が、離れる。

 勇者はそれをどこか手放したくなさそうにしていたが、届かない。

 アリスの手が、離れていく。

「――――私、ちょっと用事があることを思い出しました」

「用事?」

「はい。すみません。ご無礼は招致しておりますが、謝罪は後日」

 アリスは、勇者に背を向けて走り出した。

 自分でも意外だった。自分でもこんな行動をとったことが。

 周囲の視線なんておかまいなしだ。

 でも、さっきよりも心が軽くなった。

 なんでだろう。

 英雄様に対して失礼な態度をとったのに、今はぜんぜん不安じゃない。

 アリスは物陰にある休憩スペースへと一気に入り込んだ。そこにはグリカゲの二人が揃って休憩している。入ってきたアリスを意外そうな目で見たが、すぐにいつも通りの表情に戻した。

「あのっ、アキトくんは?」

「あー、タイミングの悪い事にどこかへ行ってしまいましたよ」

「ど、どこに?」

「……たぶん、アリス様のところ」

「入れ違いのようですね。たぶん向こうも探し回っているでしょうし、こっちに来たらここに留まっておくように言っておきますよ」

「ありがとうございますっ」

 アリスは再び駆け出した。

 自分でも、もう頭の中で計画なんて何もない。

 今はただ、彼に会いたかった。


 ☆


 もう会場をずっと探し回っているけど、アリス様は見つからない。

 どこに行ったんだろう。

 わからない……けど、どこに行っていたとしても、必ず見つけてみせる。

 この城の中は、子供の頃からバイトとして色々なところで働いていたから構造はだいたい把握している。しらみつぶしに捜しているが、一向に成果が上がらない。

 アリス様はどこにいるのだろう。

 彼女と過ごした時間は短い。

 そもそも過ごした、といえるほどでもない。

 でも……でも彼女の事なら、ずっと見てきた。

 だから、考えろ。彼女ならどこに行くか。

「…………行ってみるか」

 頭の中に思い浮かんだのはある一つの場所。

 俺と彼女がはじめて言葉をかわした、あの場所。

 アリス様のお母様が亡くなった日、俺たちはあの場所で、はじめて出会いと呼べるものを果たした。

 あれから、時間が経った。

 長いような短いような。

 あの頃と比べると、俺と彼女の距離は縮まったのだろうか。今はただただ遠く感じる。

 懸命に走り、あの日の中庭へとたどり着いた。

 ベンチはあの日と変わらないように見える。だけどよく見ればところどころに年季が入っていて、あの日から時間が経ったことを知らせてくれる。

 そして、透き通った水が流れる噴水の傍。

 そこに、彼女がいた。

 彼女は人の気配を感じたのか、ふわりとこっちの方に振り返る。

「……アリス様」

「アキトくん……」

 ドレス姿のアリス様はとても綺麗で、ここまで走ってきて服が乱れた状態の俺ではつり合いがとてもとれそうにない。

 お世辞にも、彼女の傍にいるに相応しい男には見えないだろう。

 ――――それでも、構わない。

 俺が言葉を発する前に、アリス様が先に言葉を紡ぐ。

「……アキトくん。お話、しませんか?」


 ☆


 アリス様を見つけたかと思ったら、唐突にお話しようと言われた。

 正直戸惑ったものの、いきなり勇者様のもとを出て行ってしまったことについて理由をきいておかなければならないと思っていた為に、とりあえずその誘いにのった。

 あの時と同じように、俺たちは二人で一緒のベンチに腰を下ろした。

 しばらくアリス様は何も喋らず、無言のままだった。

 俺も話すきっかけを失って、無言のままそこに座っていた。

 だけど、心臓はさっきから物凄い音を立てていて、隣のアリス様にきこえてしまうのではないのかと思ったぐらいだ。

 どれぐらい時間が経ったか分からない。

 だけどふとしたタイミングで、アリス様が口を開いた。

「覚えていますか? わたしが、ここでアキトくんに絵本を読んでもらった時のこと」

「覚えてます。ちゃんと」

 なぜ唐突にこんな質問をしてきたのかは分からない。

 だけど、彼女に質問されるまでもなく、俺はあの日のことを思い返していた。

 落ち込んでいるアリス様をどうにかして元気づけてあげたくて。

 自分の持っている魔法とくぎで何か出来ないかと思った俺は彼女の元に走って。

 勇気を出して話しかけてみて。

 思えば、あそこからがある意味はじまりだったのかもしれない。

