追いかける
「ユウ、今日からおまえに魔術を教えてくれるルーマだよ」
父が紹介してくれたのは、無表情の青年だった。よろしくお願いしますと言っても、こくりと頷くだけ。しかし彼のくすんだ緑色の瞳がきれいだな、と思った。
彼はまず、ユウの魔術に対する特性を調べた。その結果、得意なのは水系統、苦手なのは火系統だと結論づけた。コップに水を溢れさせることはできるのに、薪に火をつけることが難しい。気を抜くと、全然違うところで発火する。その火を瞬時に消しながら、ルーマは冷たく言い放った。
「才能がないね。君に付き合うと城が丸焼けになりそうだ。やめてもいいよ」
「やめない!」
涙目になりつつ答えると、彼はそれ以上言わなかった。しかし面倒臭そうな顔を見て、ユウはちょっとだけ傷ついた。
彼が魔術を教えてくれるのはお昼すぎが多く、ある日ユウは思いきってルーマに声をかけた。
「ルーマ、このあと一緒におやつを食べない?」
彼は僅かに片方の眉を持ち上げた。
「おやつ?」
「レモンパイ、あるんだ!絶対おいしいよ。一緒に食べよう」
ルーマは目を細めてユウを見た。
「それは、姫様のご命令?」
きっとそれは、皮肉だったのだろう。しかし、当時のユウは気づかなかった。
「ううん、お願い!あ、お誘いかなあ?ルーマは、お願いとお誘いどっちが嬉しい?」
訊ねると、ルーマは一瞬ぽかんとしてから返事をした。
「この場合は、お誘いが正しいと思うけど」
「そう?じゃあお誘い。一緒におやつのレモンパイを食べませんか?」
改めて誘うと、ルーマはほんのわずかに表情をやわらげた。
「……いいよ」
「わーい、ありがと!」
あとから聞くと、この時部屋にいた侍女はルーマがばっさり断ったらどうしようかとひやひやしていたらしい。
この日から、ユウはルーマになついたのかもしれなかった。
「おーい、ユウ。朝飯買って来たぞ」
誰かにゆさゆさと肩を揺すられ、心地いい眠りを妨げられたユウは「んんん」と呻き声をもらした。
目を開けると、澄んだ青い瞳がこちらを見ている。
「ロベルト……?おはよう」
「おはよう。そんな寝方して体痛くねえ?」
ソファで丸まっているユウを見て、ロベルトは呆れたようだった。
「大丈夫。慣れてるから」
「そうか?」
「ロベルト、寝起きの娘さんをしげしげ眺めるのはやめた方がいい。兵団長に殺されますよ」
部屋の反対側から、フェルディがぴしりと言った。彼の手には、昨夜三人で協力して作ったメモがある。
ロベルトが買ってきてくれたマフィンをかじりつつ、ユウも何枚かメモをめくってみた。
「ルーマが宝珠と結界について調べていたのは間違いなさそうだね。魔術史の方はちんぷんかんぷんだけど」
ベーグルを手にとったロベルトがそれに返事をする。
「そういえば、街はなくなった結界の話で持ちきりだったぞ。西の部分がなくなったんだとさ」
「西だと、山脈がありますからまだ良かったと言うべきでしょうね。ですが……偶然にしてはできすぎています」
ロベルトが顔をしかめた。
「何であいつが結界を消すんだよ?」
「さあ……昨日は、私たちの敵だと言っていましたけど」
「じゃあ何だ、あいつが隣国に寝返ったとでも?」
笑いながら言ったロベルトは、ユウとフェルディが否定しないことに驚いたらしい。おいおい、と言いながらカップをテーブルに戻した。
「有り得ねえだろ。冗談に決まってる。何で本気にするんだよ」
「ですが、それなら説明がつきますよ。彼が陛下と衝突していたのは、一度や二度ではない」
フェルディの言ったことは、ユウにも心当たりがあった。だから有り得ない、とは言えなかった。セオドアとルーマが言い争っているところは、ユウも何回か見ている。
しかしロベルトは、もう一度「有り得ない」と言い放った。
「あいつの行動原理はな、全部ユウなんだよ。隣国に寝返ってユウが得することはない。だから寝返りは有り得ない」
きっぱりと言われて、ユウは照れる前に呆れてしまった。
「そんなことないと思うけど……」
「あるって。あいつの思考の中心はあんたなの」
ロベルトはきっぱり言いきった。フェルディは苦笑していたが、否定もしなかった。
大事にされていたと思うし、よく面倒を見てくれていたとは思う。しかし、彼とは恋仲だったわけでもないし、彼の思考の中心に自分がいたとは思えない。
ひとまずそれは置いておこう。
「結界って、どうやったら消えるのかな?」
「結界を作っているのは宝珠ですから、宝珠をどうにかすれば消えるのでは?」
フェルディはそう言いながらメモをめくる。
「……宝珠自体に魔力がありますから、どうやって『どうにか』するかが難しいですけど」
