隣国の姫君
国の東部は、事前の情報の通り洪水が多発しているようで大きな河川の周辺は荒れ地になっていた。ユウたちも何度か大雨に遭った。それはそれで異様だったが、国境に近づくとそこはさらに異様な空気が流れていた。アストレアとシルヴィアの両国が防衛の兵を派遣しているのだという。戦の前のような緊張感が漂っていた。
それを報告したロベルトは、心配そうに眉を寄せた。
「騎士団も魔術兵団もいたぞ。この状態で本当に来るのか、あいつ」
「彼の目的が全ての結界を消失することなら、必ず来ます」
フェルディはきっぱりと答えた。
「二人とも、顔が割れてるんだから見つからないようにね」
何気なく言うと、ロベルトとフェルディは声を揃えて突っ込んだ。
「あんたが一番有名だろうが!」
「あなたが一番有名だと思います」
「災厄」の情報は、東の社にも流れてきているらしく、社がある街に入るとあちこちから噂が聞こえてきていた。
騎士団は街の外で野営をしているらしく、街中では姿が見えない。三人は、街のはずれにあった宿に泊まることにした。あまり上等ではないが、食事はおいしいと街の人が教えてくれたのだ。確かに、晩に出てきたビーフシチューはなかなかおいしかった。
パンをちぎりながら、ユウは感想を言ってみた。
「東の社は、北の社よりも賑やかなところにあるんだね」
「大門があって商いが盛んですから、街も発展したんでしょう」
ユウの隣でロベルトが唸った。
「門がある割に、防衛の意識は薄いみたいだな。門を通る旅人のチェック、甘そうだったぞ」
「平和ボケしているんですよ、それだけ。今は災害対策で兵もますます足りていない。結界があっても諸外国が本気になれば、この国は簡単に落ちます」
そう言ってから、フェルディははっとしてユウを見た。
「申し訳ありません、姫様」
「謝ることないよ。本当のことでしょ?もしかして、ルーマはこれを狙ったのかな。結界を消して、平和ボケしたみんなの意識をはっきりさせる……あんまりルーマらしくない動機だけど」
「なるほど、あなたがたも彼の目的はご存知ないのですね」
「うん。もともと何考えてるのかよくわからない人で……!?」
ユウははっとして言葉を止めた。今会話に入ってきたのは誰だ。
ロベルトとフェルディは立ち上がり、食堂への入り口を睨んでいた。ロベルトの手は剣の柄にかかっている。
暗闇から、娘と男が現れた。娘がフードを脱ぐと、漆黒の長い髪が現れる。男は鋭い赤みがかった茶色の瞳で、ユウたちを睨んでいた。娘は反対に柔らかく微笑んでいた。
「突然お邪魔して申し訳ありません。私はカトリと申します。こちらはバルト。猛犬みたいなお顔ですけど、そんなに怖くありませんのでご安心下さいな」
「カトリ……って、えっ!?カトリ姫様!?な、何で姫様がこんなところに!」
「それはあなたもでしょう、ユウ様」
狼狽して思わず立ち上がったユウを見て、カトリは楽しそうに笑っている。
ロベルトがユウに顔を寄せた。
「おい、何だ、姫様って……」
ユウは掌を彼女に向けた。
「……こちらはシルヴィア皇国の第二王女、カトリ姫様。姫様、こちらはロベルトとフェルディです」
「どういうことだよ!?」
緊張状態にある隣国の王女が目の前にいると言われ、ロベルトは驚きを隠さない。
フェルディも驚いていたが、ロベルトよりは冷静だった。
「今は、神官になられたとお聞きしておりますが」
「はい。王女というのも名ばかりですし、私には魔力がありましたから。それで、今回の派兵にくっついて参りました。何だか普通ではなさそうだったので」
カトリは優雅に首を傾げた。
「やはり、何か不穏なことが起こっているようですね。『災厄』についてお聞かせ頂けませんか」