「……アリス様は、どうしてパーティを抜け出したりなんか?」

 話しかけられそうな雰囲気になったので、俺はとりあえず『過去』ではなく『今』のことをきいてみた。

 アリス様はそのことに触れると居心地悪そうにしていたけど、視線を少しだけ俺の方に向けつつ、

「ええと……なんだか、いてもたってもいられなかったというか……。あのまま勇者様といると、どんどん離れて行っちゃう気がして……」

「離れるって……誰と?」

「アキトくんたちと、です」

 ……ああ、「たち」ね。一瞬ドキッとしちゃったじゃないか。

「あの人が来てから、私、なんだかアキトくんたちとの距離が離れてはじめている気がしたんです」

「そりゃまあ、物理的に離れてましたね。ええ」

 なにしろ勇者様にいろいろと誘われっぱなしだったし。

 昼食だったり、放課後だったり。

「それもそうなんですけど。でも、あのままずっと勇者様と一緒にいることでアキトくんたちと離れてしまって……なんてことになるのは、嫌だったんです。でもあのままだとそうなっちゃう気がして。そのことをずっと考えていると、怖くなっちゃったんです」

「怖く?」

「はい。自分の意思とは関係なく、周りの空気や流れだけがどんどん決まっていって……それで私の大切な人たちと離ればなれになってしまうのは、怖いじゃないですか」

 考えてみる。

 自分の意思とは関係なく、周りが勝手に自分の大切な物を奪っていくような感覚。

 ……確かに、怖い。

 ということは。

 アリス様はこのまま勇者様と結ばれるのが、怖いということなのだろうか。

 なんて、都合の良い妄想もつい考えてしまう。

「だから、気が付けば飛び出していました。大切な人に会いにいくために」

 飛び出したからといってどうなるわけでもない。

 それを彼女はきっとよく分かっている。

 でも、それでも飛び出さずにはいられなかったのだろう。

 勇者様とアリス様が将来結婚するのだろうと、周囲の評価はそんな感じで固められつつある。

 街でも、もっぱらの噂だ。

 アリス様の周囲はまさにそれが確定事項のようになっているし、そこにアリス様の意思は含まれていない。

 彼女がいま、どのような考えを持っているのかは分からないけれど、でも今の周りの評価が彼女が望んだ物ではないということぐらいは分かる。

「飛び出したからって何も分からないことは分かってるんです。それでも、会いに行かずにはいられませんでした。私には私の意思があるんです、っていうのを示したかったっていうか……ちょっとした抵抗っていうか」

 そういって、アリス様は夜空を見上げていた。

 彼女の胸中は俺なんかには計り知れない。

 でも、彼女の意思とは関係なく、周りの勝手な思い込みだけで未来が決められていく不安。

 それが彼女の中で渦巻いていることだけは、なんとなく理解できた。

 その不安は彼女自身ではどうしようもないものなのだろう。

 だからこうして、ささやかな抵抗として飛び出すことぐらいしか出来ない。

 こうして俺と偶然出会って、こうやって二人で話して。

 それで彼女はどうするつもりなのだろう。

 これからどうするつもりなのだろう。

 会場に戻ってから謝るのだろうか。

 そして、それから周りの作り出してしまった、彼女の意思を無視した勝手な環境に身を置き、勇者様と結婚でもするのだろうか。

「アリス様は、このまま勇者様と結ばれるのは……嫌なんですか?」

 思い切って、ストレートにきいてみた。

 周りには誰もいない。ここで、彼女の本心をききたかった。

 アリス様は少し驚いたような表情を浮かべて、それから静かに目を瞑った。

「…………はい。私は、あの方と結婚するつもりはありません。私には……」

 と、アリス様はここで俺の方を見て、何かを言いかけたが、途中でその口を閉じた。

 言っても仕方がない、とでもいうかのように。

「だったら、勇者様のプロポーズには?」

「断るつもりでした。……でも、今みたいな状況になっちゃったらそれも難しいですね」

 苦笑を滲ませる彼女の表情からは、もうどうしようもないということが嫌でも分かった。

「どうしようも、ないですね。それに、王族の娘として生まれたのですから、もともとこんな風になるかもしれないということは、前々から覚悟してました。それでも、ちょっと期待してたこともあったんですけど。でも、その期待もあっさりなくなっちゃいました」