「じゃあ、ルーマはすべての結界を消すつもりだと思う?」
今度はロベルトが答えた。
「それはそうじゃねえの?西の結界だけ消すって言うのもちょっとおかしいだろ」
「そうだよね……。じゃあ、先回りしたらルーマに会えるかな?」
ロベルトとフェルディが顔を見合わせた。
「それは……会えるかもしれませんけど、次に彼がどこの結界を消すかはわからないでしょう?」
「そうだね。でも……きっと、最初が西だったっていうのは偶然じゃないと思う」
いいタイミングでロベルトが広げた地図を、ユウとフェルディも覗きこんだ。
「ルーマ、ずっと結界に頼るのは良くないって言ってたよね?でも兄上も評議会も耳を貸さなかったでしょ。これはそれに対する実力行使じゃない?」
「言ってダメなら……ってことか?」
「確かに結界がなくなったら、陛下も評議会も防衛に力を割くしかありませんが……」
フェルディの指が地図の上を滑る。
「それなら、次は北……かな?」
「私もそう思う。東と南を消したら、すぐに戦になりそうだし」
「じゃあ、北の社に行ってみるか?クソ、あのひねくれ性悪魔術師め。手間かけさせやがって、次に会ったら一発ぶん殴ってやる」
奥歯を噛み締めるロベルトに、ユウは笑みを向ける。
「ダメよ、ロベルト」
「でも、ユウ…………」
「一番最初に殴るの、私だからね。ロベルトはそのあと」
笑顔で言うと、ロベルトはひきつった笑みを浮かべて頷いた。
絶対つかまえて、一発殴って、何でこんなことしたか問い詰めてやる。
それから、ロベルトが言ってたこと本当か聞いてみなきゃ。
ルーマ、私のことどう思ってるのって。
それで、私もちゃんと言わなきゃ。
ルーマに早く会いたいーー……。
「北の結界が消されたってどういうことだよ!?」
ロベルトの怒鳴り声に、フェルディが耳に指を突っ込んでうるさいとアピールした。
「相手がこの国最高の魔術師だってことを忘れていました」
「何だそれ」
「彼は空間転移が使えます。我々とは移動速度が違います」
ロベルトは苦虫を百匹噛み潰したような顔になった。
北の結界が消失したことを知らされたのは、つい今朝方だった。泊まっている宿のおかみさんが教えてくれたのである。ユウたちは、あと五日ほどで北の社に着く予定だった。王都を出てから七日目である。
朝食のコーヒーを飲みながら、ユウはため息をついた。
「私も忘れてた。ルーマなら国の端から端も一瞬だよね」
「ということは、先回りなんて無理じゃねえか」
「そうだね。でも、続けざまに魔術を使うことはできないだろうから、東と南、ヤマをはって当たれば待ち伏せできるかも?」
「勘かよ……」
ロベルトは脱力したように肩を落とす。
「空間転移は反則だろ。フェルディ、あんた使えないのかよ」
「簡単に言いますけどね、あんなもん使えるのは超上級魔術師だけですよ。そのへんの魔術師がぽんぽん使ってみなさい。世の中大騒ぎです」
しれっと言い返したフェルディが、頭をかきむしるロベルトに冷たい視線をやってからユウに向き直った。
「私はこのまま北の社に行きたいのですが……。どのようにして結界を消しているのかが気になりますし」
「そうね……」
頷きつつ、頭を働かせる。
「でも、最初に結界が消されてから今日で七日目だよね。ということは、ルーマは七日あれば次の結界を消すことができる。ここから北の社まで五日でしょ。もし次に消されるのが南なら、最後の東の社にはたぶん間に合う。でも、最後が南なら間に合わない。これは賭けじゃない?」
椅子に行儀悪くふんぞり返ったロベルトが、椅子をぎしぎし揺らしながら口を開いた。
「…………南と東は騎士団が二部隊配置されている。警戒もしているだろうから、そんな簡単に消されないんじゃねえか」
「それに賭けようか」
黙ってきいていたフェルディが、ぴんと人指し指をたてた。
「その賭けに勝つ可能性を少しあげてみませんか。一歩間違えたら戦になるかもしれませんけど」
妙に物騒な台詞に、ユウとロベルトは思わず顔を見合わせた。
「何をする気?」
「シルヴィア皇国にお出まし願います」
フェルディは隣国の名前をあげ、ユウとロベルトはますます眉をひそめる。
フェルディが呪文の詠唱をすると、灰色の鳩が掌から湧くようにして出てきた。ルーマが同じようなことをしているのを見たことがある。フェルディが鳩に何事かを囁くと、鳩は窓から外へ飛び立っていく。
「シルヴィア皇国に噂を流します。我々が……アストレア王国が結界を解こうとしていると。そうすればきっと、彼らは国境に兵を置きます。兵団長もやりづらいでしょう」
フェルディの大胆な作戦に、ユウとロベルトはまた顔を見合わせた。