ユウは二人に座るよう勧めた。フェルディがユウの側に移動してくる。
「ちなみに、カトリ様はどうやってここまで入って来られたんです?」
「門を通って参りましたわ」
にっこり笑って答えられ、自国の防衛意識の低さにユウはテーブルに突っ伏しそうになった。フェルディはため息、ロベルトに至っては何かを壊したような音をさせている。
「お恥ずかしいところをお見せしました……」
「私は助かりましたけど」
カトリはきょとんとしている。
ロベルトが折れた木のスプーンをテーブルに放り出した。さっきの音はこれらしい。
「ひとつ、お聞きしたいことがあります。どうして俺……我々がここにいるとわかったんですか」
「バルトが街であなたがたを見かけて、普通の旅人ではないと教えてくれました。それでお顔を拝見したら、ユウ様だとわかりました。昔、父上の即位礼でお目にかかっておりますから」
「……もっとちゃんと変装するべきかもしれねえな」
ロベルトに言われ、ユウは苦笑した。
目の前のカトリが、ユウをじっと見つめる。
「……何が起きているか教えて頂けますか?」
「…………はい」
いいのか、とフェルディが目で聞いてくる。それに頷き、ユウもカトリの目をしっかりと見た。
「結界の消失に関わっているのは、先日まで我が国の魔術兵団にいた者です。私の幼なじみでもありますけど。彼の目的はわかりません。ただ、きっと彼は全ての結界を消すつもりだと思います。だから私たちはここに来ました。彼に、どうしてこんなことをしているのか聞くために」
「アストレアに戦をする意思はねえってことか」
ずっと黙っていたバルトが初めて口をきいた。その口調に、カトリが少し顔をしかめてみせる。
「バルト、姫様にそんな……」
「かまいません。堅苦しいのは嫌いだし、姫としてここにいるわけじゃないから」
カトリを宥めて、バルトに視線を向ける。
「王都を出た時には、兄に貴国と戦をする意思はありませんでした。正直、兄が今何を考えているかはわかりません。でも、アストレアは兵力が足りないから、すぐに戦を仕掛けるとは……」
「ユウ!」
軍の内情を喋ったユウを、ロベルトが諫めた。
「喋りすぎだ。この話を持ち帰られて、逆に攻めこまれたらどうする」
カトリは微笑んだ。
「そんなこと致しませんわ。これはここだけのお話ですもの」
「でも!」
「うるせえな、ぎゃんぎゃん吠えるなよ」
バルトに唸られて、ロベルトはぎろりと彼を睨んだ。彼はいつの間にかエールの入ったゴブレットを手元に置いている。
カトリが彼の手に触れてたしなめた。
「バルト、喧嘩を売らないで下さいな」
「売ってねえよ」
雑な口調でカトリに返事をするバルトを見て、ルーマのことが懐かしくなった。彼も、誰が何と言おうとユウに敬語を使わなかった。皮肉や嫌味を言う時以外は。
「戦を避けたいのはシルヴィアも同じですわ。ですから、私がそちらの内情を知ったからといって、それを軍に伝えることはありません。今回の派兵は、そちらの侵攻を警戒してのことですから」
「それにしては、少々大がかりですよね」
ずっと黙っていたフェルディがのんびりと言った。
「魔術師の数がやたらと多いのはなぜでしょう?それに、どうやってここに来られたのかはわかりましたが、なぜ来られたのかあなたは説明されていませんよね?」
「仰るとおりですわ」
カトリはにっこり微笑んだ。それから傍らのバルトを見る。
「止めても無駄ですわよ。こちらも手の内を明かさないと、フェアではありませんから」
「止めねえよ。おまえの好きなようにしろ」
「ありがとうございます」
カトリがユウに向き直る。不安になってフェルディを見ると、彼は微笑んで頷いてくれた。逆隣では、ロベルトが警戒心を剥き出しにしている。