 いま彼女はどんな気持ちなのだろう。

 自分ではどうしようもない、確定された未来を突きつけられて。

 自分の本心を押し殺すことしか出来ないなんて。

 俺はバカだから、彼女がこれからどんなことをしたいのか、どんな未来を紡いでいきたいのかなんて分からない。でも、彼女にはこんなかおを――もうすべてを諦めたかのようなかおはしてほしくない。

「ありがとうございます。アキトくん」

「え?」

「アキトくんに会ったら、なんだか安心できました」

 違う。

 俺は何もしていない。

 あなたに安心させてやれるようなことは、何も。

「勇気がわいてきたっていうか……覚悟ができたっていうか」

「そんな……そんなもう諦めたようなこと、言わないでくださいよ」

「ありがとうございます。でも、私にはもうどうすることも出来ないんです。だから私も、覚悟を決めました。王族の者としての、務めを果たします」

 そういって、彼女は席を立った。そのまま歩いて行こうとする。

 きっと、会場の方に戻っていくのだろう。

 俺はただそれを呆然と眺めていることしかできない。

 なにしろ俺は貴族でもなんでもない家の子供だから。

 アリス様には王族としての立場がある。

 だから俺はこうやって、観客としてただ眺めていることしかできない。

 ――違う。

「待ってください」

 気が付けば俺は、彼女の手を掴んでいた。

 一緒に俺も席を立ち、逃がさないように彼女の手を握る。

「ふぇっ……」

 アリス様はとても驚いていたけれど、構うもんか。

「俺が何とかする」

「……?」

「この国じゃ、結婚できるのは十八歳からですよね?」

「そ、そうですけど」

「だったら、まだ時間はあります。だから、それまでに俺がなんとかします」

「なんとかって……」

 恐らく結婚するとしたら卒業してすぐ。

 だったら、卒業式までになんとかしてアリス様を自由にしてやる方法を探す。

「一つだけきかせてください」

「は、はい」

「アリス様が勇者様と結婚したくないのは……他に好きな人がいるからですか?」

 ただ何も理由もなしにここまで勇者様との結婚を拒むわけがない。

 彼女が王族としての立場も関係なしに、ここまで好きになれる人。

 そんな人がいるのかだけを、知りたかった。

 俺の真剣な気持ちが通じたのか、アリス様はじっと俺と見つめ合って。

 それから徐々に彼女の頬が赤くなり、呼吸もちょっと荒くなってきていた。

 桜色の、柔らかそうな唇からは「あうあう」と混乱したような声が漏れてきて、それから、


「…………………………います」


「そうですか……」

 ああ、やっぱり。

 いたんだ。

 ちょっと残念だな。

 期待してなかったといえば嘘になる。

 それでもちょっと……というか、かなりキツイなぁ。

 でも、俺のやることはこれまでと変わらない。

 彼女のために、出来ることをやっていくだけだ。

 それにこのまま何も彼女に告げずに終わるというのも、嫌だ。

 フラれると分かっていても……でも、俺が彼女に対してどんな気持ちを抱いていたのかぐらいは、告げよう。

 でもそれも、今の問題をどうにかしてから。

 卒業までに彼女と勇者の結婚を取り下げることが出来たら、この想いを彼女に告げよう。

「じゃあ、今日のところは会場に戻りましょう。勇者様も心配していましたよ」

 俺がそういうと、アリス様はまだ頬を少し赤らめながらこくんと頷いた。

 まだ彼女の手は放していない。

 彼女の心は別の男のものなのだと分かっていても、今だけは許されるだろう。


 ☆


 俺はその日、家に帰ってから一人で泣いた。

 悔しかった。

 彼女の心は、俺じゃない誰かに向けられている。

 そのことが悔しくて悔しくて、泣いて、文字通り枕を濡らした。

 でもその次の日から俺は、彼女の為にしてやれることを探し始めた。

 たとえ告白したところで待っているのは拒絶だと分かっていも、彼女の為にしてやれることをしたいという気持ちを抑えることは、出来なかった。

 翌日、俺は朝起きてグリカゲの二人組と合流して食堂に行った……のだが。

「どうしたお前、すごい顔だな」

「明らかにおかしい」

「ああ……まあ、昨日。いろいろとあってな」

 散々泣いたからな。

 そりゃあもう酷い顔になっているでしょうとも。

 この二人にはいろいろと協力してもらったわけだから、昨日の事を話した。

 アリス様とお話したこと、アリス様がこの学園を卒業するまでにアリス様が勇者様と婚約を結ばないようにどうにかすること、アリス様には他に好きな人がいること。

 この二人にすべてを話し終えると、なんだか気分が楽になってきた。

 よし、気合を入れて、また今日から頑張るぞ!

 と、俺が気分も新たにまずは朝の栄養補給をはじめようとすると、

「わかった。おまえ相当なバカだろ」

「同意」

 ……なぜだ。

「お、お前らなぁ、人の決意に対してバカとはなんだバカとは」

「決意も何もなぁ……ただただお前はアホだと。なんでそんな遠回りをするんだよと。ていうかさっさと気づけよ」

「同意」

 くっ。こいつら。わけのわからんことをほざきおって。

 俺が昨日、どんな思いで枕を濡らしたと思っている。

 好きで好きで仕方がなかった人には好きな人がいて……しかも、勇者様の婚約を断るほど愛している人がいたんだぞ。

「と、とにかくだ。俺は早急にアリス様の為に何か対策を立てなきゃいけないんだけど……協力、してくれるか?」

「愚問だな。まあ、お前とは付き合い長いし、ここまで来たらなんでもやってやるよ」

「今更すぎる」

 思わず泣きそうになった。

 自分の事じゃないのに、こいつらはいつだって俺の事を助けてくれる。

 そんな友達を持てたことと、こいつら二人に感謝しつつ、いつかきっとこの恩は返そうと心の中で誓った。

「それで、お前に何か考えはあるのかよ」

「ある……といえばあるけど……」

 でも、あんまり自信が無い。

 こういう作戦を立てるのはいつもドングリの役目だった。

 だから、こういった作戦を考えるということにあまり自信が持てない。

「なんだ。話してみろ」

「いや、あんまり自信ないし、それにバカげているとしか思えないやつでさ」

「いいからさっさと話せ。ここまで来たんだ。別に笑いもしないからよ。俺たちは真剣に受け止めてやる」

「同意。説明を求む」

 そうだ。こいつらはいつも俺を助けてくれたし、この二人は俺にとっての恩人と言っても過言ではない。それに、これからも協力してくれると約束してくれたやつらじゃないか。

 こいつらなら……信じられる。

「えと……俺が勇者様を倒す」

「よし、病院行こうぜ」

「今日は早退確定」

「お前らを信じた俺がバカだった」

 やっぱりバカにされた!

 そりゃ気持ちは分かるけどさ!

「まあ、冗談だ。で、倒すって具体的には?」

「ええっと……勇者様に『俺が勝ったらアリス様との婚約を無しにしてもらえませんか』って約束して、決闘して、勝つ」

「どうやら打ち所が悪いようだ……」

「もう手の施しようがない」

「やめろぉおおおおおおおおおおお!」

 わかるけど! お前らの気持ちも分かるけど!

「で、でも俺は真剣なんだよ! っていうか、これぐらいしか良い案が思い浮かばないし……それに、世界を救った勇者様の婚約を取り下げるんだぞ? 実際問題、それぐらい無茶でバカげたことをしないと……無理じゃん。そんなの」

 俺だって必死に考えた。考えたけど、結局のところ、勇者様は国中……いや、世界中からの支持を集めていると言っても過言ではない。

 それぐらい凄い人物の婚約を取り下げさせるには、その勇者様を越えるしかない。

「でももし仮にそれが成功したとして、国民はおろか王族や貴族たちからの反感をかうという可能性もあるぞ。それでも、いいのか」

「世界の英雄の顔に泥を塗れば、それ相応の報いがあるかもしれない」

 二人はさっきまでとは違う、とても真剣な顔をして俺に問いかけてくる。

 だからこそ、俺も真剣に返す。

「……良いよ、別に。それでアリス様が本当に好きな人と一緒になれるなら。アリス様が好きな人と恋をして、幸せになれるなら。俺はどうなったって構わないし、世界中のひとたちから嫌われたっていいよ。だって、好きになっちゃったんだから。それぐらい好きになっちゃった人だから、幸せになってほしいんだ。俺が、どんなことになっても」