「シルヴィア皇国は、宝珠を奪うつもりですわ。私は、宝珠がどのようなものかを確認するためにここへ参りました。これは、軍命ではなく私の勝手ですけれど」
「宝珠を奪ってどうするんです?」
「結界を作り出したいのです。シルヴィア皇国の東側の境に」
フェルディが視線をさ迷わせる。
「シルヴィアの東といえば、ランブルク王国……二年前、新しい国王が即位されましたね」
「彼は野心家ですわ。彼が即位されてから三度、国境で小競り合いがありました。戦の準備をしているという情報も入っています。結界があれば、防衛の兵を半分に減らせますから、魅力を感じるのも無理はないでしょう?」
「それは浅はかな考えだね」
突然聞こえた声に、ロベルトとバルトが弾かれたように立ち上がった。
ゆっくりと首を捻って食堂の入り口を見ると、思ったとおりルーマが立っていた。バルトが素早くカトリの前に出る。
「何だかお隣さんの動きが変だと思ったら、君が何かしたんだね。フェルディ」
「ええ。どうしてもあなたに会いたくて」
そう言ってフェルディも立ち上がった。
「君にそんなことを言われても、ぞっとしないな……」
「あなたにご用があるのは姫様ですよ。わかっているでしょう?」
「僕はお姫様に用事はないよ。ただ、バカげたことを言っているお隣のお姫様に一言言っておこうかと思って」
ルーマが一歩踏み出すと、バルトが剣を抜いた。
「それ以上近づいたら殺す」
「やってみれば?」
余裕の笑みで、ルーマはバルトを挑発している。バルトの後ろから、カトリがルーマを見つめた。
「私に一言とは何でしょうか?」
「宝珠を使うなんて愚かな考えは捨てた方がいい。それを実行するなら君を殺すよ」
「その前に俺がおまえを殺すって言ってんだろ」
バルトが剣の切っ先をルーマに向けた。ユウは立ち上がり、バルトとルーマの間に割って入る。
「待って、ルーマ。何でこんなことしてるのか教えて」
「お姫様は、早くおうちに帰りなよ」
そう言って、ルーマはくるりと踵を返した。
「ルーマ!」
追いかけたユウの目の前で扉が閉まる。それを開けた時には、もう彼の姿はどこにもなかった。
暗くなった通りに立ち尽くしていると、フェルディの手が肩にのった。
「ユウ、行きましょう。社です」
「え?」
「魔術の気配がします。社の方から」
ロベルトも宿から出てきた。バルトを伴ったカトリも姿を見せたが、なるべく宿から動かないと言う。
「私は死ぬわけには参りませんし、バルトがユウ様の幼なじみに何かしては困りますから。ですが、何かおかしいと判断すればこちらはこちらで動かせて頂きます」
「わかりました。お任せします」
ユウは頷いたが、フェルディは険しい顔で釘をさした。
「宝珠のことはもう一度よくお考え下さい。この国に住んでおきながら申し上げにくいのですが、宝珠の結界に頼るのは間違っていると思います」
「そうですね」
カトリは微笑んで頷いた。
社は、街の北端にある。街中からはだいぶ距離があるので、三人は馬を駆って街中を抜けた。ルーマには空間転移がある。もしかすると間に合わないかもしれない。
「大丈夫ですよ」
ユウの不安が伝わったのか、フェルディが隣から声をかけてきた。
「宝珠には強大な魔力があります。動かすにしても壊すにしても、簡単にはいきません。追い付けますよ」
「……そうだね。でも、話ができるかどうか……」
「おいおい、弱気になるなよ」
反対側からロベルトが陽気な声をあげる。
「話ができなければ、縄で縛って連れて帰ろうぜ。俺もあいつのこと一発殴らねえと気がすまねえ」
「私も!」
ユウが頷くと、ロベルトは馬の速度をあげた。ユウとフェルディもそれに続いた。