 むしろ俺如きの犠牲で彼女が幸せになるのなら……俺なんかどうなったっていい

「だから、強くなりたい。アリス様の力になれるぐらい、強く」

 バカな俺ではこんなことを考えるのが精いっぱいだった。

 とても乱暴で、めちゃくちゃで、破綻しているような、そんなバカげた考えだ。

 でもやっぱり……なんというか。

 俺の手で、アリス様の力になってあげたい。だから俺の手で、アリス様を自由にしてあげたいと思った。それにこれ以上の手段を、俺の頭では思いつけない。

「簡単に言うけどなぁ……勇者より強くって……」

「無理すぎる」

「分かってる。分かってるけど……でも、やるしかないんだ。俺がどうにかするって、約束したから」

 無理無茶無謀は承知の上。

 それでもなんとかするしかないんだ。

 だって、俺は約束した。

 俺がなんとかする。

 だから、なにがなんでもアリス様を自由にする。

 アリス様が好きな人と一緒になれるように頑張る。

 たとえアリス様の心が俺じゃない、別の人に向いていたとしても。

「だから、どうにかならないかな。俺、勝ちたいよ。勇者様に。絶対に勝ちたい」

 俺は独りでに呟いた。

 その呟きは思わず漏れた物で。

 だけど確かに、二人には届いていた。


 ☆


 その日から俺は、グリカゲの二人に特訓に付き合ってもらった。バイトの合間に、二人や兄さん、姉さんから戦闘訓練を受け始めた。今は少しでも前に進みたかったから。

 バイトと特訓の合間に、俺はアリス様の為に他の言語で書かれた本の翻訳作業は続けていた。勇者に頼まず、アリス様が俺に頼んでくれたのだ。それがとても嬉しかった。昨夜の事があったけど、アリス様とはいつもと変わらなく接することが出来たし、いつもと変わらなく、いつもと同じような、関係ともいえない関係性が続いていた。

 普段の授業と、グリカゲとの特訓、翻訳作業と毎日が忙しかった。

 だけどある意味では充実していて、失恋のショックを引きずる暇もなかった。

 ……そうか。俺、失恋したんだ。

 自分が失恋したという事を、後になって理解した。

「最近、やけに頑張ってるじゃない」

 姉さんの元で訓練を受けていたある日、唐突にそんなことを言われた。

「ちょっと、大きな目標が出来たから」

「ふぅん。興味あるわね。弟の大きな目標」

 グリカゲや兄さん、姉さんとの特訓をはじめてから話し合っていたことだが、やはり勇者様と言う大きな目標を越える為には、相当の実力者の力を借りるしかないというのが俺の結論だった。

 俺は話してみた。兄さんと姉さんたちに。

 アリス様の事を言うわけにはいかないので詳しい事は省いたけど、勇者様を倒せるぐらい強くなりたい、卒業までに勇者様を倒したいと、俺は兄さんと姉さん打ち明けた。

 何か追及されても、アリス様が現状を望んでいないことを話さないつもりで身構えていたけど、二人は何も言わずに俺のお願いを受け入れてくれた。

 どうして、いきなりこんなことを言い出した俺に対して何も言ってこないのかときいてみると、「弟の真剣なお願いをきいてやるのも兄(姉)の務め」と言われた。


 兄さんや姉さんの元で更に勇者様を倒すための特訓メニューをこなすようになってから、更に毎日がめまぐるしく回り始めた。

 正直言って、もともと凡人だった俺にはかなりキツイ日々になった。

 だけどこれは自分が望んだし、やめる気もない。

 アリス様と勇者様は、学内では二人で一緒にいるのを見かけるのが多くなってきた。

 勇者様が積極的にアリス様を誘っているのをよく目にする。

 俺は、その光景から目を背けるように毎日、自分のやるべきことに没頭した。

 体力的な事を考えると明らかにオーバーワークだったが、それでも何かを休めよう、何かを止めようという選択肢はない。

 バイトも、特訓も、勉強も、翻訳作業も、みんなと過ごす時間も、何一つ手抜きはしない。

 そして、これらのどれも止めたりはしない。

 もしこれらのうちどれか一つでも手を抜いたり、止めたりするとなんだか負けた気分になる。

 これぐらいのことをすべてこなせないと、勇者様に勝てはしない。

 あくまでも俺が勝手に思って決めただけの自分ルール。

 ただの、意地。

 だけどこれぐらいの意地を通しきれなくては、俺の目標は達成できない。

 アリス様を自由にしてやれない。

 そんな決意を抱えて俺は毎日を懸命に戦うように過ごした。

 たまに翻訳したものをアリス様に手渡すことがある。

 その時に見せるアリス様の嬉しそうな笑顔を見ると、また次も頑張ろうと思えてくる。

 例え体の調子が悪くとも。

 例え体が言うことをきかなくても。

 ただただ頑張って、強くなろうとした。

 その結果というべきだろうか。

 ある日、俺はバイト中に倒れた。

 無理がついに体へと直接的な影響を及ぼしてしまったようだ。

 次に目を覚ますと、俺は自室にいた。

 何が起こったのかは分からなかったけど、バイト中に倒れてしまったことだけは分かった。

 頭の中にあるのは、貴重な一日を無駄にしてしまったという事実。

「あの、大丈夫ですか?」

「……え?」

 改めて周りを見渡してみる。すると、俺のすぐ傍にアリス様がいた。

 ベッドのすぐ傍にある椅子の上に座っている。

 何が起きているのか分からない。一気にパニックになりそうになるが、慌てて堪える。

「えっと、どうして、アリス様が?」

「アキトくんが倒れたので、看病しようと思ったんですけど……だめですか?」

 ああ、そういえばバイト中に倒れたんだ俺は。

 すぐ近くにアリス様がいたのだから、さぞかし驚かれたことだろう。

「ありがとうございます……」

 素直にお礼を言う。

 アリス様が看病に来てくれたことは、本当に嬉しかったから。

 机に視線を移すと、翻訳途中の本や紙の束が放置されていることに気づいた。

 徹夜して学校に行くまでずっと翻訳作業をしていたから、そのままだった。

「あ、ごめんなさいアリス様……。翻訳、まだ終わっていなくて」

「そんなことはいいんです。むしろ、ごめんなさい。アキトくんの負担になっていると、気づけずに」

「そんなことないです。絶対に。アリス様の為に俺が出来ることといったら、これぐらいしかないから。俺は、そんなことしかできないから」

 すくなくとも今は、まだ。

 不意に、アリス様が、その白くて綺麗な手で、そっと俺の頬を撫でた。

 好きな人からの、突然の行動に思わず心臓の鼓動が跳ねたように加速する。

「無理しないでください……もっと、自分の体を大切にしてください。私のことはいいですから。だから、アキトくんは元気でいてください。でないと、私は……いやです。アキトくんが私なんかの為に無理をして、体を壊すなんて、ぜったいにいやです」

 アリス様は、あの日の事を。俺がなんとかすると宣言した時の事をちゃんと覚えていた。

 勇者様と行動を共にする日が多いから心配していなかったといえば嘘になるし、もう俺の言葉なんか忘れてしまっているんだと思っていた。

 だけどちゃんと覚えていてくれた。

 たったそれだけの事実が、とてもうれしかった。

「……無理、しますよ。だって、約束しましたから。なんとかするって。アリス様が本当に好きな人と一緒に入れるように頑張ります。それが、俺がやりたいことだから。アリス様の幸せのために頑張ることが、今の俺がやりたいことだから」

 それだけを言いきると、俺は疲労の濁流に押し流されるように眠りについた。

 意識が沈む寸前、優しくて暖かな手が、頭を撫でていたような感覚がした。


 ☆


 かつて魔王の根城だった魔王城。

 そこはかつて、強力な防御魔法が張り巡らされていた。

 勇者たちはその防壁を突破して、魔王を討った。

 だが、防御魔法はあくまでもカモフラージュに過ぎなかったのだ。

 本命は、防御の術式の中に紛れ込ませていたとある術式。

 魔王は自分が討たれることも可能性の一つとして考慮していた。

 もちろん、かつての魔王はそれは使う機会はないと思っていたし、自分自身の実力を疑わなかった。

 だが、結果的に魔王は負けた。

 敗北し、討伐された。

 魔王が討伐されてから半年。

 かつての魔王の根城に、とある邪悪な気配が蘇りつつあった。

 邪悪な気配は今はただの塊に過ぎないが、自らを討ったものに対する怨念と、城に仕込んでおいた復活の儀式の術式の力によって徐々に力を取り戻しつつあった。

 いつかは蘇る、かつて世界を席巻したその存在。

 人々はその存在を、魔王と呼んだ。

 魔王は勇者への憎悪と怨念を糧に力を取り戻し、より強力な存在となるべく今はただひたすらに待つ。

 すべては勇者への復讐の為に。


 ――――そして、五年の月日が流れた。





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